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中川藤兵衛尉

白鳥砦 (2020/10/12 訪問)

壺笠山城の鞍部向かいに建てられた砦。曲輪が分かりやすく残っています

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中川藤兵衛尉

壺笠山城 (2020/10/12 訪問)

湖西かと思いきや湖南に属する山城。石積みや曲輪が確りと残っています

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中川藤兵衛尉

打下城 (2020/10/12 訪問)

津田七兵衛尉信澄らが拠った山城。曲輪・堀切が良好に残り、石積みも所々にあります

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チェブ

ダッシュ、横山城、ダッシュ。 (2020/09/21 訪問)

山形県の「横山城」、一番乗りしました。

「横山城」と検索すると、まずは近江の「横山城」がヒットします。秀吉さんが城番した有名なお城ですもんね。
二番が信濃の「横山城」。
こちら山形県の「横山城」は詳しい情報が、なかなか見つかりません。

「横山城」城址碑、説明板がありました。
築城年代は不明です。
1512年、押切備前守が城主となり、その後は横山大膳 武藤 氏廣さんが治めました。1615年に廃城です。

こんもりした土塁の上に稲荷神社の祠がお祀りしてあります。
鳥居に「正一位稲荷大明神」とあります。位が高い神社のようです。
城址碑の後ろに、中台 直矢さんの横山城墟詩が説明板より大きくありました。
中台さんも調べましたが、漢学者だった事しか分かりません。
詩の内容、きちんと理解できた訳ではありませんが、雰囲気は伝わってきます。
ただ「横山城」、前の道が狭く車一台が通れる程度の幅です。近くに車を駐車し、ダッシュで写真を写し、遺構を探し、詩を理解しようと目を瞑り、またダッシュです。
ちなみに、近くの横山小学校が、とても楽しそうな色とデザインの学校でした。
、、、あとは二番槍の方、お願いいたします。

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イオ

石垣の城 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

「英雄たちの選択」を観ていて、大桑城で特に興味を惹かれたのは、当時の先端技術である石垣が随所に設けられているということ。

…とはいっても、そんなに大したこともないのでは? とも思いつつ、登城口のパンフレットケースに置かれていた「大桑城跡石垣見学マップ」を見てびっくり。10か所以上もあるやん! さらに、各石垣の周辺には見学ポイントの案内板を配して見落としがないよう配慮されています。おかげで、途中で見学マップをなくしてしまった(切井戸からの斜面を登っている際に落とした模様)私でも全て確認することができました。

もちろん近世山城のような大規模な石垣はありませんが、主郭周辺や井戸周辺、番所跡などの要所は石垣で固められており、谷筋の曲輪群の切岸も石垣だったようで(未確認)、当時としてはなかなかの石垣の城ですね。当初は斎藤道三に濃尾平野を追われて落ち延びた山中の城、程度に思っていましたが、背後の越美山地を越えれば縁戚関係のある朝倉氏の越前ですし、朝倉氏の支援のもと、先端技術を駆使した大桑城で本気で再起を図ろうとしていたんだな、と感じました。…まぁ、結果としては十数年で滅ぼされてしまうわけですが(^^;

(さらに続きます)
 

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todo94

立ち入りできず (2020/08/09 訪問)

太田神社から北海道最西端の尾花岬を遥拝し、北海道最西端の道路を通行してアプローチしました。恐らくこの丘陵で間違いないかなと思います。主郭へと続く道らしきものもありましたが、草刈りがなされておらず、藪漕ぎする気力はありませんでしたので、城内に立ち入ることはできませんでした。

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カズサン

素晴らしい城館です、8月8日より土日祝一般公開 (2020/10/11 訪問)

 以前は長浜市教育委員会に許可を得て入館が可能でしたが今年令和2年8月8日(土)より土日祝に一般公開されました、城情報ネットで公開の情報を得て直ぐ行きたかったのですが武漢コロナウイルス禍、今夏の酷暑にて今回10月11日の探訪と成りました。
 下坂氏館跡は国指定史跡・北近江城館群。入館料は大人300円、開館日は土日祝、午前9時~午後4時、12月1日から2月末までは休館(冬季ご注意を)
 駐車場は南西角に入館者、下坂クリニック併せて10台以上の駐車可
 ナビは滋賀県長浜市下坂中町177-1に合わせ、浜松浜北ICより新東名東名名神北陸道を使い長浜ICを降り道の広い4車線R8号線を南下約15分前後で到着、開門の9時前でしたので約30分ほど城館の周囲をぐるっと回り観察、9時に入りました。
 琵琶湖の西湖の葦葺きの主屋、表門、菩提寺不断光院、主郭と副郭を備え、主郭は二重土塁と堀で囲まれてる、代々下坂氏が居住され平成期に家屋敷を長浜市に寄贈された、表側に下坂クリニックを子孫の方が営んでる。
 歴史的には下坂氏は清和源氏の流れで南北朝時代湖北地方で活躍した国人領主、京極氏、浅井氏に仕え小谷城落城後帰農した江戸期井伊氏彦根藩に郷士として関りを持っていた。(パンフレット抜粋) (情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん)
 大変綺麗に整備されスタッフさんも親切丁寧に説明頂き有難うございました。

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赤い城

堀がすごい (2020/10/04 訪問)

阿弥陀寺の墓地を抜けて城址に。
阿弥陀寺の駐車場には説明板も立っています。
畑になった堀を見ながら進むと堀底道。
結構深い。右に登ると主郭部で土塁が囲んでいます。
周囲を堀が囲んでいて主郭と二郭の間の堀も深い。
二の丸一部花畑になっていました。
二の丸と三の丸の間の堀も深く折れも見られます。
佐竹の城は土木量も多く見応えありでした。

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カルビン

武田信義館 [山梨県韮崎市神山町武田556−2] (2014/10/18 訪問)

最寄りの駅(JR中央本線韮崎駅)からギリギリ徒歩圏内(道のりで約2.5km)のところに、甲斐武田氏の始祖・武田信義が拠点とした武田信義館があります。

田畑に囲まれた一画が武田信義館跡として残されておりました(標柱や解説がある)が、そこには遺構は見当たりませんでした。
が、ここに来る途中の道・カーブのところに明らかに土塁跡と思える場所がありました。

おそらく周辺の結構広い範囲が居館跡地だったと思われます。。。もしかしたら他にも遺構の名残が残されているかも。。。
但し自分の知る限りではここをメインに訪問するにはちと勿体ないかと。

自分は車での訪問でしたが、近くに車を停める場所が無い為、ここから4、500m離れた場所にある、おそらくここも城域内にあったと思われます、初期の甲斐武田一族菩提寺となる願成寺に駐車させて頂いて歩いてセット訪問されるほうが無難でしょう。


車でなら圏内に武田八幡宮と白山城があるので、熊出没シーズンを避けて合わせて訪問されれば満足の行くお城巡りとなるでしょう。
(更にそこから南にある扇子平山城も素晴らしいみたいですが・・・熊出没地帯の上、山の中真っただ中の為行くに行けない場所になってます(涙))

韮崎駅から歩いて武田信義館訪問されるのでしたら、道中にある韮山市役所に武田信義の立派な騎馬像があるので是非立ち寄ってみて下さい。

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バリィ

空堀 (2020/10/08 訪問)

シラス台地に築かれた城で、シラス台地など火山灰が降り積もった地に築かれたお城の特徴の空堀、堀切は断崖絶壁のようです。
駅からも近く、駐車場も完備されていますし、山城とは言うもの低い山ですし、本当にリア攻めに適している割には素晴らしい土の城です。

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昌官忠

週末パス東北遠征 (2019/07/13 訪問)

北目城跡から広瀬川を渡り北方向に徒歩30分弱で若林城跡(宮城刑務所)に着きます。刑務所入口前(攻城時は作業展示場に入ることはできませんでした)に城跡碑と説明板があります。攻城時間は10分くらいでした。
攻城後、最寄りの徒歩で20分くらいの仙台市営南北線「河原町駅」に向かい、船岡城攻城の為、R東北本線「船岡駅」を目指しました。

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昌官忠

週末パス東北遠征 (2019/07/13 訪問)

JR東北本線の長町駅から東方向のホテルルートイン仙台長町インター(このホテルは1年後の2020/07/01に東北遠征した際に宿泊しました)に向かう途中の広瀬河畔通りのオリックスレンタカー側に説明板と城址標識があります。長町駅から徒歩15分強で着きます。
遺構はありません。説明板と城址標識だけです。攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

週末パス東北遠征 (2019/07/13 訪問)

東北新幹線の古川駅で陸羽東線で有備館駅に向かうところ、乗り間違えて逆方向の小牛田駅に着いてしまいました。乗り間違えに気づき引き返しましたが、予定より1時間ロスしました。
岩出山駅で降り岩出山城まで徒歩15分弱、岩出山城を見学後、徒歩10分で有備館。有備館の庭園を眺めて近くの有備館駅に向かいました。
現在本丸跡は城山公園になっており、土塁と空堀が確認できます。また西の腰郭跡に伊達政宗公の像があります。攻城時間は45分くらいでした。

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イオ

土岐氏最後の城 (2020/09/27 訪問)

鎌倉期に大桑又三郎が築いたとされ、戦国期には美濃国守護・土岐氏が改修し、居城としました。天文4年(1535)、長良川大洪水により枝広の守護所が壊滅的被害を受けたことから、大桑城が整備されて守護所が移されました。その後、再三にわたり斎藤道三の侵攻を受け、天文21年(1552)には土岐頼芸が美濃国から追放されて、大桑城も廃城となったようです。

古城山の山頂部を主郭とし、尾根沿いには小規模な曲輪が連なり、主郭西側の谷筋には斜面を階段状に造成した曲輪が多数設けられています。大手口と思われる番所跡(伝 岩門)は巨石を門に配し、二重の竪堀で侵入を阻んでいます。番所跡の北西斜面上には馬場と伝わる広い曲輪があり、馬場の西に続く尾根を堀切で断ち切っています。番所跡から主郭に向かう途中には土橋と喰い違って設けられた堀切(竪堀)があり、その先の道はかつては石垣で閉ざされていたんだとか(NHK「英雄たちの選択」で千田先生が訪れていた場所ですね)。谷筋の曲輪群の反対側(南側)には、転げ落ちたら這い上がれそうにない急斜面に巨大な竪堀が掘られ、その竪堀の東側斜面をロープを頼りに下りていくと、切井戸と呼ばれる井戸が満々と水をたたえていました。そして、伝 台所の曲輪を経て主郭部(伝 天守台)へ。主郭部の少し上にはミニ大桑城と呼ばれるミニチュア天守があり、そこからの眺望は抜群で、眼下に城下町を、遠くには金華山(稲葉山城)を見渡すことができます。

没落した土岐氏の城なんか見てもなぁ、と当初はあまり興味はなかったんですが、昨秋の山城サミットでパンフレットをもらったり、「英雄たちの選択」を観たりするうちに行きたい気持ちが募り、コロナで遠征を控えていた半年あまりを経て、ようやく訪れることができました。久々の本格的な山城でもあり、期待以上に堪能させていただきました。

(続きます)
 

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朝田 辰兵衛

人生最初で最後の「長良川鉄道」かな…と。 (2019/05/02 訪問)

この長良川鉄道には,越美南線という別名が存在していました。あの一乗谷城や越前大野城をアクセスし,JR福井駅から九頭竜湖まで結んでいる越美北線。このネーミングで,かつてはお互いにつながる計画があったことがわかりました。福井県も岐阜県も,採算の取れそうなところまでで工事が終わっているんだな…と。残念に思います。
そんな長良川鉄道に乗るのは,人生最初で最後かな…と郷愁にフケながら登城しました。まさか,約1年後に『しりとり登城』するために再び乗ることになろうとは,夢にも思っていませんでした…<笑>。
長良川鉄道一日フリーきっぷと郡上八幡城の登城券がセットになった「一日郡上八幡クーポン」がお得です。
城下町散策も面白かったです。郡上おどりの実演も鑑賞しました。

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ブラタヌシ

古代山城の堅固な石垣 (2020/10/03 訪問)

唐・新羅の連合軍によって滅亡した百済を救う為、倭国軍は白村江にて戦うも敗れてしまう。
その後、大和朝廷は唐・新羅が来襲することに備える為、対馬・壱岐・筑紫国に防人設置し防塁や朝鮮式山城を築き、連絡体制を整えました。
筑紫に太宰府政庁を直接防衛するための水城、筑前に大野城、肥前に基肄城、肥後に鞠智城、対馬に金田城、長門に長門城、讃岐に屋島城、大和に高安城を築いたと日本書紀に書かれているそうです。
今回、初の為期待を膨らませ攻城しましたが、予想以上の石塁や石垣に感動を受けました😃

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ダイエティシャン

高瀬城Ⅲ(甲の丸) (2020/10/11 訪問)

写真を撮りながら、ゆっくり進軍し、登城口から約45分で、甲の丸(主郭)に到着(1から5枚目)
斐川平野や宍道湖が一望出来ます(6 と7枚目)
光明寺方面(8枚目)からも、登城口があるようで、合計3ヶ所、登城道があるようです。
岩(9枚目)いっぱいの山城でした。

今回は、地元新聞に、ウオークキングの記事が掲載されており、「今なら草刈りしてあるかも」と思い攻城しました。
7月は草刈りされておらず、攻城は諦めていました。
尼子10騎の1つですが、常に攻城出来る状態ではなさそうです。整備して下さった方に感謝です。

帰りは、道の駅【湯の川】に寄り、特産の【出西生姜】入りパン(10枚目)を買いました。ここでは、高瀬城の歴史のパネル展示がしてありました。パンフレットも頂きました。

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ダイエティシャン

高瀬城Ⅱ(駄置場 二の丸) (2020/10/11 訪問)

三の丸から約10分で、二の丸 駄置場に着きます(1と2枚目)猪が木の根と奮戦した様な跡もありました。(3枚目)
途中、七曲がり(七枚目)や郭っぽい物(4 5枚目)岩(6枚目)を横目に進軍し、岩を掘り起こした跡?(8, 9枚目)も通り過ぎ、本丸下の郭っぽい平地に到着(10枚目)


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キンヤ

石垣が多用された規模が大きい山城 (2020/09/27 訪問)

六角氏家臣の永原氏により築かれたといわれます。

城郭寺院のような曲輪群の中央にある大手道を登って行きます。
主郭下では、何度も折れ曲げていて、上から狙われる構造になってます。

主郭の背後三方は山頂部と東側の郭に囲まれてます。

主郭から東側上に大堀切が見え、竪堀を登ります。
その大堀切の南側の郭にある石垣は荒々しい石で、この城で一番カッコいい石垣でした。

そこから、一旦竪堀を東側に下って登った北東側の郭では、この城で最も高い石垣と堀切で組み合わさってます。
でも他の石垣とは少し違和感がありました。城の遺構であれば嬉しいですが。

主郭南東側背後の郭を経由して山頂の東側下に出ました。

山頂へは岩の急坂をロープを持ちながら登ります。
山頂は物見台のような感じで、三上山が良く望めました。
山頂の東側下と南側下にも石垣がありました。

この城は全体的に石垣を多用していて凄かったです。

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ダイエティシャン

高瀬城Ⅰ(登城口〜三の丸) 道の駅【湯の川】でパンフレット貰えます。 (2020/10/11 訪問)

道の駅【湯の川】から南方向へ、車で約10分で、登城口(宇屋谷口)へ到着(1と2枚目)
途中、広域道に案内板(3枚目)があります。
登城口には2台位停めることが出来るスペース(4枚目)あり。
登城口から45℃の傾斜地を登りました(5枚目)
固屋谷 神屋谷(6枚目)からも攻城出来るようです。
10分程登ると、急に明るくなり、3の丸(鉄砲立)に到着。(7と8枚目)
元は岩山だったのでしょうか?岩が至る所にあります(9枚目)
郭っぽい物もあります(10枚目)

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