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ヒロケン

南蛮式天守 (2017/07/13 訪問)

小倉城は関門海峡を押さえる九州側の要衝の地にあり、紫川の河口にある輪郭式平城です。室町時代には、大友氏・大内氏。小弐氏による争奪戦が行われていましたが、大内政弘公が豊前国をほぼ掌握するに至りました。
その後も、大友氏と毛利氏との合戦が重ねられましたが、大友氏の高橋鑑種公が小倉城を居城としています。
天正15年豊臣秀吉公の九州征伐によって、高橋鑑種公は日向国へ移封となった後は、毛利勝信公が豊前の企救・田川両郡に6万石を与えられ小倉城に入城し改修、本丸、北の丸、松の丸を築いています。
その後、関ヶ原の合戦で毛利氏は改易、代わって細川忠興公が豊前国一国と豊後二郡合計39万9千石を与えられ入封しています。忠興公は最初、中津城に入りましたが、慶長7年から小倉城を大改修して居城としており、以後、小倉城は小倉藩の本城となっています。
この時に造られた天守は5層6階で屋根に破風を付けず、4階・5階を画す部分には屋根がない独特なもので、南蛮造りと呼ばれています。
その後、細川氏は肥後熊本に転封となり、播磨明石城主であった譜代大名の小笠原忠真公が15万石を領し、小倉城に入り明治維新まで10代2百数十年続いています。

現在の小倉城は勝山公園、八坂神社となっており、復興天守・模擬櫓が建てられ、曲輪、本丸・松の丸・北の丸・石垣・堀が残っています。当初の天守閣は、高さ23mで天守台の広さに至っては、熊本城より広かったとされています。
この城の見所は、復興天守とはいえ南蛮造りを模した天守閣がカッコイイ(#^.^#)のと、松の丸の石垣と堀(現存)です(*^▽^*)
また、八坂神社の建物も良いフインキを醸し出しています。

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カズサン

【石見・畳ヶ浦】島根県浜田市 景勝地千畳敷は天然記念物国指定 (2010/11/05 訪問)

 12年前の平成22年11月上旬、浜田城を終えて陽もまだ有り2泊目の宿泊先国民宿舎千畳苑に近い石見畳ヶ浦へ、約7~8km東に国道9号線を移動、国道から国府海水浴場、唐鐘漁港の詰まりまで行くと駐車場が有りました。

 石見畳ヶ浦千畳敷は国指定天然記念物で景勝地です、1600万年前の堆積地層が明治5年の浜田地震で隆起した海床で広く畳の様と千畳敷と呼ばれて居ます、腰掛のような丸い岩が特徴でノジュールという化石を核に出来上がった珍しい岩で、貝などの化石が多く含まれてるとの事。詳しく観察はしてませんので化石の確認まではして居ません。
 丁度陽が沈み頃でしたので千畳敷、日本海が陽に輝き綺麗な景観を更に効果抜群でした、又千畳敷には唐鐘漁港側からトンネルを通って移動しますので途中は暗く侵食された隙間から海岸、海が見られまたまた美しい。

 宿泊先の千畳苑では日本海の幸と地酒で美味しく頂き、少し飲み過ぎたのか早寝早起きで朝3時頃に目があき、潮騒に引かれてテラスから空を見上げると満天の星、手が届きそうな雰囲気で沖縄西表島の星空を彷彿させる様でした。

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刑部

富士宮焼そばを食して浅間神社 (2022/02/23 訪問)

ここは遺構は無さそうなのでまずは、B級グルメの富士宮焼そばを浅間神社前のお宮横丁で2店舗食しました。美味かった!空から神社に参拝して城址のゆかりの場所(稲荷神社)へ案内板に城址の事が書かれてましたが周りに遺構らしきものは見当たりませんでした。

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刑部

石碑を求めてウロウロ (2022/02/23 訪問)

私の車は通常より大き目なのでかなり遠くに車を駐車。そこから徒歩で城址の碑・遺構を求めてウロウロが始まりました、お寺から神社・公園と歩きましたが城址の石碑は確認できませでした残念!時間が限られていたので諦めて車へ戻りました。

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刑部

2回目の登城 (2022/02/23 訪問)

4年前くらい来た時は夕方でどんどん暗くなっていく中足速で巡ったが途中足元が暗くヤバくなってしまいました。なので再チャレンジで訪問、富士山もかすかに見る事が出来ました。反対側は海が見える贅沢なお城ですね。

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higekam

侍屋敷、大手郭の石垣! (2022/03/05 訪問)

太平記を読みいつか登城してみたいという念願を果たした。

実現のきっかけは石垣も残るという情報を得たからだ。新田義貞と攻防した際に存在していたのであれば700年以上もたっており、また初期の技術で組まれた石垣でもあり自然破壊はかなり進んでいた。それでも見応えはあり感動!
道案内はまったくなかったが、二の丸から目視で侍屋敷を確認して降りたのち、谷筋を下りて行けばいいので問題なかった。しかし、見学終了後下りてきた道を戻ろうとしたとき大手郭から侍屋敷の間で左折すべきところを直登、しかたなく低木常緑樹の生い茂る谷筋沿いに尾根を目指してさらに直登。登り切ったところはなんと本丸を囲む帯曲輪。結果、直進して攻めあがってくる敵を防御する設備が大手郭、侍屋敷だったことを実体験してしまった。

行かれるかたは急な坂を下りる足元の装備、また地図での地形確認を十分したうえで。

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ぴーかる

善防山城 (2022/02/12 訪問)

【善防山城】
<駐車場他>古法華寺駐車場/王子皿池公園駐車場
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣跡
<感想>赤松氏の山城攻め続き。善防山城の築城は現地説明板によると『「赤松・佐伯氏系図」によると1346年赤松円心の子範資によって築城された』とあります。のちの城主に猛将の赤松則繁がいて、則繁は1441年、嘉吉の乱の当事者赤松氏当主の赤松満祐の実弟で6代将軍足利義教殺害の主導的な実行者でした。山名軍が播磨に攻めて来た際には則繁は善防山城には居なかったが山名軍の猛攻凄まじく明治初期まで白骨体が木の葉の下に眠っていたそうです。
 登山ルートはいくつかあるようで、北の県道81号線の王子皿池公園駐車場の前が大手登城口になっています。西の古法華寺の南西側から登城するルートもあります。下調べ不足で麓からの大手道ルートを知らず先日まで古法華の吊り橋の下にある道路が改修通行止めだったこともあり今回開通後の攻城となった。善防山と北西に位置する笠松山砦跡(展望所)とは吊り橋を渡るとずっと尾根続きになっていて良い岩山のハイキングコースになっています。
 古法華側からは吊り橋や岩山を寄らずに直接登ると40分程で山頂に行けます。主郭手前にも段曲輪があるようですが藪化していてよく分かりません。主郭は比較的狭く巨石が数個中心部にあります。主郭の北西側から数段曲輪が伸びており、広い曲輪の南西側に腰曲輪、曲輪壁にわずかに石垣跡、北東側の先端部分の曲輪壁には見事な石垣(写真1・2枚目)が残っています。曲輪の上からは見つけられず、曲輪壁を昇降するのにストック要です。主郭から東に行って第2山頂の曲輪にも大きめの石垣が見られます。

 古法華の吊り橋は善防山の尾根と反対側は岩山を繋いでいるのですが、吊り橋から古法華寺までの岩山斜面にすごい石垣(写真10枚目)があります。笠松山砦の遺構なのか後世のものかは分かりませんが吊り橋部分の谷もかつての堀切だったとすれば当時の石垣かもしれません。調べましたけど分からず、謎めいていてワクワクしました。

<満足度>◆◆◇

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あきつ猫

可愛い❤️ (2020/11/22 訪問)

愛知の方は必ず
城好きというと
「犬山城行ったか?」と聞かれる。
皆さん大好きよね。
切り立った崖に立つ天守は
遠くから見ても良いし
近くから見ても望楼天守は
可愛い。
かなーり混んでいて(コロナ禍なのに💦)
並びました。
人気なんですね。
そして一番は現存天守。
おお、ここに信長も立ったのか?とか
想像するとワクワクするのだよ。

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あきつ猫

堀を一周 (2021/09/19 訪問)

駅から近いお城は
良きです。
コロナ禍でお城も閉城で
あまり行けなかったのですが
駿府城は公園なので開園中で
たまたま中止していた葵舟も再開した日で
運良く乗れました。
お堀を一周。
石垣を近くで見られるし
途中の屋根が降りる所もエキサイティング(笑)
写真も撮って頂けます。

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あきつ猫

家康が眠る城跡 (2021/09/20 訪問)

武田信玄もゆかりの城。
前日は駿府城に行ったので
家康繋がり。
城というより東照宮なので
残る石垣に萌てました(笑)
かなりの高さの山城。
攻めにくいよね。
入口にある久能山東照宮博物館。
地味で気が付かなかったけど
収蔵品も国宝級でなかなかすごい。
この後行った日本平で、富士山と鷹を同時に撮れた。
縁起良い😊

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todo94

城カード第3弾再建天守シリーズ (2022/01/06 訪問)

今回の最大の目的は、城カード第3弾再建天守シリーズを手に入れることでした。大洲城に続く2枚目をゲットです。高知城を模した忍び返しの鉄剣付き木造再建天守も良いですが、掛川城の最大の魅力は現存の二の丸御殿ですね。此処に鎮座する杉良太郎さん寄贈の甲冑は非常に存在感があり、既に掛川城の目玉となっている感がします。今回は再建大手門脇の番所を初めてチェックすることが出来ました。

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じゅんじん

住宅横を行くと (2022/01/29 訪問)

説明板があります。曲輪や堀あとが残っていました。

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じゅんじん

(2022/01/29 訪問)

説明板前に駐車スペースがあります。お城は草ぼうぼうで諦めました。

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じゅんじん

ワッフル (2022/01/29 訪問)

以前は整備中でしたので実質初。城址碑がかっこいい。

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カズサン

平成22年に浜田城初登城 (2010/11/05 訪問)

 今回の出雲、石見城廻りの重点登城です、島根県石見は交通がいまいち不便で中々訪ねる事が出来ませんでしたが12年前の平成22年11月上旬、出雲大社、石見銀山を訪ねた後浜田城を初登城しました。
 車は護国神社の駐車場を狙って居たのですが国道9号線からの入り口を上り下り入りそびれ城山交差点の細い道を北に入り護国神社鳥居下の駐車場に辿り着き利用しました。

 浜田城は大坂の陣後古田氏築城より、幕末第二次長州征伐石州口の戦いで大村益次郎の率いる長州軍に敗走城は炎上した事が有名ですが城址の石垣は立派にしっかりと残って居り威厳を保っていました、11月でも草が茂って整備今一の感は有りました。
 明治初期浜田県庁正門が津和野城門でのち現在の地に移築され登城口を守って居ります、登城路は石垣が良く残り二の門、出丸、本丸へ、本丸には天守代用の三重櫓が櫓台無しで建っていた、浜田城復元CG画が説明板に掲示されて居ました。
 降って護国神社鳥居から北西城域沿いに歩き中門跡の石垣を確認して浜田城探訪は終了、やっとこれたなぁといった感じでした。

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赤い城

堀底道一周コース (2022/02/26 訪問)

県道292号線沿いにあり、駐車スペースもあります。
すぐに説明板が立っていてその先が虎口です。
方形居館で四方を土塁と堀が囲んでいます。
東西にそれぞれ折れもあります。
例によって堀底道は一周しました。枯れ葉でやや歩きにくいですが藪よりはよっぽどマシ。
綺麗に形を観察することができました。
新田荘遺跡の館跡の一つで江田行義の居館。
現在は単郭ですが当時はいくつかの外郭もあったようです。
近くまで行かれた際には是非、お手軽に登城できます。

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小荷駄

三河山中城 (2022/02/04 訪問)

道の駅藤川宿から藤川宿を散策してから山中城へ行ってきました。愛知県最大級の山城ということなので期待して行きました。期待どうり遺構はたくさんありなおかつ整備もしっかりとされていて嬉しい限りです。特に木をしっかりと伐採してあり曲輪や堀などみやすくして有難いです。維持管理している方々に感謝致します。

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ぴーかる

野口城 (2022/02/12 訪問)

【野口城】
<駐車場他>教信寺駐車場/野口神社駐車場
<交通手段>車

<感想>野口城の築城は定かではない。長井氏によって築城されたが場所も不確定で教信寺や野口神社の辺りではないかという比定地です。教信寺と野口神社それぞれお参りしておきました。

<満足度>◆◇◇

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うさ

長沢城、岩略寺城 (2022/03/05 訪問)

久しぶりのお出かけ。こんなご時世なので地元の城へ。

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火ノ島豊後守正宗

引田城 (2022/03/04 訪問)

続62城目。
淡路島から移動して1時間半程度で引田城跡にやってきました。
岩肌だらけの山道を登って20分程度で山頂に到着。
山頂から見た城下町は風情があります。
アクセスについては車で登山口まで行きましたが、看板が少なく少し迷いました。
もう少し目印を増やしてほしいものです。

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