「① 官軍と谷千城(前編)」からの続きです
熊本城天守を燃やしてしまった谷にとって唯一の誤算は、誤って備蓄していた米も一緒に燃えてなくなってしまった事でした。これにより、この先の籠城戦で食料に困窮する事になってしまいます。
しかし、熊本城には清正が最初から籠城戦を想定し、銀杏の木や120ケ所もある井戸や、壁や畳にカンピョウや里芋の茎が保存され数十日の籠城にも耐えられる作りになっていました。薩軍は城への突入を試みるも、官軍もよく抵抗、かつ高石垣や堀や川、連続する桝形や塀と狭間に囲まれた巧みな縄張りで、薩軍は城に近づく事もできません。(清正の考えた鉄壁の縄張りや籠城への備えが、築城から270年後に役に立ったという事ですね🤔!)。それでも官軍も籠城が長引くと、これだけではやはり食料がまた足りなくなり、最後は軍馬の肉まで食べたそうです。
【熊本名物「馬刺」】
加藤清正が蔚山で籠城の際、軍馬を食べたのが起源だそうで、官軍もそれを知って同じことをしたのかもしれません(写真②:天守3Fより)。そのせいかはわかりませんが、熊本では今でも馬肉をよく食べる習慣があるようで、「馬刺し」があちこちで売られています。私もおみやげに買って帰りました(写真③④)。何かちょっとコメントするのがむつかしい味でしたが・・・興味のある方はぜひどうぞ😊!
次回は、城下にある薩軍側の遺跡を歩きます(「③薩軍と西郷隆盛」へ続きます)。
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