さんだじょう

三田城

兵庫県三田市

別名 : 車瀬城、三田古城、(三田陣屋)
旧国名 : 摂津

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小学校(本丸)前の石碑
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シロマサ

九鬼水軍が陸に上がって... (2019/08/13 訪問)

勝野武士さんの投稿を見て、九鬼水軍が陸に上がっても、尚水練を続けていた三田御池。
そして、明治8年頃に建てられた擬洋風建築の旧九鬼家住宅資料館を見たく、今回初めて来ました。

九鬼家は家督争いで伊勢鳥羽5万6000石から、摂津三田藩3万6000石と丹波綾部藩2万6石に移封される。
初代藩主久隆は旧三田城を取り込んで、居館を三田小学校に置き、二の丸を有馬高校に置く。
そして本丸と二の丸の間には水堀等配置し、南に三田御池で固めた。

今は小学校と有馬高校との間には道路を挟んで堀跡が残っているが、堀と石垣で仕切られていたと思う。
今回もっとも気になっていたのが旧九鬼家住宅で、内部は資料館として公開されている。
残念ながら本日は振替休日の振替日で休館だった。2階は公開されていないができるならば、公開して欲しいです。
駐車場は旧九鬼家住宅の道路を挟んだ北側にあります。1h 100円です。

大型の台風が西日本に接近しています。台風の進路にあたる方は細心の御注意して下さい。

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勝野武士

九鬼家、決して矜持を失わず。 (2018/10/31 訪問)

三田は何度か行ったことはあるのですが、じっくりと街を歩いたのは初めてだったりします。

三田城は武庫川を天然の堀として、すぐ南西の段丘上に築かれたお城です。
最初に築かれたのははっきりしないようですが、室町時代半ばには既に車瀬城として存在していたようです。
荒木村重の家臣である荒木平太夫が、その車瀬城を近世城郭に作り替え、城下町を整備したようです。
村重が謀反の末に出奔した後、織田方家臣の山崎堅家が入り、また後に徳川の天下となると九鬼久隆がお家騒動を理由に志摩國鳥羽から石高を削られた上で移封となり、車瀬城の一帯を三田陣屋として再整備、以降明治を迎えたのです。

時代とともに城主や城そのものの姿、城の名称さえも目まぐるしく変化したこのお城、現在は旧三田城だった曲輪が有馬高校に、九鬼家の居館だった曲輪は三田小学校となっています。当然入れません(タイーホされちゃいますね)が、周囲に水堀や空堀が残っています。
そして、水軍の技術を忘れない為に船を浮かべて調練をしていたという三田御池もしっかり残っています。跡地がそのままそっくり学校敷地となったおかげか、全体的に江戸時代の頃の面影が良く残っていました。
あと、小学校の校長室の床下に台所の跡が保存されているそうです。井戸跡も敷地内に残されているそうですが、どうあがいても学校敷地内には入れませんので、コンプライアンスの遵守をお願い申し上げます(笑)。

唯一の建造物遺構として、近くの金心寺には御下屋敷の黒門が山門として移築され現存しています。
但し随分と改変されているそうで、当時は控え門付きの薬医門だったようです。

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リアル城巡ラー♪

三田陣屋

三田陣屋

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城郭情報

分類・構造 平山城、(陣屋)
天守構造 不明
築城主 摂津有馬氏
築城年 不明
主な改修者 荒木平太夫、山崎片家
主な城主 有馬氏、荒木平太夫、九鬼氏
廃城年 慶安2年(1649)
遺構 井戸、堀
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 兵庫県三田市屋敷町2-20他
問い合わせ先 三田市まちづくり部生涯学習支援室生涯学習課
問い合わせ先電話番号 079-559-5144