わろうじじょう

笑路城

京都府亀岡市

別名 : 松尾城、松尾山城、松尾山古城、松尾之城
旧国名 : 丹波

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楊士奇

登城路通行不可 (2023/12/03 訪問)

電気柵を越えたところで改めて防護柵があります。ロープでがんじがらめに施錠されており通行できません。

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ぴーかる

笑路城 (2021/11/28 訪問)

【笑路城】
<駐車場他>駐車場はなし。国道423号脇鳥居のある<34.974385, 135.520159>のポイントに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣・枡形虎口・虎口礎石
<感想>笑路城は松尾山城とも呼ばれ永享年間(1428~1441)に弥勒寺別院庄西の笑路に入部した長澤(中澤)六郎正綱が築いたと伝えられます。長澤氏は戦国時代には波多野氏に従属して長澤家綱の代には明智光秀の丹波攻略に抵抗したがのちに和睦し光秀に従属した。家綱は光秀とともに山崎の合戦に従軍して討ち死にしたようです。
 順路は上記ポイントに駐車し谷小屋近くの登城口、グリップの付いたワイヤーを外して通ります(電気柵注意)。進んで網がかけられた害獣よけのフェンスを通ってここから山に入ります。あとは矢印の付いた火の用心の道標通りに進めば城跡東端の大堀切に出ます。
 城跡は東西に長い感じで山頂の主郭を中心に東側に大きい二郭があります。二郭の東端が先述の大堀切で谷に沿って2条程の竪堀、二郭の大切岸など見応えがあります。二郭内の東端に土塁があり大石が転がっているので大石でできた石垣造りだったと思われます。進入口周辺にも石垣跡が見られます。二郭中心の南側にも石垣造りの枡形虎口が明瞭に分かります。主郭は山頂部の帯郭より3~5m程高い土塁上、東西に長い削平地になっており西側一角に仕切石塁があります。東側に送電線の鉄塔がありますが整備されているおかげで石塁の南北2か所の虎口、北側の虎口は方形の礎石が見られます。主郭南側に石垣枡形虎口、脇に天守台跡が残ります。主郭の鉄塔側はかなり見応えがあります。主郭北西側に数m下がって腰郭がありそこを繋ぐスロープ状の遺構、内部に巨石が残ります。主郭西側は腰郭、さらに西が堀切になっています。堀切先が段郭になっているそうですが行きませんでした。
 天守台や主郭法面に所々に残る石垣や腰・帯郭に落ちた転落石が沢山あって、当時は主郭は石垣で取り巻いていたことが想像できます。高さ面積が大きいので光秀時代に改修されたものだろうか?高い技術力を感じました。当時の雰囲気を濃く残し感じ取れるいい城跡でした。JR亀岡駅の観光案内所に御城印販売しています。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

笑路城

明智光秀に臣従し、明智光秀に殉じて山崎に散った長沢(中澤)氏のお城か。石垣と枡形を持つが決して織豊系のそれではなく、むしろ地方の小領主が精一杯頑張ってこしらえた・・という感じのお城なのだろう。

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摂津と丹波を繋ぐ摂丹街道を見下ろす (2019/03/19 訪問)

害獣対策の電気柵と鉄柵を越えて、送電鉄塔までの道表示あり。登山道、城域は、草刈り、枝打ちされている。堀切、虎口、土塁や石垣も良く認識できた。
山麓の摂丹街道から西に入る道があり、700mほど行ったところに、地元のおばさんたちによる、蕎麦屋季楽あり、手打ち蕎麦をいただきました。
山麓の田んぼに鹿対策の電気柵を張り巡らしているが、鹿が侵入した痕跡あり。鹿による農作物被害は大問題です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長沢正綱
築城年 永享年間(1429〜1441)
主な城主 長沢氏
遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 京都府亀岡市西別院町笑路風呂ヶ谷
問い合わせ先 亀岡市役所教育委員会文化資料館
問い合わせ先電話番号 0771-22-0599