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椿尾城

奈良県奈良市

別名 : 椿尾上城
旧国名 : 大和

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西尾根曲輪群西端の竪堀
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イオ

椿尾上城(2/2) (2025/01/05 訪問)

(続き)

西尾根曲輪群の西端からは北東に大きな竪堀を落としています。竪堀を過ぎて尾根沿いに進んだ先にもいくつかの小曲輪がありますが、削平は甘く自然地形に近い感じでした。竪堀の反対側にあたる西尾根西裾には竪堀群を設け、南西裾にも上下二段に分かれた十数条に及ぶ大規模な畝状空堀群が整然と並んでいます。浅くなっていたり倒木に覆われていたりで写真では伝わりづらいですが、こちらもなかなかの見どころです。

西尾根の竪堀群から西尾根曲輪群南下段の帯曲輪を経て、主郭部南裾へ。真ん中を林道で分断されている上に南側は木立の中で見づらいものの、こちらにも畝状空堀群が設けられています。竪堀だけでなく横堀も東西に走っていて複雑…というより雑多な感じですが、南側に対する厳重な警戒は感じられます。そして横堀を越えたところの南端の堀切を確認して椿尾上城をひとめぐり。

登城道も城内もよく整備されていて歩きやすく、説明板や案内表示は無いものの、横堀に土塁に石垣に堀切に畝状空堀群にと見どころも多く、大和三大山城に数えられるのも頷ける見事な城でした。この日は豊田城(笹藪)、窪之庄城(竹藪)、椿尾下城(激藪)と藪まみれの城ばかりでしたが、最後にやっと快適な城めぐりができました。
 

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イオ

椿尾上城(1/2) (2025/01/05 訪問)

戦国中期に筒井順昭が筒井城の詰城として築いたとされ、松永久秀に攻められて筒井城が落城すると、筒井順慶は椿尾上城を反攻の拠点としました。松永氏が滅亡した後は、織田信長の大和一国破城令により廃城となったようです。

県道183号(福住上三橋線)突き当り手前の道路脇に路駐して登城開始。突き当りにある柵の脇の登城口から林道が続いていて、何か所か分岐はあるものの特に迷うことなく城域に到達。ただ、縄張図を見ても自分の現在位置に確証が持てなかったため、とにかく最高所に行けばそこが主郭のはず、とまっすぐ主郭に向かいました(登城口から20分弱)。

主郭には五社大明神が祀られていて後背に土塁を設けています。南側には横堀をめぐらせ、南西部の土橋で主郭部の曲輪群と接続し、土橋脇には石垣が見られました。横堀は東端で竪堀となって落ち、主郭の北西部からも長大な竪堀が水の手まで続いている…はずですが、水の手は見落としてしまいました。主郭はあまり広さはありませんが、主郭の南西には数段の広大な曲輪群が展開しており、東南辺に断続的に土塁を設け、曲輪裾部のあちこちに石垣が施されていました。主郭部南下の登城道を見下ろす位置にもいくつかの腰曲輪が設けられていて、土塁や竪堀で防御されています。

主郭部から西にのびる尾根にも多くの曲輪群が配されています。主郭部と西尾根曲輪群の間は岩盤を削り込んだ堀切によって隔てられていました。西尾根は比較的平坦な尾根沿いに広い曲輪群を連ね、中心となる曲輪は東辺を除く三方を折れを交えた直線的な土塁で囲み、北西外周には横堀もめぐらされています。さらに土塁には石垣が大規模に施されていて、一番の見どころといえるでしょうか。

主郭部と西尾根曲輪群に続いては、周辺の遺構を見て回ります(続く)。
 

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イオ

椿尾下城(2/2) (2025/01/05 訪問)

(続き)

北西尾根には幾段かの段曲輪の先に浅い堀切があり、西側に竪堀を落としていました。

南西尾根には尾根に沿って細長い曲輪が続き、その両裾に帯曲輪が配されています。虎口状の切れ込みも見られましたが、城郭遺構かどうかは不明です。南西端には土塁が設けられ、両端では竪堀状に落ちていますが…後世の山道かもしれません。土塁南端から南に下りたところに南西尾根を断ち切る堀切があり、東側に竪堀となって落ちていました。

手持ちの縄張図によれば、南西尾根の突端には両端がU字状に竪堀となって落ちる巨大な堀切があるようで、これは見逃せないと思っていましたが、ここから先は主郭にも勝る超絶激ヤブ状態で、背丈を超える高さの笹藪が広がっています。それでもシダの藪と違って足元は見えるんだから、とゴーグルを装着して笹藪に突入するも進んでも進んでも笹藪が続き、方向感覚を失いそうになりつつ何とか突破! 苦労してたどり着いた南西端の堀切と竪堀は写真で見る以上の見応えを感じました。

さて、これで椿尾下城をひとめぐり、と考えたところで南東尾根の堀切を見付けられなかったことを思い出しました。ここから南側の竪堀を下りて行けばしんちゃんさんご案内の登城口に至るはずですし、正直、あの激ヤブをもう一度突破するのは気が進みませんが、画竜点睛を欠いたのでは悔いが残ってしまう、と考えて来た道(激ヤブ)を引き返し、主郭の東側から回り込んで南東尾根の堀切を目指しましたが……やっぱり見付けられませんでした。浅い堀切のようですし、堀切周辺も主郭に劣らぬ笹藪に覆われているので見えなくなっているのかもしれません。まさに骨折り損のくたびれ儲け、こんなことならあのまま竪堀を下りていれば良かったよ……やれやれ。

…ということで、噂に違わぬ激ヤブ城でしたが、主郭内と南東尾根の堀切、南西端の堀切を見ようとしなければそこまで恐れることはありません(ただし夏場は無理)。堀切や竪堀は大いに見応えがありますので、興味のある方は山城装備を整えてぜひ挑戦してみて下さい。…私? 私は一度挑戦したのでもう結構です(笑)
 

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イオ

椿尾下城(1/2) (2025/01/05 訪問)

椿尾下城(奈良市北椿尾町・城びと未登録)は、室町期に大乗院衆徒の椿尾氏が築いたとされ、当初は古市氏に従っていましたが、後に筒井氏に従うようになり、松永氏との抗争の中で改修されて椿尾上城の支城として機能したようです。

激ヤブ城として(悪)名高い椿尾下城ですが、遺構自体は見応えがあるようなので上城の前に挑戦してみました。南西側から登って行くルートがしんちゃんさんから案内されていますが、この日は北東側からのルートを選択。登城口(34.63443074145962, 135.87241355004616)近くの広くなった道路脇に路駐して、擁壁の切れ目から登って行き、立木付近の笹藪のわずかな隙間にあたりをつけて突入! 笹藪を突破したところが北東端の堀切でした。堀切にも笹が茂っていますが、真冬でもありこの程度なら問題ありません。堀切は西側に竪堀となって落ち、竪堀を越えて尾根の西面を南西に進んだ先にも竪堀が落ちています。竪堀の堀底を上って行くと主郭部北側の堀切に到達。なかなかの幅と深さで北東尾根を遮断していました。

堀切をよじ登ったところが主郭北下の腰曲輪で、主郭との間に土塁が設けられています。土塁を回り込んで主郭に足を踏み入れると…噂に違わぬ激ヤブ状態! それでも主郭の南東下に堀切があるはず、と笹藪に突入して下りられそうなところを探すも見当たらず、探し回る中で主郭南裾の藪の中に何やら石積みらしきものを発見しました。古墳の石室跡?? 結局、南東尾根の堀切は見付けられず、いったん諦めて南西下の帯曲輪をたどって主郭西側に回り込むと、堀底道のように分岐した横堀がめぐっていました。

主郭部に続いては支尾根をめぐります(続く)。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 筒井順昭
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 筒井順慶
主な城主 筒井氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、畝状竪堀、井戸
住所 奈良県奈良市北椿尾町城山