石倉城を終えて北方向約2、3km程の総社城を目指す、城川公園の東、説明板が有るとの情報でナビをそこに合わせる(36°24'45"N 139°02'39"E) 県道15号線を走り住宅地に入り道は狭く少し迷いましたが公園に着き公園東の説明板の有る所に路駐。
公園と説明板を撮影して周囲の低地が有り堀跡か?沼地か?を思わせる、日曜日でしたので子供たちが遊んでいました、ここに来る途中の県道15号線に古墳跡の看板が有り、総社城の物見台と言われたと遠見山古墳かと思い寄って見るがそうで無く宝塔山古墳と蛇穴山古墳(方墳で石室が大石で作られ露出している)、結局物見台と言われる遠見山古墳は見学出来ず、総社城も利根川に近く本丸、二の丸一部は洪水などに削られ崩落した模様。
歴史的には新しく関ヶ原の戦いに功有り徳川家康の使者役秋元長朝が1万石の所領を得て蒼海城に入り慶長6年(1601年)総社城を着工し慶長12年(1607年)完成、寛永10年(1633年)秋元泰朝の時、1万8千石に加増され甲州谷村城(都留市)へ転封と成り廃城。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさん総社城跡説明板に由ります。
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