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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)

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ぴーかる

曽根城 (2022/04/09 訪問)

【曽根城】
<駐車場他>曽根城公園駐車場
<交通手段>車

<感想>曽根城は稲葉一鉄(良通)が永禄年間(1558~1569年)に築いた城で、その後、西尾光教が城主となる。西尾光教は関ケ原で東軍に属し戦後揖斐陣屋を築き移ったことで曽根城は廃城となった。埋め戻されていますが、本丸石垣が発掘されています。
 先達方の投稿を確認せずに行ったので痛恨のミスで本丸跡の華渓寺には行かず、石碑と説明板を撮影し忘れてしまいました。

<満足度>◆◇◇

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響ちゃん

早朝に訪城 (2022/05/06 訪問)

お仕事で近くに来たので行ってみたぽい

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キンヤ

天守台の石垣が見事な城 (2022/04/30 訪問)

関ヶ原の戦いの戦功により京極高次が若狭国を所領し後瀬山城に入りましたが、1601年に小浜城の築城を始めたとされます。
その後、1634年に酒井忠勝が入って工事を引き継ぎ天守など完成したとされます。

現在は本丸の石垣のみが残されています。
すぐ近くまで民家が建っていて、外側からは写真を撮り辛いですが、天守台が立派です。
天守台の直ぐ下で撮影するしかありませんが、見上げると高い石垣が見事でした。

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kazu

清水山城は石垣好きにはたまりません! (2022/05/01 訪問)

織豊系城郭の石垣が其処彼処にあって、なかなか前に進めませんでした。
石垣と厳原港を見下ろす眺望が素晴らしかったです!

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ぜろきゅう

登城は4月 (2022/04/02 訪問)

ちょうど桜満開でした。
登りはロープウェイ、下りは歩き。
八幡堀界隈が風情があってよかったです。

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おっちゃん

松坂城跡案内図、松坂城跡散策マップ (2014/10/19 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

小里城山城縄張図 (2020/11/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

小竹城案内図 (2017/10/08 訪問)

現地案内板より抜粋。

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昌官忠

続100名城制覇に向けて

①対馬&五島&北部九州の遠征
6/5~6/11の予定で遠征する(対馬&五島&北部九州)の船の予約が取れました。
これで遠征に伴う全ての予約(航空券/レンタカー/ホテル/船)が完了したので、あとは遠征するのみです。
梅雨時の遠征なので、雨が降らないのを願います。
②四国&京都&北陸&東海の遠征
7/20~8/3の予定で遠征する(四国&京都&北陸&東海)の予約(レンタカー/ホテル)が完了しました。
あとは青春18キップの購入を残すのみです。(7/1からでないと購入できません)

上記①と②の遠征で続100名城制覇となります。(コロナ過の影響で予定より1年遅れになります)

添付した写真は前回北陸遠征した際、続100名城スタンプ未押印(2017年時はスタンプ未収集でした)の富山城と越前大野城です。
今回の遠征で押印予定です。

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いんげん丸虫

館山館 山形県川西町 (2022/05/02 訪問)

たてやまたて 詳細不明な西大枝氏が築城。標高433mの山城。
150mx100mの城跡で周囲に横堀が周っていて東面等は2重の
横堀になっています。遺構は良く残ってますが、写真では表現出来ませんね。
豪雪地帯の藪は強力で雪の重みのため根元で曲がっていて粘り強く折れません。
進むのにある程度足をあげて越えていかなくてはなりません。
股関節が痛くなります。ムチのように跳ね返ってきますし。。
雪の降る前、葉が茂る前の僅かな期間しか訪城出来ず。しかも凄い遺構を
写真で残そうと思っても上手く撮れません。
考えようでは、ここに実際に来ないと見れない贅沢な遺構なんでしょうね。

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刑部

広いですね! (2022/04/29 訪問)

かなり広いです、岩屋城からもよく見えます。そこから目を少し右に向けると水城の土塁全体が伺えます。

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ばばよ

甲府は武田信玄だけじゃない! (2022/04/30 訪問)

平成以降、古絵図などを基にできるだけ忠実に復元された櫓や門が多数。
稲荷櫓や鉄櫓もそう広くはないのに、密度の濃い展示に感心します。
野面積みの石垣も高く、力強さを感じます。
武田信玄だけじゃない甲府の魅力が非常に伝わってきました。

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刑部

義の名将 高橋鑑種の城 (2022/04/29 訪問)

「主家が盛んなる時は忠誠を誓い、主家が衰えたときは裏切る。そのような輩が多いが私は大恩を忘れ鞍替えすることは出来ぬ。恩を忘れることは鳥獣以下である」
紹運のこの言葉は心に刺さる、私も同じ思いです!
そんな憧れの城へ来ることが出来ました!
まずは、お墓参りから墓石前に来ると何故か私の眼には涙が・・・家臣たちも忠義を尽くして討死。それを思うと自然と出てきてしまいました。
この後城址の方へ。

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ryu

赤城山登山と北関東城巡り~名胡桃城(2019年) (2019/10/05 訪問)

沼田城探訪後、レンタカーで10分ほどで着。
名胡桃城址案内所でビデオを見て、資料をもらって城址を歩く。
馬出~三郭~二郭南虎口~二郭~二郭北虎口~本郭~ささ郭~般若郭(駐車場)と見てまわる。

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ryu

赤城山登山と北関東城巡り~沼田城(2019年) (2019/10/05 訪問)

赤城山登山後、レンタカーで沼田市内へ向かい、沼田城址公園の駐車場内にある観光案内所で続100名城スタンプGET。
鐘楼〜西櫓台の石垣、石段〜天守跡〜本丸堀跡~本丸跡と見てまわる。

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美しいだけではない堅固な二重惣構 (2022/05/02 訪問)

惣構は、城を中心とした城下町を囲い込んだ堀や堀の城側に土を盛り上げて造った土居等の防御施設の事であります。
金沢城下町には、1599年に造られた内惣構と1610年に造られた外惣構が二重に巡っています。
当時の堀は深いところで約5mもあったとされ、土居は
堀底から最大9mの高さを測っていたと云われています。
明治以後に、大部分の土居は堀の埋土として使用され消失しています。
堀の部分は、かつてより幅が狭まって用水として使用されております。
これが金沢用水なのですね。
内外惣構は、金沢城から見て東西に分かれているため、それぞれ東内惣構、西内惣構、東外惣構、西外惣構と呼ばれ、その延長は約9kmとなっていました。
私が行って来た西内惣構宮内橋詰遺構は、堀と土居の関係が良好に残る数少ない地点で有ります。
かつては幅10mもあったとされる堀は埋め立てられて現在堀幅は約4m、深さは約3mとなっているが、堀の城側には高さ約2mの土居が残っており、堀底からの高さは約5mとなっております。
往時の惣構を後世に語り継ぐ貴重な遺構で有ります。
特別公開で、三十間長屋、石川門、鶴丸倉庫加えて河北門続櫓の公開も有りました。
その他、2年後に二の丸御殿の復元開始の予定になっております。
予定通りに順調に開始されますようお祈り致します。
玉泉院丸庭園にある色紙短冊積石垣のような芸術的な石垣も有り、美しさを誇る金沢城なのですが一方堅固な城としての顔も忘れてはなりません。
二重惣構ですね。
それに加えて、二の丸御殿が復元出来れば絶対に行ってみたくなるお城としてのグレードがアップするに違い有りません。

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カズサン

復元模擬天守を見たくて初登城 (2009/06/13 訪問)

 佐土原城を終えて直線で南西約16km程の所に在る高岡城別称天ヶ城を13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの11城目を目指す、麓近くに成ると白い天守が目に入って来る、比高約70m程の山上は意外と広く、運動公園、広場、ゲートボール場にも成って居り、広い専用駐車場が完備し利用する。

 早速、模擬大手門、模擬天守閣に登り俯瞰する。

 案内板に由る歴史は、慶長5年(1600年)関ヶ原撤退戦を切り抜けた島津義弘が日向帰路、伊東氏の日向回復の圧迫を受けて、鹿児島帰着後日向国境警備の重要性を固め、同年この地に城郭を築き天ヶ城と命名、島津に関連する武士団を移住させ国境警備を固めたが、元和の一国一城令で廃城、武士たちは麓に移り住んだ。

 平成3年から4年の発掘調査で7ヶ所曲輪、堀切、建物跡が見られた中世山城、発掘調査後は埋め戻され、広場、ゲートボール場、運動公園等に成っている。
 平成5年10月模擬天守閣などの建物が完成し郷土資料館に成っている。

 この後は時間も有り神武天皇を祀ってる宮崎神宮、神武天皇即位の言葉を塔に刻んだ「八紘一宇」の塔を参拝見学、今は平和の塔と言うそうです。

 レンタカーを宮崎駅で戻し、日豊線で鹿児島へ昔馴染み、馴染み居酒屋、カラオケなど天文館の夜を楽しみました。

 次は番外編の福岡筑前秋月城へ

 

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のりりん

高柳城 (2022/05/07 訪問)

平成19年に新潟県加茂市の指定史跡になる
パンフレットには、畝型竪堀がはっきり映っているが、
令和4年5月に訪れたときは、藪でどの遺構もはっきりとはわからず
せっかく指定史跡になったのであれば、竪堀群見たかったな
本丸・腰曲輪・堀切・土塁はよくわかった

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のりりん

栃尾城 (2022/05/01 訪問)

上杉謙信初陣の城郭
現在の遺構は、謙信死後の御館の乱のときのもの

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