【小浜城】
<駐車場他>南門跡北側にコインPあり。
<交通手段>バイク
<見所>堀・堀切・資料館・町並
<感想>小浜(こはま)城は永禄年間(1558〜1570)に寺内町として亳摂寺を中心として発達しました。小浜の地は西宮街道・京伏見街道・有馬街道の合流地点街道の要で寺内町は台地状に北東側から流れ込む大堀川を利用し、東に堀溜池を造り、北~西側にかけて人口の堀川を廻らしている。信長の本願寺攻めの際には信長方に付きその難を逃れている。豊臣時代亳摂寺の娘が豊臣秀次の側室となっていたために秀次事件の後この小浜は焼き討ちにあっている。焼き討ち前後どちらかは分からないが、秀吉が秀次事件のあと有馬に湯治に行っているので間違いなくこの地を通っている。そこまでするか、すごい神経しているな、晩年の秀吉は。焼き討ち後江戸時代は小浜は宿場町として再発展し酒造り等も盛んになりました。
まず資料館を見学し小浜の見所ビデオ、寺内町のジオラマと館員の方の説明はとてもいいです。資料館横に山中家(山中鹿之助の子孫宅)住宅庭に秀吉・千利休が茶の湯に利用した「玉の井」という井戸が残されています。資料館内からしか行けません。そのご資料館前にバイクを駐輪させてもらい散策、亳摂寺、南・東・北の木戸跡、首地蔵、大へんふるい道標(石柱)、江戸時代の高札、寺内町北の大堀切と大堀川等見所多いところ、2時間以上たっぷり楽しめます。
<満足度>◆◆◇
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