鹿児島に出張時、周辺業務移動にレンタカーを使用し、空き時間に一山越えて人吉城を二度目の登城、初登城には同僚の車で案内していただき、復元されてる角櫓、大手脇多聞櫓を観たいと出掛けたのですが、御館跡、同庭園、有名な武者返し石垣を初見学しただけで、復元櫓を探し当てて見学探訪する事が出来ませんでした、当時スマホが有る訳で無く、浜松に帰って復元櫓の場所位置を確認して、半年後の今回、復元角櫓、復元大手脇多聞櫓、同間をつなぐ続き石落とし付き長土塀を、やっと観察する事が出来ました。
武家屋敷が広がっていた外曲輪部分の北側の球磨川を外堀とし、西側の胸川も外堀として北西角部分の北側に単層角櫓が平成元年に復元され、西側に大手脇多聞櫓が復元、同時に続き石落とし付き長土塀も復元されました、城郭雑誌に復元された角櫓から大手脇多聞櫓、続長土塀の写真が掲載されて居り、何時か見たいと思って居た事が、18年前の平成16年6月中旬に叶いました。
相良氏は静岡県相良の出身で鎌倉幕府初期に人吉地頭を頼朝より受けて以来、南北朝、戦国期、対島津戦、秀吉九州征伐、関ヶ原と耐えて2万2千石を守り明治まで相良氏で継承し治世しました。静岡県浜松市在住者としては思い入れも有ります。
石垣も立派で球磨川沿いの護岸も兼ねた長高石垣群、胸川沿いの長高石垣も素晴らしい苦労の造作だった事でしょう、小藩での高石垣造りはさぞ大変で、対島津への牽制として幕府からの援助も有った事でしょう。
水の手橋側の水の手門跡の土塀の復元も平成19年に復元されて居ます。
ただ残念な事に2年前の令和2年7月に人吉大水害に遭い甚大な被害がもたらされた事です、また人吉城も被害に遭って居り、復旧工事中の様子、今回の登城では人吉城歴史館は出来て居ませんでしたが、被害に遭い休館中との事を皆さんの投稿で聞き及んで居ります、早い災害復旧を祈ります。
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