庭園が美しいです。一乗谷はほかの町にはない独特の雰囲気があります。なんというか、ちょっと寂しい感じがするけどそれで完成しているって感じです。
そして、電車にて訪問しました。バスも電車も本数が少なく、車のない方は念入りに調べておくと当日報われます。自分は時間がなくて城の方には行くことができませんでした。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2021/11/08 12:59
一乗谷朝倉氏遺跡 (2021/10/24 訪問)
庭園が美しいです。一乗谷はほかの町にはない独特の雰囲気があります。なんというか、ちょっと寂しい感じがするけどそれで完成しているって感じです。
そして、電車にて訪問しました。バスも電車も本数が少なく、車のない方は念入りに調べておくと当日報われます。自分は時間がなくて城の方には行くことができませんでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2021/11/08 12:36
まさかの閉館日(T . T)
久しぶりのお城巡り
リハビリ的に近場の川越城へやってかたら、なななんと閉館日〜(涙)
ちゃんと調べてから出かけましょう(・_・;
でも、お天気も良くて気持ちよくウォーキング出来ました
喜多院入口のお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦とさつまいもの天ぷらを食べてパワーチャージ(即食べてしまったので写真なし😅)
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
2021/11/08 08:35
平清盛ゆかりの地 (2021/10/17 訪問)
兵庫城が築かれた兵庫津は奈良期に行基が整備した港で、当時は大輪田泊と呼ばれていましたが、平安末期、日宋貿易の拠点とするべく平清盛が大修築し、今日まで続く国際貿易港の基礎となったことから、周辺には平清盛ゆかりの史跡が数多く見られますので、兵庫城とあわせて訪れてみました。
清盛塚
清盛塚の花崗岩製の十三重石塔は鎌倉中期に執権・北条貞時が建立したと伝わり、平清盛の墓所と考えられてきましたが、大正の道路拡幅時の調査では石塔の下に墳墓は確認されませんでした。石塔の隣には清盛の銅像や、清盛の甥で琵琶の名手の平経正の墓所とされる琵琶塚の石碑が建てられています。
能福寺
清盛塚が清盛の墓所でなかったとしても、遺骨を大輪田や経ヶ島、能福寺に収めたとする文献が複数あることから、能福寺には清盛の八百回忌にあわせて平相国廟が再建されています。また、能福寺は兵庫大仏の寺としても知られています。
来迎寺(築島寺)
清盛が大輪田泊の修築に際して風浪避けとして築いた経ヶ島の位置は特定されていませんが、一説には築島寺とも呼ばれる来迎寺周辺と言われています。経ヶ島築造は難工事だったため、清盛の従者の松王丸が人柱となって工事を完成させ、来迎寺はその菩提を弔うために清盛が建立したと伝わり、松王丸の供養塔が建てられています。また、その隣には清盛の寵妾の妓王と妓女の供養塔も並んでいます。
一方で、人柱に替えて一切経を書いた石(経石)を埋め立てに用いたことから経ヶ島と呼ばれるようになったとも言われます。この日訪れた松岡城跡の勝福寺が経ヶ島築造に協力したというのは、経石を書いたということなのかもしれません。
清盛くん像
新川運河西岸のキャナルプロムナードから入江橋方向に曲がったところに清盛くん像と説明板があります。かつては平家物語に描かれた悪逆非道のイメージでしたが、大河ドラマにもなりましたし、再評価が進んだことの証ですね。
その他、清盛ゆかりの地では薬仙寺の萱の御所蹟碑を見落とし、兵庫城ではイオンモールでの見落としに加えて、つい先日(11月3日)には初代県庁舎(兵庫城跡の大坂町奉行所勤番所)を復元した初代県庁館が開館したようですので、またいつか(和田岬砲台とあわせて?)訪れることになりそうです。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2021/11/07 20:49
樺沢城でコンプ(2/2) (2021/11/06 訪問)
樺沢城登城で,新潟県の城びと登録(越後国+佐渡国)をコンプリートとなりました。しばらくの間,登城できない状態となっていました。本丸背後も行けるようになり,だったら,紅葉シーズンに合わせようかなと考えてました。雨上がりだったので少し滑るカンジでしたが,問題はなかったです。
見どころは,本丸背後の畝状竪堀です。
また,胞衣(えな)塚とは,上杉景勝の胞衣を納めたと伝わります。
投稿は,本丸下の帯曲輪までと,本丸および本丸背後に分けたいと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2021/11/07 20:34
樺沢城でコンプ(1/2) (2021/11/06 訪問)
樺沢城登城で,新潟県の城びと登録(越後国+佐渡国)をコンプリートとなりました。しばらくの間,登城できない状態となっていました。本丸背後も行けるようになり,だったら,紅葉シーズンに合わせようかなと考えてました。雨上がりだったので少し滑るカンジでしたが,問題はなかったです。
見どころは,本丸背後の畝状竪堀です。
また,胞衣(えな)塚とは,上杉景勝の胞衣を納めたと伝わります。
投稿は,本丸下の帯曲輪までと,本丸および本丸背後に分けたいと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2021/11/07 19:54
2021/11/07 19:40
鹿背山城 (2021/10/23 訪問)
【鹿背山城】
<駐車場他>駐車場はなし。私は分校二百m程西手前の「鹿背山柿出荷組合選果場」の前の道路が少し待避所になっているのでそこに駐車しました。バイクは西念寺山門前(登城口)に駐輪できそうです。トレッキングシューズ・ストックは一応準備しておいたほうが良い。
<交通手段>車
<見所>畝状竪堀群・大竪堀・竪土塁・堀切・切岸・曲輪群
<感想>この日のメイン、ヒロケンさんの投稿を拝見して行きたいチェック済でしたが駐車に困るのとコロナおさまり間は遠征優先していたので少し温めていた城です。後述しますが予習・予想以上の大城郭、見応えたっぷりの城でした。
鹿背山城は1188年木津英清によって築城されました。現地説明版概要によると「十五世紀に南都興福寺の北方防御の拠点として史料上に登場し、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城した。十六世紀後半、大和北半分を支配した松永久秀は多門山・信貴山・龍王山とともに本城を拠点として重視し、改修を加えた。」とあります。
城郭は北面と東側にかけて木津川が流れていて後ろ堅固、山頂主郭を中心に主に東・南・西斜面に大防御設備を施している。西念寺山門に城跡の説明版と縄張り図が頂けるので縄張り図は必須です。山門脇の北側行く狭い通路から城跡に入ります。山頂から南の麓にかけて山の尾根が2本あり、その尾根の間の鞍部から登って行くルートが大手道になっているようです。鞍部大手道は棚田のような段曲輪と水の手になっていて今は池と湿地になっています。またサイドの山からは大竪堀が降りてきています。勿論尾根上は階段状の曲輪群になっています。主郭から東側に二の丸・三の丸がありますが二の丸・三の丸からそれぞれ南側に伸びる連郭群に行くにはサブコース(頂ける縄張り図の点線部分)を行くのですがサブコースは曲者であまりはっきりした道にはなっていないので倒木ありの難コースです。ですがこのサブコースを攻略しないと全般見れない遺構が多いのでストックを持って攻めて下さい。
主郭周辺は南手前が十字路分岐になっていて土塁曲輪で防備する虎口があります。主郭南東面が大切岸になっています。主郭北東側と北西側の搦手側にそれぞれ2条の大竪堀があってその竪堀の間に長い竪土塁が良好に残っています。ダイナミックで見応えありです。主郭西南西面は中ほどに横堀のある畝状竪堀群となっていて、ここは広く木が伐採されているので遺構がよく分かります。主郭南西面は大竪堀が2~3条あります。主郭の副郭南にも畝状竪堀があり主郭周辺は竪堀だらけと言ってもいいでしょう。
主郭は東西に長い長方形で南虎口は折れ曲がりの枡形になっています。東側が土塁、南東隅に櫓台跡があります。櫓台から下が前述した大切岸が上から望めます。主郭西端にも櫓台があります。北西隅から北にある井戸へ降りるルートがあります。
サブコースの道以外はかなり整備が行き届いていて、私が登城した時も三の丸から南へ伸びる連郭の最南の曲輪(かなり奥まった所)の雑草刈りをされていました。その南に箱堀があるそうですが整備の邪魔になるので見ませんでした。後半急ぎ足で縄張り図のほぼほぼ見た私で2時間かかったのでじっくり全部巡ると3時間は楽しめる続百名城に負けてない、マイベストに入る城跡でした。
<満足度>◆◆◆
<グルメ>木津川市加茂町駅東にある手打ちそば所「橘」で昼食をいただきました。数は少ないですが十割にできます。選べるミニ丼のセットがお勧めです。ちょうど新そばの時期で良かったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2021/11/07 19:34
電車から見えます。 (2021/07/04 訪問)
JRが横を通っているので、車窓からもよく見えます。
赤い橋が印象的で、中も見応えがありました。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2021/11/07 19:27
2021/11/07 19:27
2021/11/07 17:02
桑折城(宮城県大崎市三本木桑折) (2021/11/06 訪問)
友人からの情報で私の生家のあった宮城県大崎市三本木(旧志田郡三本木町)にある桑折城跡の樹木が伐採されたことを知り数年ぶりに訪れてみた。残念ながら「城びと」には未登録の城。この城は、中世この地を治めた奥州探題大崎氏の内紛にからみ天正16年(1588)二月に伊達政宗軍が大崎氏の居城中新田城を攻撃した際、大崎勢の激しい抵抗と天候の急変により、政宗軍が唯一敗北を喫した「中新田合戦」に関わる歴史を持つ。
城は麓を流れる鳴瀬川に沿って、東西に大小の曲輪を並べた連郭式の縄張り。比高は35mほどだが最高所の主曲輪からは東に遠田郡箟岳山、西に加美郡の山々、北には大崎耕土が拡がりその先には遠く栗駒山を望むことができる。主曲輪に立ち北を見れば、大崎合戦時に城に詰めた澁谷相模以下大崎方の将兵が眺めたであろう、鳴瀬川の向うを西に進軍する伊達の大軍の光景を彷彿とさせられる。
主曲輪は東に帯曲輪を備え、西には二段の帯曲輪を備える曲輪、また一段下がって北側に、かつては鳴瀬川岸までの広がりをもつ曲輪、東側にも先端が三段に落ち込む細長い曲輪を持つ。また西側の曲輪の先端部と南に続く尾根には、現在は埋めたてられているが大規模な堀切の跡が確認できる。さらに南の堀切を渡り尾根道を南東方向に行くと細長い二段の出曲輪がある。
延宝年中(1673~81)に書上げられた仙台領古城書上には「城主八野木相模。又澁谷トモ云。黒川安藝守晴氏入道月舟叔父。」とあり大崎氏家臣で中世鳴瀬川沿岸地域に勢力のあった渋谷一族の拠った城である。
城址は地元で館山(たてやま)と呼ばれる桜の名所で、春になると山全体が花に覆われ賑わいをみせたものだが、樹齢がかさみ伐採に至ったものか。遺構は非常に観やすい状態になったのだが、子供の頃に家族と楽しんだ花見の思い出も消え去るような寂しさも。
東北自動車道古川ICからは12km(12分)たてやまホール(三本木公民館)に駐車可能。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2021/11/07 16:53
上杉景虎終焉の地 (2021/10/24 訪問)
福島城祉から、クルマで30分、妙高市へやってきました。
鮫ヶ尾城は、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わっています。
1578(天正6)年、上杉謙信が急死すると、家督の後継をめぐって、ともに養子である景勝と景虎との間で御館の乱が勃発します。
このとき、鮫ヶ尾城主である堀江宗親は景虎側に付き、御館落城後に関東への唯一の逃げ道となったこの城を経由して逃がすべく、景虎を城に引き入れます。
しかしながら宗親は安田顕元の寝返り工作に応じ、二の丸に火を放ち当人は退去。
その後、総攻撃を受けた鮫ヶ尾城は落城、景虎は妻子共々自刃して果てました。
妙高市宮内にある斐太神社裏に無料駐車場があります。
まずは、駐車場から歩いて3分の「斐太歴史の里総合案内所」に寄りました。
ここで、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
さらに、散策コースやまわりの自然について詳しい説明をしていただきました。
アドバイスにしたがって、時計回りに進みました。
ハイキングにちょうど良いくらいの散策路ですが、足回りはしっかりしたものを用意しましょう。
さらに、熊よけの鈴も着用しました。
まずは、宮内池の西端を渡ります。
二本杉をめざして山道を登ります。
斐太遺跡を通過し、何本もの堀切を渡り、登り始めてから約30分で本丸に到着
本丸からは、妙高市・上越市を見渡すことができます。
前日、雨天だったため道が滑りやすくなっています。
よって、総合案内所のおばちゃんのアドバイスに従い、急な本丸からの下り道を避け、なだらかな米倉からの降り道を選択しました。
北登城道は緩やかです。
坂道も階段状になって歩きやすいでが、見所はなく単調です。
行きは東登城道、帰りは北登城道と時計回りにまわって正解でした。
2.9km、1時間30分のウォーキングでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2021/11/07 16:47
三枚橋城&沼津城の跡地散策 (2021/10/23 訪問)
武田勝頼が対北条用に築いたとされ、1590年の小田原征伐では秀吉が滞在した三枚橋城。
東海道の駿河と伊豆の国境で、伊豆から流れる狩野川の河口に位置し、東から見ると1段高くなった場所。
武田氏滅亡後は城主が家康の子松平忠吉、豊臣方で一氏の弟の中村一栄、家康家臣の大久保忠佐と移り変わり、江戸の初期に一旦廃城。最盛期は東西約400m、南北約500mの大きさだったとか。
それから150年以上後に、規模を縮小しつつも水野氏により沼津城としてリニューアルされ、明治を迎えた城でした。
現在は本丸半分が中央公園となっているものの、城の面影は希薄。
周辺に建設工事で出土した石垣のモニュメントがいくつか点在する程度。
先月はそれらを始め、沼津城の城郭跡を歩いてきました。
城郭東側は高低差があり、曲輪と堀の境かなと感じつつ。
そして写真の井戸は、ほさかビルの中庭にあるもの。
洋風のつくりをしてますが、たまたまビルから出てきた方の情報では、江戸末期には存在したとされ、中は伊豆石が六角形に組まれているとのこと。
静岡県沼津市の三枚橋城&沼津城が、お城巡りの111城目となりました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2021/11/07 14:57
遺構がない? (2021/10/16 訪問)
後北条氏に仕えた小幡伊賀守泰久の城とのこと
菊名駅を降りてからすぐにある急勾配の上にある住宅街を伝い、新横浜駅側へ向かうとマップ上に大豆戸城と出てくる。
マップ上で大豆戸城とピンが打っている場所から左右を見回すと車では通れない程の急勾配になっている。
篠原城側へ歩いて行くと所々に曲輪があったであろうと感じる狭い平坦な箇所が曲輪であった事を感じる箇所でもある。
尾根伝いに篠原城へ抜けれる事から篠原城の出城的な存在であったのではないだろうか?と考えられた。
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
2021/11/07 14:21
2021/11/07 14:00
2021/11/07 13:11
2021/11/07 12:18
急峻な岩山の要害 (2021/10/30 訪問)
城址公園になっていて駐車場も完備。
駐車場や忠霊塔周辺にも堀や石垣、土塁がありました。
忠霊塔から西側をフェンス沿いに登りました。
すぐに堀、その後は本丸までやや藪化した細い道を登ります。
本丸は三日月形でさらにその背後に物見台などが位置しています。
物見台には防空監視硝、近世の遺構も共存してました。
狼煙台から女二城へ降りる間にも堀切が見られました。
佐野市家臣の平野氏が築いた城。
ハイキングコースとなっていて歩きやすい城でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2021/11/07 11:48
猪鼻城址 (2021/11/06 訪問)
猪鼻城址
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
2021/11/07 10:19
弘前城菊と紅葉まつり (2021/11/05 訪問)
「弘前城菊と紅葉まつり」が開催されていて天守閣等への入場料は無料となっていた。紅葉は美しく、平日でしたが人出は多く感じました。この城の魅力の一つは石垣だと思っていますが修復中です。本丸東側の石垣の修理はかなり進んでいるようです。2024年度に石垣の積直し工事を終え、2025年度に天守を元の位置に曳戻し、2026年度から2028年度にかけて、天守の耐震補強と保存修理を行う予定と書いてありました。3つの櫓、5つの門が重要文化財に指定されていています。これらの門は迫力もあり気に入っています。
のんびり歩いていたら夕立ちがあり、北門の下に避難しました。昔来た時も雨に降られたことを想い出しました。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。