ますじまじょう

増島城

岐阜県飛騨市


旧国名 : 飛騨

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橋吉

天守台と堀 (2023/11/22 訪問)

11月下旬というのに路肩に雪が残る道を走って、増島城へやってきました。

増島城はJR高山本線飛騨古川駅の南東、荒城川の右岸、古川盆地のほば中央に位置しています。
1573〜1592(天正年間)年、金森長近によって築かれました。
退いて守る山城より、進んで攻める交通の要所を求めて、ここに平城を築いたそうです。

1615(元和元)年、幕府の一国一城令により、城名を廃して古川旅館と称しました。
金森氏の移封後3年、1695(元禄8)年に古川旅館は破壊されました。

天守台と堀が数少ない遺構です。
天守台の二方に堀が残されています。

天守台には増島天満神社が祀られています。
天守以外の本丸部分は飛騨市立古川小学校と岐阜県立飛騨吉城特別支援学校が建てられています。
小学校の校舎は地中には遺構が保存されているため、杭を打ち込まない低層建築とする必要がり、2階建てです。

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しんしんちゃん

石垣と堀の一部が残る。 (2023/11/04 訪問)

増島城は金森長近の養子可重によって築かれた城です。可重が二代目高山藩主となって高山城に移った後は長男の重近が入りました。後に金森氏が出羽国上山に移封になり飛騨が天領になった際に廃城になったようです。現在は堀と石垣の一部を残すのみで石垣の上には増島天満宮が奉られています。城郭放浪記さんの情報をたよりに古川町殿町にある円光寺に移築された表門と、古川町片原町にある林昌寺にある城門を見てきました。他にも移築された門があるようですが、時間の都合で確認できていません。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:増島城 (2023/04/25 訪問)

鍋山城からの転戦です。公共無料駐車場(36.236201、137.191170)に駐車しました。

金森長近は1585年(天正13年)に三木氏の治めていた飛騨国を攻略して領国とし、本城の高山城および支城の萩原諏訪城、増島城を築きました。
増島城の建設は1586年(天正14年)であり、完成すると長近の養子・金森可重が古川城から移って城主となりました。
長近が1608年(慶長13年)に没して後継者の可重が高山城に入ると、その長子・金森重近が増島城主となりました。
可重の死後はその三男である金森重頼が跡を継ぎ、重近は出家して京都に去りました。
その後は家臣が入ったと思われますが、1619年(元和元年)の一国一城令にともない廃城となって古川旅館と改称し、萩原諏訪城跡の萩原旅館や下原旅館と同様に金森氏の陣屋となりました。
1692年(元禄5年)に金森氏は出羽国上山藩へ移封され、1695年(元禄8年)に高山城とともに破却されました。

城跡には、わずかに増島小学校の南東側に櫓台と内堀が残っており、櫓台のうえには増島天満宮が鎮座しています。
円光寺に移築された城門があります。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=小島城に向かいます。

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増島天満神社 (2023/04/01 訪問)

 飛騨古川駅から徒歩5分の場所にあります。電車の待ち時間を利用して久しぶりに行って来ました。桜が咲いていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 金森長近
築城年 天正14年(1586)
主な城主 金森氏
廃城年 元禄8年(1695)
遺構 曲輪、石垣、天守台、横堀(水堀)
指定文化財 県史跡(増島城跡)
再建造物 説明板
住所 岐阜県飛騨市古川町片原町
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111