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リャンス

秋晴れの松坂城 (2020/10/26 訪問)

資料館等が休みで残念😭

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

広島城からバスで60分で錦帯橋下の河原にある駐車場に到着。錦帯橋を渡りロープウェイ(3分くらい)で岩国城に到着。
100名城スタンプは天守入口にありました。
ロープウェイで登った横山山頂にある天守は再建された復興天守ですが、いい味出しています。
天守台石垣や空堀、大釣井など見所はたくさんあります。また麓にある水堀越に見る錦雲閣、旧吉川邸厩門などもぜひ見学してみてください。河原から見る錦帯橋越の天守(かなり小さく見えます)も絵になります。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

初期近世城郭の代表的な平城です。現在は内堀とそれに囲まれた本丸・二の丸のみが残され、国の史跡に指定されています。
本丸には復元された天守、復元された二の丸には平櫓・多聞櫓・太鼓櫓・表御門・御門橋があります。
水堀越しからみる天守は美しいです。(現代建造物が写真に入らないスポットを捜すため、水堀の周りをウロウロしました。)
東小天守跡下の石垣も個人的には好きです。攻城時間は70分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/13 訪問)

JR福山駅のすぐ側です。伏見櫓は伏見城から移築されたもので、現存の櫓では最古のものだそうです。天守は再建された復興天守ですが、いい味出しています。現在は耐震工事の為、2020/8まで休館のようですが、自分が攻城した時は入れました。
100名城スタンプは天守1Fにありましたが、工事中の現在は天守近くの事務所で入手できるようです。
ツアー客の皆さんが最初に天守に行かれたので、自分は鏡櫓➡月見櫓➡御湯殿➡伏見櫓➡筋金御門➡鐘櫓➡筋金御門から表に出て福山駅を望み➡阿部正弘像➡再び筋金御門から入城➡天守➡鏡櫓横の門から出て➡水野勝成像➡再び本丸へ戻るルートで攻城しました。
大型観光バス駐車場脇に桜が咲いていました。攻城時間は70分くらいでした。

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石垣 石垣 また石垣 (2020/06/20 訪問)

石垣で有名な丸亀城に行ってきました。
綺麗な扇の勾配。20mを越す高石垣。
現存天守。お堀も綺麗。
無骨ではなく秀麗なお城です。
天守閣は小ぶりながら、流石、現存天守。
床が輝いています。
災害で石垣が崩落し、現在、修復中です。
一つ一つ石垣を積んでいます。
それを見ることが出来ます。
早く、完全復旧しますように。

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毛利元就の神秘的パワー (2020/08/13 訪問)

2020年8月、広島県安芸高田町にある100名城の一つ、吉田郡山城に行ってきました。
凄いです‼️ 何が凄いか… 毛利元就の墓です。
パワースポットとは、ここです‼️
お墓が大きくて、周りの樹々が鬱蒼としていて、墓石には神秘を感じさせる苔がむしています。
吉田郡山城には沢山の曲輪があり、絶景があり、楽しいのですが、お墓が凄いです‼️
注意する点としては、虫が多いので虫除けスプレーが必須です。
あと、自販機が無いので、水分を事前に買っておく事です。
まぁ、あのお墓には、いつかまた行きたい‼️

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー26城目 (2020/09/19 訪問)

スタンプ置き場の高松城址公園資料館は、ネット情報によると10時開館ですが、前回も今回も9時には開館していました。前回は岡山の豪雨災害の後で蓮の葉が泥だらけでしたが、今回は泥の汚れではなく枯れかかっている感じでした。

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にのまる

すごいなぁ。。。 (2020/09/29 訪問)

 長谷堂城から山形城への行軍は思ったほど苦行ではありませんでした。
 まずは目標地点の霞城セントラル(地上24階、高さ約115m)が遠くからでもよく見えたということ。絶対に迷子にならないという安心感は7kmという距離の心理的負担を軽減してくれました。そしてR348沿いの歩道の歩きやすさと気持ちよさ。道の両側で風に揺れる黄金色の稲穂は今世界に蔓延る禍を忘れさせてくれます。視界が広く安全な道路には、熊・猪・猿が飛び出してくる不安も、烏・鳩・雀のそばを通らなければならないという試練もありません。(鳥類全般苦手なので。)
 しかし、この遮るものが何もない道筋は、当時にしてみれば、長谷堂城が陥落したら、ただでさえ兵力分散し寡兵で守る山形城もひとたまりもないということ。このあたりの田畑を自軍に有利に利用することを両軍ともに考えたのではないかと思います。
 そんなこんなで歩き続けたのですが、霞城セントラル、どれだけ歩いても全然近づいてくれません。いつまでたっても“遠くに見える”ままで、「手が届きそうで届かない、どんどん逃げていくお月さま」状態です。
 そんな中、歩道脇に見つけた「湯目之碑」(写真⑩)。伊達政宗に命じられて来援し上杉軍と奮戦、討死した湯目加賀守重旧の供養碑でした。ここのほかにも戦士たちの碑が何か所かあるようです。
‪ 午後3時ちょうどに霞城セントラル最上階の展望ロビーに到着しました。ここから見下ろすと輪郭式平城の山形城のようすが隅々までよくわかります。そして霞城公園となっている山形城に向かったのですが、外したくないのが4年前に時間切れで入れなかった二の丸東大手門櫓です。今回も時間に余裕があるわけではないので真っ先に行こうと思ったのですが、南大手門の石垣に上がり、坤櫓跡まで歩き、などしているとどんどん時間が過ぎていき…。本丸一文字門も同じく4時閉門だったのですがこちらは以前入っているので踏みとどまり、何とか東大手門櫓に間に合いました。‬
 そのあと整備がかなり進んだ本丸西土塁と西堀、それから北側へまわってみました。北側の野球場はなくなって(別の場所に移設されたそうです)、広大な発掘現場となっていました。少し会話をしたお散歩中の方が「ここまで本丸だったとしたら相当広かったんだろうな」としみじみ仰っていたのが印象的でした。地元の方にとって山形城の復元は見届けたい夢なのでしょう。史料を探し出し、発掘調査をし、現代の建築や人々の生活とも折り合いをつけて元の姿に戻してゆくということは財源の確保も含めてきっとたいへんな事業なのだろうと想像することしかできませんが、そこにある夢はとてつもなく大きく、過去を探ることで未来に向かっているような気がいたしました。

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城好きのメガネ

「永田陣屋」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
永田陣屋は、徳川家康の家臣で関東郡代であった伊奈忠次が荒川の改修や新田開発を行うため当地に陣屋(土屋陣屋)を築いたことが始まりとされる。伊奈忠次は父と共に三河一向一揆に加担し、堺に移り住み治水を学ぶ。本能寺の変では徳川家康の伊賀越えに加わり徳川家に復帰した。関東移封では関東郡代に任じられ、検地・治水工事の責任者として頭角を表した。後の江戸幕府の経済基盤の確立に寄与したとされる。永田氏は伊奈忠次と共に新田開発に貢献したことから陣屋跡地を拝領し、現在に至る。現在、長屋門などが遺されている。*個人宅のため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
JR指扇駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「石浜城」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
石浜城は千葉実胤が扇谷上杉家の傘下に入り、築城したとされる。下総の回復は叶わず、扇谷上杉家の没落後は、後北条氏に従う。小田原征伐後に廃城となったとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR南千住駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「蕨城」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を築いたとされている。戦国時代には、北条氏綱に攻められ落城する。三舟山合戦で渋川氏が戦死したため廃城となった。その後、徳川将軍家の鷹狩用の御殿「蕨ノ御所」として、蕨城の跡地が再利用された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR蕨駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「針ヶ谷陣屋」 (2020/03/26 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
針ヶ谷陣屋は徳川家康が江戸入部後、譜代家臣である高力清長が岩槻城主となった。高力清長は浦和郷一万石の代官として中村吉照に支配を命じ、築いた陣屋とされている。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR北浦和駅 徒歩15分

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チェブ

3匹のシャチホコ。 (2020/09/20 訪問)

100名城にも選ばれている「新発田城」、スタンプ押しに行って来ました。

時期は、はっきりしてませんが新発田氏が築城します。新発田氏は上杉 謙信さんの配下になったそうです。
上杉家の跡目争いは新発田氏、上杉 景勝さんサイドで活躍します。
新発田 重家さんの時代に、上杉 景勝さんに反旗を翻してしまいました。
「新発田城」は落城し、新発田家は滅亡しました。

上杉家が会津転封すると、加賀から溝口 秀勝さん入封。270年、ずっと藩主は溝口家です。これって珍しい事なんだそうです。
溝口 秀勝さん、1598年に築城します。完成は1654年。
完成から少し経った1668年に火事、翌年は大地震で「新発田城」は石垣が崩れる大惨事だったそうです。

そ~か!火事の時に水を噴出して鎮火するシャチホコを、火事の経験から一匹 多く乗せたんだ!と思いました。
あぁ単純、、、。
敵が攻めて来た際、進軍する方角により増減して見え混乱させるという理由があるそうです。
確かに写真②のシャチホコを写すのに、3匹とも入る場所うろうろ しましたもん。
3匹のシャチホコの理由は謎です。
「新発田城」、水堀が美しく水面に櫓が映り絵になります。
門をくぐると敷地は意外と狭いです。
「新発田城」の大半は、お隣の陸上自衛隊です。
辰巳櫓から自衛隊の敷地内が見えます。
ご苦労様でーす!

「新発田城」は3匹のシャチホコと自衛隊の皆さんが守ってくれてます。
そしてボランティアの皆さんも、ありがとうございます。

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いんげん丸虫

竹山城 長野県松代町 (2020/10/25 訪問)

海津城の南、象山山頂にあります。
鞍骨城の支城の役割があったようです。象山神社から遊歩道があり簡単に行けます。主郭の周りには3段の帯曲輪があり、崩れてる箇所もありますが石垣が巡ってます。

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ふゆづき

混雑する前に (2020/10/24 訪問)

ドラマに登場する前にと思い、丹波亀山城に朝一番で行ってきました。
朝の受付は9:30~ 城域を管理している大本教の受付で入城券を頂き、見学者用のシールを張るように言われます。
土曜日の朝でしたので、大本教の方々が清掃活動を行っており、見学者である旨を告げると、丁寧に案内してくださいました。
受付後、最初に2回のギャラリーで大本教が管理することになった経緯を含む城の歴史を説明したビデオを拝聴し、見学に出かけます。
見学場所は旧本丸付近に限られていますが、説明資料では天守台の下1/3の石垣は明智光秀時代からの遺構だそうです。
また、池は城の内堀の跡とのことです。
駅方面のの堀の跡には石垣に使われるような成形された石が沈んでおり、破却された石垣ではないかとの思いに駆られました。
もう少し見学者が多いかと思いましたが、宗教施設なので少しハードルが高いのかもしれません。
亀岡駅の反対側には大河ドラマ館があり、賑わっていました。

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街道おじさん

新宮城登城 (2020/10/25 訪問)

紀州藩の付家老を務めた水野氏の居城。
熊野川河口近くに築かれた総石垣の城。
JR新宮駅から徒歩10分程度で到着。

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みぃ☆

マムシ注意!! の看板が多かった (2020/10/25 訪問)

近くの川で、熊が出た。と聞いたので、熊鈴持参で行きましたが、熊よりもマムシの看板が、あちこちに有って、キョロキョロしながらでした(^_^;)

朝8時頃についたので、ゆっくり散策できました。
他にも何組か来城していました。こんな早くから来てる人は、城好き♡以外の何者でもないので、ご挨拶*゚✲ฺ٩(ˊᗜˋ*)و✲*おはようございま~す。

100名城スタンプと御城印を頂くため、しばし待機。
どちらも無事get♬

他の方々。getしたら、すぐに帰っちゃいましたが、奥に ちょっとした展示物が有りました。他にも「真田六名城」のパンフレットや六文銭シール等々(๑•̀ㅁ•́๑)✧
大量getできました♬

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/12 訪問)

備中松山城の「ふいご峠」からクラブツーリズムのバスで60分くらいで鬼ノ城に着きました。100名城スタンプはビジネスセンターにありました。
城ガイドさんのレクチャーを受けアップダウンの山道を歩きます。神籠石式山城です。西門と土塁、石垣が復元されています。
4つの城門(南門、東門、北門、西門)があるようですが、時間の都合で南門、西門、東門(遠景のみ)のみの見学で北門を見ることはできませんでした。
復元された西門もいいですが版築土塁と石垣もなかなかのものでした。攻城時間は60分くらい(西門・水門コース)でしたが、1周コースだと1.5~2時間はかかるようです。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/12 訪問)

羽田空港➡岡山空港➡高梁観光センターへ、ここでマイクロバスに乗換、「ふいご峠」から徒歩30分かけて山道を登り、備中松山城の天守に向かうルートでした。100名城スタンプは入場券売場にあります。100円のクリアファイル購入しました。
備中松山城は今回2回目の攻城です。1回目は別のクラブツーリズムツアー(攻城時の資料が見つかりませんが確か姫路城とのセットだったと記憶しています)で息子と二人で2018/06/17に攻城。この時の写真が残っていました。
2回目が今回なのですが、1回目で小松山城跡を見学していたので添乗員さんにお願いして、一人単独行動で大松山城跡を見学しました。
小松山城跡の現存建物は天守、二重櫓、一部の土塀で、五の平櫓、六の平櫓や城門は復元されたものです。自分は大手門跡付近にある岩盤と一体となった石垣が好きです。確かNHKの大河ドラマ「真田丸」のオープニング?に使用されたと記憶しています。間違っていたなら、すみません。
本丸から北に向かうと「土橋」とかかれた所があり、堀切に木橋が架かっています。ここが「水の手」で、ここから先に進むと大松山城跡に行けます。
大松山城跡のお見所は大堀切と大池です。攻城時、大松山城跡周辺で整備作業をされていましたので邪魔にならないように見学。
添乗員さんに「ふいご峠」での集合時間に遅れないように言われていましたので、駆け足での攻城でした。攻城時間は90分くらいだったと思います。
できれば、もう一度攻城し、「雲海」を見てみたいです。写真は1回目と2回目を併せて投稿します。

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朝田 辰兵衛

茶臼山城(新潟県上越市) (2020/10/25 訪問)

【ちゃうすやま じょう】新潟県上越市頸城区矢住字城越に位置し,北越急行ほくほく線くびき駅から直線距離で東に約1.5kmで,新溜池の北側のちょっとした高台みたいなところにあります。散歩気分で登れるくらいです。
見どころは,今も水をたたえている巨大な二の丸の井戸と堀切だと思います。井戸に石は投げませんでした(茶臼山城二の丸井戸悲話参照)。
本丸には,展望台とパネル。それと,城主子孫で浄土真宗住職が設置した念仏碑があります(詳細経緯は6枚目画像の「茶臼山城本丸パネル」参照)。

《茶臼山城二の丸井戸悲話》
城主には,美しい娘がいたそうなぁ~。御館の乱で景虎側についた城主は,落城の際に落ち延びることを選択。しかし,姫を伴うことは不可能と判断。そして,城に残した。敵は姫を殺すことはしないだろうとの読みで…。
ところが,姫は悲しみのあまり井戸に身を投げて死んだ。井戸に石を投げると,姫が奏でる琴の音が響いてくるという…。
おしまい。

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