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前ちゃん

18切符旅 (2020/08/25 訪問)

前田家百万石の城

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前ちゃん

18切符旅 (2020/08/25 訪問)

駅から徒歩で。堀を1周したのち、博物館へ

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昌官忠

根室半島チャシ群・100名城制覇 (2019/12/08 訪問)

クラブツーリズムのツアーで妻と二人で攻城しました。2日目のこの日は、根室半島チャシ群(ノツカマフ1号・2号チャシ、ヲンネモトチャシ)➡納沙布岬➡東根室駅➡幣舞橋➡帰宅(東京へ)というコースでした。
根室半島チャシ群の攻城により100名城制覇となる為、記念写真を撮って頂きました。
12月の攻城で雪はないのですが、道路が凍結しており、滑らないように小股でカニ歩きをした記憶があります。海沿いのチャシで堀が印象に残っています。お城に興味がない(天守や石垣がないとお城と思わないようです)妻は、堀というより溝みたいと言っていました。攻城時間は3チャシ併せて90分位でした。

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昌官忠

根室半島チャシ跡群 (2019/12/07 訪問)

クラブツーリズムのツアーで妻と二人で攻城しました。1日目のこの日は、阿寒湖・アイヌコタン➡モシリアチャシ➡釧路市立博物館➡ハルトルチャランチャシ➡厚岸での炭火焼の夕食というコースでした。
ハルトルチャランケチャシの印象は町中にある湖傍のチャシ。ですが、堀はしっかり残っていました。攻城時間は20分位でした。

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昌官忠

根室半島チャシ攻城 (2019/12/07 訪問)

クラブツーリズムのツアーで妻と二人で攻城しました。1日目のこの日は、阿寒湖・アイヌコタン➡モシリアチャシ➡釧路市立博物館➡ハルトルチャランチャシ➡厚岸での炭火焼の夕食というコースでした。
モシリアチャシの印象は町中にある小高い丘の上にあるチャシ。ですが、堀はしっかり残っていました。攻城時間は20分位でした。

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街道おじさん

鳥取城登城 (2020/08/20 訪問)

JR鳥取駅のバスターミナルで100円循環バスの一日乗車券を200円で購入。
緑色のバスに乗車し、仁風閣・県立博物館のバス停で降車。
バス停のすぐ前が鳥取城。まずは仁風閣で100名城スタンプを押印。ついでに鳥取城・太閤が平のセットのご城印を購入。
鳥取城は秀吉の餓え殺しで有名であるが、天球丸の巻石垣等たいへん興味深い。
一つ残念だったのが、『クマ出没注意』の看板が3か所ほどあり、山上の本丸まで行けなかったこと。

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dougen

2017.11.4登城 (2017/11/04 訪問)

飯詰城から国道399号を南下し、弘前市街へ。弘前市街の西に津軽中学校があり、大浦城址となります。

平城の宿命から遺構はほとんど残っていませんが、城址の石碑と解説板が設置されており、周辺に土塁や堀跡などが残っています。

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イダルゴ

遠見番所について (2020/08/23 訪問)

松尾古城主郭から、160メートルほど登った場所に遠見番所という場所があります。
松尾古城からは視角の取れない後方の峠の監視に作られたそうですが、主郭と非常に距離が離れています。

途中に鉄塔があり石積みがありますが、遠見番所はそこではなくさらに奥に歩いて行った場所にあります。
夏場は草木が生い茂っていて、到底入れない感じになっています。

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朝田 辰兵衛

ココでの徒歩が今になって生きてます。 (2019/05/01 訪問)

勝手に改元ツアーと決めて,令和初日に登城したのがココ。山ヒルも活動できなさそうな雨の中の攻城。予想どおり誰もいませんでした。「令和初の登城者はオレか?!」とにんまり…<笑>。
往路は,番場バス停から43ゲート経由にて徒歩約60分で主郭到着。復路は,主郭から徒歩約100分かけてJR米原駅へ。ここでの疲労度と変な自信が今現在の登城指標になっています。江迎城や霧山城,安久田地獄穴洞窟遺跡の徒歩とか…。
カラダがいずれ衰えると思いますが,たぶん,ココでの登城経験を基準に考えると思います。

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イダルゴ

井川城跡案内板 (2020/02/29 訪問)

平成31年に林小城が国指定史跡小笠原氏城跡に追加指定されたのに合わせて設置された案内板です。
これまでの発掘調査の記録などが記載されています。

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赤い城

続100選定後改めての登城 (2020/08/13 訪問)

前回訪問後に続100名城に選定、改めて登城しました。
市役所近くの二の丸駐車場に停めて公園を横切り復元天守ヘ。
さすが2この日も猛暑、かなり厳しかった。
石垣は石灰岩でできているなど見所はまずまずかと。
スタンプは天守に入ったところに置いてあります。

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カズサン

【伊豆韮山代官所】静岡県伊豆の国市 清和源氏流江川氏館 (2015/05/09 訪問)

 平成27年5月伊豆韮山反射炉を探訪の後蛭ヶ小島に寄り韮山城登城前に韮山代官所を訪ねる、車は同観光駐車場を利用、代官所、史料館、韮山城を徒歩で訪ねられる。

 江川氏は清和源氏の流れで大和源氏宇野氏を祖とし保元の乱を避けて宇野親信が従者13人と共に伊豆韮山に定住したと伝えられる、13人の子孫も現在江川家住宅の近くに居住してるとの事、頼朝の挙兵に応じて参戦し江川庄を賜った、その後鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族として地盤を固め15世紀中頃に狩野川の支流の名にちなんで姓を江川と改めた。
 北条早雲伊豆進出には土地を提供して韮山城を築城させ北条氏の家臣となった。小田原征伐には秀吉方家康に従い徳川幕府成立後伊豆が幕府直轄地に成るに及んで世襲代官としてこの地を治め明治まで継承される。
 当主は通称として太郎左衛門を名乗った、特に幕末の36代江川太郎左衛門英龍(号担庵)は海防献策で韮山反射炉、製砲工場、江戸湾お台場建設、農兵制度洋式訓練、兵糧としてのパンの製造など業績を上げ有名です。

 韮山代官所は駐車場から南に進み東側の表門から入る、門前に洋式訓練した枡形が控えてる、主家の式台を見て主家の東より入り土間を見学、パン焼き機、大砲、主家の大屋根の骨組みを見学、圧巻の造り、蔵を見学し裏門から史料館へ、主家は茅葺の上に銅板で覆われ緑青で見事な色映えです。
 

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カルビン

矢部氏館 [神奈川県相模原市中央区上矢部5丁目1] (2014/10/17 訪問)

google mapには「上矢部の土塁」として登録されている場所、現地解説には矢部氏館の土塁と書かれているので矢部氏館としてupさせて頂きます。

JR横浜線矢部駅から北北東に1.5km弱のところにあるので十分駅から徒歩圏内なんですが、訪問当時は途中にある麻布大学の敷地を遠回りする必要があった為、結構時間かかってしまいました。
(google mapで見ると駅から真っ直ぐ行けるみたいですが・・・今そのショートカットできるのかな。。。)

現地は信号機のある交差点(上矢部)のすぐ脇・道沿いに見られ、道路を通す為に一部削られたもののなんとか土塁と解る部分が残っておりまして、その脇に解説版も見られます。

矢部氏ももともとは横山党の一族だったそうで、どうも横山党は八王子を拠点として徐々に南に勢力を伸ばしていた模様・・・先日upした愛甲三郎も横山党だったので、平氏・源氏の全盛期の頃の時代としては結構大きな勢力だったみたいですね。。。

見所は少なく、更に車は止められるスペースが無かった事から、電車で何かのついでに立ち寄る程度で十分かと。


ここから境川沿いに南東に2kmくらいの場所には城びとにも登録されている淵辺義博居館がありますが、この人は足利尊氏の弟・直義の命で護良親王を暗殺した人物です。。。護良親王は北方謙三さんの小説「楠木正成」でお気に入りの人物になっていたので、尊氏・直義兄弟や淵野辺義博は嫌いです(ー"ー )
(だから淵野辺義博館はなかなか行かなかった(ーДー#))

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ぴーかる

宮津城 (2020/08/15 訪問)

【宮津城】
<駐車場他>駐車場はなし。御城印が販売されている道の駅で天橋立が眺望できる文殊山モノレール等が付いたレンタサイクルがあるので駐車場として利用できます。
<交通手段>車

<感想>この城は一色家を滅ぼした当時信長の家臣細川藤孝の築城だが、関ヶ原で東軍として合戦に参加した京極高知が丹後1国12.3
万石を与えられて、晩年田辺城から本拠地をこの宮津に移して大改修している。その後、領地は嫡男の高広に宮津藩、三男高三に田辺藩、婿養子の高通に峰山藩に分割した。高広は実際の初代宮津藩主7万8200石の領主となったが、3代で改易となってその後宮津藩は藩主が頻繁に変わることとなります。

 私が訪れたのは、まず宮津小学校の馬場先御門の太鼓門とその太鼓門の西側に大手側の復元城壁を見ました。次に城びとポイントの場所、石垣があります。最後に道の駅にて御城印を購入した。天橋立は3・4回は行っているのでパスした。

<満足度>◆◇◇

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キンヤ

外郭土塁が見応えあり、二ノ丸の丑寅櫓と土塀が復元された城 (2020/08/24 訪問)

二ノ丸丑寅櫓などが復元完成したとのことで約9年ぶりに行ってきました。

先ずは、以前知らなかったのですが、外郭の土塁が残っているとのことで探しに行きました。
西尾藩主大給松平家菩提所の盛巌寺の南西側にあり、分厚くて高く見応えがありました。
尚古荘の道を挟んだ北側民家脇にも三ノ丸東側と思われる土塁があり、どちらも街中によく残っていて嬉しかったです。

訪れた月曜は、歴史公園は休日で施設には入れませんでしたが、公園内の見学はできました。

お目当ての復元された二ノ丸丑寅櫓は、木造の良い感じで可愛らしい櫓でした。

ニノ丸丑寅櫓と天守台の間の土塀は、あまり見たことがない屏風折れで、横矢掛かりの為か意図は分かりませんが、ちょっとオシャレだなと思いました。

以前行った時には、まだなかった天守台も復元されていて、珍しくニノ丸に天守があったようです。
天守も復元計画があるそうで期待されます。

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前ちゃん

18切符旅 (2020/08/24 訪問)

富山駅、富山城と行ったり来たりを繰り返し観光

シメはブラック

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カズサン

【伊豆蛭ヶ小島】静岡県伊豆の国市 頼朝配流の地 (2015/05/09 訪問)

 平成27年5月駿河、伊豆城廻りで世界遺産登録前の韮山反射炉を終えて北に約1km超で韮山城の手前に在る源頼朝配流の地、蛭ヶ小島公園を訪ねました、田園の中若干の微高地に公園として保存管理されてます石碑と頼朝、政子の像が有ります。
 頼朝の父源義朝が平治の乱で敗れると嫡男頼朝は伊豆に配流されここ蛭ヶ小島と伝わる、北条時政の娘政子を娶った、14歳から20年34歳の治承4年(1180年)平家追討を決意し挙兵、以後鎌倉幕府を開き800年の武家政治の礎を創ったと歴史の教科書に載っている。
 往時は狩野川が縦横に流れ氾濫し田圃、湿田に沼に囲まれて島状に成ってた微高地だったのでしょう?、20年の配流に耐えたものです周りの環境と時流が支えたのでしょうか?、一度訪れると宜しいかと韮山城、反射炉、代官所とセットで!

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街道おじさん

松江城登城 (2020/08/19 訪問)

月山富田城、米子城を見て、本日3城目は国宝松江城。
これで3度目の登城であるが前回は、まだ国宝指定されていなかった。
その国宝指定されたきっかけが祈祷書というのが面白い。よくぞ見つかったと感じる。
堀尾吉晴が月山富田城を引き払い、松江に築城。
現存12天守で国宝5城。正に日本の宝である。
青空に四重五階の天守が美しく映える。

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カズサン

【伊豆・韮山反射炉】静岡県伊豆の国市 幕府直営兵器工場 (2015/05/09 訪問)

 平成27年5月駿河、伊豆城廻りのサブ目的世界遺産登録直前の韮山反射炉を初めて探訪しました、世界遺産と言う事で一躍脚光を浴び大勢の人出で賑わっていました明治の偉人は数多くいますが幕末期伊豆の代官で日本国防の構想を練り幕府を動かし大砲を造るための溶鉱炉である反射炉を企画し兵器工場を設置、且つお台場等の洋式砲台の設置、洋式訓練を施した農兵制度など海防政策の進言推進と大活躍の江川太郎左衛門英龍は幕末の偉人の一人注目有ってしかるべき。
 反射炉が残ってるの韮山だけか?鹿児島、佐賀、鳥取など跡として残ってるだけ、韮山は反射炉、水車を使った切削工場、仕上げ工場、型工場と製砲工場がシステム的に運営されてたようです。
 江川英龍は完成を見る事無く亡くなりますが息子の英敏が継承し完成させる、国難に対する思いと幕末の切羽詰まった思いを感じる場所でもあり今に通ずるかも、息吹を感じて下さい。
 入口に江川太郎左衛門英龍公号担庵の像が凛々しく立ってます。

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エグ1394

大草城 (2020/08/23 訪問)

久しぶりに知多半島へドライブに行きました。
大草城を訪問し、御城印をGETしました。
大草城は織田信長の弟、織田長益(有楽斎)によって築かれた城です。1582年(天正10年)、信長が本能寺の変により没すると、尾張一国は織田信雄に与えられ、長益は信雄の家臣として大草城を築きましたが、城が完成する前に、長益は秀吉の御伽衆として仕えることになったため、未完の城のまま廃城となりました。現在は大草公園として整備されており、模擬櫓が建てられています。そのほか、水堀や土塁などの遺構を見ることができます。

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