大東市側から登り,四條畷市側に下りました。真夏に登城したのですが,どちら側からも(たぶん健康目的で)大勢登られてました。年代層も幅広く,地元に愛されている山なんだと実感しました。栄えある「第1回日本城郭協会大賞」,大変におめでとうございます!
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2022/04/21 23:13
2022/04/21 22:14
益富城の一夜城まつり(2014年) (2014/10/25 訪問)
毎年この時期に開催される益富城の一夜城まつりにあわせて訪城。
益富城は、永享年代、大内盛見の築城といわれている。戦国時代末期には、古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。
秀吉の九州征伐の際、秋月氏は当城を破却して本拠の古処山城へ退却したが、古処山城から見下ろすと一夜で城が修復され(実際は村人が障子などを貼ったもの)、戦意喪失した秋月氏は降伏したという。
その後、黒田氏が筑前六端城の一つとして位置づけ、家臣を居城させたが、一国一城令により廃城された。
城址すぐ下の駐車場まで車で上がり、そこから歩く。よく整備され石垣、土塁、堀など遺構もよく残っている。山上には一夜城まつりでベニヤ板の天守閣が建っていた。
下山後、麓のお寺に移築された移築搦手門、移築大手門を見て回る。
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2022/04/21 22:03
水城館に行ってみた(2018年) (2018/04/08 訪問)
続100名城スタンプ押印も兼ねて、水城東門跡の北側に2017年4月開館した水城館に行ってみる。水城の説明ビデオも放映されていて便利。
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2022/04/21 21:59
2022/04/21 21:49
中国式山城、怡土城探訪(2014年) (2014/04/19 訪問)
高祖山登山を兼ねて怡土城遺構を探訪する。
怡土城は、高祖山(標高416m)の西斜面一帯に構築された古代山城で、斜面にたすき状(城郭が山頂部から平地部におよぶ)に構築された中国式山城。(鉢巻状(城郭が山の等高線に沿う)の朝鮮式山城とは性格を異にする。)
天平勝宝8年(756年)から神護景雲2年(768年)にかけて吉備真備のち佐伯今毛人が築城を担当。
北西尾根線上・南西尾根線上に望楼跡が、西山裾に南北約2キロメートルの土塁線が残る。
他の古代山城(朝鮮式山城・神籠石系山城)が663年の白村江の戦い頃の築城とされるのに対して、奈良時代の築城で朝鮮式山城でなく大陸系の中国式山城である点で貴重な山城である。
麓の高祖神社から高祖山に登り、高祖東谷に縦走し、怡土城跡探訪歩道を歩き、高来寺から麓の土塁を横に見ながら大鳥居口経由で高祖神社駐車場に戻る。
一の坂礎石群~第2望楼跡~第3望楼跡~第4望楼跡~第5望楼跡~麓の土塁跡~大鳥居口と見学。
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2022/04/21 21:40
細分化された本丸 (2021/12/05 訪問)
発掘成果に基づいて整備が終わった本丸には土塁と堀に囲まれた主殿空間が再現されていた。せっかくの大空間を敢えて細分化して使うケースがあるとわかったのは、だだっ広い曲輪の意味やあり方を考える上で貴重かも。
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2022/04/21 21:36
【究極の1枚】 (2011/05/02 訪問)
この石垣(六段壁)を見れば、お城ファンになります! 古城の桜が印象的でした。今は切り株です。
お城好きの自覚ゼロの時に訪城しました。
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2022/04/21 20:36
現存、復元建物が、たくさん❗ (2022/01/26 訪問)
いつ来ても、楽しいです。
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2022/04/21 20:31
2022/04/21 20:24
現存天守閣 (2022/01/28 訪問)
数年ぶりに、登城しました。石垣が、カッコ良かったです。
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2022/04/21 19:03
【城と標柱】
標柱と言えるかどうか分かりませんが、一乗谷城詰め城へ登り切った城跡入口、千畳敷曲輪前にある石仏です。約3㎞頑張って登ってお出迎えしてくれているようで思い出深い仏様でした。
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2022/04/21 18:54
【城と生き物】
表御殿庭園
アオサギに占拠されています。何羽いるでしょう?
答え 4羽
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2022/04/21 18:49
郡上八幡城 (2022/04/02 訪問)
【続百名城51城目】
<駐車場他>郡上八幡城駐車場無料あり。
<交通手段>車
<見所>石垣・模擬天守
<感想>1泊2日郡上の旅2城目。約30年ぶり2度目の来城。いやはや来たことは自体は覚えていますが、開館時間前で天守にも入らずどんなお城だったかも全然覚えていなかったので改めて新鮮でした。郡上八幡城の魅力はやっぱり石垣でした。城全体の西面の石垣は面積が広く長くて見ごたえありです。野面積みだが壁面の石をなるべく平らに揃えた感じで湾曲した部分も美しく見える。城跡の東面・南面にも石垣があるのだがだいぶ藪化してしまって石垣遺構を存分に堪能できないのが残念なところ。南面はかなり下段の方まで石垣がありますが覗いて見える程度。模擬天守は城跡にいい感じでマッチングしていて内部は破風内の小部屋があったりして天守城郭を良く再現しています。日本最古の木造模擬天守も約90年も経てばもはや城郭遺構レベルで見ていて楽しかった。これにて百・続百名城の美濃国制覇。
<満足度>★★☆
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2022/04/21 18:34
墓地になっている (2022/04/10 訪問)
渡良瀬川の自然堤防上にあります。
河川敷のテニスコートの駐車場を拝借しました。
登城口に説明板が立っており、そこを登ると赤城神社ですが建物崩壊の恐れとのことで立入禁止の看板が出ていました。
左手に迂回し民家脇から登城しました。
乳房地蔵が建つ裏手に高い土塁があり、その上に曲輪があります。
土塁に沿って進むと墓地になっていてさらに進むと主郭に。
僅かに土塁も付いていました。
曲輪の大部分は笹薮で恐らく夏は歩けないと思います。
別名は勧農城、山内上杉氏の重臣、長尾景人の居城とされます。
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2022/04/21 17:49
2022/04/21 17:40
日本三大夜桜と城 (2022/04/09 訪問)
桜まつりの日に、登城しました。夜間は、建物の中には、入れません。日本三大夜桜と、呼ばれるだけあって、とても、幻想的でした。
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2022/04/21 15:18
倒壊しそうです (2022/04/04 訪問)
赤穂藩浅野長直の養子長恒が三千石を与えられこの地に陣屋を築いた。
長恒は赤穂城二の丸にある屋敷門の主人大石頼母助の息子のようです。
藩札を作っていた札座が残っている珍しい陣屋跡ですが倒壊しそうです。
次回訪れるときに残っているか不安です。
貴重な建物であると思いますので保存されることを希望します。
屋敷跡は札座裏手の須賀神社のようで石積みや社殿の裏には土塀が残っています。
相生市内西法寺には門が移築されてます。
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2022/04/21 14:46
ゆっくりと復元中のようです (2022/04/04 訪問)
11年ぶりに訪れました。
二の丸門跡の石垣は昭和の災害復興のため
持ち去られ平場になっていたそうですが
現在は発掘調査中のようでブルーシートが
被せられていました。復元されることを望みます。
大石頼母助邸屋敷門は以前見学しましたが
その中は見ていませんでした。
屋敷門をくぐると綺麗な庭園が整備されています。
奥の方には三の丸へ架かる西中門が整備されてますが
三の丸内は手付かずのようです。
場内所々で桜が満開で特に二の丸仕切門付近は最高でした。
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2022/04/21 13:10
2022/04/21 12:52
土岐氏の一族羽崎氏 (2022/04/21 訪問)
JR可児駅より徒歩で34分(と可児市PRサイトには書いてあります)。実際に歩いて行きましたが、そんなものだと思います。標識があり城址碑までは迷わず行くことができます。石垣がありましたが、当時のものか否かはわかりません。
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