かいぶきやまじょう

貝吹山城

大阪府岸和田市

別名 : 久米田貝吹山城、貝吹山陣所、池尻城
旧国名 : 和泉

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久米田古墳群 (2023/07/06 訪問)

 JR久米田駅から徒歩約15分で城址とされる貝吹山古墳へ行くことができます。無名塚古墳の近くに久米田古墳群の説明板があり、その中で「戦国時代には、三好実休がこの古墳に砦を築き久米田合戦を戦いました」の記述があります。白い板で字も薄くなっていて日も当たって読みにくかった。
 久米田寺には行きましたが、三好実休戦没碑には行っていません。

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ぴーかる

貝吹山城 (2022/04/30 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>久米田寺駐車場(参拝前提として)
<交通手段>JR久米田駅から徒歩

<感想>2022年春のJR列車大阪ちょこ城巡りの旅2城目。貝吹山城は橘諸兄の墓ではないかといわれる貝吹山古墳を改造した城で、1562年三好一族VS畠山高政・根来衆との闘いにおいて、三好方の岸和田城を畠山高政・根来衆が包囲し、後詰めに来た三好実休がこの貝吹山城とすぐ隣にある久米田寺に布陣しました。三好実休軍と畠山軍・根来衆はこの地で戦闘になり「久米田の戦い」、三好実休は討死します。
 先達のイオさんの投稿を参考にしてまず貝吹山古墳を散策しました。後円部分は段状に削平され、また古墳の南側全体も腰曲輪のように削平されています。くびれ部の堀切は土砂で埋まってよく分かりませんでした。次に久米田寺に立ち寄りました。久米田寺は738年行基によって創建されましたが上記の「久米田の戦い」や信長の「高屋城の戦い」でほとんどが焼失し江戸時代になり復興したそうです。駅に戻りがてら寄り道して三好実休戦没地碑<34.459485, 135.402942>に行きました。

<満足度>◆◇◇

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イオ

陣城好物件 (2022/01/08 訪問)

戦国末期に岸和田城の後詰に入った三好実休が築いた陣城で、根来衆の支援のもと再起を図った畠山高政との久米田の戦いで三好実休は敗死し、貝吹山城も廃城となりました。

貝吹山古墳と呼ばれる古墳前期の前方後円墳を改修した陣城で、後円部を主郭とし、裾部に横堀と土塁をめぐらせていたことが発掘調査により明らかになっています。前方部も削平されて、後円部との間には堀切が設けられていました。古墳の東側、南側、西側は三つの周濠で囲まれ、周濠の間には土橋が通っていますが、この周濠と土橋は元々のものらしく、少し手を加えるだけで陣城として活用できる好物件です。現状は古墳のある公園になっており陣城の面影は感じられないものの、後円部に登ってみると、ほんの8mほどの高さの墳丘ながら思いのほか眺望が開けており、好立地であることを実感します。

貝吹山古墳は橘諸兄の墓と伝わりますが、東隣には橘諸兄にゆかりの深い久米田寺があります。久米田寺は行基の開創とされ、後詰に入った三好実休の本陣ともなりました。また、貝吹山城から西に徒歩10分ほど行ったあたりには三好実休戦没碑がある……はずですが、見落としてしまいました。
 

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古墳を利用 (2021/02/20 訪問)

小高い墳丘と環濠をもつ古墳を城砦に利用した例の一つです。
三好長慶の弟の三好実休が、久米田の戦いで、ここを本陣にしました。根来衆が味方した畠山高政の反撃を受け、本陣にいたところを鉄砲で狙撃され討死したと。
この辺りは、紀州から和泉山脈を越えて、根来衆の勢力が及んでおり、後に、秀吉軍に対し、根来衆が立て籠った城がいくつかあります。

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城郭情報

分類・構造 平山城(古墳利用)
築城主 三好義賢
築城年 永禄4年(1561)
主な城主 三好氏
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 大阪府岸和田市池尻町644