たかなべじょう

高鍋城

宮崎県児湯郡

別名 : 舞鶴城、財部城
旧国名 : 日向

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詰めの城 野面積みの石垣
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しんしんちゃん

中生と近世の郭が階層的に重なる。ミルフィーユのようなおいしい城。 (2023/01/08 訪問)

高山城は伊東氏四十八城の一つで、江戸時代には高鍋藩の藩庁になっています。
現在は舞鶴公園となっており、
麓には三の丸、その南の資料館が二の丸跡、その上に本丸と奥御殿が築かれ
現在、舞鶴神社となっている三の丸跡は近代的な石積みの上に築かれています。
面白いのは本丸の上にかつての詰めの城が階層的に重なっていて
詰めの丸跡の上に、かつて三重櫓のあった郭があり、野面積の高石垣の上に築かれています。
さらに高台に太鼓櫓跡があって東手にも郭が築かれ
一部に土塁も残ります。
近世の平山城の上に中世の平山城が築かれたようなミルフィーユ的な
構造になっており、まるで郭の天守閣のようです。
一度の訪問で近世の城と中世の城を両方味わえたようで、ちょっと
得したような気分になりました。

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Kimoくん

宮崎県お城巡り 2城め (2022/09/08 訪問)

岩坂御門跡のPに駐車し歴史総合資料館に立ち寄りました。高鍋城のパンフはありませんでしたが城跡案内図を頂き登城開始。本丸跡と周辺の政庁跡や奥御殿跡、さらに現在発掘調査中の階段坂を上がり現在遊園地となっている広場らしき?ところに辿りつきましたが辺り一面腰近くまで夏草。それより先の頂上(三層櫓と太鼓櫓の跡)へは更に草がぼうぼうに生い茂っておりここで断念、草に覆われた石垣を登城証拠に撮影。時間の関係で大手門跡や三の丸などもパスし次の目的地の都於郡城へ移動。

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カズサン

秋月氏300年の織豊系城郭 (2009/06/13 訪問)

 朝駆けの西都原古墳群探訪を終えて、東方面に戻るかたちで高鍋城目指し、13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの4日目で9城目高鍋城を初探訪。
 車は高鍋城二の丸岩坂門跡前の駐車場を利用。

 高鍋城は東に突き出た丘陵先端部を利用して頂上部に天守台曲輪、詰の丸曲輪、本丸、二の丸、三の丸、水堀と東に連郭式に降りた縄張りと成っている。
 歴史は日向の国伊東氏の支配、島津氏との抗争経て豊臣秀吉の九州征伐平定後、天正15年(1587年)筑前秋月城主秋月種実が移封と成り、関ヶ原後も何とか3万石を安堵され、慶長12年から大改修し三重天守を持つ近世織豊系城郭を築いた、元の財部城から高鍋城へ改称、江戸期も継承して約300年この地を治政し明治を迎える。
 尚、6代藩主秋月種美の次男幼名松三郎が米沢上杉氏中興の祖、上杉鷹山(治憲)として名を馳せています。

 登城ルートは、二の丸岩坂門、二の丸、本丸政庁跡奥御殿跡、詰の丸、同高石垣、天守台を目指すが草深く茂り登城路見つかられず断念下城、三の丸、北側の高鍋の大くすを見学し、三の丸水堀、三の丸は高鍋農業高校と成っている。探訪時間約1時間。

 ここもフィルムカメラ主体でデジカメの写真が少ない9枚のみ。

 次は10城目の佐土原城を目指します。

 

 

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todo94

13年ぶり3度目の攻城 (2021/04/25 訪問)

13年ぶり3度目の攻城です。三重櫓跡の石垣まではチェックしていたのですが、その先の中世山城にまで足を踏み込んだのは今回が初めてです。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
天守構造 三階櫓[3重/築年不明/破却]
築城主 土持氏
築城年 平安時代後期
主な改修者 秋月種長
主な城主 土持氏、落合氏(伊東氏家臣)、川上忠智(島津氏家臣)、秋月氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 宮崎県児湯郡高鍋町大字上江字嶋田
問い合わせ先 高鍋観光協会
問い合わせ先電話番号 0983-22-5588