八王子駅から徒歩で8分くらい。
八雲八幡神社が館跡とされ、境内には横山党開祖の横山義孝を祀る横山神社があります。
周辺は住宅地で遺構はありません。
横山氏は武蔵七党の最大勢力でした。
鎌倉時代には鎌倉氏の13人の和田義盛と姻戚関係を持ち、北条氏との戦いで敗れました。
早朝にも関わらず近所の方が多く参拝されていました。
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2022/09/29 22:48
2022/09/29 19:31
大博打の始まりじゃ〜 (2022/09/14 訪問)
周辺を歩き回った後、ついに城攻め。もはや町のシンボルとしてだけでなく、国の重要史跡として連日観光客を集める会津若松城(鶴ヶ城)ですが、ある時期まで競輪場だったことはあまり知られていません。収益は相当あったらしく、それを元に市民の悲願だった天守復元を成し遂げるというかなり珍しいケースです。
会津戦争で大破した五重の天守は1874年に取り壊し。1950年には本丸跡に公営競輪場が設置されますが、批判の声もあり移転、その後中止。そして65年、鉄筋コンクリート造りで外観が復元されました(内部は博物館)。古写真を見るかぎり、競輪が行われていた頃も、古式ゆかしい天守台だけはどっしりと存在感を放っています。建物だけでなく、その石垣を堪能することをおすすめします。
とにかく古いものが見たいという方は天守台の隅角に注目。算木積が未発達な頃に積まれた石垣で、最下段の巨石は天正末期から文禄期の特徴を示しているとされます。豊臣秀吉の奥州支配の拠点という位置づけで蒲生氏郷が大改修を加え、近世城郭化しました。資料は残っていませんが、当時は七重の天守だったと言われています。伊達政宗ら奥州大名への牽制、さらには関東に入った徳川家康の背後を押さえるという重要な意味合いの城だったことがわかります。その後、大地震で傾いた天守は五重に縮小され、戊辰戦争後まで残りました。
天守は層塔型。破風が少ない単調な見た目を勝手に想像していましたが、良い意味で裏切られました。まずは最上階の廻縁と高欄が格式を与えます。そして屋根に変化をつけた出窓(張出部)や付櫓がグイっと自己主張。さらには腰屋根のように見える土塀が天守台をぐるり、といった感じで意匠に変化をもたせており、長時間、さまざまな角度から眺めても飽きません。歩き疲れた脚を休めつつ、西日を背にした巨大天守をぼーっと見上げるのは至福の時間でした。
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2022/09/29 16:44
第29回全国山城サミット恵那大会 (2022/09/28 訪問)
第29回全国山城サミットが今年の10月22日、23日岐阜県恵那市で開催されます。第26回が同じ岐阜県の可児市でしたので、こんなに早くまた岐阜県で開催されるとは意外でした。恵那市は三大山城のひとつである岩村城があり開催地としては的確な場所なのでしょう。春風亭昇太師匠も来るみたいです。
ここで恵那地方のグルメ情報を2つ
もしこちらに来られる機会があれば参考にしてください。
この時期(9月~12月)、この地方(中津川市、恵那市、八百津町)で有名なお菓子に「栗きんとん」があります。岐阜で「栗きんとん」といえば、茹でた栗を裏ごしして砂糖を加え、茶巾絞りにした和菓子のことで、お節料理に出てくる料理とは異なります。1個300円前後するかなり高めの和菓子ですが、上品な味わいで人気があります。いろいろな和菓子屋さんが発売されています。写真は「恵那寿や」さんのものです。(写真4)
この地方は五平餅もよく食べられていて美味しい店が多く存在しています。写真は恵那駅近くの「あまから」さんの五平餅で小判型ではなくだんご型です。胡麻と胡桃でできた醤油ベースのたれを使用されていて人気があります。(写真5)
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2022/09/29 16:22
リニューアル工事休館中の100名城スタンプと御城印販売について
岡崎城は現在リニューアル工事休館中ですが、100名城スタンプと御城印販売について、次のとおり対応を変更させていただきます。
【100名城スタンプ】
バス優先駐車場閉鎖に伴い9/26(月)より撤収→10/1(土)より乗用車駐車場で押印可能(9:00~17:00)
【御城印販売】
郵送対応のみ→10/1(土)より乗用車駐車場で販売(9:00~17:00)
これより以前にご来園いただいた皆様、また、お問い合わせいただいた皆様には、ご不便をおかけして大変申し訳ありませんでした。
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2022/09/29 16:12
2022/09/29 15:51
台風15号被災は?心配で登城も問題無し。「石垣編」 (2022/09/28 訪問)
台風15号の線状降水帯が6時間も掛かり台風豪雨水害被害では、二俣城の在る二俣町二俣川嘯月橋崩落、旧天竜市役所現天竜区役所裏の土砂崩れが報じられていましたので、二俣城の現状はどのように成ってるのかと心配で出掛けてみました。
搦手側の駐車場に駐めて、搦手登城路問題無し、大堀切、同高土塁問題無し、本丸北門食違い虎口問題無し、北の丸問題無し、本丸問題無し、天守台も健在問題無し、本丸中仕切り門跡問題無し、二の丸内部問題無し、大手門跡も問題無し、南の丸Ⅰも問題無し、南の丸Ⅱと西の丸は昇り降りの高低差が有りパス、本丸東石垣塁も問題無し、大手登城路問題無し赤い彼岸花が咲き綺麗です。
中枢部は豪雨被害無く安心しました、私より前に二組のご夫妻が探訪されており閑散とした城址で無くてまた安心。
安心の言葉だけではいけませんので、先に「石垣編」として写真投稿します、後編で「土塁・堀編」の土の城部分を投稿します。
ご安心してご登城下さい。
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2022/09/29 13:47
伊予国守護、河野氏の居城を訪ねて (2022/09/23 訪問)
道後温泉近く道後公園内にあります。駐車場は公園北口(道後温泉近く)、公園西口(湯築城資料館近く)の有料駐車場が便利です。100名城スタンプ、御城印は湯築城資料館内にあります。湯築城資料館では数名のスタッフの方が親切丁寧にお城の説明をして下さるので、ここで説明を受けてから見学するのがおすすめのです。ここは元々石垣、天守は存在していませんでしたが、広大な敷地内には土塁、内堀、再建された武家屋敷等が点在しており見所多数、特に土塁展示室は迫力ありました。
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2022/09/29 13:38
土岐氏の城 (2022/09/29 訪問)
源頼朝に仕えた土岐氏の祖、美濃守護土岐光衡によって築かれたとされていますが、諸説あるようです。戦国時代には武田と争っていた織田信長、信忠親子も立ち寄ったといわれています。千畳敷と呼ばれる主郭を中心に南東にのびる2つの尾根に東出丸、西出丸を設けて、その姿から鶴ヶ城といわれていました。ただ両出丸は昭和48年の中央自動車道の工事で多く削られてしまったとのことです。土塁や井戸が残っています。圧巻は主郭背後の大堀切で、西出丸から行くことができます。「久太郎の戦国城めぐり」さんのHPでは、縄張り図に別の尾根にもうひとつ堀切があることが描かれていました。崖っぷちに踏み跡のような道はありましたが、少し怖かったので行っていません。主郭から見えるかもと、見下ろすと尾根はわかりましたが堀切はわかりませんでした。
登城路は整備され歩きやすく登城口から主郭まで10分くらいでしょうか。
この城の背後には天神山城、裏天神山城があるということは、ここに来て初めて知りました。機会があれば行ってみたいと思います。
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2022/09/29 13:03
2022/09/29 12:33
西方城の山嶺部 (2022/09/25 訪問)
栃木市にある西方城の山嶺部にある城びと未登録の城跡です。
西方城とセットで考えられている節もあるようです。
陣屋として使用されていたとの事で空堀や土塁に囲まれた本郭には石積が見れました。
西方シンポジウムに参加前に西方城と合わせて登城しましたが、詳細を知って歴史的にもなかなか面白い城跡であると確認いたしました。
藤田能登守信吉によって築かれた城。
元々は上杉景勝に仕えていた武将で関ヶ原後に親交のあった徳川家に仕えて西方領をもらったとの事。
徳川家へ行く時は直江兼続に相当追い討ちをかけられて数名の残りになりながら命懸けの逃避行をしたとか。
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2022/09/29 09:23
2022/09/29 08:20
高野山奥之院(中の橋~弘法大師御廟) (2022/08/27 訪問)
(続き)
中の橋を渡ってすぐ左手の汗かき地蔵の隣にある姿見の井戸には、井戸を覗き込んで自分の姿が映らなければ三年以内に亡くなるという言い伝えがありますが……とりあえず三年は大丈夫のようでした。覚鑁坂を上って行くと右手奥に密厳堂があり、高野山から移って根来寺の開山となった覚鑁上人が祀られています。だから覚鑁坂なんですね。
覚鑁坂の先も参道沿いには多くの大名家の墓所が建ち並んでいますが、少し変わったところでは、高麗陣敵味方戦死者供養碑があります。島津義弘・忠恒父子が文禄・慶長の役での戦死者を敵味方を問わず供養するために建てたもので、まさに高野山に相応しい墓所です。
中の橋駐車場への分岐を過ぎたあたりで左手の脇道を上って行くと、崇源院(浅井三姉妹の江)の墓所があります。崇源院から寵愛されていた駿河大納言忠長が母の供養のために建立したもので、奥之院で最大の五輪塔のため一番石と呼ばれています。その隣は本多家(播磨姫路)の墓所で、崇源院と本多家の間には崇源院の娘であり本多忠刻の正室となった天樹院(千姫)の供養塔が建てられています。
参道に戻って少し行くと、加賀前田家二代利長の墓所があり、巨大な五輪塔は三番石と呼ばれています。さすがは加賀百万石ですね。参道の向かい側には利長夫人の墓所もあり、調べてみると正室の玉泉院(永姫)は織田信長の娘で、二人の間に子はなかったものの、夫婦仲は良好だったようで、400年を経た今も向かい合って並ぶ二つの墓所に何やら微笑ましい気持ちになりました。
さらに進んだ先の安芸浅野家墓所の五輪塔は二番石。42万石超の大藩というだけでなく、紀州徳川家の前の紀州藩主だった関係もあるでしょうか。浅野家墓所の裏手には尾張徳川家の墓所がありましたが、水戸徳川家の墓所はありません(または見つけられません)でした。また、浅野家墓所の斜め向かいには松平秀康及び同母霊屋があり、上杉謙信や井伊掃部頭の霊屋は木造でしたが、この霊屋は石造になっています。
松平秀康石廟の先で参道は左右に分岐します(御廟橋の手前で合流)。左側へ進み脇道を上って行くと豊臣家墓所に至り、秀吉をはじめ、大政所、秀長ら一族の五輪塔が建ち並んでいますが、敷地は広いものの五輪塔の大きさはそれほどでもありません。御廟橋の手前で左側の脇道に入ったところには織田信長の墓所がある……にはあるんですが、正直拍子抜けする大きさの五輪塔で、何故か筒井順慶と隣り合っています。考えてみれば、本能寺の変がなければ高野山を焼き払っていたであろう信長であっても、分け隔てなく供養されているのは凄いことなのかもしれません。また、分岐の右側参道沿いには浅野内匠頭と四十七士の墓所や、秀吉との交渉で高野山攻めを防ぎ、その後の興隆に努めた興山応其上人廟などがあります。
その他、中の橋から御廟橋までの間では、岡部家(泉州岸和田)、加藤家(伊予大洲)、里見家(羽州最上)、鳥居家(信州高遠)、小出家(丹波園部)、真田家(信州)、最上義光(羽州山形)、中川家(豊後岡)、浅野家(安芸)、根来家(泉州熊取)、毛利家(長州)、阿部対馬守、土井家(下総古河)、石川家(伊勢亀山)、戸沢家(羽州新庄)、水野家(備後福山)、堀家(越後村上)、亀田大隅守、松平(久松)家(伊予松山)、本多家(三河岡崎)、黒田家(筑前)、南部家(奥州)、松平忠政(美濃加納)、向井家(相模三浦)、稲葉家(豊後臼杵)、酒井家(羽前庄内)、松平家(肥前島原)、青山幸成(摂津尼崎)、脇坂家(播磨龍野)、西尾家(安房)、松平家(下総佐倉)、松平家(丹波篠山)などの墓所を確認しています。
御廟橋の先にも春日局の供養塔などいくつかの墓所がありますが、弘法大師のおわす聖域中の聖域のため写真撮影はできず、見て回るだけです。そして御廟でお大師さん(地元では親しみを込めてこう呼びます)に手を合わせて、奥之院を後にしました。
…ということで、いくつか見落としはあるものの、都合5時間で主なところはひと通り見ることができましたが、リーフレットに載っておらず現地に案内のない墓所でも、五輪塔に刻まれた文字を読んでみると(意外に読めます)まだまだ大名家の墓所はあるようで、とことんめぐり尽くそうと思ったら、本当にきりがなさそうです。何も5時間もかける必要はありませんが、行ったことのある城や馴染みのある大名家の名前に次々と遭遇できるのはなかなか面白い経験だと思いますので、これからの紅葉シーズンか、夏場に避暑を兼ねてぜひご訪問下さい。杉並木の参道沿いに苔むした墓碑が林立する光景は一見の価値ありです。
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2022/09/28 22:32
2022/09/28 21:04
大原城 (2022/09/11 訪問)
【大原城】
<駐車場他>登城口前<34.901334, 135.216094>古紙回収BOXの所に駐車可能
<交通手段>車
<見所>堀切・土塁
<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅3城目。大原城の築城年・築城者は定かではない。大原氏が城主の時に荒木村重の摂津進攻の際に落城しました。
城の立地は東側からの山の扇状地の先端部分に築かれた丘城で駐車場所から主郭まで3分で行けます。城跡は現在、主郭と思われる曲輪に姫山神社の社殿があり東側に堀切を挟んで副郭があります。副郭内部は竹藪になっていて、副郭のさらに東側は切岸になっておりその下に畑やら民家があります。この辺りも曲輪だったように思います。主郭の周りに帯曲輪があり、主郭内部は東側堀切手前に大土塁があり、当時からのものと思いたい小さな五輪塔や石仏が集められています。曲輪内部に、これまた礎石または城で使用されたと思いたい巨石が残されています。
<満足度>◆◆◇
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2022/09/28 20:40
2022/09/28 20:18
2022/09/28 17:15
長野旅行PART3 小諸城 三の門、二の丸 (2022/08/18 訪問)
上田城の後、小諸城と龍岡城に行く予定でしたが、あいにく雨が降ってきました。また時間ももう4時を超えていたので龍岡城は諦めました。小諸城は武田信玄が築いた後、仙台久秀が石垣の城へと改築しました。また徳川家康はこの城に寄って、上田城攻めの作戦を考えていたようです。
小諸城はお城ですが、動物園や遊園地もあるので城好きでない人も楽しめると思います。
小諸城で見るべきものは三の門と大手門だと思います。どちらも重要文化財に指定され、今のなお現存しています。大手門は後程投稿します。三の門は一度洪水による流水によって壊れたものの1726年に再建され現存しています。三の門には懐古園と書かれていますが、この字は徳川家達が書いた大変貴重なものです。ちなみにスタンプと御城印はそのすぐ近くにある微古館にあります。
さて入場料を払って進むと石垣が続き、二の門跡が見えてきました。石垣の喰い違い虎口となっていて、そこを通ると二の丸跡がありました。石垣は復元されている所があるようですが、どこまで現存でどこまで復元なのかわかりませんでした。
ではこのまま本丸へと進んでいきます。続く
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2022/09/28 15:09
2022/09/28 13:52
西方城跡シンポジウムを開催いたしました!
令和4年9月25日(日)に『西方城跡シンポジウム~ここまでわかった西方城~』を開催しました。
心配していた天候にも恵まれ、おかげさまで約400名の方々に参加していただきました!
当日は3名の発表者が、①発掘調査の成果 ②文献資料からみた西方氏と西方城 ③西方城の構造と変遷 と題した成果報告をしました。その後、専門者会議メンバーによる討論会「西方城跡の調査からわかったこと」を行いました。参加者の皆さまも終始、熱心に耳を傾けてくださいました。今回のシンポジウムで、西方城についてより知って頂けたら嬉しいです!
ロビーでは城館関連書籍の販売や、栃木図書館による郷土史関係資料の展示のほか、チラシコーナーも設け、会場は大変賑わいました。
城びとの皆さま、城びとの情報を見て足を運んでくださった皆さまに、改めて感謝いたします。本当にありがとうございましたm( * _ _)m
ぜひ、現地の西方城にも訪れてみてください!
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2022/09/28 09:35
三津浜 (2022/09/17 訪問)
から公園まで船に乗ります。舟渡の船頭さんも気さくで港山城登山をお勧めされます。三津浜で鯛めしか三津浜焼きを食べ、レトロな三津浜商店街も散策できます。お城自体は遠景では要害ですが、整備されていて登りやすい。本郭からの眺めは絶景。河野家の内紛や河野水軍の中心になった往時がしのばれます。
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