坂田城址を終えて、地道と初めて圏央道を使い、館山道から木更津南ICを降りて、飯野陣屋跡内に在る飯野神社鳥居前に到着、車は鳥居前の脇駐車エリアに駐める。坂田城址から行程は約80km程有り約1時間半、17時からの探訪と成る。
情報と案内は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに依る。
飯野陣屋は外濠、土塁が完全に残って居り、外周長方形で約1400mは在るのか?、三大陣屋の一つと言わられる、他は徳山陣屋、敦賀陣屋。訪ねて居ませんが西地域に三条塚古墳、その東前に飯野神社が中心地に鎮座、南東に本丸、二の丸、三の丸の悌郭式、西外に外郭が有った模様、現在古墳と神社以外は住宅と畑に成って居ます、元藩士の方々の住宅かも?
南側の中間地に折れが有る、又東側の中間地辺りに出隅があり折れを作ってる。
外濠探訪は南側半分、東側、北側半分の東地区中心、濠の土塁側が垂直に立って居るので石垣、石積の護岸が有るのかと訝るも草が茂り良く分からない、近くを通った方に聞くと石垣と答えてくれたが良く分からない。
その方と会話してたら浜松ナンバーの車を観て、浜松から来たの、私は磐田市出身と言われ故郷の話で盛り上がる。
歴史は、保科正忠が慶安元年(1648年)築いた、17000石、分知し15000石に成るが後5000石加増し2万石で明治を迎える。飯野藩は大坂城番、江戸城の門番を務める事が多く、飯野陣屋には代官2名がいて事務処理を行っていた。
飯野陣屋を終えてアクアライン経由を選択、これがトンネル内の事故2件の渋滞に掛かり、圏央道の事故渋滞情報で分かって居ましたが3時間も経てば空いてるのではと、木更津南ICより18時過ぎ入り、海老名SAまで3時間、やっと夕食、浜松帰宅は深夜過ぎ。
岩手宮城茨城千葉4県未踏11城チョイ寄り2城、天気に恵まれ昨年11月から6ヶ月振りの良い城廻りでした。
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