つばおじょう

椿尾城

奈良県奈良市

別名 : 椿尾上城
旧国名 : 大和

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主要部から落ちる竪土塁2条
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ぴーかる

見落とし遺構を確認しに行く。 (2023/12/17 訪問)

【椿尾上城】
<感想>2022.12.4 以来の再登城。西側方面の曲輪群と西尾根、南西面に落ちる畝状竪堀群を見落としてしまい、満足度の高い城跡、再訪を記述しており気になっていたので再登城しました。私的には前回の補足記述になりますが、城跡西側は舌状曲輪が2段程あり、最西の曲輪には西方向尾根から入る枡形虎口遺構がありました。写真ではちょっと分かりにくいですが、なかなか見ごたえあります。先達方の西曲輪群から南斜面に落ちる畝状竪堀群ですが、表面観察では全然分かりませんでした。私的意見では畝状竪堀は無かったと思います。
 しかし城跡の進入道の南山腹にある曲輪群、横堀、竪堀遺構を見落としていたのが新たに分かりました。軽トラ道で分断されていますがそこに畝状竪堀っぽいのが3条あります。主郭の北側斜面に竪堀が1条ありその下に帯曲輪が回してあるのも見落としていました。主郭虎口左手は主郭の切岸が高く造っていて虎口土橋の石積みも見落としていました。すべて巡りきったとは言えないかもしれませんが、4分の1程は見落としていました。百・続百名城以外の奈良県マイベストに入る見応えある城跡でした。
 ヒロケンさんの投稿で椿尾下城というのがあるのを知り、トライしてみましたが、しんちゃんさんが投稿されていたのを忘れ、個人サイトの方のを頼りに東側よりアプローチしてみましたが、笹藪がひどくて進入できず断念しました。

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しんちゃん

椿尾城、登城道東側 本丸。 (2023/07/16 訪問)

椿尾城のレポートですが、先ほどは石積と畝状竪堀の話しか
していなかったような気がします。
登城道を右手方向(東側)に進むと主郭に向かっていくのですが
たしか三の郭の手前の堀切が一番深かったと記憶しています。
ここは岩石が露出していてなかなか迫力がありました。
北側方向を道沿いに進んでいくと三の丸と二の丸を横目に、そのまま
主郭にたどり着いたと思います。
主郭の背後は土塁で守られ、今は五社大明神が祀られています。
そのあとは南側の郭を経由し斜面を移動しながら、元の堀切の
所へ戻ってきました。
登城道の周辺は居住には適していなくて
西側のエリアが居館スペースになっているようです。
本来、こんな山の中に偉い人は住んだりはしないのですが、
筒居氏が松永久秀に追われた時に家臣ともども、ここに仮の住居を
定めたのかもしれません。
西側の扁平地の切岸や土塁が崩れないよう石積や石垣で補強してあったのも
居住区を自然の驚異からも守る必要があったのかもしれません。
ここの土はサラサラしていて崩れやすいです。今は植物の細かい破片が混入して
なおさら滑りやすくなっています。戦国期の近畿の石積は石垣として
利用するだけではなく土塁の形状保持のために内側に埋め込んでいる
ケースもあるようです。
6月に訪れた亀山市の小川城は個人宅を通らないと確認できないのですが
住民の方が親切に案内してくれました。
外観は土塁のみですが、崩れた土塁の中から立派な石積がのぞいていたのが
印象に残っています。

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しんちゃん

畝状竪堀に固執するも‥ (2003/07/16 訪問)

椿尾城は椿尾山城と呼ばれ筒居氏の筒井城の詰めの城とされています。
国道25号から城址方面に進んでいくと林道の入り口付近が進入禁止に
なっているので付近に駐車し、脇から続く登城道を進みます。
しばらく行くと分かれ道がありそこから城址に入っていけるのですが
実は、そのずっと手前にも椿尾城の出城の雰囲気を醸し出している
一角があって登城道の左手に 数は少ないものの畝状の竪堀が見られます。
登城道の左手側に畝状竪堀を配置するのは筒居氏の山城の特徴のようで
先の椿尾城、南西の椿尾下城(椿尾氏の城だが筒居氏の影響下にあり)にも見られるようです。
城域はやや西上側に傾いた二等辺三角形のような形状をしており
西の郭から西に向かって段々に扁平地が続いており
土塁の周囲を堀切が巡っていてなかなか壮観です。
外側から見ると崩れた土塁の中から石垣が露出しているようです。
(落ち葉が土化している可能性もあり)
私が周った近畿の城跡では時々、崩れた土塁の中から石積が露出しているのを目にすることがあり
土塁の形状保持のために石積を利用していると推測しているのですが
椿尾城では意匠的に石垣を露出させているように思える部分もありますのではっきりとは言えません。
西側にさらに進むと西の出丸に突き当たりますが、そこに至る途中の南西側の斜面に
畝状の竪堀群があるはずなのですが、なかなか見当たりません。
ココの土は崩れやすいので、浅い畝状竪堀は真っ先に遺構が消滅しても
おかしくはありませんが‥なにやら倒木が整然と並んでいる一角がありますが
まさか畝状竪堀を倒木を固定するのに流用しているんじゃないでしょうか?
数十分探しても、はっきりとした畝状竪堀の遺構をみつけられないので、
本状と出城(らしき)の左手に見える畝状竪堀で我慢します。
登城道を上がって右手側は三の丸、二の丸を経て主郭に至ります。

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大和三大山城 (2022/03/27 訪問)

 林道の終点より徒歩10分くらいで城域には到達します。山の奥にありますが、手入れされている城址です。散策する道も概ね歩きやすかった。空堀、堀切、所々に石垣を見ることができます。畝状竪堀は浅くなっていたりして少し見にくいですが確認はできます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 筒井順昭
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 筒井順慶
主な城主 筒井氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀、井戸
住所 奈良県奈良市北椿尾町城山