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チェブ

説明板と藪。 (2022/04/02 訪問)

いつ頃 築城したのか分からない「菅生城」です。
相馬 胤貞さんの居城です。
余談ですが、相馬一族や千葉一族の『胤』の字。他の一族も同様ですが、諱を使って命名したら ダブったり、ごちゃごちゃになったりしないのでしょうか、、、。
まっ、下のお名前で呼ぶ事はないですけどね。
相馬 胤貞さんは、菅生 胤貞さんでもありますので。
こっちのが、分かり易いです。

「菅生城」は胤貞さんの出陣中、奇襲を受け廃城したとも、多賀谷氏の侵略に備え、北条家配下になって運命を北条家と共にした、ともありました。

見通しの良い道路を運転し、信号機の無い交差点を曲がった先に「菅生城」の説明板がありました。
説明板には、北条氏の城に多く見られる畝掘が見られる、と記載されてます。
北条家配下説かな?では、お邪魔しますっ、と思いましたが、入口が分かりません。
おまけに、藪。

『胤』よりも、草木が元気でごちゃごちゃです。

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ぶーたろー

想像を超える巨大な石垣 (2022/03/29 訪問)

https://youtu.be/hsvAkwbByUs
↑この動画が参考になります。
滋賀県高島市にある清水山城跡に行ってきました!道を間違えて主郭にたどり着くことはできませんでしたが、巨大な石垣を見ることができました。想像を超える大規模な山城です。
頂上まで車で行けるので、この動画をみて登城して下さい。

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おっちゃん

岩村城跡総合案内図・岩村城古絵図 (2016/11/26 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

丸子城縄張り図 (2017/01/21 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

亀城公園再整備計画平面図 (2018/07/16 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

蒲原城址鳥観図(一部復元) (2017/08/05 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

17世紀後半頃の加納城 (2016/07/30 訪問)

現地案内板より抜粋。

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イオ

【究極の1枚】ド定番ですが… (2018/10/08 訪問)

苗木城に見どころは数あれど、その中でも展望台からの360度の眺望は特に印象的でした。晴天にも恵まれ、陽光にきらめく木曽川と遠景の木曽の山並みは、技巧も何もなく見たままコンデジで撮るだけの自分にしては上出来と思える1枚です。
 

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楓景斎泰山

【究極の1枚】 (2021/12/11 訪問)

第二寝屋川、城見橋付近から超望遠で撮影。
月城写真の中でも大阪城での月城撮影成功は激レア。

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楓景斎泰山

【究極の1枚】 (2021/04/27 訪問)

木津川堤防から超望遠で撮影。

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楓景斎泰山

【究極の1枚】月城 (2022/03/20 訪問)

姫路城の月出を名古山から撮影。
たくさんおられるカメラマンとわいわいお話しながらの撮影はとても楽しい。

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釜次郎

倶利伽羅峠古戦場近くにあります。 (2022/04/09 訪問)

富山県小矢部市側から倶利伽羅峠古戦場跡へ向かう途中に入口の階段があります。
加賀の前田利家に備えるため、佐々成政による改修を受けています。

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釜次郎

主郭の一部が残る戦国時代の平城 (2022/04/09 訪問)

国人領主石黒光弘が築城。現地は周囲よりわずかに微高地となっており、主郭の一部が残っています。駐車場も整備されています。

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釜次郎

ハイキングコースとして整備されています。 (2022/04/09 訪問)

越中守護斯波義将の家臣である二宮氏の居城。遺構は切岸や空堀、土塁などが残っており、主郭には城跡碑や解説板が建てられています。

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ぴーかる

白石山城 (2022/03/27 訪問)

【白石山城】
<駐車場他>馬居寺駐車場<35.479632, 135.582777>
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅3城目。白石山城は築城年は定かではないが16世紀中頃に粟屋氏よって築城されたとされる。城跡へは駐車ポイントから先は車止めのゲートがありますので徒歩でアスファルト道路を進みます。行きついた広場から北方向に山に入ります。山道になっているのでそのまま北上した先に城跡があります。城跡は南北の細尾根上直線に連なる連郭で各曲輪ごとに堀切で仕切っています。主郭は南側と北側の曲輪壁は石垣造りになっており石垣が多く残存しており見応えあります(虎口は倒壊してしまっている感じ)。主郭東側には武者走りのような細曲輪が付いています。主郭北の堀切の東側は木が伐採され開けていて眺望がいいです。大島が見えます。主郭の曲輪壁は石垣を見付けるのにかなり探索しましたがまだ隠れた遺構がありそう。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

新保山城 (2022/03/27 訪問)

【新保山城】
<駐車場他>新保地区の墓地前<35.500268, 135.826741>に駐車できる程のスペースがあります。
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅2城目。新保山城の築城年および築城年代は定かではない。この地区は若狭武田氏に謀反した粟屋氏の勢力でしたが武田氏が一掃したのち後瀬山城の東方の支城として武田信方が入封し改修したようです。信長の勢力が若狭まで及んでくると信方は朝倉勢に付き朝倉が滅ぶと丹羽長秀の進攻により新保山城を追われ没落します。丹羽長秀入封後に破却されたようです。
 前に述べますと登山ルートは龍泉寺からあるようでそちらを調べたほうが良いかもしれません。私は個人サイトの情報をたよりに墓地の先のルートから入山しました。<35.500915, 135.827508>のゲートを開けて入りますが、登山道はありません。こっちを利用する人の説明をすると、ゲートを開けて右手の山の尾根上まで上がって下さい。左手には行かないように。尾根上まで行くとピンク色のビニールテープの印がありますのでそれを頼りに北上します。一旦左に約90℃曲がり東方向にさらに登ります。ここから少し間伐されていますが、倒木やら灌木やら急斜面で登りにくいです。登りきると中腹のピークに出ます。ここから南北に道がありますので南方向が龍泉寺に繋がっていると思います。ここまでで約半分です。北に向いてあと半分登ると大堀切が待っていますのでここからが主要部かと思います。城跡の主要部は南北に連なる細尾根の段曲輪です。西方向の斜面にも曲輪が連なっているようなのですが山化して分かりません。主郭と思われる曲輪中心部分にも堀切があり、主郭北東側に土塁があります。最北の堀切はかなり深く見応えあります。
 入山したゲート奥に獣の捕獲檻に巨大イノシシが捕まっていたのでイノシシ注意です。

<満足度>◆◆◇

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ぴーかる

大倉見城 (2022/03/27 訪問)

【大倉見城】
<駐車場他>登城口前<35.518816, 135.895592>に駐車可能
<交通手段>車

<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>日帰り城びと初投稿いただきますの旅1城目。大倉見城は天文年間(1532~1555年)に熊谷直之によって築城されたとあります。熊谷直之は当初は若狭武田氏に属していましたが国吉城の粟屋勝久と同じくして1570年に織田信長に付きます。大倉見城は1567年越前朝倉勢の攻撃を受けましたが城を落とせず撤退しています。信長従属後は領主の丹羽長秀に付き、本能寺後は羽柴秀次に属しますが秀次事件で切腹連座しています。
 城跡へは山頂から南南東方向へ伸びた丘陵上の尾根上を北上して行きます。登山道は整備され軽自動車が通れる程の道幅で非常に登り易いです。城跡は主郭を中心に登ってきた南南東に伸びる段曲輪と北東に伸びる大きな段曲輪からなっています。大きい曲輪には各々腰曲輪が付いています。尾根上の曲輪先には堀切で仕切り、斜面に沿って大竪堀が多くあります。特に主郭から北西方向の曲輪(トイレあります)から伸びる竪堀群はかなり見応えあります。今まで未投稿だったのが不思議、いい城跡です。

<満足度>◆◆◇

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前ちゃん

圧巻!お大堀切 (2022/04/11 訪問)

関東の城というべき、大堀切が見事でした、

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朝田 辰兵衛

【城と標柱】城ふぉとコンテスト📷 (2019/04/06 訪問)

冬囲いの骨組みが残る。おそらく,奥に見えるブルーシートをかけていたのだろう。
もしかして,骨組みに関しては通年だったりして…。

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小城小次郎

勿体ない。 (2021/11/28 訪問)

宇喜多秀家が築き平岡頼勝が守り池田一族が入った城は慶長期の面影を色濃く残す。観光地として栄えた下津井の目玉的存在でもあったこのお城をマイナーなお城としてこのまま埋もれさせてしまうのは勿体ない。実に勿体ない。

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