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神明宮 (2021/11/05 訪問)

神明宮の鳥居の横に標柱があります。遺構はわかりません。

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津軽じょんから節の発祥の地 (2021/11/05 訪問)

 千徳氏の城ですが石碑と案内板がありました。遺構はよくわかりません。
千徳氏が津軽為信に滅ぼされた際に、神宗寺の住職常縁は浅瀬石川に身を投げます。身投げした河原が「常縁河原」と呼ばれるようになり、後に「上河原」へと変化しました。この常縁の物語を口説唄にした「上河原節」が、時を経て「津軽じょんから節」となったと伝えられています。「津軽じょんから節の発祥の地」の石碑があるとのことでしたが、今回は行っていません。


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青春の巨匠

こんな所に! (2021/11/06 訪問)

須賀川と言えばウルトラマン。円谷英二ミュージアムを訪れ、ピグモンと記念撮影の後、三春に向かうべくGoogleマップを見たら、須賀川城のピンが。慌てて行って見ると二階堂神社という小社に城址の石碑を発見。ここが須賀川城本丸跡で、大名二階堂氏を祀っておられました。ただ、この周辺には遺構らしきものは見当たらず。三春の向かう途中にチラリと見えた翠ケ丘公園の隅が土塁に見えたのでこちらに遺構があるのかも知れない。

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青春の巨匠

紅葉の時期に行ってしまった桜の名所 (2021/11/06 訪問)

桜の季節には沢山の観光客が訪れる場所。知らずに紅葉の季節に行ってしまう。目的が違うから空いてて良いけど、街中が寂しい。人気のない街を先日の衆議院選挙で勝ったらしい自民党の街宣車が、お礼の言葉を連呼しながら走っているのもより寂しさを喚起していた。城は二の丸まで車で上がれるので楽チンな城だが、歩いて登ると結構な坂だと思う。各曲輪は良く整備されている。

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御幸公園 (2021/11/05 訪問)

 弘南鉄道弘南線「黒石駅」から徒歩10分くらいのところに御幸公園があり黒石城の石碑があります。今回は旧黒石城の石碑のある場所へは行っていません。

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サイカチ大樹 (2021/11/05 訪問)

土塁が少し残っていて石碑と案内板があります。天守風の建物が近くにありますが、村役場です。

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曾我道性 (2021/11/05 訪問)

弘南鉄道弘南線「平賀駅」から徒歩約10分の大光寺コミュニティセンターの前に石碑と案内板があります。

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安東氏発祥の地 (2021/11/04 訪問)

国道7号線沿いにある藤崎八幡宮に土塁が残り「安東氏発祥の地」と「藤崎城土塁の跡」の標柱があります。

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妙龍寺より (2021/11/04 訪問)

 妙龍寺の右側の道を上がって行くと昔資料館(公民館?)であった天守風の建物があります。さらに登って行くと鳥居が見えてきます。主郭や周辺は藪になっていました。堀切や帯曲輪も見ることができます。主郭の背後に東西に延びる堀があり、一番の見どころだと思います。

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十三湖 (2021/11/04 訪問)

 城域は広いのですが遺構が点在しているようです。駐車場近くの外郭東門跡や内郭はわかります。奥の遺構を見に行こうとしましたが、かなり彷徨い道もよくわからないため断念しました。
津軽鉄道「津軽中里駅」からバスで「相内南口」まで行きました。そこから徒歩5分くらいのところに内郭への入口があります。駐車場はさらに県道12号「鯵ヶ沢蟹田線」の道を10分くらい歩いたところにあります。バスの本数は少なく、津軽鉄道とも時間が調節していないので要注意です。

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環濠集落 (2021/11/04 訪問)

 古代と中世に使用された遺跡であり、古代には防御的な施設を備えた環壕集落、中世には旧十三潟湿地帯を囲む城館群のひとつという、二つの性格を持っていると青森県のHPに書いてありました。津軽鉄道「津軽中里駅」から徒歩10分くらいのところに、公園として整備されています。

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古代環濠集落 (2021/11/03 訪問)

 10世紀後半から12世紀前半にかけて形成された古代環濠集落ということです。駐車場もあり、よく整備されています。

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青磁浮牡丹唐草文大香炉 (2021/11/03 訪問)

 安藤(東)氏の城と伝わっています。駐車場のある「山城公園」から二の丸(東曲輪)までは約20分で行くことができました。道は整備してあり歩きやすい。縄張りは二の丸(東曲輪)と本丸(西曲輪)を中心とするシンプルな感じですが、堀切や竪堀、堀底道(壕道)を見ることができます。多くの出土品があったようですが、「竜泉窯青磁浮牡丹唐草文大香炉」は、全国で唯一の発掘品であったと記載されていました。どういう文化を持っていたのか興味のあるところです。登り始めてまもなく熊のものと思われるウ〇コを発見しました。また本丸(西曲輪)を過ぎて摺鉢山まで行こうとしましたが、そこでまた今度は新鮮なウ〇コを見つけました。搦手道など周辺をもっと散策したかったのですが、足が進まずできる範囲を見て帰ってきました。地元の方に聞くと熊の目撃情報はあるよとのことでした。

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カズサン

楯蔵台が完成し山下の丸石垣鑑賞 (2012/08/13 訪問)

 平成24年8月母が亡くなってから3年目のお盆に実家の仏壇、お寺、墓へお参りに帰省し、高校の合同クラス会ゴルフコンペ、夜の懇親会、恩師訪問、中学有志の茶話会と一連の行事を終えて、帰ったら鳥取城へと何時ものルーチンで登城、平成24年前後は天球丸、楯蔵跡の石垣修復が終わった前後でしたので修復の仕上がり具合を見てみたいとの目的も有り一連の周辺を見て回りました。
 
 天球丸の東側も完成し、天球丸下の楯蔵跡の櫓台は完成して居り楯蔵曲輪の整備を待つまでになってました。(楯蔵曲輪は平成25年整備完成)、後は天球丸虎口、天球丸より二の丸表御門跡虎口石垣、天球丸下の巻石垣、天球丸下雁木石垣、二の丸菱櫓台、二の丸内部、二の丸三階櫓台、三階櫓台下石垣、右膳の丸、同登城石階段、修復復元された中仕切り門、太鼓御門石垣、堀端通り鑑賞と巡る。
 写真は楯蔵跡、山下の丸の石垣中心に投稿致します。
 
 山上の丸は堀端から眺めるだけで42歳の秋に登って以来その時で20年登ってません、高校の頃、ロープウェイが有った頃は気軽に登れたのですが今は登る気力が湧きません。皆さんの投稿を待って居ります。

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ほにゃにゃら

金文字御城、御城印帳販売開始

明日、11月7日より勝間田城金文字御城印、限定御城印帳を販売します。
朝9時より勝間田城址で販売します。

金文字御城印は扇松堂さん、牧之原市史料館でも販売します。(こちらでは御城印帳は販売しません)

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ヒロケン

東遠江攻略の拠点 (2021/10/24 訪問)

諏訪原城は武田勝頼公が東遠江攻略の拠点として、馬場美濃守信春を普請奉行として牧之原台地に城を築きました。諏訪原城は駿河から遠江に入る要衝の地にあり、高天神城攻略のための陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担ったとのことです。
徳川家康公によって攻め落とされたのちは、今川氏真や松平家忠らが城番となりましたが、高天神城が落城し、武田氏が滅亡すると諏訪原城の必要性がなくなり、家康公が関東に移ったことから廃城になったと言われています(パンフレットより抜粋)

現在は曲輪・堀・馬出し・復元された薬医門・井戸などがあり、諏訪原城ビジターセンター、駐車場、トイレも完備されています。

この城の見所は何と言っても、深く巨大な堀・大きな丸馬出です(*^▽^*)、現在、見ることができる堀や曲輪は、徳川氏によって改修された可能性が大きいことが分かっているとのことですが、武田流築城城術を色濃く残している城跡です。
6度目の攻城ですが、何度来ても堀の大きさには唖然とさせられます。
今回、諏訪原城を訪れ少々疑問に思ったことがあります(゜_゜)普通、堀った土を土塁などに使うと思うのですが、この城にはこれだけの深い堀がありながら、それに相応しい土塁がありません。掘った土は何に使われたのでしょう(・・?

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Tiger

蒲生氏の城はすごい。 (2021/11/06 訪問)

登城路が整備されたとの情報で、さっそく攻城。正法寺駐車場→新案内板→山屋敷→伝大手道→屏風岩(下を覗くと危険です。降りてから見学しましょう。)→城山山頂(伝本丸373.8m鎖やロープが設置されていますので使って登りました。)→石組井戸(底下を覗くと危険です。かなり深く、落ちると登れません。)→井戸の近くの曲輪→竪堀→口の堤池(裏登城口)→屏風岩(下から見上げます。)→正法寺を約3時間かけて散策しました。トラップゲージにまた鹿が捕まっていました。狐も山で走り回っていました。

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赤い城

下南摩城 栃木県鹿沼市 (2021/10/30 訪問)

ゴルフの帰りに立ち寄りました。
未登録ですが見応えのある城です。
招魂社の側からハイキングコースがあり、これが登城路となります。
車は対面のセブンイレブンに駐めさせていただきました。
しばらく登ると南曲輪の堀切に出会えます。
堀切は三条が連なっていました。
さらに尾根道を登って行くと山頂部に到達。
ここが主郭のようで説明板も立っています。
説明板には何故か「鹿沼城」と。
別名は滝尾山城のはず。。。
主郭の周辺には曲輪が配置され、4郭の下には素敵な空堀もありました。
ここから下ると南摩小学校の脇に出ました。
南摩氏により築かれましたが後に赤見氏が入り南摩氏を称しました。
整備もされていてリア攻めの価値ある城かと思います。

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あんどれ

『豊臣時代』 (2021/11/06 訪問)

テーマ展『豊臣時代』を鑑賞。

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ちっち

地元有志の方に感謝。小城となめずに登城は装備を! (2021/11/03 訪問)

多久聖廟のすぐ近くですが、登山道までの案内板が無く、迷いながらたどり着きました。しかし、登山道まで来ると旗が目印となり、迷うこと無く進めます。
私は郷土資料館の模型を見た感想から、軽装で登城し大後悔。途中のロープを駆使した道とは露知らず、摩擦で右手を痛め、クモの巣まみれになりました…。
堀切は見応えありますが、頂上部は木で覆われているため、その眺望を楽しめないのが少し残念でした。
ネットニュースで地元の有志の方が登山道の整備をされていると見て登りました。その整備のお陰で本当に助かりました。逆に旗の目印が無い遺構の方は、初心者には危ないと思い行くのを留まりました。
地方の小城ですが、攻略は備えを万全に!

【駐車場】
西渓(さいけい)公園
【トイレ】
同上にあります
【 装 備 】
トレッキングウェア&シューズ、帽子(出来ればつば付)、手袋(必須)、トレッキングポール(持っていれば)
【 時 間 】
往復で1時間半 (梶峰城)
【 目 印 】
カーナビ:西渓公園
登山道 :多久神社と若宮八幡宮の間の奥
【 親 子 】
小学生 高学年~ 一緒に可能かな
【モデル】
公園駐車場 →多久市郷土資料館→梶峰城 →多久市物産館(麺工房こうき)
【 + α 】
物産館内にあるうどん屋さんでとり天そば頼みました。食べ応えのある量と美味しさから大満足でした。

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