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カズサン

住宅地の中、城川公園が城跡 (2021/10/10 訪問)

 石倉城を終えて北方向約2、3km程の総社城を目指す、城川公園の東、説明板が有るとの情報でナビをそこに合わせる(36°24'45"N 139°02'39"E) 県道15号線を走り住宅地に入り道は狭く少し迷いましたが公園に着き公園東の説明板の有る所に路駐。

 公園と説明板を撮影して周囲の低地が有り堀跡か?沼地か?を思わせる、日曜日でしたので子供たちが遊んでいました、ここに来る途中の県道15号線に古墳跡の看板が有り、総社城の物見台と言われたと遠見山古墳かと思い寄って見るがそうで無く宝塔山古墳と蛇穴山古墳(方墳で石室が大石で作られ露出している)、結局物見台と言われる遠見山古墳は見学出来ず、総社城も利根川に近く本丸、二の丸一部は洪水などに削られ崩落した模様。

 歴史的には新しく関ヶ原の戦いに功有り徳川家康の使者役秋元長朝が1万石の所領を得て蒼海城に入り慶長6年(1601年)総社城を着工し慶長12年(1607年)完成、寛永10年(1633年)秋元泰朝の時、1万8千石に加増され甲州谷村城(都留市)へ転封と成り廃城。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさん総社城跡説明板に由ります。

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Fカット

新しい案内板 (2021/10/18 訪問)

龍仙寺を目指し墓地駐車場に新しい看板が設置され縄張り図も掲載されてありました。縄張り図がありましたので楽しく攻城できました。
堀切などの看板が設置されるともっといいと思いますが、見ごたえのあるお城でした。

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Fカット

案内板が新しく (2021/10/18 訪問)

恒富中学校を目指して行くと登城口があり車一台駐車スペースがありました。
登城口には2020.7/31に新しい看板が設置してあり縄張り図も掲載されてありました。

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higekam

浦上氏躍進のきっかけとなった城 (2021/10/18 訪問)

規模は大きくないが急峻な山頂部に築かれた山城。それに加えて、石垣で固めた桝形虎口の大手門、本丸裏の搦手は巨石を削った堀切と離反に憤る赤松氏を敗退させただけのことはあると納得。大手門に加えて三の丸先端部に残る石垣は初期の石積方法ながら400年を超えてほぼ当時のままのようで感動的。アクセスもJR山陽本線三石駅から本丸まで直行すれば30分ほどと近く、山城、石垣ファンにはお勧めの城だ。


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カズサン

城跡は石倉城二の丸公園 (2021/10/10 訪問)

 蒼海城を終えて利根川西対岸に在る石倉城を目指す、石倉城二の丸公園として整備されている利根川の東対岸には前橋城、現在の天守群馬県庁高層ビルが聳え川岸樹林の隙間から良く見える。
 
 車は駐車場が無く石碑案内板の有る公園周辺道路に路駐、車の往来は見学中無し。
 
 新ろくべえさんの投稿で地蜂に注意と有り、地面を注視し、落ち葉の固まりは避けて見学、城名石碑には確かに新ろくべえさん、チェブさん投稿のように福田赳夫元総理の署名が有りました、解説アルミ板の表は経年変化で良く読み取れないが裏側は色鮮やかに石倉城の俯瞰図が描かれている、櫓、石垣、堀が立派に描かれてるが実体はどうだったのかと首をかしげるが図は素晴らしい、石倉城も利根川の洪水崩落で遺構消滅してるのでしょう。

 歴史的には総社長尾氏が文明17年(1485年)築城、信玄の西上野侵攻、謙信との攻防と厩城の攻防も利根川を挟んで歴史に刻んでいる、謙信、信玄の思いを走らせるのも楽しい。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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カズサン

蒼海城周辺は土地整備中 (2021/10/10 訪問)

 群馬県埼玉県未踏の城廻りとチョイ寄り登城の2日日目、前橋IC近くのホテルに泊まったので前橋城から西の蒼海城、石倉城、総社城を一挙に巡りました。
 
 先ずは近い蒼海城へ蒼海城跡地図が有る総社神社を訪ね参拝し蒼海城跡地図を撮影、主変見学、車は北側の神社駐車場を利用。
 
 総社神社を後にして徒歩で本丸跡の近く御霊神社を目指すが土地の整備は開発中で工事途中、工事前の入り乱れでアウトプットした周辺地図と現実とが良く分からず洗車されてた地元の方に聞き確認して御霊神社へ御霊神社は本丸の西曲輪に成ってる様、御霊神社には長尾氏の像と「御霊神社と長尾氏由緒」看板、また地元の方に聞くと御霊神社は少し地上げして新しく少し北に移動したよし、元跡は一般住宅に成っていた、本丸は御霊神社の東側の曲輪で工事中の土盛、草の茂りで踏み込みを諦めましたが周辺は微高地と低地が伺えて堀沼地跡だったかな?曲輪だったかなと?思ったりしたり。
 
 歴史的には長尾景忠が建武4年(1337年)上野守護代と成り、越後守護代も兼務、景忠長男が白井城主、4男忠房と父景忠は上野国府を城郭化し蒼海城とす、その後総社長尾氏は9代210年余年続く。その後武田氏との攻防落城、家康関東移封で諏訪氏、秋元氏と続き秋元氏慶長12年(1607年)総社城に移り廃城と成る。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー42城目 (2021/10/03 訪問)

10月の第一月曜の休みが取れたので、緊急事態宣言の一斉解除もされたことだし、献血とホテルの予約を取り、土曜日に切符を購入し、日曜日の朝一で引田駅に向かいました。引田駅から引田城へは勿論徒歩でのアプローチです。10月とは思えない暑さの中、マップに従って本丸、化粧池、灯台、東の丸、南二の丸、大手門、北二の丸、北郭と回って田浦野営場側登山口へと降りました。

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にのまる

高島秋帆幽閉の地 (2021/09/07 訪問)

 罪人として捕らえられ岡部陣屋に収監されていた高島秋帆を一目見ようと栄一少年らが暗がりの中を走ったシーンが「青天を衝け」の初回放送にありました。
 血洗島の中の家から岡部陣屋までは約4㎞。あの子たち、このあたりを走ったのかなぁなどと思いながらネギ畑が広がる中を歩いていきました。
 岡部駅至近なので帰りに寄ったという感じですが、私にとってはここが城びと登録城の500城目という区切りとなりました。500城は昨年の目標だったので8か月遅れです。次なる目標は……501城目です☺


【お城川柳132】毎月訪城近所の神社が救世主

毎月訪城も目標にしているのですが、記録が途切れそうになると慌てて近所の城址神社に駆け込んでカウントしています💦ずるーい(^_^;)

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赤い城

里見と北条の激戦の城 (2021/10/02 訪問)

京成の国府台駅から徒歩で15分。
里見公園が城跡となります。
古墳を利用した土塁や櫓台が残っていますが遺構としては微妙かな。
市民の憩いの場となっている公園もかつては里見と北条の激戦の舞台。
北条が勝ち、関東進出の元となりました。
元は太田道灌がかりの陣城として築いたとされていますください
側に江戸川が流れ、要衝でもあったようです。
結構近場の城ですが近いと逆に足が遠のきますね。

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カズサン

木製手作り感のある城名碑 (2021/10/09 訪問)

 渋川寄居城を終えてまだ陽も有り、チェブさん刑部さんが投稿されてる剣城に寄って見ました、渋川寄居城より南に4、5km程の上越線八木原駅南約600mの沿線脇道直ぐ西の畑の中、グーグルマップを拡大して場所確認ナビに登録、西に大きく廻って入ろうとしましたがナビは東側の線路脇道永光荘ディサービスセンター横を通り細い線路横断踏切を抜けほどなく到着、木製の手作り感満載の城名碑のみ、周辺は畑で周囲は住宅地。
 ガイド案内は余湖図コレクションさんに由ると鎌倉時代の名門比企氏に由る方形の館城郭の様です、剣城とは名前が良いですね、手作りの城名碑にも地元の方々の剣城に対する愛着が感じられます。
 10月9日の群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城は小川城、野胡桃城、沼田城、長井坂城、渋川寄居城、剣城で終わり前橋IC近くのホテルへ移動しました。

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カズサン

渋川寄居城北側の冠木門より (2021/10/09 訪問)

 長井坂城を終えて県道255号線から利根川に架かる綾戸橋から国道17号線に入り渋川へ渋川城の在る正蓮寺南門前入口にナビを合わせ進行、近くで正蓮寺駐車場に出くわせ駐車する、玉石の小高い寺院、左右に深い川が流れている、冠木門が有りここが渋川寄居城かと門を見て納得、戻って確認すると北側の裏門の様子、道が狭く一方通行も有り難渋するも駐車出来て安心でしたが北裏門から突入する勇気も無くこの周辺の観察撮影で終了。

 5年前に白井城を訪れた時寄りたかったのですが車で訪問ですので駐車場の確認が取れず登城を諦めた渋川城でした、歴史的には門前の案内板を見てませんので余湖図コレクションさん古城盛衰記さんの案内ガイドに由ると元亀3年(1572年)武田氏真田氏と白井長尾氏との攻防で長尾氏が武田氏を破ったと有ります。

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10Q-Nobu

短命の城 (2021/10/18 訪問)

久しぶりのお城攻略。
一国一城令により、築城から10年あまりで廃城になった城だそうで、遺構としては山頂付近に石垣が少し残る程度。
上からの眺めは黒崎の街と海が望めます。
黒崎駅からは少し歩きますが、北口連絡通路を使うと案内板が出ていて分かりやすいです。

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カズサン

道に迷いながら念願の初登城 (2021/10/09 訪問)

 コロナウイルス5波解除明けの群馬未踏の城、チョイ寄り城廻り、念願の小川城、チョイ寄りの名胡桃城、沼田城を終えて古城盛衰記さんの案内ガイドでナビに近くを指示し走行、案内の県道255号線を行くものと思いきや沼田から農免道路を通って台地の上昭和村の開墾農地内を走るガイドに従い裏から入るルート、ナビ精度が悪く手前を曲がり関越道の上を越え異変に築き走ってると長井坂城3kmの指示看板を見つけそれに従い関越の上を越えて走り途方に困りレタスの収穫をしてる農家の若い方に聞き確認、結局曲がった元の所に戻り元の進行方向から500m程の所に長井坂城指示看板が有り細い砂利道小型車ギリギリの幅を通り本丸跡入口(36°35'9"N 139°3’59”E)に到着、不安に成り歩いて登ると駐車場が在り車を駐車場(36°35’10”N 139°35'10"E )を利用三の丸の前に在り3、4台は可能。

 三の丸は畑、二の丸も畑で三丸より数メートル高く案内看板と城名標柱が建ってる畑には害獣駆除電線が張って有り入れない、堀虎口を入り三角形下馬出左右に堀、一つは沼田街道の標柱、崖下から馬出、本丸、二の丸間の堀底道を街道が通っていたのか?、馬出堀から本丸に登る細長く広い杉林が乱立、本丸の東は土塁が高く南北に伸びている、土塁上中央に本丸の標柱、西は利根川に落ち込み崖に成ってる、本丸と二の丸間は街道?幅広の堀に成って南北に、二の丸と三の丸の間は埋められ畑に、南に廻ってところが堀として残ってる、全部は回り切れましんでしたが余呉図コレクションさんの俯瞰図が探訪に役立ちました。
 誰もいない一人っきり利根川に落ち込む崖は足がすくみゾッとします、堀、土塁、虎口、本丸が良く残って呉れたと感謝です、謙信公も使い北条氏真田氏の攻防の地、現在関越道の真上です。

 登城を終えて来た道を戻らず崖下の九十九折れの道を降りると古城盛衰記さんガイドの県道255号線に辿り着けます、合流点に長井坂城の指示板が2か所あり。
 県道255号線は崖下利根川沿いの細い厳しい道です、利根川を渡って国道17号線に出るとホッとします。

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POYO58

水の都にたつ真っ白のお城と戸田氏鉄 (2021/10/17 訪問)

大垣城がある大垣市は水の都と呼ばれています。大垣城は関ヶ原の戦いの時、石田三成が拠点となった場所です。その後、戸田氏鉄の城となりました。大垣城は昭和時代まで現存天守でしたが、残念ながら戦争で燃えていまいました。それで再建され現在の姿に戻りました。
ぜひ行ってみてください。

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ぎりょう

秋田三城巡り 佐竹氏の居城「久保田城」 (2021/10/09 訪問)

秋田県誕生150年記念特別展「佐竹氏遺宝展」が秋田県立博物館で開催中とのことで秋田市を訪問した。東京の千秋文庫所蔵文書をはじめ書画・甲冑など佐竹氏ゆかりの品々が多数出品されており、地域の歴史・文化に親しむことができた。また同館に併設されている菅江真澄資料センターも観覧することができ長年の希望を叶えることができた。
その後は秋田三城巡りとなるわけだが、先ずは久保田城。慶長7年(1602)に常陸から国替えとなった佐竹義宣が翌8年に築城した。この城は台地を利用した土の城である。現在はかつての本丸、二ノ丸が「千秋公園」として整備され、水掘・土塁・門跡など見どころも多い。

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小城小次郎

ただの平たい田んぼとなった (2021/07/24 訪問)

安子島祐高は工藤/伊東家に連なる誇り高き家柄で、なで斬りの恐怖にもめげず伊達政宗に最後まで従わなかったという。その故地は耕地整理で平たい水田となり、石碑がなければどこにあったのかすらも知る術がない城となった。

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ぴろちゃん

丸亀城へ行ってきました (2021/10/17 訪問)

刀剣の展示と丸亀城登城を目的に訪れました。とても親切なガイドさんと歴史話に盛り上がって、楽しかったです。10月桜も咲いていました。噂通りの石垣にうっとりして、岡山県と丸亀城のつながりに驚いてばかりでした。

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赤い城

有賀峠への道沿いに (2021/09/26 訪問)

江音寺墓地の裏山が城跡でお寺から登れます。
この日は有賀峠への道の途中からショートカットで登城。
数台駐めれる駐車スペースからすぐに冠木門があり、さらに登ると主郭背後の堀切にたどり着きます。
主郭には高い土塁が残っています。
また主郭からの眺望は良さそう。晴れてたら。
主郭から江音寺に向かって郭が連なって下っていました。
主郭と二郭の間にも堀が残っています。
諏訪氏一族の有賀氏の居城で有賀氏は武田氏の家臣となるものの泰時の時代に木曽義仲とともに挙兵し、武田氏に滅ぼされました。
もっとじっくり見たい城をでした。
高島城訪問の際には是非、おすすめです。

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ヒロケン

戦国時代の山城 (2021/10/02 訪問)

荒砥城は村上氏一族の山田氏によって築かれました。葛尾城の城主村上義清は北信濃に侵攻してきた武田信玄に対抗し、「戸石城の戦」等に勝ち領土を守ってきましたが、武田信玄の重臣真田幸隆の急襲により戸石城が落城し、荒砥城主山田国政も戦死しました。
一時、武田氏の屋代氏が荒砥城主を務めました。川中島の戦いを経て上杉氏の治める城となり、上杉景勝は村上景国を海津城将に屋代秀正を副将に任命しましたが、屋代秀正は徳川家康に内通して海津城を出て、荒砥城に籠りましたが上杉氏に攻められ落城し、廃城となりました。

現在、城山史跡公園として館・物見櫓・櫓門・冠木門・石垣が再現され、戸倉上山田温泉と合わせ町民、観光客から親しまれています。

この城の見所は何と言っても、中世山城の雰囲気をそのままに多くの建造物が再現されていて、戦国時代の山城として楽しませてくれるところです(*^▽^*) また、北アルプスの山並み・千曲川と両岸に広がる街並みを望む眺望が素晴らしく良いところです(*^▽^*)

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池田城跡公園 (2021/10/16 訪問)

 阪急宝塚本線「池田駅」より徒歩15分くらいです。
池田城跡公園として整備されています。開門と同時に家族連れの方などが多くみえていました。井戸などが発掘調査をもとに復元されています。模擬櫓、模擬大手門もいい雰囲気です。

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