ここが越後にならなかったのは,武田晴信軍の攻めに対し,飯森盛春の援軍要請に長尾景虎軍が間に合わず,ほぼ全員が討ち死にし落城したためかぁ…。当時,越後側から姫川渓谷を越え,平倉城に入るのは相当大変だったと思います。現在は5㎞超のトンネルでアクセスしており,雰囲気を感じれませんが…。
この周辺の信越国境は,越後国内を信濃国がえぐっている形になっています。えぐっている中心が平倉城。
標高:823m,比高:300m。黒倉集落を過ぎたところに登城口。平倉神社から下り,沢を渡ってから平倉山を目指します。山頂部は物見として利用されていたと思います。
雨男のハズが,珍しく晴れました。登城途中の標高:600m付近からの眺望は紅葉も見頃を迎えており,登城疲労も心地良いものとなりました。
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