小里と書いて「おり」と読む。不等辺多角形の「天守台」があることで知られるがこの天守台は昭和に地元有志が積み直したもの。このお城の真の価値は天正・慶長の修築痕と元和の廃絶痕をそのまま残す地中にあるのだそうだ。
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2021/12/12 22:45
このお城の真の価値は (2021/09/03 訪問)
小里と書いて「おり」と読む。不等辺多角形の「天守台」があることで知られるがこの天守台は昭和に地元有志が積み直したもの。このお城の真の価値は天正・慶長の修築痕と元和の廃絶痕をそのまま残す地中にあるのだそうだ。
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2021/12/12 21:57
山奥にある戦国山城の再現 (2021/12/11 訪問)
高根城公園奥の遺構に戦国山城を再現。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」で井伊谷城としてロケ地となってます。
高さのある二重の堀切や土塁も綺麗に残されていて、城門、井楼櫓、城柵などが復元されています。
ここから水窪の街並みが一望でき、景観も最高でした。
麓の駐車場が判らず、案内板に従って林道を登ると高根城公園入口の駐車場に辿り着きました。
この時期は林道に落ち葉が多く、途中は少し怪しい感じでしたが、そこそこ広い駐車場に到着します。
麓の「みさくぼ路の里(観光案内所)」に」地元の新鮮な野菜など特産品を売っており、大きな椎茸は
香りも良くとても美味です。ここで2種類の御城印も購入しました。
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2021/12/12 19:44
大手模擬冠木門が在った頃 (2011/11/15 訪問)
復元模擬大手冠木門が今年の初めに訪れてた時には無く成って居り撤去された基礎の門柱を電動のこぎりで切削加工した痕跡が真新しく残って居りました。
大手冠木門写真の投稿はじゅんじんさん2020年1月11日と姫街道さん2020年1月28日登城まで有り撤去はその後かと、撤去の詳細は良く分かりません。
平成23年11月登城の折の写真に模擬復元大手冠木門が有りましたので、懐かしの冠木門を含め当時登城撮影の写真を投稿致します。
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2021/12/12 17:51
2021/12/12 17:42
山奥の城 (2021/10/08 訪問)
赤木城を攻略する前に、田子平峠刑場跡で犠牲者の冥福を祈り赤木城へ向かいました。
山奥に忽然と現れる藤堂高虎が築いた城。車でないと少々不便な立地ではあるが
石垣ファンはぜひ見ておきたい城だと思います。小ぶりな城で、見どころが凝縮されて
じっくりと見学できると思います。
城に招かれた北山一揆の首謀者たちは、城のどのあたりでだまされ、捕らえられた
のだろうかと想像をしながら縄張りを巡りました。
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2021/12/12 16:51
国境警備の足柄城 (2021/11/23 訪問)
これまでに何度か訪れている足柄峠。
先月は初めて足柄城の城跡として奥まで巡ってきました。
足柄道(矢倉沢往還)が箱根北側の駿相国境を越える比高400mの足柄峠。
関東の玄関口の1つとして古来から関所が置かれた要衝に、一説では大森氏が城を設置したとされ、記録では北条氏が対武田や対秀吉に備えて度々改修。
しかし秀吉の小田原征伐後に廃城となりました。
現在は足柄峠城址公園として遊歩道が設置され、特に二の郭は富士山の景勝地。
ただし三の郭より先は冬場の方が歩きやすいかもしれません。
富士山だけでなく、足柄明神からは大井町方面の眺めも良く、正に見張りの城。
アップダウンを繰り返す遊歩道で立派な堀切を体感。
四の郭と五の郭は草木が多く全体把握が難しいものの、こんなに広い城だとは思ってもいませんでした。
五の郭外側は、崖との間に車道まで続く長い堀。
北条の城ならここは畝堀だったのではないかと想像してしまいます。
滞在時間2時間の足柄城が、私の城巡りの113城目となりました。
※3枚目の写真は昨日撮影
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2021/12/12 15:06
♪と〜も 鞆 鞆 さかなの子 (2021/12/11 訪問)
崖の上のポニョの舞台鞆の浦の城跡。
遺構は無く、今は圓福寺(円福寺)が建つ。
昔は独立した島だったが鞆城築城の頃埋め立てられ半島のようになってます。
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2021/12/12 14:59
とにかく (2021/12/11 訪問)
情報が少なすぎ。
登山道も正しいのかよくわからず、案内板か目印のリボンが欲しい。
途中まで登るも断念。
ガイドさんのもと現地説明会などを利用しないと登城はきびしい…
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2021/12/12 10:37
2021/12/12 09:45
2021/12/12 05:27
参観灯台スタンプラリーコンプリートの前に (2021/11/03 訪問)
犬吠埼灯台のスタンプをゲットする直前の攻城です。琴平神社の周りの空堀も城の遺構のようです。説明板の付近は住宅地になっていて登城路は存在しません。踏切側から進んできて琴平神社の手前の分かれ道が広々とした本丸へと続いています。本丸城址碑はあまり大きくなく自然石のようにも見えるのでお見逃しなきよう。この攻城の後、無事に参観灯台スタンプラリーを完遂することができました。
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2021/12/11 23:46
2021/12/11 23:08
分不相応な城を築くから・・・ (2021/09/03 訪問)
三河の山間部にどう見ても分不相応な石垣造りの城をこしらえた鈴木(鱸)重愛は文禄元年頃に市場城を取り上げられ、城は破却されたらしい。その理由は定かではないが城が良すぎて秀吉か家康が「かちん」ときたのではなかろうか。
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2021/12/11 20:41
2021/12/11 18:58
ザ・埋もれた山城 小笠山砦(静岡県掛川市入山瀬)➡城びと未登録 (2021/12/10 訪問)
埋もれた山城を徘徊して、その全容に触れたい“Deepな城びと”必見の城です(^^;
【アクセス】
掛川駅の南3km(直距離)にある小笠神社が目印です。
城址の入り口の曲輪が小笠神社になっていて、県道409から参道があって、広い駐車場完備ですから、アクセスは容易でした。
【城の歴史】
武田勝頼に奪われた高天神城の奪還戦で、徳川家康が築いた6砦のひとつとして知られる小笠山砦ですが、それ以前の今川氏真との掛川城攻囲戦で築いたのが始まりの様です。
【見どころ】
築城目的から“砦”と称されているものの、小笠山の尾根筋にビッシリ廻らされた曲輪群の多さは“山城”そのもので、しかもそれらが全て手付かずの状態で眠っている貴重な城跡です。
さすがに眺望は素晴らしく、南の高天神城は勿論のこと、北の掛川城も眼下に見下ろせます。
もちろん富士山もクッキリ遠望できました。
山の尾根筋がハイキングコースになっていて、景色を楽しむ手軽な登山客も多い様ですが、遊歩道を離れると切り立った崖も多くあり、看板やロープ養生などの安全整備は無いので、充分な装備と注意が必要です。
【感想】
滅多に出会えないワクワクする城址だったので、城びと登録3000城からは増えない様ですが、この思いをもっと沢山の同好者に知って欲しく投稿しました。
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2021/12/11 16:46
2021/12/11 16:31
2021/12/11 15:09
楽しかったです(^^)/ (2021/11/20 訪問)
小川町駅から徒歩30分程度。街道沿いには蔵や旧家があり、商家が建ち並んで賑やかだっただろう時代を想像しながら町歩きしました。
山城登城前の覚悟や緊張感は登城口のwelcome感で変わってくるのですが、腰越城には案内看板などが複数設置されており、この雰囲気なら大丈夫そうだなとまずは一安心です。
城跡は山頂なので最初は山登り。整備してくださっているので危険だったり迷ったりということはありません。
尾根の左手の山が城域。このすぐ上に本郭がありそうなのですが、道がない?二郭へワープできそうな階段も通行禁止。なので先へ進むしかありません。下っていくのが少し不安でしたが、横堀・土塁・竪堀セットが現れたのでほっとしました。
腰越城には竪堀がたくさんあって、このお城のチェックポイントである囮小口も竪堀仕様。見下ろしたり上を覗いたりできる階段が上まで続いていなくて囮階段みたいでした。石積みは……いつのものだろう?
案内経路に従って(実際は逆順)西郭へ。小さな祠がありました。堀切、竪堀、帯曲輪、小口、いろいろあって複雑に行ったり来たりの迷路のようになってきたところで写真⑥の分岐が見えてきました。案内板も見当たらず、運命の分かれ道か⁉︎とドキドキしつつ右側の道を覗いてみたら、先ほどの囮小口の上で、こういうことなのかと納得しました。おもしろいです。左へ進み、無事、二郭、本郭へたどり着きました。
コンパクトなお城に見どころ(仕掛け)が凝縮されていました。腐食して通行禁止の階段のおかげ(?)で往復堪能出来たので二度おいしかったです。
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2021/12/11 12:59
若狭国攻城編① 熊川城 (2021/12/11 訪問)
鯖街道熊川宿の駐車場に車を駐め、
白石神社より登城開始
九十九折りの道を登ると10分程度で主郭エリアに到着
下りは熊川陣屋跡ルートで下山
獣除けのゲートを自身で開閉
道は整備されており軽装備でOK
御城印は陣屋跡近くにある宿場館にて購入可能
珍しく日付を記入してくださいました
この後、三方五湖へ移動して
ドライブインよしださんにて
イカ丼セットをいただきました
ご馳走様でした
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2021/12/11 11:31
福本陣屋 (2021/11/21 訪問)
【福本陣屋】
<駐車場他>福本揚羽ホールに駐車させてもらいました。
<交通手段>車
<感想>北はりま攻城の旅7城目。福本藩は池田輝政の四男池田輝澄が池田騒動後に鳥取藩鹿野に堪忍料1万石を与えられ、没後四男の池田直政が堪忍料を相続し1663年播磨国の3郡のうち1万石を与えられ福本藩を立藩した。福本陣屋はその際に建てられました。直政没後は嗣子がなく2人の弟に分与した為に明治維新まで交代寄合の旗本として存続しました。
現在陣屋跡は大正二年に大歳神社が遷座されています。遺構は池泉回遊式庭園の一部が残るのみとなっています。ちょうどカエデ・銀杏の葉が色づき、紅葉がきれいでした。
<満足度>◆◆◇
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