物見やぐらが建ってます。土塁上に城址碑があります。駐車場、トイレ完備。新幹線も見れますよ。
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2022/03/13 17:28
2022/03/13 17:22
2022/03/13 17:20
日本三大水城の一城 (2014/09/13 訪問)
高松城は、豊臣秀吉公から讃岐12万石を与えられた(後に17万6千石)、生駒親正が現在の地に築城着手した水城です。縄張りは、黒田孝高とも細川忠興とも云われています。数年の歳月を費やし完成した高松城は、海水を外堀・中堀・内堀に引き込んだこの城は、日本三大水城の一つとされています。
生駒氏の統治は54年間続きましたが、生駒騒動により讃岐を召し上げられ出羽に移封となった後は、水戸光圀公の兄、松平頼重公が12万石を与えられ高松城主として入城しています。その後は、松平頼重公以来、松平氏の治世が228年間続き、明治維新を迎えています。
現在の高松城は玉藻公園として、数棟の現存櫓や天守台・石垣・曲輪が残っています。着見(月見)櫓・続櫓・水の手御門・渡櫓・丑寅櫓等が重要文化財に指定され、見所の多い城跡です。
2月26日放送の「ブラタモリ」で高松城が紹介されており、水の手御門は城主が参勤交代に出るときにのみ使用されたとの説明で、「なる程、そうだったのか」と画像を見返しました。
自分が登城した2014年9月13日の折は、玉藻公園駐車場に駐車、移築櫓の丑寅櫓を見学、本丸・月見櫓・水の手御門を見学し、二の丸から天守台に向かったと記憶しています。見所の多い城なので是非お薦め致します。
POYO58さん 体の心配をして下さり誠にありがとうございます。また、私の拙い投稿を評価して頂き感謝です。私も、POYO58さんの投稿を楽しみに拝見させて頂いております。POYO58さんは、まだお若いですが健康に気を付けて、お互いに城巡りに勤しんでいきましょう(#^^#)
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2022/03/13 16:41
主郭には伯耆根神社 (2022/03/06 訪問)
玉生公民館に車を駐めさせていただき伯耆根神社に。
鳥居から急な石段を登って行くと伯耆根神社があり、ここが主郭。
背後に高い土塁があります。
さらに進むと広い二郭があり、周囲を二重の横堀が囲んでいました。
横堀はそれぞれ南側に向かって竪堀のように落ちていました。
導線かもしれません。
あまり大きな城ではありません。
宇都宮氏家臣の玉生氏の築城とされます。
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2022/03/13 14:16
置塩城 (2022/02/23 訪問)
【置塩城】
<駐車場他>登城口前駐車スペース
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・石垣
<感想>赤松氏の山城攻め本拠地攻略。置塩城は文明元年(1469年)に没落して加賀半国の支配から播磨・備前・美作の三国守護に返り咲いた赤松政則によって築城されたとされる。本格的な改修・整備がされたのは16世紀中頃の城主である赤松晴政・義祐の時代であったようです。現在残る遺構もその頃のものです。置塩城は城主則房の時、秀吉の中国攻めの際に降伏して廃城となりました。
麓から城跡までの登山は1~18丁の表示があり城跡入口の南曲輪群上段まで18丁=約2㎞あります。城跡内も広いのでハイキング装備の方が良いでしょう。登城口ゲート前にパンフレットが置いてあります。また月に1度城跡内で御城印の頒布があるようです。
置塩城の中心部は二の丸と呼ばれる曲輪でそこから尾根伝いに段曲輪が多方向に派生しています。本丸は二の丸の北東の位置に山の鞍部を隔てた独立した場所にあります。私が思うに本丸はたしかに最高所で広い曲輪であるけれども、城の鬼門の位置にあるのはおかしいと思うので二の丸と呼ばれる曲輪が主要部であって本丸はかつては違う役割で呼び名であったように感じました。
城跡は二の丸は仕切り石積み・土居を備えた東西に広い、南北に数段ある曲輪群となっています。二の丸の北側に台所跡、二の丸北曲輪群があり、北東側に鞍部を隔てて本丸があります。本丸は帯曲輪を備え南側に段曲輪があり本丸虎口付近と曲輪壁南側に石垣が残っています。鞍部に巨石を利用した石垣が広く残っていたようなのですが最近崩落してしまいシートが掛けられていました。残念。二の丸の北西側に三の丸があり三の丸から北側に大きい北曲輪群、三の丸から西側に小さい三日月状の西曲輪群が十数段あります。最下部付近に枡形状の大手門跡があります。西曲輪群(大手道)は道がロストしているのでストック要です。二の丸の西側に広い馬場があり、二の丸・三の丸の高い切岸が見れていい見応えです。二の丸の南西側に舌状の南西曲輪群があり大石垣が残っています。二の丸の南東側に南曲輪群があり上段に茶室跡と呼ばれる曲輪があり、石垣が多く残っています。城跡の入り口はここからになります。
曲輪だけでも60以上、入り込める曲輪が50くらいはあるので巨大城跡を十分堪能できます。石垣も露出している所と草木で隠れた箇所とあるので石垣や石垣跡を探索するのも楽しいです。竹田城といってもいいですが、置塩城も赤松氏の盛期の城で赤松氏山城の最終形態といってもいいでしょう。百・続百名城に負けていない城跡です。
<満足度>◆◆◆
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2022/03/13 07:04
青春18きっぷで身延線完乗 (2022/01/07 訪問)
蒲原城から富士駅に戻り身延線で富士宮へ。徒歩で大宮城を目指しました。富士山本宮浅間大社の大宮司家の居城で大宮小学校がその故地とのことです。折角でしたので、世界遺産の構成資産、駿河国一宮の富士山本宮浅間大社と静岡県富士山世界遺産センターに立ち寄っていきました。身延線完乗はこれが2回目なのですが、車窓から富士山の絶景を堪能したのはこれが初めてです。この後のオミクロン株の猖獗の所為で1月の攻城はこれが最後になってしまいました。
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2022/03/12 22:20
鱸氏の城 (2022/03/12 訪問)
主郭周辺と枡形門にある石垣が見どころだと思います。枡形門の石垣は通路とは反対側にも少しですが残っていました。竪堀が好きなので愛知県では珍しい畝状竪堀がよかったです。城域の主要な見学路は整備されていて歩きやすいです。
駐車場が山腹にあり、そこから城域まで約5分で行くことができます。公共交通は豊田市駅からおいでんバスで1時間と少し、「小原大草」バス停で下車して徒歩15分くらいでしょうか。
近くの西運寺に移築門があるということでしたが、見逃してしまいました。
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2022/03/12 21:56
2022/03/12 21:45
島津豊久の墓 (2022/03/10 訪問)
樫原城から歩いて10分くらいの場所に島津豊久の墓といわれている場所があります。
島津豊久は関ヶ原の戦いの「島津の退き口」のとき、島津義弘を逃すために身代わりとなって奮戦し戦死します。自分の中では関ケ原の戦いでは、この「島津の退き口」がクライマックスで「捨てがまり」として奮戦した島津豊久の名は知っていました。島津豊久がどこで亡くなったかは諸説あるようですが、最終的にはこの地に葬られたと伝わっています。
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2022/03/12 21:38
2022/03/12 21:27
城ヶ平城 (2022/03/10 訪問)
明智光秀生誕の地というのは岐阜県内でも複数候補がありますが、多羅城というのは明智光秀生誕の城の候補のひとつです。多羅城というのはどこかよくわかっていないらしいのですが、西高木陣屋付近が有力候補です。しかし2019年発掘調査が行われ、この城ヶ平城と近くにある樫原城も多羅城の候補となっていて3カ所あるようです。城びとには未登録の城址です。西高木陣屋から徒歩15分くらいで城址の入口に行くことができます。城址へ行くと水色桔梗の下に多羅城と書かれたのぼりがたっています。横には「明智光秀生誕の城」と書かれていました。城址はよく整備されていて横堀、井戸、土塁等を見ることができます。
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2022/03/12 21:11
2022/03/12 21:06
2022/03/12 21:01
2022/03/12 19:53
辛うじて遺構が残る (2021/12/31 訪問)
鎌倉殿の13人のネタが無くなったので通常運転です。。。といってもまだまだ個人的自粛中なので小出しになりますが・・・
今回は昨年末・一旦コロナ感染者が減った時期に近場の未訪問史跡巡りした際に行った(菅)寺尾城をupします。
遺構や解説・石碑の無いお城には正直興味無いのですが、菅寺尾城には解説や石碑が無いものの辛うじて土塁や(竪)堀が見られるのでギリギリセーフかと。。。
普通なら緑地の道にある遺構が見られる場所から攻めるのが通常なんでしょうが、自分は誤って遠回りして丘上の団地から下って最後の最後に遺構を見つける・・・という危うく遺構の見逃しで行った事にしよう・・・の攻略になるところでした(危なw)
駐車できる場所が見当たらなかったので、公共交通機関(JR稲田堤駅or京王稲田堤駅から徒歩15分程度)での訪問が良いかと。
大河ネタとして大庭城とか梶原景時館とかの再度upも有りかなぁ・・・
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2022/03/12 18:43
周りを川が流れる単郭方形の城 (2022/03/06 訪問)
国道461号線沿いに説明板があり、そこから細い道を進んで行くと民家があります。
民家の脇に小さな案内板があり、そこから入っていきました。
車は案内板からもう少し進んだ先に草むらがあったのでそこに駐めました。
登城口から進むと手前に川が流れ、橋がかかっています。
その先が城跡、四方を土塁が囲んでいます。
ここでは土塁上を一周することにしました。
南東側に虎口があり、その下にはダム状に。
北側は段丘に、北西側には大きな虎口があります。
虎口の外も水堀。
川から水を引き込んで造ったようです。
畠山重忠の子、重慶が源実朝に反旗を翻し籠城したとされますが詳細は不明です。
ここも夏は藪で厳しそうです。
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2022/03/12 16:41
磐城平城本丸跡地 (2022/03/12 訪問)
磐城平城本丸跡地に登りました。天気も良くて汗ばむ気温。いわき駅を出て、戊辰戦争の説明などを読み、右手方向へ進むと、丹後沢公園方向になります。公園の水辺を散策しながらゆっくりと歩くと、とっても良い散歩になります。
磐城平城本丸跡地に向かうための階段も整備されています。
踊り場が多いので、休み休み登れます。
登り切ると一旦公園の外に出る感じですが、左手に折れるとすぐに本丸跡地に着きます。
本丸跡地は私有地だったのですね。でも、解放されていて、小さな展望台が設置されています。登るといわき市を一望できます。風がとっても清々しかったです。
運動不足の私には、適度な散歩でした。
トイレは本丸跡地に行くまでの階段を登る途中の広場にキレイに整備されています。(××丸…名称を忘れてしまいました。ごめんなさい。)
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2022/03/12 16:23
武田氏の前線城郭の特徴が集約されている (2021/11/04 訪問)
公営住宅に潰された城というイメージが強いがなかなかどうしてよく残っている。天文~永禄の頃に作られたとすれば堀幅の広さは特筆もので、丸馬出を含め武田氏が後々各地の前線に築く拠点城郭の特徴が集約されているようにも感じる。
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2022/03/12 14:20
【武蔵・さきたま古墳群】金象嵌鉄剣出土と石田陣所 (2010/11/27 訪問)
忍城を終えて南東に約2.5km程の所に在る、さきたま古墳群を訪ねる、訪ねたのは12年前の平成22年11月下旬、金象嵌の鉄剣が稲荷山古墳で発掘調査の上、出土発見、何と「ワカタケル大王、雄略天皇」の名が記されてると出土発見時のニュース発表は世紀の大発見と昭和43年の事でした、発見から40数年経って稲荷山古墳と埼玉県立さきたま史跡の博物館展示の金象嵌鉄剣を見学観察する事が出来ました、大感激でした。
又さきたま古墳群の丸墓山古墳は秀吉小田原征伐時の石田三成の陣所で丸墓山古墳を陣所、物見砦と活用して忍城を囲む堤防を造り水攻めにした中心拠点、駐車場から丸墓山古墳に続く道が堤防の跡石田堤と史跡マークがグーグルマップに載って居ます、又石田陣屋跡は同博物館南奥の山古墳の南に史跡マークが有り、石田三成忍城水攻めの跡が残っています。
住所は埼玉県行田市埼玉4834(埼玉県立さきたま史跡の博物館の住所)
車は最初、将軍山古墳近くの駐車場を利用。
さきたま古墳群には120~130m長の前方後円墳が稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳、円墳が丸墓山古墳と目を見張ります、周辺にも数多く在り全体で10体以上の古墳を見ることができます。
稲荷山古墳に登り、発掘調査の埋葬施設のレプリカを見学、墳丘からの眺望、周りが良く観えます、丸墓山古墳も良く眺められ、丸山古墳は麓から眺め、きつそうなので登るのは諦め、車を博物館近くの駐車場に駐車し直し、さきたま史跡の博物館に入館して出土発見された金象嵌鉄剣とご対面、115文字が金象嵌で記されてと説明文を見ながら確認、よくは分かりませんが感激でした、5世紀後半の遺物しかも雄略天皇とされるワカタケル大王の存在が間近に見学できるのです。
金象嵌鉄剣展示エリアは撮影禁止で投稿写真は有りません。
古代の5世紀古墳時代と戦国期の遺跡を同時に見る事の出来る「さきたま古墳群」でした、良い体験が出来ます。
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