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今年最後の北海道遠征 (2020/11/03 訪問)

最後まで残っていたお城の上ノ国勝山館に行っていました。
函館から車で1時間半かけてやっと着きました。
勝山館ガイダンス施設にて、スタンプとご城印を頂き整備されている上ノ国勝山館の見学を致しました。
松前藩の祖である武田信広公が15世紀後半に、夷王山の中腹に築いたのが中世の城郭「勝山館」で有ります。
松前の徳山館に本拠を移転させて以降は、主要な副城として「和喜の館」称されました。

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赤い城

石碑が立っています (2020/10/31 訪問)

JR宇都宮駅から徒歩で25分くらい。
住宅地の中、十九夜堂の横に小さな石碑が立っています。
白いし見逃しそう。
遺構はありませんが近くに長屋門がありました。

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宗春

高山城 (2020/10/31 訪問)

時間が無くてほとんど見られませんでした。

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ぴーかる

一宮城 (2020/10/18 訪問)

【続百名城41城目】
<駐車場他>大日寺駐車場を利用(無料)。登城口に一宮神社の駐車スペース1台分(初穂料)300円あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・竪掘・堀切・本丸石垣
<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅2日目ラストの7城目。登城口にスタンプ、御城印BOXがあります。中世山城の城郭構造に、本丸には織豊系の石垣が組み込まれた私好みのお城です。本丸石垣の結晶片岩は木の化石のような感じで、一瞬木かと見間違う程特徴的な岩です。各曲輪は一応連郭式だが、各曲輪に帯曲輪・竪掘・横堀または切岸で囲まれ各々独立した構造をしていて、一つ一つの曲輪が見応えがあります。特に才蔵丸の切岸と竪掘、小倉丸の櫓台と土塁と横堀はいい感じです。小倉丸・椎丸・水ノ手丸辺りは整備力が足らず鬱蒼としていたので少し残念な箇所でした。水ノ手丸から貯水池・蔭滝を見て下山した。これにて百・続百名城の徳島県制覇。
 四国の百・続百名城以外の城びと登録の城に今回の旅で初登城した。初日があいにくの雨で山城が攻められず、まだまだ四国の山城を堪能出来ていないが、高知県が全然制覇していないので今後の楽しみにとっておく。走行距離556㎞無事走破。

<満足度>★★★

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宗春

妻木城 (2020/10/31 訪問)

妻木公民館で御城印を頂きましたが、詰めていた地元のおじいさんに捕まり、長話に付き合わされてしまいました。
ただ、お土産にと、美濃焼の湯呑みをふたつ頂いたので、両親にプレゼントしました。

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チェブ

加藤 清正さんのお墓の巻。 (2020/09/21 訪問)

「丸岡城」の予習もせず、車を走らしていると道路脇に多きな「加藤 清正公 墓所」の案内板を見かけました。
「丸岡城」に到着するとお隣の天澤寺が清正さんの墓所のようです。

清正さんが亡くなり忠広さんが庄内藩の酒井家にお預けになりました。30歳代の頃です。
理由は忠広さんの息子 光広さんが謀反の連判状を作って遊んでたそうです。光広さんは蟄居し翌年に病死します。
他にも忠広さんが徳川 家光さんの弟と仲が良い等々です。
次男 正良さんは真田家にお預けの身になりました。
後に父、忠広さんが亡くなると正良さん自刃ました。

清正閣という小さなお社の下からは 加藤 清正さんの甲冑が出てきたそうです。
清正閣で使われている石は熊本産です。
遺骨は「丸岡城」でもある忠広館の庭に埋葬したようです。
忠広さんのお父様への想いが強いです。
清正さんの朝鮮出兵の時の虎退治は有名です。石製の、かわいい虎がいます。清正さん、虎之介ですしね。
そして、酒井家の懐が深いって思いました。

実は「丸岡城」より清正さんのお墓の方が観光客が多かったです。
さすが、加藤 清正さん!です。

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ダイエティシャン

ドキドキ ワクワク 重ね捺しスタンプラリー挑戦! (2020/10/17 訪問)

重ね捺しスタンプラリー挑戦!台紙は、観光案内所(曜日定休日)又は山陰歴史館(曜日定休日)で、100円で購入出来ます。

スタンプヶ所は5ヶ所あり、米子城周辺を歩く必要あり。城下町に想いを馳せながら歩きました。

ドキドキ ワクワク 子供時代みたいに楽しめました、何回も挑戦したくなりました。

神社を訪問するが、スタンプ台見当たらず、ウロウロしていると、社務所の方に会うことが、出来ました。昨日の大風の為、境内の中に移動したとのこと。無事押せました、感謝。

米子城の城下の湊山公園では、猫諸将達が、優雅に日向ぼっこ中。(8,9枚目)兵が築いた難攻不落の城も、現代では、猫諸将、部活動生、観光客、子供達の憩いの場所です。

3の丸跡の元野球城は、整備中。(10枚目)
整備後の米子城も楽しみです。

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キッキボーイ

八王子城、疲労困憊 (2020/10/29 訪問)

桑折西山城ライブ2020でお話していた、千田先生のGoto山城!に感銘し、早速Goto山城はじめました♪
八王子城、登りの段差がきついかった!
途中で見渡せる景色をみて、管轄エリアが広大だったことがよくわかりました。

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うさぎ屋

江戸城天守復元模型 (2020/09/29 訪問)

宮内庁が2年かけた復元模型。
1/30スケールの高さ2メートルで、5000万円。
破風など精巧な作りで、間近で見られます。

一般公開初日でしたが、
5分程度待って直ぐに見学できました。

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todo94

15年ぶりの再訪 (2020/10/03 訪問)

15年ぶりの再訪です。前回は寒河江小学校にある城址碑のみのチェックでしたが、今回は澄江寺に移築されている城門も拝んでくることができました。

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日野 桜谷 (2020/11/03 訪問)

蒲生氏の領地の北側の桜谷一帯を支配した、小倉氏は、佐久良城、長寸城、園城、四ッ谷城、鳥居平城を築いた。蒲生氏郷生誕の地、日野 中野城から近い鳥居平城をまず目指し、次いで、佐久良城を訪れた。
Googleマップで、鳥居平城を見つけ、セットすると、東に1.5kmくらい離れた、四ッ谷城に案内された。他の情報をもとに、願成寺を目指して、鳥居平城登り口に到着。願成寺前の道を少し登ると駐車場スペースあり。ここに到る道に「鳥居平城」の矢印もあり、さあ、と登城しようとしたが、「整備中につき、入らないでください」と赤コーンと、虎ジマ棒が。
城がある丘陵の西裾を通る道沿いに、日野観光協会が立てた説明板があります。

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家康公出世パワー (2020/02/20 訪問)

家康公生誕の地、岡崎城。
人生勉強もしかり、いろいろ勉強になる城です。
天守閣内にもジオラマなど、他にもいろいろ勉強になるコーナーが多いです。
また、三河武士のやかた家康館という、武器や歴史の勉強のできる施設もあります。とても充実してます。
遺構としては、清海堀という深く大きな空堀が見事です。
天守閣もどっしりしていて風格があります。
いろんな銅像もあり、思わずシャッターを切ってしまいます。
場内に土産物屋さんもあり、100名城のスタンプは天守閣入り口にあります。そちらで御城印も販売しています。
さすが家康公! 立派なお城でした‼️

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殿様気分‼️ (2020/02/19 訪問)

さすが国宝天守‼️
最上階には赤い絨毯が敷かれており、廻り縁がめぐっています。
そこから景色を見ると、殿様気分です‼️
三英傑も同じ景色を見た事を考えると、『つわものどもが夢の跡』浪漫いっぱいです。
本丸内には土産屋さんが有り、そこでしか売ってないクリアファイル など、いろいろ揃ってます。
スタンプは本丸に入る手前の門の2階に置いています。
御城印は観光案内所で売っています。
それから、ライン大橋からの天守の眺めが最高です。お勧めします。
帰りはお洒落な城下町をぶらっとすると450年前にタイムスリップした様に感じられるのではないでしょうか。

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お城の宝庫 (2020/09/21 訪問)

まず、麓の資料館に立ち寄り、そこでパンフレットを手に入れる事をお勧めします。
その資料館には、御城印やクリアファイル なども売っています。続100名城のスタンプも置いてます。
その資料館の周りは水堀も巡っています。
本丸近くまで車でも登れるのですが、徒歩で登城することをお勧めします。
洲本錠は中世から近世までの城の移り変わりを感じとれます。
そして、全国的にも珍しい登り石垣も必見です。
本丸からの景色は絶景です。
本丸の後、残念石を見に行く事もお勧めします。
そこからの景色も見逃せません。

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宗春

白鷹城 (2020/10/31 訪問)

山城は、一度では城の全てを見て回る事は出来ませんね。

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ぎりょう

大崎領への伊達の拠点 (2020/11/03 訪問)

このところ奥州探題大崎氏に関連する城址を歩いていましたが、今日は大崎領に対する伊達氏の拠点千石城を訪問。
宮城県大崎市松山(旧志田郡松山町)の中心部に位置する。応永8年(1401年)遠藤盛継が関東公方から志田・加美・玉造の三郡の奉行人に任ぜられこの地に居住した。天文5年(1536年)大崎天文の乱に際し遠藤光定が古川城攻めに参戦。天正16年(1588年)遠藤高康のときに大崎合戦でこの城が伊達軍の基地となる。さらに天正18年(1590年)葛西・大崎一揆の際には鎮圧にあたる伊達政宗がこの城に入城したと云う。伊達氏にとってこの城は、北を流れる鳴瀬川を挟んで対岸に拡がる大崎氏領に対するくさびの役割を果していたものと考える。
慶長8年(1603年)茂庭氏が領主となる。当初は三ノ丸を使用したが、寛永8年(1631年)に下屋敷上野館(現在は松山高校)を築き、以後千石城三ノ丸には留守居として家臣一名を置くだけとなったと云う。
構造は、黒川郡から延びる大松沢丘陵の先端部に複数の曲輪を配した連郭式山城。南側最高所の本丸は三方が切り立った崖となり、北側へ続く二ノ丸、三ノ丸とは堀切で遮断する。これら三つの主要な曲輪を中心として複数の小曲輪が付随する防御性の高い造りとなっている。
現在城地は「コスモス公園」として整備され市民の憩いの場となっている。旧三ノ丸の部分は大きく改変されているが、本丸、二ノ丸は中世山城の雰囲気を十分感じさせてくれる。山上の三ノ丸まで車で登る事が出来る。




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くっしー

当時の縄張りを歩いてみた。 (2020/11/03 訪問)

遺構として残っているのは本丸の石垣ぐらいです。

しかも本丸の内側は公園で、当時の面影はありません。

というわけで、写真も石垣ばっかりになってしまいました。

でもこういう城跡を楽しむためには当時の縄張りを歩いてみることですね。

幸い説明看板が非常に充実していました。

現在の地図の上に当時の縄張りが描いてあり、東側の荒田川まで二の丸が広がっていたことが分かります。

確かにそこまで行ってみても遺構は何もないのですが、例えば舟入の場所も描かれているので想像で補ってみました。

そんなことをしながら縄張の範囲を歩くとなかなか大きな城だと気づくことができました。

それから、近くに川手城跡があるのですが、こちらは完全に消失しています。

しかし、移り変わりを考えると感慨深いものがあります。

室町時代の中心である川手から戦国時代に井口(稲葉山城)や大桑へと移り、江戸時代に加納に戻ってくる。

当時の人々がどのような意図で移動していったのかそんなことを考えながら散策してみると楽しいですね。

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小城小次郎

トノ町とは (2020/10/17 訪問)

石垣が残る山上の主郭は工事中で立入禁止という悲劇。城のある「トノ町」が「殿町」だとすれば、この町の「トノ」とは蜂須賀氏か香宗我部氏か、はたまたこの地を長く治めた新開氏か。城内の一角には新開神社も鎮座する。

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赤い城

日本三陣屋の一つらしい (2020/10/24 訪問)

青堀駅から徒歩で25分。
本丸の跡飯野神社に車を停めることができます。
神社の裏手に三条塚古墳があり、その間に堀があります。
陣屋自体も広く、周囲を堀が巡っていました。
桝形になっている部分も見ることができます。
保科正貞の陣屋。

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宗春

西高木家陣屋 (2020/11/01 訪問)

某城攻めアプリのイベントで訪れました。
石垣などあり、「城」っぽさもありました。

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