かめいじょう

亀居城

広島県大竹市

別名 : 小方城
旧国名 : 安芸

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本丸石垣
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しんしんちゃん

無残にも破城を言い渡された総石垣の城 (2024/01/01 訪問)

亀居城は関ヶ原の合戦の後に安芸国50万石に封じられた福島正則が毛利氏への押えとして築いた城です。慶長8年(1603)から5年をかけて築かれた総石垣の壮大な城で、続百名城の城郭と比較しても遜色ないほどの立派なものです。
広島城の支城としての域を超えている城であったため、疑念をいだいた徳川家より破城を命じられ慶長16年(1611)廃城になったとされています。
現在は亀居城公園として整備がされていて城址のすぐ近くまで車で行くことができます。北西に本丸が築かれ、立派な天守台が備わっています。南東に段状に二の丸、有の丸、なしの丸と続き、下方に腰郭が備わっています。本丸からの眺望はすばらしく遠く瀬戸内海や周防国を見渡せます。
亀居城が破城となった慶長16年6月24日(1611/8/2)にはかつての盟友、加藤清正が亡くなっており、毒殺のうわさが絶えません。慶長10年5月には織田秀信、慶長7年10月18日には小早川秀秋が不審な死を遂げています。
想像になりますが福島正則が素直に破城に応じなければ彼らと同様の最期を迎えていたかもしれません。晩年は大幅に所領を減らされ、死後も遺体を勝手に火葬にしたとして残る所領を没収されています。ちょっと酷すぎると思います。

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くらのり

亀居城 (2020/03/14 訪問)

毛利氏の上方への侵攻を防ぐために安芸国西部に城を造ることとなった。1603年(慶長8年)に山陽道を押さえる要地に築城が開始され、5年もの歳月をかけて、非常に巨大な堅城として完成した。
城主になる予定だった福島正則の甥・福島正宣は前年に死去しており、山田小右衛門と森佐助の両名が城代として城に入った。豊臣氏と徳川氏の軍事的衝突の危機が高まると豊臣恩顧の福島氏への徳川氏の圧力が非常に強くなり、正則は徳川氏の意向に従うこととなった。結局、亀居城は完成よりわずか3年後の1611年(慶長16年)に破却され、その役目を終えた。天守や主要な建造物は撤去された。

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カズサン

境目の城総石垣造り (2011/05/07 訪問)

 亀居城は福島正則が関ヶ原後戦功で安芸、備後50万石の太守として国境の支城を整備しその一つ、長門、周防毛利氏との国境の直近、大竹市小方に総石垣で築城した。
 しかし築城完成3年目に幕命で一国一城令前に破城され、幕府の総石垣の壮大城郭、福島正則に対する豊臣恩顧の大名への猜疑心も遇いまった事が重なったのでしょうか? 約400年土に埋もれたままに成ってしまいました。
 
 10年前の平成23年5月上旬、長門、周防、安芸、備後、播磨2泊3日の城廻り3日目、前泊した防府から山陽道経由、大竹ICを降りて亀居城の裏側登城通路の途中に在る専用駐車場を目指し、同駐車場に駐る。
 亀居城の認識は歴史読本の県別ベスト10、学研のよみがえる日本の城7(広島城福山城)で紹介が有り、圧巻は学研の戦国の堅城Ⅱの安芸亀居城、樋口隆晴氏解説、イラストは香川元太郎氏の推定復元亀居城俯瞰図、俯瞰図をしばらく眺めて是非訪ねたいと思い込んで約5年目の今回はの企画に入れ初登城が実現しました。

 探訪ルートは駐車場から三の丸下登城口から、発掘復元石垣が直ぐに目に入って来ます、登城路も石垣で囲み、三の丸、二の丸、二の丸虎口も小型の枡形、内部には演舞台付きの建物、本丸、本丸虎口は小型桝形4連で凝り切ってる、内部に入って南側に大天守台、左に小天守台、右に石階段付き多聞櫓台、天守台多聞櫓台には登れません、北東角に隅櫓台、北西は連続虎口、本丸石垣をぐるっと回る、東の二の丸下に詰の丸、詰の丸下に破城時の残存石垣が多数散見されました、登城口三の丸下に戻り有の丸、松の丸、名古屋丸、捨の丸方向を散策探訪、石垣は破城時のままか土の剥き出し、切岸、土塁、残存石垣、復元石垣が見られます、イラスト復元図に在る、鐘の丸、妙見丸は探訪してません。
 
 亀居公園としてよく整備されています、所々に詩歌の石碑が多数ありますが趣味違いで素通りさせて頂きました、又桜の時期は過ぎて葉桜でしたが桜の時期は天守閣本丸から眺める景観は亀居城が桜に浮かんだような素晴らしい絶景が見られる事でしょう。
 大竹市、教育委員会の約400年過ぎた亀居城の発掘調査、石垣復元、公園整備の御尽力には大感謝です。
 続々百名城の制定企画がもし有りましたら是非亀居城の選定をお願いしたい。
 素晴らしい城です。
 

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やま

続々100名城 (2021/09/04 訪問)

福島正則が築いた石垣造の堅固な城郭ということで、岩国城に登城する前に見学。石垣は見事で、刻印もたくさん確認できて素晴らしかったのですが、公園化によって改造されている部分が多く、石垣も積み直されている部分が多いのが残念でした。
駐車場は完備されており、駅からのアクセスも悪くないのですがやはり車があれば便利です。岩国城、広島城も近いので、ついでがあれば一見の価値ありです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 不明
築城主 福島正則
築城年 慶長13年(1608)
主な城主 山田小右衛門・森左介(福島氏家臣)
廃城年 慶長16年(1611)
遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切、井戸
指定文化財 市史跡(亀居城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県大竹市小方2(亀居公園)
問い合わせ先 大竹市地域振興課
問い合わせ先電話番号 0827-59-2131