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ぴーかる

柳生陣屋<柳生城跡編> (2021/10/23 訪問)

【柳生城】
<駐車場他>芳徳寺に無料駐車場あり。芳徳寺拝観は有料なので、芳徳寺を拝観する方は市立駐車場に駐車せず、ここに駐車すると良い。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>柳生城の築城年は不明です。城びと情報にも城山として載っているのでここで投稿致します。城跡の一部に柳生氏菩提寺の芳徳寺が建立されています。私は芳徳寺には拝観しませんでした。山頂の主郭部分は芳徳寺の南東側にあり、主郭への道案内板がなかったので私は主郭の南側、剣道場の向かい側の写真の位置からアタックしました。後で調べて芳徳寺の正面辺りか?、主郭北側のルートもあるようです。私の行った南側からのルートはまず大堀切が1条あり、主郭下段に現在は貯水地となっている副郭のような曲輪、主郭西下段に腰曲輪、主郭虎口には石列が確認できました。主郭内は添付写真のように身長以上ある雑草に覆われて侵入不可能となっていました。北側からのルートに堀切・土橋等の遺構が多数あるようで攻城不十分な結果となっていまいましたので満足度は未記入と致します。
 柳生城でこの日の旅は終了しました。柳生の里は摩崖仏や他にも見れていない名所がまだまだあったので、もっとゆっくり時間を取るべきでした。

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ふゆづき

エリート大名の居城 (2021/09/16 訪問)

江戸城の東南に位置する下総にあり、下総のみならず上総、安房に睨みをきかせた佐倉城に行ってきました。
この城は江戸城に近いため、江戸幕府開幕以来譜代大名が配され、房総半島の押さえ役目を持たされたものと思います。
興味深いのは、老中堀田正睦が城主だった関係で、ハリスの銅像が城内に置かれていること。米国人の銅像が郭内にある城はあまり例が無いのではないでしょうか。

石が取れづらい千葉にある城のため、元々石垣が大々的に用いられておらず、大多喜城と同様に土塁と空堀(一部水掘)を中心に防御施設が固められていたようであり、本丸も土塁で固められています。
見所の一つは、大型の角馬出。
以前にも、丹波篠山城の角馬出を見ましたが、それと比べても遙かに規模の大きい馬出で、もはや出丸といって良いのではないかというほど規模であるように思いました。
また、西出丸や南出丸の周囲には水堀が張られており、本丸を直接狙われないように防備を固めています。

建屋などの遺構が無く、石垣も無いので、ともすれば中世の城ではないかとの感を持ちますが、突き出した出丸や、大手門から続く武家屋敷群(一部は見学が可能です)など、よくよく見ると近世の城であることが良く判るように思います。

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イオ

千手寺城(京都府亀岡市稗田野町、宮前町) (2021/11/06 訪問)

千手寺城(城びと未登録)は、明智光秀の丹波攻めにおける八木城攻略の拠点となったとされる城ですが、築城年代や築城者等、詳細は不明です。八木城から千々川を挟んだ南側の山上に位置し、千手寺の後背の尾根沿いに曲輪を連ねています。
なお、千手寺は弘法大師空海の開創とされ、空海が唐から帰国する際に真言密教布教の拠点を求めて投げた独鈷杵がこの地の松にかかっていたことから、獨鈷抛山(とこなげさん)と呼ばれるようになったんだとか。ちなみに同様の伝承は高野山にもあります(三鈷の松)。

山麓から対向困難な細い山道をひたすら上って千手寺へ。千手寺の駐車場に車を駐めて石段を上り、愛宕大権現 白雲寺から移築された鐘楼門をくぐると、境内の東側奥に展望台に続く登山道があり、貸出用の杖も用意されています。ここから登城開始です。

稲荷社の脇を抜けて3分ほど登ると展望台に到着。鐘楼門を眼下に開ける眺望はなかなかのものです。展望台の先は道なき道かと思いきや、尾根筋にごろごろと散乱する巨石には道案内の矢印が描かれ、一応整備されているようです。ストックを頼りに急斜面をよじ登りつつ、ほとんど自然地形の曲輪群を抜けて山頂へ。山頂の主郭には櫓台状の土壇があり、巨石が鎮座しています。主郭から北に続く尾根を今度は下って行くと、堀切が尾根筋を断ち切っています。ようやく明瞭な遺構に出会えました。その先の出曲輪には土塁と思しき高まりも見られます。北尾根は八木城の方向なので、特に手を加えられているのかもしれません。

展望台から出曲輪まで南北にのびる尾根のほか、西側を並行して南北にのびる尾根筋にも城郭遺構があるらしいので、いったん千手寺まで戻り、ハイキングコースを南西に進んで、西尾根に取りついてみました。西尾根の堀切を切通道としてハイキングコースが横断しているので、そこから南側に上ってみると灌木が生い茂り巨石がごろごろ転がっています。さすがにこちらは未整備だろうと思いきや、巨石には道案内の矢印が! こんなところに足を踏み入れる物好きがそう滅多にいるとも思えないんですが…(笑) 灌木や倒木でわかりづらい点はあるものの、櫓台状の土壇があったり南に進んだ先には浅い堀切もあったりで、西尾根も千手寺城に含まれるかどうかはともかく、やはり何らかの城郭遺構ではありそうです。

…ということで、千手寺城は中腹まで車で行けるし、明瞭な遺構は限られるので1時間もあれば充分かな、と思っていましたが、調子に乗って西尾根まで探索するうちに2時間近くを要してしまい、この後に訪れるつもりだった亀山城に行く時間がなくなってしまいました…。とはいえ、近世城郭は一年中いつでも行けるので、これからのシーズンはやはり山城最優先! ですね。
 

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にのまる

その2・大手門~河北門~石川門 (2021/10/31 訪問)

大手堀沿いを歩いて大手門から入りました。これでもかというほど、鏡石が嵌め込まれています。大手門を入った広場は新丸跡で、下台所・作事所・越後屋敷があったのだそう。
緩やかな河北坂を上がると河北門一の門。右側のニラミ櫓台に睨まれます。背後の菱櫓にも威圧感が。二の門の櫓はまだ開いていなかったので他を見てから戻って内部を見学しました。
石川門は枡形を囲むすべての建物が現存の重要文化財。兼六園に通じる搦手門です。刻印石もたくさん見られました。復元された南門跡・辰巳用水の石管を見学。この辺りから見る長塀と五十間長屋の眺めがイイ感じでした!

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赤い城

宇龍城 島根県出雲市 (2021/11/11 訪問)

久しぶりに帰省、出雲空港からレンタカーで実家に向う前に立ち寄りました。
日御碕の宇龍港にある岩山が城跡です。
民家脇の登城路を進むとすぐに林神社、さらに登るとまた神社があり、主郭となります。
裏手に回ると溜池や土塁、腰曲輪を見ることができます。
尼子氏が築城、眼下の宇龍港は鉄の積み出しに使われていたそうです。
近くには日御碕灯台や日御碕神社、さらにはちょうど神在月の出雲大社がありますがここはひっそり。
メジャーな観光地とセットでどうぞ。

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POYO58

明智光秀挑戦問題!(1)

今日から明智光秀の問題をたくさん出そうと思います。
では問題!
明智光秀は朝倉義景に仕えるときがありますが、それは大桑城が深く関係しています。さて、何故明智光秀は朝倉義景に仕えるようになったのでしょう?少し難しいですが、調べないで答えられた人はすごい!

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いんげん丸虫

三峰城 長野県安曇野市 (2021/11/07 訪問)

三峰城(さみね)は佐々野城と同じ尾根で北に400mの位置にあります。
中間地点に鋭い横堀、カッコいい土塁等、山城ファンには堪らない地形が見られますが
これは地滑りによる自然地形のようです。
城跡は小さい主郭を中心に3方の尾根を堀切で断ち切るという典型的な縄張りです。
南と東に土橋があり、よく残ってます。

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ちっち

行きと帰りは違う登山道がオススメ! (2021/11/17 訪問)

登山道は山国町側と耶馬溪町側の2つがあります。私が行った際は耶馬溪町側に工事車両がいた為、山国町側から登りました。(日田側から見て、一ツ戸隧道手前の写真①左折、暫く行くと右手に登山道。写真②)
偶然にも地元の親切なお母さんに、車は登山道脇に停めても、近くの公民館に停めてもOKと言って頂き、少しでも楽したかったので登山道脇に停めました。
いざ登り始めると、家臣団屋敷屋敷の様な居館が建てられていたのではないか!と思う様な削平地と石垣が何段にも連なっており、いきなり感激しました。(写真③~⑤)また途中には色紙短冊積を彷彿とさせる様な見応えのある石垣(写真⑥)や、破却によって転がる石垣などもあり、本丸まで飽きません。
しかし、道は険しいです。落葉が多かったせいもあり、足元は不安定でトラロープに頼りきりになりますが、倒木で破損しているところもあり、十分に気を付ける必要があります。
山頂は写真では伝えきれませんが、曲輪群が綺麗な形で残っており、国道212側の曲輪は特に絶景で、とてつもないとこに城が建てられていたことを再認識しました。さらに縄張図などの解説看板があると、面白さが倍増しそうでした。
帰路は耶馬溪町側の登山道から下山。道が広くとても歩きやすかったですが、苔が凄く多いので、体を支える物があった方がいいです。また、最後は獣を防ぐ為のゲートがありますので、自分で開けて確実に閉めましょう!こちらから入る場合は、車で登山口下まで車で行けます。(写真⑨)
【駐車場】
山国町側:登山口付近の道路脇
耶馬溪側:登山口付近の道路脇
共通:国道212 一ツ戸隧道脇に大きめのスペースあり
【トイレ】
なし。道の駅 山国で済ませて来るのがお奨め
【装備】
トレッキングウェア&シューズ、帽子、手袋(必須)、あればトレッキングポール(耶馬溪側のみ、山国町側はむしろ邪魔かも)
【時間】
約2時間(往復耶馬溪側使えばこれより短縮)
【目印】
カーナビ:山紫水明(日本料理のお店)だと山国町側
登山道:山国町側:民家の横 小さな看板あり写真②
耶馬溪側:獣ゲート過ぎて暫く進むと左手に看板あり
【親子】
山国町側:小学校 高学年~
耶馬溪側:小学校 低学年~
【モデル】
山国町側登山道→石垣堪能→本丸→耶馬溪側登山道
【 + α 】
平田城攻略後、山国町の守実温泉『やすらぎの郷』(日帰り入浴)で汗を流し、非日常を満喫!さっぱりした所で、保育園のお迎えという現実の仕事に取りかかりました~。

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モト

伊達家にゆかりの深い城跡 (2021/08/10 訪問)

遺構は土塁や庭園にある石垣が見所です。
その石垣がどこの残りなのかははっきりわからずですが、その石垣を見て心踊ってしまう私です。
伊達家に300年という長い時間を関わってきた梁川城、建っていた頃の詳細な遺構を見たかったなという欲が出てきてしまいました。

残る遺構は範囲が小さい為、見学はしやすいです。
伊達家の事など思いを巡らし、土塁や石垣を眺めている間に意外にもなかなか時間が経過してしまった城巡りでございました。

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カズサン

銀杏が色付き綺麗でした❣ (2021/11/12 訪問)

 復元二の丸角櫓の公開再開され水戸城を訪ねましたら、先ず三の丸の大空堀、大土塁には何時もながらの圧巻景観に驚きますが更に土塁上の銀杏の木々が黄色く色付き初めての風情を楽しみました、復元二の丸大手門を潜って二の丸内部の水戸学の道沿いにも黄色く色付いた銀杏で各学校の白土塀と相マッチし城内雰囲気は最高感充満。
 杉山門越しの色付いた銀杏、本丸大堀切の水郡線には丁度列車が走り金網越しに撮影、本丸薬医門、同枡形虎口等を角櫓に登った後に家内と散策しました。
 今回の水戸城登城で写真を沢山撮ったので二回に分けて投稿させて頂きました。

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イオ

八上城攻略の拠点 (2021/11/06 訪問)

戦国前期に細川高国に反旗を翻した柳本賢治が籠った城で、明智光秀の丹波攻めでは八上城攻略の拠点となり、降伏した波多野兄弟が連行された本目城は神尾山城を指すとされます。

八上城へと続く篠山街道を見下ろす神尾山に築かれ、山上の金輪寺の後背の尾根沿いに多数の曲輪を連ねていますが、金輪寺は奈良期創建の古刹で、かつては周辺に多数の堂宇が建ち並んでいたため、周囲の削平地のどこまでが寺でどこからが城なのかは判然としません。

山麓から対向困難な細い山道をひたすら上って金輪寺へ。金輪寺の駐車場に車を駐めて登山口の石段を上り、境内の東側奥から登城開始です。整備された登城道を進むと金輪寺歴代住職の石碑が並ぶ曲輪があり、この辺りからが城域のようです。水の手曲輪を右下に見ながら登って行くと、東西に長くのびた堀切に到着。堀切は幅広く深さもあり、北側は切岸、南側には土塁が設けられ、西側は竪堀となって続いています。堀切南側の曲輪は藪に沈んでいるので探索をあきらめ、北側の切岸をよじ登ると、階段状に曲輪が続いており、切岸は急峻で高さもなかなかのものです。その一段上の曲輪には、神尾山城址の案内板と丸太ベンチが設置されていました。神尾山城の石碑や説明板は見当たらず、案内板もここでしか見かけませんでしたが、なぜ城の中心部でもなく、眺望がきくわけでもないただの段曲輪に設けられているんでしょうね? さらに進むと、登城道に立ち塞がるように土塁がせり出し、土塁には石垣が設けられていました。城道に設けられた城戸(虎口)のような位置付けでしょうか。
城戸を抜けると山頂部に至ります。奥に進む前に「八幡平 天望台」の案内標識から登城道を逸れ、東尾根の曲輪群へ。数段の段曲輪の先には天狗岩と呼ばれる巨岩があり、山岳修験の行場だったようです。山頂部はほぼ平坦なため曲輪は土塁により区画されている…らしいのですが、最大の仕切土塁以外は灌木と藪でよくわかりませんでした。登城道は北曲輪群の西側の虎口を出て尾根沿いに続き、虎口を出たあたりには小規模ながら畝状空堀群が設けられています。また、北曲輪群東下の帯曲輪にはわずかに石積みが見られました。

須知城に続いて、明智光秀の丹波攻めの拠点の城として訪れましたが、石垣も少しはあるにせよ、主には切岸と土塁と堀を駆使した土の城であって、須知城のような光秀による改修は感じられませんでした。あくまで八上城攻略の中継地であって、前線ではないからなんですかね。
 

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todo94

県内の城めぐり・その14 (2021/10/09 訪問)

今回の県内城めぐりでもっとも期待していた城です。期待通りの城でした。個人的には主郭から他の郭をきれいに俯瞰できる城にそそられるんです。きっちりと整備されていて地元の家族連れが訪れていました。駐車場も完備しているお薦めの城だと思います。

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にのまる

その1 (2021/10/31 訪問)

早朝から開いている門もあるとのことだったので7時前に出かけてみましたが、すでに園内にはお散歩をされている方々の姿が。早朝城散歩生活、憧れます。
今回は5時間ほどかけて見てまわりました。写真を全部で500枚くらい撮ったので、整理がてら分割投稿します。
最初は公園に着くまでの寄り道です。金沢城は二重堀の総構えですが、西外総構えの枡形遺構がきれいに整備されていました。江戸初期の姿だそうです。説明板を読みながら脳内復元も試みました。総構え一周、いつかできたらいいな。
尾崎神社は金沢城の北西隅で、天照大神、東照大権現、前田利常が祀られているのだそうです。加賀藩御算用場跡地の案内もその先に。町なかにも見どころがあふれていました。

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赤い城

23区内の遺構を巡る⑥ (2021/11/06 訪問)

目黒駅から徒歩で10分くらい。
国立科学博物館自然教育園の中に土塁が残っています。
但し明治以降、旧陸軍弾薬庫としても使われていたためすべてが館跡の遺構とは言え無さそうです。
それでも都会の真ん中に残る土塁は貴重かと。
入園料は320円。
土塁だけでなく四季の植物や花を楽しめる都会のオアシスかと思います。
もう少ししたら紅葉も綺麗そうですね。
志村城、赤塚城、石神井城、世田谷城、奥沢城、白金館と廻った23区内の遺構廻りもこれで終了。
この他は江戸城、品川台場、浜離宮ですかね。
他あれば教えて下さい。
微妙な遺構もありますが大都会東京に残っていることが奇跡的かと思いました。

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じゅんじん

中世武家の館跡 (2021/11/07 訪問)

単郭で土塁に堀の構造でした。新田氏の家来の館跡になります。よく残ってたなと。

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カズサン

やっと復元二の丸角櫓に登れました❣ (2021/11/12 訪問)

 待ちに待ってた水戸城復元二の丸角櫓に登る事が出来ました、昨年9月には竣工してたのですが公開の為の見学通路の開設整備を今年の春、水戸梅祭りの頃と伺って居たのですが工事整備の関係と武漢コロナ感染拡大5波の影響で入館公開が延び延び中止となり蔓延防止規制、緊急事態の解除がなされ11月1日より公開が開始されたようです。
 家内と宇都宮に居る孫の運動会を訪ねる途中に東名、圏央道、常磐道を駆けて水戸城を訪ねました、車は三の丸大堀西に在る有料駐車場を利用。
 駐車場から三の丸大空堀、大土塁、黄色いもみじ銀杏を眺め、弘道館、復元二の丸大手門を潜り二の丸展示館で情報収集、資料ゲットし趣のある白土塀の在る水戸学の道を通り新しく出来た附属小学校、水戸三高の間に出来た模擬竹矢来で両サイド囲まれた砂利道見学通路を通ると新しく復元された白土塀と奥角に待ちに待った復元二の丸角櫓が目に入って来ます、人出もそこそこの入り、裏側から見る角櫓には格子窓等の構えは無く白漆喰の塗り壁面を眺めるだけ、二階部分は両サイドの多聞櫓上にこじんまりと収まってる。
 角櫓に登りますと木の香り新たに木目の削りも綺麗で初々しい角櫓、二階へは登れません禁止されてます、格子窓から外を眺めますが近くのビル建物など視界は今一、角櫓、大手門復元の工程、使用部材の展示等がなされて居ました。

 感想ですが二の丸角櫓を表側より景観良く俯瞰する所が欲しいないぁ~、見学遊歩道は大手門から白土塀下に通し土塁と白土塀を眺めるコースにして欲しかったとの思いを深く致しました。・・まあここまで頑張った茨城県、水戸市には感謝ですしありがたいことです、まあ贅沢な感想でした。
 昨年10月に撮った二の丸角櫓の外側写真も1枚掲載いたします。

 続きに綺麗だった銀杏のもみじを含めた水戸城散策写真を投稿させて頂きます。

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ぴーかる

柳生古城 (2021/10/23 訪問)

【柳生古城】奈良県奈良市柳生
<駐車場他>専用駐車場はなし。市立観光駐車場有料を利用
<交通手段>車

<見所>堀切・堀
<感想>柳生古城の築城年は定かではないが、元弘の乱の時に後醍醐天皇が北にある笠置寺に逃げた際に築城者とされる柳生永珍が支援したことから、この頃からあったかと思われます。城びと未登録です。
 登城口はバス停横にあり登城路はしっかりと整備されています。南から北の主郭に向かって攻めて行きますが、曲輪間は堀切で仕切られて、中には堀切からの竪堀ではなく、堀切から横堀に曲輪を回らす遺構も見られます。主郭までは数条の堀切と曲輪、主郭は広く北側に土塁、土塁上に剱塚があります。主郭北側は堀切が1条あり、その奥は遺構は見当たらなかったので城域はここら辺までかと思われます。比較的簡単に登れ、見所ある堀切があるので城びと未登録なのが不思議なくらい。訪れた際時間があったら是非行ってみてください。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

佐々野城 長野県安曇野市 (2021/11/07 訪問)

この地方の会田氏に属する堀平氏が番をしていたらしい。
標高899mのこの尾根は南に佐々野城、北に三峰城があります。
特徴的なのは馬屋窪(うまやくぼ)という馬屋があったとされる40mx7m程の窪地が
あることです。綺麗に残ってます。
城跡には廃村となった堀平集落まで細い林道で行けます。
自分はAM6時とまだ薄暗い中で廃村に行くのは気が引けたので、手前の天田山神宮の
看板のあるカーブに車を停め、西尾根を行きました。20分位で3つの堀切を超え主郭に
行けます。

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うさ

勝幡城 (2021/11/16 訪問)

御城印目当てで出かけて来ました。石碑はひっそりと立っていました。
2度目の清洲城にも行って御城印ゲット。

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イオ

明智光秀の改修 (2021/11/06 訪問)

詳細は不明ながら、南北朝期に地元国人の須知氏が築いたと伝わり、明智光秀の丹波攻めにより落城。光秀によって改修され、丹波支配の拠点となりました。

先人の投稿を参考に、玉雲寺の駐車場に車を駐めさせてもらって明石側から登城開始。本格的な山城は半年ぶりのため、身体がなまっていないか懸念もありましたが、特に問題なく20分程度で西曲輪群の西端に到着。一部急斜面もあるものの、こちらのルートはよく整備されていて歩きやすい道でした。

西曲輪群の西端には土塁があり、櫓台状の土壇を越えて東に進むと、階段状の曲輪群の上に石塁が見えてきます。石塁の南側にはスロープ状の虎口が開口し、虎口脇の櫓台から横矢が掛かる構造になっているようです。スロープを下りた一段下の帯曲輪にも石積みが見られ、厳重な造りになっています。虎口を入るとまたも石塁が立ち塞がり、南側には喰違い虎口が設けられている…ようですが、石塁が崩れていて、そのつもりで見てようやくそう見える、という感じでしょうか。喰違い虎口を入った先が主郭です。この朝の下界は霧に沈んでおり、主郭からは一面の雲海を見ることができました。主郭の東辺は高さのある土塁がめぐり、北東部から主郭の裏手に回ってみると……こんな山中に4mもの高石垣が! 苔むした野面積みの石垣が主郭の東半分を覆っています。下調べで存在は承知していましたが、これほどの規模だったとは。高石垣南東下の二条の堀切の先は東曲輪群で、一部に石垣も見られますが、基本的には土の城で、階段状の曲輪の土塁と南側斜面に竪堀が数条見られるくらいでした。

下山して玉雲寺に参拝。玉雲寺は須知氏の懇請により島津氏出身の梵清禅師が開いた寺で、須知城落城時に焼失するも明智光秀が再興したとされ、見頃にはまだ少し早いものの、色づきつつある紅葉と山門と高石垣はなかなか絵になる景色でした。

主郭部を中心に石垣造りの虎口を設ける改修は黒井城を、山中の苔むす高石垣は周山城を連想させ、現地に立ってみて明智光秀が改修したとされる理由を実感することができました。「青天を衝け」も終盤に向かう中、今さらながらの「麒麟がくる紀行」ですが、下調べしていながらコロナ禍のため未訪の地もまだまだありますので、もうしばらく紀行を続けたいと思います。
 

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