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じゅんじん

桜の終わりに (2022/04/15 訪問)

満開の時はすごそうです。資料館に北杜市及び山梨県のお城パンフありました。

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ヒロケン

国境を守る拠点 (2022/05/04 訪問)

森寺城は16世紀の初め頃に、能登の守護畠山義続によって築城された山城です。築城当初は湯山城と呼ばれていていましたが、廃城後に森寺地区にあったため、森寺城と呼ばれるようになったとのことです。
この城は、能登と越中の国境を守る城として利用されていましたが、畠山氏が没落後は上杉氏や織田氏の支城となりました。その後は、富山の役で佐々成政公が羽柴秀吉公に敗れ、越中・加賀・能登が前田利家公の所領となると戦略的重要性がなくなり、この頃に廃城になったと考えられています。

現在の森寺城は氷見市の指定文化財となっており、郭・石垣・土塁・堀切・井戸などの遺構が良好な状態で残っています。また、よく整備されており散策しやすい状態で、駐車場もあります。(サイダ屋敷前にトイレもありましたが、現在は使用されていないようです)
山城の大体が、山の麓に居館を持ち有事の際に立て籠もるための防御施設であり、詰城として使われる場合が多いのですが、この城は、広い郭を有することで、大勢の軍団を駐屯させる機能があったと考えられています。

8年ぶり2度目の訪問で、越中三大山城に次ぐ規模の城で自分の好きな中世山城の機能を色濃く残しており、また、訪問したいと考えていました。今回、金沢に嫁いだ娘のところに行くついでに立ち寄りました(どちらがついでか(゜_゜))
北陸地方では絶対にお勧めの城です(*^▽^*)



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城好きのメガネ

「虎御前山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
虎御前山城は、浅井氏の小谷城を攻めるために織田信長が築城した陣城とされる。豊臣秀吉が城番を務めた。浅井氏の滅亡に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR河毛駅 徒歩20分

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いんげん丸虫

松ノ木館 山形県川西町 (2022/05/02 訪問)

詳細不明の標高280mの山城です。100mx60mとコンパクトで
北面は急斜面、東、南面と2重に横堀が周り、西面は大小4重の横堀に
なっています。
東の街道に路駐可能なスペースがあります。看板は無いですが数分直登
すれば土塁、横堀等の良好な遺構を見れます。
晩秋、春先が良いですね。

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城好きのメガネ

「大聖寺城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
大聖寺城は戦国時代には、加賀一向一揆の拠点となり越前・朝倉氏と攻防が繰り広げられた。賤ヶ岳の戦い後は、丹羽長秀の与力として溝口秀勝が入る。その後、山口宗永が城主となる。関ヶ原の戦いで山口宗永は西軍についたため、東軍の前田利長に攻められて、落城する。加賀・前田家の家臣が城代を務めたが、一国一城令に伴い廃城となる。1639年、加賀藩3代・前田利常が幕府に願い出て、三男・利治を入れて立藩する。城跡に藩庁として陣屋を築く。戊辰戦争では加賀藩に従い、新政府軍の兵站を担う。現在、曲輪、土塁、茶室(長流亭)が遺されている。

<アクセス>
JR大聖寺駅 徒歩20分

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彩の国武蔵野守

関東七名城のひとつ (2020/10/04 訪問)

現存は本丸御殿のみ。
内部は、見応え十分です。

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彩の国武蔵野守

のぼうの城 (2020/08/10 訪問)

櫓と堀が現存しており、美しく管理されています。

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彩の国武蔵野守

お城が見たかった (2020/10/02 訪問)

現在は綺麗な公園に整備されていて、城門(黒門)と裏門、空堀に城の名残りがあります。
御朱印は「岩付城」になっています。
岩槻は東京浅草橋と同様人形の街。駅前に多くの人形店があります。

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カズサン

秋月城下散歩 (2009/06/14 訪問)

 秋月城「西面の城塁と水堀で堅固な城」の続きです。
 
 秋月城の城塁石垣、水堀、特徴ある瓦坂石橋、長屋門、黒門、主殿跡を探訪し丁度お昼、黒門南奥に緑に囲まれた洒落た店が有ったので昼食は蕎麦を頂く事にしました。
 
 秋月城主要部を終えて郷土館で秋月城の立体模型観察見学し城下を散策しました、秋月城の北側城塁、更に今は田圃、石垣が一段高く成って居るので元は武家屋敷か?郷土館も武家屋敷を利用している、西方向の畑エリアも石垣で囲まれて居り元武家屋敷と思われる、武家屋敷として現在残ってる所は少ないですが往時の面影を残してる。
 城下の入口に在る石造りの眼鏡橋を見学、傍の野鳥川沿いの白土塀の通りは、寅さんのシーンで映し出された景観でした、全体しっとりとした城下町です。
 当日は秋月城のみの探訪、2時間半願ってた秋月城探訪、立体模型観察見学で往時の城郭建物を模型を通して想像を膨らます事も出来、満足な一日でした。
 大分県宮崎県城廻りの4泊5日を12城目秋月城で終了し、後はバス電車列車新幹線で帰路へ。

 

 

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おっちゃん

鎌刃城跡のみどころ (2017/05/04 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

宇佐山城案内図 (2016/12/30 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

安土城案内図 (2015/10/18 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ryu

能島城を遠望(2020年) (2020/01/24 訪問)

しまなみ海道を通って道後温泉に向かう途中で訪問。
しまなみ海道の大島北ICを下りて、海沿いを走り、村上水軍博物館に着く。
博物館内を見学して、3階の展望室から城跡を遠望する。

続100名城スタンプは博物館に設置してあり、城跡まで行ってないのにスタンプを押すのもどうかとは思ったが、当時は、2019年の災害の影響で島への上陸はできないということで博物館からの遠望でがまんし、押印する。

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くっしー

小西行長のお城 (2022/05/05 訪問)

現在は公園になっていて小西行長像がたっています。
関ケ原の戦いで負けなければどのように残っていたのでしょうね。
想像図みたいな街並みがそのまま残っていたんですかね。
でも西軍が勝ってたら、あの素晴らしい熊本城はなかったかなと思うとちょっと複雑です。

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くっしー

古墳時代から居館 (2022/05/05 訪問)

戦国時代の城跡ですが、発掘調査の結果から戦国時代の遺物・遺構だけではなく、古墳時代の居館及び古墳の遺構と遺物が見つかっています。
丘陵地にある城跡ですので、戦国時代に限らず防衛や信仰において重要な場所だったということが分かります。
また、面白いなと思ったのは堀から五輪塔や宝篋印塔が見つかっているということです。これは意図的に入れられたものらしく、「城破り」を具体的に示す事例だそうです。城を捨てる時にそんなことをするなんて驚きです!!

宇土駅からバスはほとんどありません。交通手段がなかったので歩きましたが片道40分かかりました。まあ、道中それなりに面白かったですけどね。自家用車で訪問されることをお勧めします。

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くっしー

穏やかな人吉の街に魅了されました。 (2022/05/05 訪問)

700年の歴史をもつお城ですが、残っているのは近世の総石垣のお城です。
立地が素晴らしいですね。球磨川沿いの丘の上に作られているわけですが、観光という点で言うと二の丸・三の丸からの眺めが素晴らしい。登るのもそんなに難しくないですしね。
支配という点から行っても、川の近くだし周りの動きも見て取れる位置にあります。
そして、石垣が綺麗ですね。ずっと見ていられます。

それから、街が素敵やなっと思いました。
人吉温泉、国宝の青井阿蘇神社、駅前のからくり時計、鉄道ミュージアム。
訪問した日はGWの真っただ中でしたが、それほど人混みでもなく居心地が良かったです。
ちなみに人吉城から城まではバスでもありますが、歩いても行ける距離です。

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くっしー

お堀に落ちないように注意!! (2022/05/04 訪問)

加藤氏が築城、細川忠興が隠居城にして、その後細川家家臣の松井氏が支配したお城です。
石垣が綺麗ですね。
高石垣が360度どこから見ても美しい。
天守台の所まで登ることができるのですが、柵も何もないので行かれる方は落っこちないように注意してくださいね。

駅から少し離れていてますが、バスが結構たくさん出ているので利用できますよ!!
近くにある八代市立博物館「未来の森ミュージアム」も合わせて見学すると面白いです。
城跡は神社になっていて入場無料ですが、博物館は入館料700円です。

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城好きのメガネ

「膳所城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
膳所城は、徳川家康の命により藤堂高虎が築城した天下普請・第1号の城。関ヶ原の戦いで功をあげた戸田一西が藩祖。京都へ入る交通の要衝にあたるため、一西の後は譜代大名が入る。藩主が頻繁に変わり、本多俊次が7万石で入り、13代220年の間、本多氏の居城となり幕末まで治める。困窮した領民を救済するため米を貯蔵する「安民蔵」の設置や火災対策も行った。戊辰戦争では新政府軍に参加し伊勢桑名藩追討に参陣する。廃藩置県後、廃城となる。現在、移築門が現存する。

<アクセス>
京阪石山坂本線 膳所本町駅 徒歩15分

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カズサン

西面の城塁と水堀で堅固な城 (2009/06/14 訪問)

 秋月城は城の本、HPの写真で何時か行きたいと思って居り、秋月城の立体模型写真を見た折、西側の南北に石垣城塁と水堀が控え櫓台には二重櫓が構えてる状態を確認し、益々行きたい感が増しました。
 丁度13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻りの番外編で、前日は西都原古墳群、高鍋城、佐土原城、高岡城(天ヶ城)を探訪し、日豊線で鹿児島入り、天文館で旧友、馴染みの店で天文館を楽しみ、翌日鹿児島線特急で鳥栖駅経由西鉄甘木線、バスを乗り継いで秋月城を今回の城廻りの12城目として初登城探訪しました。

 秋月城下へ入口の石造りの眼鏡橋が目を引きます、寅さんロードの野鳥川沿いの白土塀通りも気に成ります、観光案内所から、桜の頃でしたらさぞ綺麗だろうと杉の馬場から秋月城北側の城塁角、水堀、瓦坂の石橋、西面南北の城塁、水堀を眺める、現在内部は秋月中学校、長屋門石段、脇櫓台、構内で南側に一段高い元主殿跡とおもしき跡地を見学観察、移築黒門、北に戻って秋月郷土館に入館、以前からの見学を願って居た秋月城の立体模型とご対面、やっと見学出来たとの達成感感激です、しかしケースに収められており写真撮影が難しい。

 秋月城の歴史は秋月氏が此の地を治めこの地の居館を置き奥に古処山城を詰城としていた、豊臣秀吉の九州征伐平定後改易も有りえたようですが、家宝の茶釜を差し出し降伏を願ったのが功を奏したのか、前日訪ねた高鍋城へ3万石で転封、家名存続を果たした。
 関ヶ原後筑前は黒田氏52万石の領地と成り長政の三男長興は5万石を分知され秋月藩が立藩した、秋月氏の居館跡を寛永元年(1624年)秋月城として縄張した、以後黒田家12代継承して明治を迎える。

 続きます(城下散策編)。

 

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城好きのメガネ

「大津城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
大津城は、豊臣秀吉が坂本城の代わりに浅野長政に命じて築城したとされる。浅野、増田、新庄氏と城主が代わり、1595年に京極高次が入る。関ヶ原の戦いでは京極高次は東軍に属し、大津城に籠城する。毛利元康・立花宗茂ら西軍1万5000に城を囲まれる。7日間持ち堪えたが、北政所の側近孝・蔵主と高野山の木食応其の仲介による講和が成立し、降伏開城となる。高次は園城寺に入り、剃髪して高野山に上った。関ヶ原の戦い後は廃城となり、大津城の戦いで損壊を免れた建築物は彦根城や膳所城などへ移築・転用された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
京阪電鉄 びわ湖浜大津駅 徒歩 10分

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