朝駆けの西都原古墳群探訪を終えて、東方面に戻るかたちで高鍋城目指し、13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの4日目で9城目高鍋城を初探訪。
車は高鍋城二の丸岩坂門跡前の駐車場を利用。
高鍋城は東に突き出た丘陵先端部を利用して頂上部に天守台曲輪、詰の丸曲輪、本丸、二の丸、三の丸、水堀と東に連郭式に降りた縄張りと成っている。
歴史は日向の国伊東氏の支配、島津氏との抗争経て豊臣秀吉の九州征伐平定後、天正15年(1587年)筑前秋月城主秋月種実が移封と成り、関ヶ原後も何とか3万石を安堵され、慶長12年から大改修し三重天守を持つ近世織豊系城郭を築いた、元の財部城から高鍋城へ改称、江戸期も継承して約300年この地を治政し明治を迎える。
尚、6代藩主秋月種美の次男幼名松三郎が米沢上杉氏中興の祖、上杉鷹山(治憲)として名を馳せています。
登城ルートは、二の丸岩坂門、二の丸、本丸政庁跡奥御殿跡、詰の丸、同高石垣、天守台を目指すが草深く茂り登城路見つかられず断念下城、三の丸、北側の高鍋の大くすを見学し、三の丸水堀、三の丸は高鍋農業高校と成っている。探訪時間約1時間。
ここもフィルムカメラ主体でデジカメの写真が少ない9枚のみ。
次は10城目の佐土原城を目指します。
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