城址東麓の舗装された林道沿いの登城口を利用。主郭下・北曲輪からの眺望が良い
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2026/01/31 09:10
20171103岩門城(福岡県那珂川市) (2017/11/03 訪問)
城址東麓の舗装された林道沿いの登城口を利用。主郭下・北曲輪からの眺望が良い
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2024/12/17 05:51
小弐氏の栄枯盛衰(2/3):岩門城②(岩門合戦) (2024/12/09 訪問)
岩門城①の続きです。
北の曲輪に着くとここからは福岡市内が一望できました(写真①②)。ここは見張台だったと思われます。市街地の先には博多湾、左に能古島、中央に志賀島、右に立花山(立花城)まで見えました。そして帰りは、行きと異なり高津神社の方を経由して鳥居をくぐる石段を下りて帰りました。高津神社は前回お伝えした、安徳天皇を匿った原田種直が建てた神社のようです(写真④⑤)。
二度の元寇を命がけで戦い、見事勝利したにもかかわらず、九州の御家人たちには恩賞が与えられませんでした。小弐景資は安達泰盛とともに鎌倉幕府に直談判します。しかし1284年執権北条時宗が死去すると、北条得宗家は鎌倉にて、目障りとなった安達泰盛を殺してしまいます(霜月の乱)。
同じ頃、父の小弐資能が死去すると、兄経資(つねすけ)と弟景資(かげすけ)の間で家督争いが起きます。弟景資の方が人気実績とも圧倒的であったため、兄経資はそれを妬みます。この時、安達泰盛が殺された事を知った景資は仇を討つため、肥後の守護であった泰盛の子安達盛宗とともに挙兵し鎌倉へ向かおうとしました。それを知った北条得宗家は家督争いに目をつけ、肥前守護の北条時定に兄経資と手を組んで岩門城を攻め落とすよう命じ、そして兄経資は弟景資を討ち取りました(岩門合戦)。敵は北条得宗家であったにもかかわらず、まさかの兄に殺されるとは、景資はさぞかし無念だったでしょう。その景資が討たれたとされる場所には墓が立てられていました(写真⑥⑦⑧)。裂田溝公園と高津神社の途中の少し入った所にありました(標識あり)。
「小弐景資・安達泰盛・竹崎季長」、元寇で最も活躍し、日本を救ったこの3人のヒーローたちは、一体何のために戦ったのでしょうか? 小弐景資の墓の前に立つと、あまりにも可哀そうに思えてなりませんでした。
もしよければ、私の過去の投稿(竹崎城・元寇防塁)もまた見て頂き、彼らの活躍を思い出していただければと思います。『みんなの投稿→竹崎季長』で検索して下さい!
次は、その後の兄経資と小弐氏の栄枯盛衰(浦ノ城)に続きます。
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2024/12/16 09:31
小弐氏の栄枯盛衰(1/3):岩門城① (2024/12/09 訪問)
福岡県那珂川市にある岩門城(龍神山城)は、二度に渡る元寇(文永・弘安の役)で二度とも総大将を務め、九州の御家人たちを束ねて見事に勝利へ導いた、あの「小弐景資(しょうにかげすけ)」の居城です。
景資は、太宰小弐である父「小弐資能(すけよし)」(武藤氏から小弐氏と改名した初代)の二男として大宰府で生まれます。弘安の役の翌1282年、再びフビライに三度目の侵攻の兆しが見えたため、もしも防塁が突破された時に備え、自ら標高192mの龍神山の地に岩門城を築城し、ここを居城としたようです。
国道385号線山田交差点そばの、「裂田溝公園」(トイレ自販機あり)の駐車場に駐車し、まず岩門城を見上げました(写真①)。ここから山頂の本曲輪まで徒歩50分です。左の溝沿いを行き、右に曲がりまた左へ曲がり(標識あり)、まっすぐ登ると高津神社下です(写真②③)。軽自動車やバイクの方は、そこまで上がれそうです。
(写真③)右の神社の鳥居をくぐって急な階段を登ってもいいですが、私は左の落葉の上がきれいで楽そうに見えたので、左から登りました(写真④)。でも落葉の道はすぐそこまでで、右に折れると結局は急な傾斜が始まりました(写真⑤)。しかし三瀬城と異なりこの先落葉はなく踏ん張れたので、きついですが歩きやすかったです。
途中、高津神社からとの合流点がありました(写真⑥)。さらに登ると茶臼岩がありました(写真⑦)。こんな岩の上から矢を射掛けられたらたまりませんね! しかも回りは深い竪堀があり、やられたら一気に滑り落ちそうです(笑)。さらにその先は三の曲輪(写真⑧)、二の曲輪(写真⑨)、本曲輪(写真⑩)、北の曲輪と続きます。曲輪の間は大きな堀切で仕切られていました。これは攻めづらい城だと感じました。そしてやっと本曲輪へ到着です。
その先、岩門城②へ続きます。
P.S 高津神社下からのルートとは別に、車で背後(葬祭場)手前の石像前に車を止め尾根沿いの高低差なしの徒歩20分で楽に行けるルートもあります。写真②の赤ルートです。満足度はいまいちだったので、私は神社下から苦労して登るルートをオススメします(笑)。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 大蔵種光 |
| 築城年 | 長保元年(999) |
| 主な城主 | 原田(大蔵)氏、少弐景資、大友氏、大内氏、志賀道輝(大友氏家臣)、筑紫氏 |
| 廃城年 | 天正15年(1587) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 福岡県那珂川市安徳字城山 |