放生津城からの転戦です。勝興寺駐車場(36.792935、137.053937)に駐車しました。
天正年間(1573年~1592年)守山城主神保氏張によって築かれたと言われているが、それ以前から存在した可能性もあるようです。
神保氏は放生津城を居城としていたが、越後長尾氏の侵攻により守山城に立て籠もります。 この守山城の出城として築かれたのが古国府城といわれています。
1581年(天正9年)越中木舟城主石黒左近成綱によって、越中安養寺御坊(勝興寺・小矢部市末友)が焼き討ちされ焼失しました。
1583年(天正11年)佐々成政が越中を平定し、神保氏張も平定に尽力し成政の配下に名を連ねます。
1584年(天正12年)佐々成政が豊臣秀吉と敵対姿勢を強め、隣国の前田利家との争いも激しさを増します。
佐々成政は越中一向一揆勢力を味方に付ける為、古国府城の一円を勝興寺に寄進し、安養寺御坊より移設(再建)されました。これにより古国府城は事実上、廃城となります。
1585年(天正13年)富山の役で佐々成政は豊臣秀吉に降伏して前田家の所領となるも、勝興寺は手厚い保護を受けました。以降幕末まで前田家と勝興寺は血縁的にも密接な関係を保ち続ける事となりました。
古国府城は勝興寺の境内一帯に築かれていたそうです。勝興寺内には入らず廻りを散策しました。中に入るには拝観料がいります。
東側に石垣で構築された堀が見られ、その上に物見櫓のような太鼓堂が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=守山城に向かいます。
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