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POYO58

甲賀衆の城 遺構が結構残ってる (2022/04/16 訪問)

豊臣秀吉の家臣、中村一氏が築城。その後多くの甲賀衆(忍者)が城主を務める。
5つの曲輪で構成され、今は主に石垣、竪堀、虎口などが良好な状態で残っています。枡形虎口や喰い違い虎口も見られるようですが、僕は見失いました泣。この城は天守台とされる石垣がとても綺麗に残っています。駐車場は岡山城の石碑の前にあります。標高298メートルの場所に本丸があります。頂上までは約20分くらいです。建物は存在しません。

評価
遺構:4
建物:-
行きやすさ:2

攻城時間
1時間くらい

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じゅんじん

昼の部 周囲から (2022/03/28 訪問)

いも堀~尾山神社~鼠多門~玉泉院丸

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じゅんじん

昼の部 兼六園 (2022/03/28 訪問)

金沢城の前に兼六園へ。

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にのまる

【城と標柱】標柱に歴史あり

写真は久留里駅から久留里城に向かう街道脇、「田丸家の名水」の少し広いスペースに横たわっていた標柱で、「久留里城趾公園入口」と彫られています。
この場所はお城に通じる道ではないので、これは一体何?と謎に思いながら傍らの案内を読むと、かつて久留里城戸張門跡に建立されていたものだと記されていました。国道(歩道)拡張工事の際に撤去され、廃棄物置き場に放置されていたものが地域の方々の声によりこの場所に移されたのだそうです。
元あった場所の近くに戻れたんだ、よかった……と思いつつ案内文を読みすすめていくと、そこにはとても深い歴史がありました。

標柱に元々彫られていた文字は「久留里城趾公園入口」ではなく「聖影奉安殿」。
奉安殿とは天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物で、この標柱は元は久留里小学校に建立された奉安殿の石碑だったのです。
戦後、奉安殿が撤去されたあとに残された石碑は久留里城趾公園入口の標柱として再利用されました。「聖影奉安殿」の文字は埋められ、その文字が道路から見えないように建てられたそうです。(「久留里城趾公園入口」の左面にその痕跡があります。)
それが半世紀以上経て撤去→放置→救出されてこの場所に寝かされているのだと知り、1基の標柱が辿った栄誉と苦難の歴史に思いを致しました。
貴重な遺産であるこの標柱が再び安住の地を得て、立ち上がる日が来ますように。

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にのまる

名城と名水の里 (2022/03/12 訪問)

長らく閉館していた久留里城資料館の再開を待って行ってきました。春の18きっぷ1回目の1城目です。
資料館+現地遺構+薬師曲輪からの北条・里見古戦場跡や大手門跡の眺めなどからかつてのお城の姿やその時代がよく理解でき、訪問前に抱いていた「模擬天守のお城」というイメージはすっかり消えてしまいました。
帰りに寄った真勝寺は久留里藩最後の藩主・黒田直養の墓所があるお寺。直養と並んで建っていた直古(直養父)の墓石を見ると日付が訪問日である3月12日。暦の違いはあっても何だか導かれたような気がしました。
お寺の奥の方には杉木良太郎のお墓がありました。(二度見してしまいました^^;)
幕末に藩を守ろうとたった一人で抵抗、父に斬られてしまった方でした。

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POYO58

二条城を小型にした甲賀基礎の城 (2022/04/16 訪問)

この城は徳川家光が上洛を果たす際、宿泊館として築いた城です。その後、加藤明友が入城すると水口藩が成立し、幕府の番所にもなりました。
今は資料館として復元されましたが、水堀や一部石垣が残っています。この城は本丸、二の丸の二郭でできていて旧本丸は今高校の運動場になっています。またこの城を築いたことにより東海道がずらされたことも有名です。今写真にある橋は渡れないので運動場の外側を周っていきましょう。

評価(1〜5)
遺構:2
建物:2
行きやすさ:3
全体:3

攻城時間
20分前後

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ダイエティシャン

城ふぉとコンテスト【究極の1枚】 (2022/04/16 訪問)

城下の緑の桜【御黄衣】ぎょいこうが、満開

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赤い城

【究極の一枚】

故郷の名城。地味だが。
これで3部門エントリーできました。

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刑部

【城と標柱】 (2022/03/27 訪問)

忍城の支城、城びとには登録されてません。

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ぎりょう

澤山城 (宮城県石巻市桃生町寺崎) (2022/04/02 訪問)

旧桃生町の三城目は澤山城(城びと登録なし)に。「仙臺藩古城書上」には「山 一 澤山城 東西三十四間 南北三十八間 西條采女入道 秀衡時代ㇳ云。」との記載がある。西條氏は奥州藤原氏の家臣で、文治5年(1189)の奥州合戦し際して討伐軍からこの地を守る役目を担っていたが藤原氏は滅亡し、西條氏は討伐軍に降って所領を安堵され、葛西氏の麾下に入ったといわれる。またこの地は東浜街道を押さえる交通の要衝であり、葛西領南部の軍事上の拠点であることから、葛西一門の寺崎氏の本拠地となったという。天正18年(1590)、大崎・葛西一揆で寺崎氏は滅び廃城となった。
城地は峯山と呼ばれる丘陵の北、現在寺崎八幡神社が有る平場が主曲輪とみられ、その南側、東側にも広い曲輪が配されているが、これといった遺構は見当たらない。また東側の曲輪跡は現在、多数の建設機械が入っており、今後大きく改変される残念な状況だ。
麓の八幡神社鳥居からは石段を徒歩で登るが、その北側から主曲輪跡下の駐車場まで車で登ることができる。

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小城小次郎

絶叫できる城らしい (2021/12/05 訪問)

南城の切岸と北城の二重堀。どちらも通を唸らせる出来栄えだとは思っていたがオフ会やったら唸るどころか絶叫された(笑)。まあそれくらい印象深いお城だということだ。謎は多いがいい城であることに相違ない。

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ツッチー

【究極の1枚】唐津城と虹

唐津城に行った翌朝、空には大きな虹が架かっていました。
唐津城から延びる神々しい虹の景色に、しばしの間 見とれてしまいました。

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カズサン

【城と看板】 (2021/03/31 訪問)

 本曲輪下に藤原姓勝間田((勝田)長清の歌碑が有ります、歌碑と解説看板、今が旬のミツバツツジを入れて1枚撮りました。
 
 勝間田一族には鎌倉後期「夫木和歌抄(全36巻17,350余首)」を編纂した勝間田(藤原)長清がいました、勅撰和歌集の玉葉集に勝田(藤原)長清の歌が入選すると有ります。(勝間田城パンフレット抜粋)

 看板は「下荻も かつ穂にいづる 夕露に 宿かりそむる 秋の三日月」 玉葉集巻十四雑一 藤原長清 と記載されています。 
  鎌倉後期正和元年(1312年)の事。(勝間田城パンフレット抜粋)

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カズサン

【究極の1枚】 (2021/03/31 訪問)

 三の曲輪北側の樹木景観伐採され三の曲輪北二段土塁が良く分かるようになり、伐採直後の三の丸土塁二の丸土塁と満開桜を入れて1枚撮りました。

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カズサン

【城と標柱】 (2021/03/31 訪問)

 三の曲輪北側の樹木伐採され「勝間田城」城名石碑の置かれた位置が大手虎口前であったと良く分かる一枚です。
 伐採前は樹木鬱蒼として怖いくらい暗く、なぜここに城名石碑が在るのかと思ったほどでした。

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地元の方の手入れが続く境目の城 (2022/04/10 訪問)

山頂の曲輪からは、北西に小谷城が見え、東に濃尾平野の先の岐阜城が見えました。浅井氏の境目の城です。また、南麓の狭い平地に中仙道が走り交通の要衝です。山体は、チャートであり、とても急な斜面になっています。
2020年10月に城びと先達のぴーかるさんが登城されたときは、東の曲輪は鬱蒼としてたとのこと。今は切り開かれて馬酔木の低木がまばらにはえている程度です。地元の野瀬山会により、長比城がある野瀬山全体に散策道が整備、維持されています。散策中に地元の方、二人が道を整備されていて、挨拶し感謝をお伝えしました。野瀬山会は、登城口にパンフレットも置いてくれてます。
野瀬山の別のピークに、須川山砦があります。重厚な土塁、竪堀群があります。パンフレットの地図では、極く近くにあるように見えるのですが、一旦けっこう下ってから横移動もあり、不安になりました。

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POYO58

城ふぉとコンテスト⑦ 桜と天守

犬山城を木曽川を渡った岐阜県の方から撮りました。綺麗ですねー。犬山城を撮るなら岐阜県から撮るのはどうでしょうか?

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赤い城

【城と生き物】

太鼓橋とハト。

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びーこ

お堀≧桜&鬼怒川 (2022/04/10 訪問)

公園として整備されているとは聞いていたが、想像以上にしっかり管理されている。でもパンフレットなども置いていないし、それはちょっと寂しかった。どこかにあったのかな?

駐車場に車を停めて「さくらミュージアム」に向かって階段を登って登城を目指したのだが、殆どの人は素通りだ。なんだ、なんだ?

大手口には橋が架かっていて、その周囲は結構深い堀で囲まれている。なかなか良い感じである。
全体的に足場がきれいに整備されてはいるが、本丸周辺の堀跡にはしっかりと土塁が残っており、そこだけはザクザクと草を踏みながら入ることができるようになっている。城好きに対するちょっとした心遣いか?

この日は天気が良かったので、城跡からは眺める鬼怒川がキラキラとしてなんと美しいこと。そしてその先には満開の桜!!なるほど、皆さんはこちらに直行していたのね。鬼怒川も桜も良いけれど、やっぱり私は「お堀≧鬼怒川&桜」だな〜

栃木と言えば今が旬の苺でしょう!!ということで、今回のグルメは、道の駅で購入した苺大福♪こんなに大きな苺が刺さってるのは初めて。美味しかった〜「苺≧お堀」になってしまった・・

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赤い城

【城と看板】

こんな所にいるとも思えないけど。
そもそも人が通らないような。。。

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