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赤い城

「行った」ことにしておこう (2022/03/06 訪問)

私有地で見学には事前の許可が必要とのこと。
白山神社に車を駐めてウロウロしてみたが人を見つけることできず。
とりあえ白山神社にお参りして撤退しました。
宇都宮氏家臣の逆面氏の城。
遺構もよく残っているらしい。
事前準備をしっかりしていつか登城したいです。

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にのまる

36見附めぐり㉞~馬場先門~

馬場先門は家光公が朝鮮使節団の曲馬を上覧した馬場にちなんでつけられた名前だそうです。外苑を突っ切ってまっすぐ進むと皇居正門に至ります。
枡形は明治時代に撤去されていますが、道の両側に残された石垣がこの場所で起こったさまざまな出来事を後世に伝える使命を負っているかの如くに踏ん張って立っています。
城内に向かって左側は日比谷駅、右側は二重橋駅の入り口になっているのがおもしろいです。地下で繋がっていると思うのですが。
楠木正成像は外苑内左手です。
馬場先濠の石垣が工事中でした。現役時代から欠かさずメンテナンスが行われてきたからこそこうして自由に見学したり安全に散策したりできるのだなと感謝です。

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カズサン

秀吉軍の水攻めに耐えた城 (2010/11/27 訪問)

 御三階櫓が模擬復元した忍城へ中々行くことが無く復元されてから二十数年経って、取引先の社長から繊維取引で行田市へ出掛け行田市郷土博物館模擬御三階櫓に登った会話が有り、頃合いもいい季節12年前の平成22年11月下旬日帰りで車を飛ばし訪ねました。
 車は行田市郷土博物館西側の専用駐車場を利用。

 駐車場から本丸土塁遺構を確認して入城すると甲冑武者のお出迎え、記念写真を一緒に撮り、博物館、御三階櫓に登る、忍城の立体模型が大きく場所を占めている、湖沼を上手く活用した城郭構造が良く分かる、秀吉軍の石田三成が攻めあぐねた訳が良く分かる、御三階櫓は昭和63年にRC造り外観模擬復元、江戸城の富士見櫓を参考にしたそうです。
 堀沿いに御三階櫓を撮影し、同時復元された木橋、高麗門も見学、忍城の鐘時鐘、移築門藩校進修館表門も観察し、南東約500~600mの外堀跡は水城公園として市民の憩いの場、周辺を散策、復興御三階櫓の無い頃は忍城のシンボル写真は水城公園の外濠が城写真集に載って居ました。 現在は映画のぼうの城で有名に成り訪問者も増えて居る事でしょう。
 この後は三成陣所跡の有るさきたま古墳群を訪ねる。

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びーこ

大手門の練塀は北欧チック (2022/03/07 訪問)

今回は、完成した二の丸角櫓の見学と梅まつりという豪華メニューでの登城だ。
二の丸角櫓の入れる部分はほんの一部で、階段はあるものの一般人は登れない状態になっている。何かのイベントの時だけオープンになるのかな?
復元整備に関する説明パネルだけでなく、実際の鬼瓦(葵紋入り)や坂東市万蔵院で発見されたという門扉なども展示されている。
でもまずは修復工事の模様を収めたVTRを見て欲しい。字を読むのがしんどくなってきた昨今、このVTRは本当に助かる・・
今回一番目を引いたのは、大手門と土塁の間を埋めている練塀(瓦塀)のデザインである。なんとも可愛らしい、北欧っぽい柄と色合いではないか!前回見に来た時は気付かなかった。これは絶対に見て欲しい。

水戸城の周りには他にも見所が沢山ある。ちょっと足を伸ばせば偕楽園や千波湖(白鳥と黒鳥が見れる)もあるので、ゆったり散策すれば1日楽しむことができる。

そしてお待ちかねのグルメは、地ビール直営レストランで、ホワイトビールと鯖サンドのランチ。すばらしいマッチング!ビールのお替りを自制するのが大変だった・・
※茨城県は鯖の漁獲量第1位

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赤い城

峰城の名が通っている (2022/03/06 訪問)

白山神社の裏が城跡になるが駐車場はありません。
周辺も住宅と農地なので近くの道路の広くなったスペースに路駐しました。
白山神社の鳥居をくぐりすぐ左手の道を進んで行きます。
段になった曲輪の横を進むと主郭に到達しました。
主郭には虎口が設けられ、土橋がかかっています。
ここから堀底道を歩けました。
西側は崖ですが他の三方は横堀が囲みます。
虎口の説明板には峰城と書かれていてこちらの名前が通っていると思われます。
由来は不明ですが鎌倉時代に中里高信が居城したと伝わっています。
多分夏は藪だと思います。

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北風の又三郎

雪の中の登城🤧 (2022/03/06 訪問)

土岐氏が、斎藤氏から逃げてきて造ったとされる、山県の大桑城に行きました。100名城と続100名城以外の城に初めて行きました。初心者なので。
ちょうど雪が降っていてだいぶ寒かったです。3月なのに雪が降っていました。
大桑城は新ルートと旧ルートがあって、旧ルートは徒歩で60分、新ルートは途中まで車で行けて、30分ぐらいでした。雪が降っていたので新ルートにしました。道は途中で岩があったり、ガタガタしているところが多くて、しかも雪が降っていたので、結構滑りました。ロープがあって助かりました。模擬天守がありますが、思ってたのより100倍小さいです。ちょうど晴れたので、絶景を見ることができました。遺構は石垣や竪堀などです。特に竪堀は見事でした。帰りに四国堀を見ましたが、規模が大きく、入るのはいいけど登れないなと思いました。
四国堀の写真は、撮ったスマホが重くて送れなかったので、スマホごと写真を撮ったものです。なので、画質が悪いです。😕

全体的に、100名城に負けない雰囲気があったので、続々に期待です^_^お年寄りの方は危ないので気をつけてください。行く価値はあります。
#雪 #竪堀 #石垣 #曲輪 #寒い #山城 #危険 #模擬天守 #堀 #山県

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カズサン

戦国村の雰囲気充満 (2010/11/21 訪問)

 二回目登城12年前の平成22年11月下旬ですが、今回日帰りで家内と土浦城登城、城下町土蔵群町並み散策を終えて西に約30~40km地道をナビを頼りに逆井城南の専用駐車場に到着。

 駐車場から北側を見ると堀越に土塁、2層櫓、平櫓、井楼矢倉、築地塀が黒基調で素晴らしい戦国時代を彷彿させる景観です、良く戦国時代劇、TVドラマに使われてる景観で、2回目でも探訪に胸が高まります。
 
 探訪ルート:木橋から二の曲輪西側に入り、二層櫓、物見櫓か?模擬天守に登る、平櫓、土塁上の築地塀、井楼矢倉、井楼矢倉にも登る、南、西方面を眺める、同曲輪内も眺める、土塁上を西から北方向へ、戻って復元主殿、主殿は潮来市大台城の発掘成果の主殿を参考に復元した説明板、主殿の医薬門は関宿城の城門を移築、本曲輪の馬出、本曲輪内部、櫓門が東に復元され堀に架かる木橋と一体化してる、本曲輪は空堀が三方囲み北側は西仁連川が堀代わり繋がりを確認、二の曲輪東側へ広い芝生の広場、東に空堀が南北に残ってる。
 時は秋、青空と木々が紅葉で美しい、人も少なく戦国の世に入り込んだような雰囲気に成りました。

 歴史的には:元々は逆井氏が治めていたと言われる、天文年間後北条氏に奪取され、佐竹氏結城氏多賀谷氏との境目の城として飯沼城と呼ばれいた、天文18年(1590年)の秀吉小田原征伐で廃城の様子。 後北条氏の時代に拡張改造された模様。

 土浦城の復元櫓を堪能し、逆井城で黒基調の中世城館復元建物、城跡遺構も確認出来て大変楽しい秋の一日でした。 
 が帰路の東京首都高速通過が緊張のドライブでした。

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higekam

搦手周辺の特別公開 (2022/03/09 訪問)

期間限定でトの一門、二門による姫路城唯一の桝形を見学。高い防御性と美しさをあわせ持つ姫路城の真骨頂がここにもある。

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にのまる

36 見附めぐり㉝~日比谷門~

日比谷公園の心字池そばに櫓門西側の石垣が残っています。
このあたりは神田山を切り崩したりして入江を埋め立てたところで、標高は約2メートル。36見附の中で最も低い場所です。
門前に橋はなく、枡形の日比谷濠側には土塀もなくて、敵が来たら堀へドボンさせる作戦だったとか。
日比谷公会堂(休館中)の横にある烏帽子石は市ヶ谷門にあったものが道路拡張のためここに移されたのだそうです。公園内にはベンチやオブジェになった元築城石っぽい石もいくつもあります。
伊達政宗終焉の地もこの場所で、説明板が立っています。仙台市によって設置されたみたい⁉︎

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小城小次郎

何しろ話題がてんこ盛り (2021/11/03 訪問)

上田原の戦い、戸石崩れ、戸石城乗っ取り、第一次・第二次上田合戦の舞台となった。エピソードが一つもないお城が圧倒的に多い中でこれだけ話題てんこ盛りなお城も珍しいのではなかろうか。

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朝田 辰兵衛

九州地方では熊鈴が不要なことを知る。 (2020/12/03 訪問)

ここのスタッフと話していた折に,私が装着していた「熊鈴」について話題に。九州地方では熊はすでに生息していないと知らされてびっくり!(…?…熊本城に約1頭いるハズなのだが…<爆笑>)
まっ,自分の存在を知らせることにもなるので,付けたままにしておきました。
しかしながら,途中からは立入禁止措置が…。別の登城口でも同様でした。都於郡城に向かえば良かったかな…と思いましたが,すでにJR佐土原駅から約90分も歩いてきたので,すっかり気力が失われてしまってました。
今後,再訪機会があるならば,都於郡城とセットで行きたいと思いますが,果たしてあるかどうか…。むしょうにチキン南蛮が食べたくなった時かな…?

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ふゆづき

関東の徳川御三家の居城 (2022/03/05 訪問)

水戸駅から徒歩10分弱の最近整備が進んでいる水戸城跡を訪問してきました。
水戸城に行くのは十数年振りですが、十数年前には旧県庁近くの空堀と土塁と藥医門程度しか遺構が無い状態でした。
しかしここ数年で整備が進み、水戸駅のペデストリアンデッキが歴史への期待をかき立てるようなものとなり、旧本丸内の大手門や隅櫓の整備が進み、弘道館と併せて城内という雰囲気が出てきました。
ただ、御城印を購入するには、本丸から少し離れた旧県庁(茨城県観光コンベンションビューロー)まで行かなくてはなりませんのでご注意ください。

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ダイエティシャン

中国地方 猫城3城同盟 (2022/03/03 訪問)

米子城遠景(1)

3の丸の工事が進んでいます。(2)

湊山公園より(3)

裏門跡(4、5)

猫たち(6、7、8)

松江城の猫たち(9)

備中松山城の【猫城主さんじゅーろー】(10)

是非是非、中国地方猫城3城同盟が結ばれますように。


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ダイエティシャン

桜はまだ。令和3年7月豪雨の通行止め要確認 (2022/03/09 訪問)

三刀屋城跡の攻城を試みましたが、登城路で、守り手の子供諸将の手強い守りに断念。

遠景と桜の蕾を撮って、退散。

令和3年7月豪雨では、登城路が、崖崩れでした。
三刀屋城の登城の際は、確認を。

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カズサン

現存櫓門復元東西の櫓揃い綺麗に整備されてます (2010/11/21 訪問)

 本丸に東西の櫓が復元したとの情報を得ながら中々訪ねていなかった土浦城、復元されて無く、現存の櫓門だけの時期にフィルムカメラを下げて訪ねて数十年振りの12年前の平成22年11月下旬、家内と日帰りで出掛けました。
 車は博物館側の専用駐車場を利用。

 先に本丸に入り復元西櫓、東櫓を確認し現存櫓門を本丸側から二の丸側へ、霞門から本丸内堀を廻り堀越に東櫓を桜樹間越しに眺める、戻って東櫓に登る、付属の博物館に成ってる、櫓門は続土塀が付き漆喰は新しく修復された様子、二の丸に旧前川口門が移築されてる、戻って土浦市立博物館に入館、以前から眺めて居た「復元模型で見る日本の城」織豊期城郭研究会編による土浦城の模型写真の現物に対面、大変良く出来て居ました感激です。

 博物館を出て蔵の街としても有名な土浦城下町中城通り重要建造物保存地区の蔵、商家の家並み町並みを見学散策しました。

 探訪時は東日本大震災の前でしたので震災で白漆喰が剝がれたり亀裂が入ったりと被害にあった様に聞いて居りますが復旧修復はどのように成ってるのか気懸りな事です。

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todo94

思っていた以上に素晴らしい城 (2022/01/07 訪問)

富士市に泊をとり、チェックアウトしてから朝駆けしてきました。さほど期待して向かった訳ではないのですが、見所がかなりたくさんありました。善福寺曲輪の逆茂木、帯郭の石垣などが萌えポイントでしたが、本曲輪からの富士山の眺望も素晴らしかったです。広い駐車場と表示、駐車場の向かいにトイレ、入口の案内表示と至れり尽くせりの山城でした。

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小荷駄

竹中城 (2022/03/08 訪問)

二年程前に一度来たけどその時は皆様がおっしゃるとおりの竹藪でうろうろしたけど結局登城口がわからず諦めて帰りました。本日ふとGoogleMAPを見ていたら竹中城の竹を伐採してあり見学しやすくなっているとの口コミを発見、丁度滋賀県にいるしこれは行くしかないと急遽行って来ました。城の東側の民家の脇から入ると南側の虎口が見えます。看板の設置予定もあるみたいです。城内は口コミどおり竹を伐採してありさらには階段を2ヶ所設置していただいてあり土塁の上を歩けます。しかも手摺付でした有難いかぎりです。これで二年越しでしたが甲賀郡中惣遺跡郡の五つの城跡を全部見学出来ました。地元の皆様方の尽力に感謝致します。帰りには忍術もなかを買って帰りました。

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赤い城

やや藪だが素敵な堀 (2022/03/06 訪問)

日光街道の国道119号線から少し入ったところに説明板があります。
その前のスペースに駐車して登城。
すぐに小さな神社があり、そこから50mほどで主郭へ。
その手前に外堀があり、まずは堀底を歩いて見ました。
この時季でもやや藪でしたが歩けます。
二郭が主郭を囲むように配置され、主郭と二郭の間に内堀がありました。
主郭と三郭の間には二重の横堀が切ってありました。
さらに三郭の外側にも深い堀、なかなか見応えのある城でし
た。
主郭と二郭の南西側には横矢掛りの折れもあります。
宇都宮氏家臣の新田徳次郎が築いたとされます。
読み方は「とくじら」、初見では読めません。

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ぴーかる

谷城 (2022/02/12 訪問)

【谷城】兵庫県神崎郡市川町
<駐車場他>大歳神社前に駐車スペースあり
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>城びと未登録の谷城は城びと登録の鶴居城(稲荷山城)の4~5㎞程南に位置する山城で築城者も鶴居城と同じ赤松円心の孫の永良則綱によって明徳年間(1390~1394年)に築城されました。比高はそんなに高くないのですぐ主要部に行けます。登城口は大歳神社の本殿左脇から登れます。神社前に城跡縄張り図と説明板があります。本殿から少し登った社の階段沿いに石垣遺構が見られます。城跡は南北に通る尾根上に南と北に堀切を設けています。北の堀切の更に北側に出丸の小さい曲輪、更に北に健康運動具がある曲輪は狼煙曲輪となっていたようです。主郭の南下段の曲輪にかなりの転落石が転がっているので主郭曲輪壁は石垣で覆われていたと思われます。北の堀切は3重になっており手前の1条目は西側斜面に落ち込む竪堀となっていて見応えあります。比較的良く整備されていて城びと登録されても全然いい城跡ですが、伐採した草木を堀切に集めてあったので堀切が切った草木で埋まっていたのが残念でした。深いいい堀切なのに勿体ない事でした。
 姫路城メインの1泊2日の旅はこれにて終了。この城は城びと未登録だが赤松氏関連の山城で比較的遺構の良く残る城跡だったので攻城に加えました。赤松氏の城びと山城攻めもついに残り置塩城のみとなりました。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

なんとも中世的な縄張なのだが (2021/10/30 訪問)

結城合戦の舞台ともなった結城氏代々の本拠だが江戸時代には水野宗家が結城藩主としてここにいた。群郭式の縄張からはいかにも中世的な武家集団の姿が垣間見えるが水野家はなんでまたその縄張を踏襲したのだろう。

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