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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

姫路市役所東出張所駐車場(34.818573、134.741164)に駐車して攻城。
着いた時は真っ暗でした。模擬天守や復元された天川橋等の写真をとりましたが、ぼやけて投稿できません。本来は二の丸の土塁跡や堀跡も見学する予定でしたが、真っ暗で断念しました。攻城時間15分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

事前調査の観光用駐車場GPS座標をめざしましたが、到着すると駐車できなかった為、荒神社前のポンプ場に路駐(34.796617、134.694720)して攻城。
本城は尊敬する黒田官兵衛ゆかりのお城。登城路は笹が刈り取られた後で歩き易く、赤い矢印に従って進むと城跡を一周できます。ただ、私が攻城した時期は17:00過ぎると城跡内は真っ暗になり、あわてて下城しました。攻城時間は40分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

龍野歴史文化資料館駐車場(34.868450、134.5458)に駐車して攻城。
資料館は閉館日で入れませんでしたが、復元御殿➡模擬隅櫓➡搦手門➡家老門➡大手門と周囲を一周しました。龍野古城登り口が本丸にありますが、時間の都合で今回はパス。攻城時間は30分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

史跡公園駐車場(35.160828、134.554367)に駐車して攻城。
駐車場から二層櫓に着くまでに石垣、堀切、土塁、竪堀、などが見れます。また、大きな岩がゴロゴロしてました。攻城時間は40分位でした。

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でんのすけ

変わった城名 (2020/08/31 訪問)

あまり見て回る時間がありませんでしたが、麓に案内看板がありました。城名は安達郡と信夫郡の境界から八丁のところにあったから、とか...

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宗春

岩村城 (2018/11/24 訪問)

写真を整理していたら、まだ投稿していないお城があったので、少し前の登城ですが、写真を投稿します。

いゃ〜岩村城は何度来ても良いですよねー。

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赤い城

今回はちょっとだけ (2020/08/14 訪問)

大河ドラマ館目的だったのでちょい寄り。
近くの駐車場は障がい者用になっていてリバーパークおぶさ広場の臨時駐車場からシャトルバスを利用。
天守にも行きたかったが我慢、先を急ぐことにしました。
今は信長の城というよりは斎藤氏の稲葉山城という感じでした。

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刑部

田畑に建つ城址の石碑 (2020/08/29 訪問)

線路脇の田畑に城址の石碑、田園風景の中の石碑ですがとても立派です。遺構は見当たらないですが石碑に行く途中 堀のような地形で高低差がある所が自然なのかもしれませんが防御としては有効ですね。

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尾関山城 阿久利姫(瑶泉院)ゆかりの城 (2018/04/29 訪問)

 忠臣蔵で有名な赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室阿久利姫(瑶泉院)ゆかりの城です。城址は尾関山公園として整備されています。どこまでが当時の姿かはわかりませんが、曲輪らしい雰囲気は残しています。石垣を見つけましたが、当時のものかわかりません。
元和五年、安芸を治めていた福島正則が改易となり、紀伊国和歌山から浅野長晟が広島城へ入城しました。浅野長晟の嫡男浅野光晟が家督を継ぐと、長晟の庶長子浅野長治に五万石が分知され三次藩を立藩し尾関山城に入ったとされています。
この長治の娘が忠臣蔵で有名な赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室阿久利姫(瑶泉院)です。

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小城小次郎

栗田氏の城 (2020/08/09 訪問)

栗田氏はもともと村上氏の一族で信濃・甲斐善光寺別当を務めた家柄だが、栗田鶴寿なる人物はなんと高天神城で命を落としている。そんな栗田氏の居館跡が神社となり、長野駅からほんの1kmのところに土塁を残しているとは。

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ぴーかる

膳所城 (2020/08/15 訪問)

【膳所城】
<駐車場他>膳所城模擬城門前の本丸町交差点北西側に膳所城跡公園無料P14台程度あり。
<交通手段>車

<見所>石垣・移築門
<感想>無料駐車場はすぐ満車になるのでタイミングを見計らって行くのがよいかと。本丸跡入口の模擬城門の横に「城下町膳所案内絵図」という案内板があるので、それに移築城門や膳所藩ゆかりの寺社等の場所が載っていますので参考に巡られるとよいと思います。
 本丸跡は石垣の一部が残っています。二の丸跡には浄水場になっており櫓風の建物が建っています。道路を挟んで西側の三の丸跡は団地化しています。本丸の南側の湖を掘り込んだ箇所はかつての郭のラインがよくわかる。
 本丸跡の次に膳所神社、篠津神社に行って移築城門を観察・撮影して終了した。膳所神社の3門とも移築門とは知らずに、表門と北門だけ確認して南門は見落とし、訪城後先達の投稿を確認して知った。調査力に感服しました。まだまだ未熟・・・
 出張お城EXPOのびわこホールに近いので立寄ってみてもいいかと思います。

<満足度>◆◆◇

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TMN97

杉山城址 (2020/08/31 訪問)

杉山城址

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TMN97

金山城址 (2020/08/31 訪問)

金山城址

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TMN97

足利氏館 (2020/08/31 訪問)

足利氏館

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TMN97

唐沢山城址 (2020/08/31 訪問)

唐沢山城址

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TMN97

忍城址 (2020/08/31 訪問)

忍城址

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カズサン

奥平信昌築城の豊川断崖城 (2015/05/15 訪問)

 平成27年5月中旬新城市作手地区の古宮城、亀山城を終えて標高約500mの高原地から急な九十九道国道301号線を降り新城市街地へ新城市役所に寄り新城城の情報を求めるが特に無し、城跡の在る新城小学校へ北から校門を入り駐車場に停める、外に出ていた教員の方に了解を頂き初登城探訪。
 校門の近くの門、渡り廊下が御殿屋敷風、遺構は校庭の南側に土塁、石碑が有るのみ、南の豊川崖は樹木藪で見る事が出来ない、校庭が本丸跡、余湖図コレクションの新城城俯瞰図によると南側豊川崖を利用した崖城、コの字型に堀を切り土塁で固めていた様子が描かれてるが現在は痕跡が無い。

 歴史的には奥平信昌が設楽ヶ原、長篠合戦後天正3年(1575年)に築城、長篠城から移るが家康関東移封によって信昌も上野宮崎に移った。後年井伊谷三人衆の一人菅沼氏の流れで交代寄合旗本7000石で入封陣屋を築く以後明治に至る。

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カニカニ

順路制限の前に巡りました (2013/06/11 訪問)

近隣で車中泊をし、朝一番で登城。
雲海の季節でもないので半日いたが登城者は数人しか見かけませんでした。

大手口前の 【観音寺山城 200m】 の道しるべに誘われ見附櫓跡の石垣下を回り込んでみた。
観音寺山城への道は草木に覆われハチたちがブンブンと飛びまわっているので断念。

大手口の枡形虎口に入る前から、すでに横矢がかかる構造になっている。
北千畳から三の丸と二の丸の横を抜ける花屋敷へ向かう道は、何度も枡形で曲げられ少しずつ登っている。
その枡形も土で覆われ坂になっている場所もあるが、やはり石段になっているようだ。
四角い曲輪の花屋敷は両サイドに石塁が残っているが、向う正面にはそれらしき塁はない。
花屋敷から下へ降りる道は通行止めになっていた(残念!)
石塁には鉄砲狭間があるといわれるが、これが? って感じの凹みがあった。
櫓跡と思われる出角あるが、それほど防御性の高い曲輪とは思えない。
いま来た道を戻りかけて納得。   本丸方面からの攻撃にバッチリさらされる構造になっている。
南千畳へも何度も曲げられ、そのたびに少しずつ下っている。(本丸方面からなので当たり前か)
広く平らな曲輪の石垣には大きくはないが折れがあり横矢がかかる。
城外からの虎口も、北千畳ほどの防御性は高くない。

大手口へ戻り、あらためて二の丸から本丸を目指す。
スロープ状の坂を登った先の本丸への虎口は、櫓台が控えている。
天守台横の急階段を降りると、左右に中仕切り門跡が。
急階段も途中で狭くなっているしスロープ側虎口に比べ、こちら側は厳重。
途中から狭くし敵を登りにくくするだけなら最初から狭くすれば良いのに。
それとも櫓門か埋門的なことになっていたのか?  櫓門からなら天守台に登れそうだが…。
天守台に登ってみると、南北の千畳方向の狭くなった地点に確実に攻撃ができるのが良くわかる。
南千畳側の仕切り門が北千畳側よりも複雑なのは、南側が弱いと考えての事なのか?

登れる櫓台跡は全部登り、立てる石垣の天端には全部立ってみた。
(こんな見学者がいたために順路制限が設けられたのかも、と チョット憂いてます)
城内どこをみても石垣の面が揃っていないし、各曲輪や櫓台の高さも違う。 
死角が無いように計算しつくされた縄張りですね。
思うに、花屋敷と南北の千畳は、敵に占拠されるのは想定内の縄張りなのかも。

竹田城を十分に堪能し南千畳の虎口から下城。
【山名氏・赤松氏、両軍陣没諸霊供養塔】には、太田垣氏の末裔の方々の御名前も刻まれていた。
この地をめぐり多くの血が流され、石垣造りの鉄壁の城が出来たころには平和になるなんて皮肉ですね。

登城当時はまだ順路に制限がなく自由に廻れました。
史跡保存の観点からは仕方がないことかもしれませんが、城好きとしてはとても残念でなりません。

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昌官忠

西日本遠征・続100名城制覇 (2019/11/06 訪問)

案内図付近(35.334062、134.396716)を目指します。ここで舗装は途切れますが、さらに砂利道を進むと馬場付近に駐車場があります。駐車場から本丸までは徒歩10分位です。続100名城スタンプは二の丸作業小屋前(冬季以外)にあります。
石垣が印象的な城跡です。攻城時間は60分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

最上山公園駐車場(35.010159、134.5380)に駐車して攻城。
ここは尊敬する黒田官兵衛ゆかりの城です。駐車場に行く途中、落葉の掃除にたくさんの人がいらっしゃって、駐車場も掃除をする方の車で一杯でした。登城路は複数個所に腰をおろせる休憩場所があり、100m単位に山頂までの残表示があります。見所は堀切、竪堀、堀といった所です。攻城時間は60分位でした。

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