みくさやまじょう

三草山城

兵庫県加東市


旧国名 : 播磨

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本丸
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一年半の歳月 (2023/06/25 訪問)

城びと先人お二人に倣って最短&きつい、畑コースで登城。山体はこのあたりに多い、柔らかい流紋岩質凝灰岩。城域の山頂部及び南東のピーク(三草山城の説明板がたっているところ)は、硬めの流紋岩溶岩が残り、高みとなっています。
木が茂り気味ですが、本丸の石垣を認識。ぴーかるさんが指摘するように、本丸下の道に転がる石は、石垣からの転落石と思われます。本丸から東に二段の郭があり、切り岸がしっかり残ります。雑木林に突入していく私をハイカーたちは怪訝に見てます。
本丸西切り岸には土塁もあり、「土塁保存のためここから絶対に登らないでください」と掲示があります。ぴーかるさんが2021年12月に登城された際の写真には木にくくりつけられてましたが、現在は落下。
本丸西側には先に行くほど広がる郭群が続きます。郭の南側に切り岸がよく見られます。
畑登山口あたりに、新しく大きな寺ができており、畑登山口への道(=寺への道)も広く付け替え られたようです。古い標識につられて進むと行き止まりになってます。インパクトある建築物に気をとられていると、登山口を過ぎて、関係者以外立ち入り禁止ゾーンに至ってしまうのでそこも注意です。

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ぴーかる

三草山城 (2021/12/25 訪問)

【三草山城】
<駐車場他>三草山畑登山口駐車場数十台分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣跡
<感想>赤松氏関連の山城攻め、この日の3城目。三草の地は源平合戦の方が有名でこの三草山の麓で合戦が行われ敗れた平氏が屋島に退去することになります。三草山城の築城年は定かではなく建武年間(1334~1338年)頃に赤松出羽守則友が城主だったようです。その後の城がどうなったのか不明のようです。
 三草山はハイキングコースとして憩いの場となっていて登山コースは三草・鹿野・畑の3つのコースがあります。鹿野コースは訪城時は閉鎖されていたので三草・畑コースが通れます。三草コースは2.5㎞ありますので畑コース1.3㎞がベターかと思います。長い登山道ですが見れる遺構があるのは山頂部一帯のみで頑張って登ってそろそろ山頂近いかと感じられた所に、表示はないですが明らかに木戸か虎口跡のような礎石があり石垣跡の土塁・曲輪がある削平地に出ます。登山時は気づきにくので下山時にその虎口手前の曲輪斜面に石垣が数個わずかに残っていますのでご確認を。登山道の石が転落石を踏んで登ってきたことに妙味。ここから段曲輪が数段、曲輪の法面に石垣跡がありますがほとんど崩落してしまっているようです。山頂の主郭部は狭く物見程度だったかなと思われます。ちょうど山頂部到着と同時に雨に見舞われ木陰で雨宿り。眺望は抜群だが写真的には遠く木漏れ日が写るいい感じのものが撮れました。
 この日はこれにて終了。1城目に善防山城を予定していましたが整備通行止めとなっていました。1/30頃まで吊り橋を渡っていくルートへは行けません。赤松攻略にはもう少しかかりそうです。

<満足度>◆◆◇

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六神合体

ここを城跡とどれだけの人が知っているのか? (2019/08/18 訪問)

三草山というと有名なハイキングコースでかつては某阪神の選手が高校時代にトレーニングに利用してたとか。

実は、城跡でもあるんです。

東登山口通称「畑」コースからトライ。
ここが最短ですが、最難関と言われるルートですね。
めっちゃきついです・・・

ちなみにここ一旦頂上と思ったらそこからまた下るんですよね。

で、途中で源平古戦場跡があったりします。
城跡よりここのほうが有名だったりします。

そこからまた登って・・・・登って・・・・
標高423,9メートル。
三草山山頂到着です。

きっつー・・・・

ああ、ちなみに遺構ですが、脇に少しだけ石積みがあります。
あと堀切っぽいものと竪堀っぽいものもありますが、はっきりしません。

ま、ハイキングですね(おい

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 赤松則定
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 赤松氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、切岸
住所 兵庫県加東市社町上三草字三草山