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沖縄県内初!世界遺産中城城跡の御城印 (2020/09/20 訪問)

2020年12月 中城城跡は世界遺産登録20周年を迎えます。
その記念として、沖縄県内では初となる御城印を制作させていただきました。

〈中城城跡 御城印のこだわり〉
地元の宝である城(グスク)を通して、お城や沖縄が好きな方々と繋がりたいという思いも込めた作品です
・世界遺産登録20周年を中城村をあげてお祝いしたく、筆耕は中城村民限定で公募し厳選された文字を採用しています
・使用している紙は、琉球王国時代から受け継がれている伝統の手漉きで作られた琉球紙のひとつ「三椏(みつまた)紙」です。
 琉球紙は、需要の減少や後継者不足などから技術の継承が懸念されていますが、貴重な紙を皆さんに知ってもらいたい、又、後世にも伝えたい想いで使わせていただきました。
 職人さんの人柄まで伝わるような手間ひまかけた琉球三椏紙の手触りもお楽しみください。

詳しくは中城村観光協会HPをチェック☞ https://www.nakagusukukk.com/

中城城跡にも是非めんそ~れ~!!

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カズサン

城名石碑に辞世句碑が寄り添ってる (2020/10/11 訪問)

 長浜市下坂氏館、三田村城、小室城を終えて国道365号線国道21号線で西美濃へ城びと未踏城の城を巡る先ずは垂井城へ、ナビは岐阜県不破郡垂井町1449専精寺に合わせる、御所野交差点から北入るJR東海道本線陸橋を越えて直ぐの坂下垂井の泉が有り交通量も多くウロウロ出来ず玉泉寺下のごみ集積所の駐車エリアに停める、が城名石碑の在る専精寺の石碑前に参拝者駐車場が有る。
 垂井城赤御影石の立派な城名碑と城主平塚為広の辞世「名の為に捨つる命は惜しからじ 遂にとまらぬ憂世と思へば」句碑が傍に並び立ってる。
 平塚為広は関ヶ原合戦前に1万2千石で入封し垂井城を整備し、合戦では西軍大谷吉継軍と共に戦い指揮し善戦するが寝返りに抗せず、吉継に辞世の句を送って討死した。(案内板抜粋)

 ガイドに使った城郭放浪記さんのGoogleMapを見ると史跡長屋氏屋敷跡(直線で200m程)、史跡池田輝政陣跡(直線で300m程)が目を引き訪ねました、また国道21号線御所野交差点から南に美濃一宮南宮大社が鎮座してます今回は遥拝のみ。

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イオ

玉の輿の余恵 (2020/09/27 訪問)

徳川綱吉により生母・桂昌院の異母兄・本庄道芳が旗本に取り立てられ、その孫・本庄道章が加増を受けて岩滝藩を立藩。後に高富に陣屋を移して高富藩となり、文化3年(1806)には8代藩主・本庄道昌が陣屋を現在の地に移し、明治維新を迎えました。

陣屋跡は山県市役所美里会館になっており、遺構はありませんが、敷地内に「陣屋の跡」の石碑が建てられています。

…と、石碑だけでは見どころがないので、高富陣屋とは関係ありませんが近隣の史跡をひとつ。

高富陣屋から南に約1km行くと「だるま観音」とも呼ばれる大龍寺があります。本堂の前に達磨大師座像が鎮座し、達磨堂には大小さまざまなだるまが並ぶ禅宗のお寺ですが、土岐氏との関係が深く、稲葉一鉄ゆかりの品も収蔵されているようです。また、ドウダンツツジの名所でもあり、春の花の時期(4月中旬)と秋の紅葉の時期(11月下旬)が見ごろなんだとか。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー23城目① (2020/08/11 訪問)

登れる灯台スタンプラリーで角島灯台を狙っての山口行き、山口県内では8月下旬に新型コロナウイルスの感染拡大が起こっているので絶妙なタイミングでした。今回初めて大路ロビーにてスタンプゲット。お盆期間中は休みで外にスタンプが出ていました。雨が降っていて傘をさしながらの捺印に少々難渋してしまいました。大路ロビーのすぐ隣は三文字屋跡で吉田稔麿止宿之地の石碑が立っています。ともに国史蹟の大内氏館と築館はいつもセットで訪れてしまいます。

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橋吉

三好政権の本拠地 (2020/10/07 訪問)

芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されています。
1533(天文2)年、細川政元が入場し、細川政権、その後継と言える三好政権の本拠地となりました。

芥川山城の登城口は住宅街にあり、近くに駐車場がありませんので、1km程離れた摂津峡公園下の口駐車場にバイクを駐めました。
自動車・大型バイクは1000円かかりますが、それ以外の二輪車は脇の臨時置場に駐めることができ、無料です。

まずは、摂津峡大通りを東に向かって、塚脇バス停まで歩きました。

ここは、芥川山城に関する掲示物がいくつもあり、さながらミニギャラリーとなっているので登城前に寄ることをお薦めします。

集落を高槻黄金の里特別養護老人をホームめざして北上します。
この西側を道沿いにさらに北上します。
最初の分岐点は直進し、
二つめの分岐点で右に進みます。
なだらかな登り坂が続きます。

5.36 km 所要時間1時間50分でした。

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エグ1394

諏訪原城 (2020/10/14 訪問)

諏訪原城へ行ってきました。
諏訪原城ビジターセンターで御城印を購入しました。
諏訪原城は武田勝頼が徳川領であった遠江侵略の拠点として築城した城です。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名がついたとされます。武田氏と徳川氏の間で激しい攻防が繰り広げられましたが、1575年(天正3年)には落城して、徳川氏の城となりました。徳川氏時代には「牧野城」と呼ばれましたが、武田氏が滅亡すると存在意義が薄れ、廃城となります。現在は建築物は残っていないものの、甲州流築城術の特徴である丸馬出や三日月堀が残っており、枡形虎口などの遺構も残ります。戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上でも貴重な城址で、国の史跡に指定されています。また付近には家康が諏訪原城を攻略するために築いた付城である火剣山砦跡もあります。

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エグ1394

小山城 (2020/10/14 訪問)

小山城へ行ってきました。御城印を購入しました。
小山城は武田四天王のひとり、馬場信春によって築かれた城です。徳川家康との激しい戦いが繰り広げられた城として知られています。現在は能満寺山公園として整備されており、甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀が史料を元に復元されています。また、かつて物見台があったとされる三の丸跡に犬山城天守をモデルにした模擬天守(展望台小山城)が建てられています。

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エグ1394

駿府城 (2020/10/14 訪問)

駿府城へ行ってきました。御城印を購入しました。
駿府城は徳川家康が大御所となって隠居した際に使われた城です。天下普請によって大修築され、城郭史上最大の天守台が築かれました。天守は家康により3度建てられましたが、城下の火災が延焼して焼失しました。現在、中堀の内側にある旧二の丸と本丸が「駿府城公園」として整備されており、石垣や堀を見ることができます。また巽櫓と東御門、坤櫓が復元されて資料館として公開されています。
駿府城では、天守が焼失した後は天守台(天守の下の石垣造りの土台)だけが残っていましたが、駿府城が廃城になった後の明治29(1896)年に、天守台は取り壊され、その土砂で本丸堀が埋め立てられました。
 静岡市では、かつて天守が建っていた跡地の整備方針を決定するため、事前に天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に、発掘調査を行うこととしました。発掘調査は、2016年8月に開始し、2020年3月まで掘削による調査を行いました。2020年4月からは、出土した遺物の整理や調査報告の作成を行っています。   

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エグ1394

山中城 (2020/10/13 訪問)

山中城へ行ってきました。御城印を購入しました。
山中城は小田原城の支城として、北条氏康によって築城された中世の山城です。箱根十城のひとつで、日本100名城に選ばれています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、豊臣秀次率いる7万の軍勢に攻撃され、わずか半日で落城しました。現在も当時の畝堀や障子堀の構造がきれいに保存整備されており、北条氏独特の城郭の構造を詳しく知ることのできる城跡となっています。

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赤い城

常福寺の裏に (2020/10/04 訪問)

常福寺の本堂が建っているところが主郭。
山門に石碑があり駐車場もあるので拝借しました。
本堂の奥に進むと手入れされた公園のようになっていて土塁が残ります。
虎口のところから下に降りると高い切岸になっていることがわかります。
西側に回ると空堀が素敵に残っていました。
登城時にも草刈りをされていて手入れがしっかりされていると思いました。

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エグ1394

小田原城 (2020/10/13 訪問)

小田原城へいってきました。御城印を購入しました。
小田原城は北条氏の居城として知られています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となりました。現在は小田原城址公園として整備されており、日本さくら名所100選にも選定されています。天守は1960年(昭和35年)に外観復元されたものです。そのほか常盤木門や銅門、馬出門などが復元されています。土塁の城が多い関東地方において、主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城としても有名です。

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チェブ

森林浴。 (2020/09/21 訪問)

順番が飛びましたが、「鶴ヶ岡城」の後に「尾浦城」に行きました。
大宝寺氏(武藤氏)が、まさに「鶴ヶ岡城」から「尾浦城」に引っ越ししました。
当時は「鶴ヶ岡城」=「大宝寺城」です。
移動理由を調べてみると「大宝寺城」が焼失説。砂越氏の攻撃から逃れた説がありました。
砂越氏との戦で焼失がしっくりです。想像ですが、、、。
「大宝寺城」に比べ「尾浦城」は低いけど、山城。安心です。
その後、大宝寺氏は家臣が最上氏と内通し自害に追い込まれました。
秀吉さんの時代には上杉氏が治めました。
北の関ヶ原合戦と言われる慶長出羽合戦で、またまた最上氏のお城になりました。
この頃「大山城」と改名したそうです。

午前中の早い時間に行きました。
「尾浦城」、大山公園に駐車場があります。
その横に「尾浦の館」があり、大宝寺氏関連の資料館かと思ったら、大山祭の展示館なんだそうです。
この日は開いてませんでした。
写真③から歩いて登城しましたが、上まで車で行った方のサイトがあったので、入口が他にも あるようです。
遺構は、見ようによっては、、、です。
まだまだ、勉強不足です。
下りてきたら「最上川さくら回廊」の標柱がありました。将来、みんなを楽しませてくれる、小さな桜の木が並んでます。
んんっ?空堀っぽい。
またしても、予習してない事を後悔です。

大山公園は「森林浴の森100選」に選ばれているそうです。スタンプはありません(笑)

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カルビン

麻場城 [群馬県甘楽郡甘楽町白倉937] (2014/07/26 訪問)

公共交通機関だと上信電鉄の上州新屋駅か上州福島駅どちらからも2kmくらいの距離(普通に歩くなら30分くらいですが、駅に対して坂上にあるのでもうすこし時間見た方が良さそう)のところに城びと未登録の麻場城があります。

現在は城址公園となっており、真ん中に大きな曲輪があり、その周辺を堀と土塁に囲まれた典型的な居館タイプのお城になりますが、これがある場所が丘上になる為、北側が落ち込んでいる事でかなり絶景が見られるお城になっておりました。

この大きな曲輪が主郭だと思う(解説版もそう書いてあった)のですが、どうやら南に別途居館跡があるようなので、もしかしたらここは詰めの城扱いだったのかもしれません。
残念ながら居館跡地へ向かうには坂下にある駐車場から更に離れた場所にあった為、日没間際の訪問だった事もあってソチラには行っておりませんorz

居館タイプではあっても地形的に遺構にいろいろバリエーションがあり、更にダイナミックさもあって、個人的には地域のお城の中ではかなりのお気に入りの部類に入ります。
お城のタイプは違いますが、雰囲気は栃木県の皆川城に似ているかと。


ここから5km圏内には自分が行った事あるお城だけで3ヶ所、10km圏内まで広げると自分の行った事あるお城だけで10ヶ所ありますが、公共交通機関では訪問し辛い場所ばかりの為、車でまとめて訪問が望ましいかと。。。

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ぴーかる

長比城 (2020/10/03 訪問)

【長比城】
<駐車場他>登城口(野瀬山登山口)前に4台程駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>食違い虎口・土塁
<感想>伊吹山資料館の御城印巡り2城目。長比城は元亀元年(1570年)浅井長政が信長に離反した後に美濃の信長の進攻に備える為に北にある上平寺城を改修するとともに築城した。守備に堀秀村・樋口直房を置いたが、信長に内応しすぐに落城した。
 
 城跡は大きく西曲輪と東曲輪の2つの曲輪に分かれていて、間を土橋で結んでいる。西の曲輪は二等辺三角形を横に倒したような形状で周囲を比較的高い土塁で囲んでいる。虎口は西と東にあり、登山道は西の平虎口から入ります。曲輪の西に、埋まって薄くなってはいますが、尾根に沿って竪掘りがあります。西曲輪の東方向は土塁が狭まって切通しのようになっていて食違い虎口があります。曲輪内での面白い防御構造になっています。東曲輪は西曲輪の2倍程の広さで、虎口は最南東面の上下に食違い虎口が2箇所と最西に外枡形のような虎口1箇所がある。南東面の外側は横堀が見られる。いづれも東からの攻撃を意識した構造になっていました。

 標高391m、比高は200m程かなーと思います。登山道は800mですこし岩場になっています。数ヶ所獣よけのドラが吊るしてありますので、鳴らして登れます。東曲輪は結構鬱蒼としていたので、ちょっと曲輪内は見づらいです。土塁も高かったであろうですが、堆積で平地が上がってしまっていると思います。下山途中でチェーンソーを持った、山を管理している方と交わしたので、ぼちぼち整備しているようです。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

杉林の中に城石碑がひっそりと (2020/10/11 訪問)

 下坂氏館、三田村城を終えて城とらさんの最近の投稿で認識した小室城を初登城しました。
 三田村城から北に約5km程国道365号線から県道276号線を北へ、ガイドは城郭放浪記さんGoogleMapより、ナビを滋賀県長浜市小室町600に合わせ弥勒堂辺りへ、小室城の石柱城名碑に到着、側に車2台の駐車エリアが有る。
 皆さんの投稿の様に少し奥に入って庭園風の自然石城名碑が立ってるのみ、周辺案内の看板は倒れ一部朽ち果ててる、杉林の中寂しい雰囲気、後で表門跡に小室城陣屋図案内板が有り陣屋図によると自然石城名碑の建ってる所が陣屋の中心御殿跡の様子。
 弥勒堂、日吉神社を散策参拝し、表門跡の用水側に立ってる陣屋図を確認し撮影。

 歴史的には小堀遠州没後遺領を正保4年(1648年)継ぎ小堀氏5代が継承し天明8年(1788年)改易と成り廃城、徹底的に壊され跡地は田畑になった様子。(陣屋図案内板抜粋)

 ここは小谷城に西2,3km程と近く、国道365号線沿いの道の駅「浅井三姉妹の郷」お市の方と三姉妹の石像が有ります、昼も近く地元産の自然薯を使った冷やしとろろそばを昼食で頂きました、道の駅は結構混んでいました。
 この後国道365号線を使い西美濃の城廻りへ、関ヶ原には裏街道365号線が近い。

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イオ

守護所と明智光秀伝説 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

大桑城登城の後は、城下と周辺の史跡めぐりを。

さすがに守護所だけあって、城下には惣構の跡とされる四国堀や、土岐氏の菩提寺の南泉寺、土岐氏の氏神を祀った十五社神社など、往時の繁栄ぶりをうかがわせる史跡が数多く残っています。また、四国堀から東に徒歩2分行くと、斎藤道三との戦いでの戦死者を弔ったと伝わる六万墓があります。南泉寺には土岐頼芸が描いたとされる鷹画が所蔵されており、十五社神社には朝倉氏との深い関係を示す笏谷石の狛犬が伝わっていますが、いずれも現物を見ることはできませんでした。

また、大桑城とは無関係ながら、大桑城東部の中洞地区には明智光秀の生誕地とする伝承があり、土岐元頼と地元豪族の娘の間に生まれ、やがて明智光綱の養子になったとのことで、白山神社には産湯の井戸が、近くの武儀川には光秀を身ごもった母が「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったと伝わる行徳岩があります。光秀の母が住んでいたとされる庵の庭にも行こうとしましたが、道がわからない(藪に沈んでいる?)ために諦めました。
さらに、中洞地区には「実は光秀は生きていた」との伝承もあり、山崎の戦いで討たれたのは影武者で、光秀本人は故郷の中洞に落ち延びて暮らした後、徳川家康の求めに応じて関ケ原の戦いに向かう途中、増水した川に流されて亡くなったんだとか。白山神社近くの林の中には光秀の墓とされる桔梗塚があります。

光秀生誕地を訪れるのはこの地で4か所目。「たとえ三日でも…」はありがちな伝承だと思いますし、「実は生きていた」もよくある話ですが、「川に流されて…」は斬新というか、あまりに締まらなさすぎて、かえって信憑性が感じられますね!?
 

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todo94

城カードのリニューアル (2020/08/10 訪問)

函館からの帰途、新青森で途中下車して弘前城に立ち寄っていきました。目的は城カードのゲットです。なんとリニューアルされていて300円になっていました。紙封筒入りの200円のカードは松山城、高知城、松江城の3城で打ち止めとなってしまいました。弘前城資料館ができていたので中をのぞいていきました。また、今回初めて3施設共通券を購入して植物園と藤田記念館も見学してまいりました。

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にのまる

【総選挙】のあとで。 (2020/09/27 訪問)

 このたびは鍛治曲輪門から入り、内松陰門から退出しました。激しい夕立ちのあと、天守台の上に雲が妖しげに広がり、遥か西の空は茜色に染まってゆきます。
 建ち並ぶビルに囲まれた駅前の城跡ですが、いにしえの世に誘われたような感覚に陥りました。

 そして帰ろうと思ったら乗車予定の「あずさ」が長野県内で起きたトラブルのため動いていなくてどうしよう(゚o゚;;となったのですが、甲府始発の「かいじ」で無事帰れました。

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小城小次郎

距離が近い城が近いのではない (2020/09/12 訪問)

犬猿の仲だった松尾城との距離の近さが話題だが、橋がある今でさえ相当な高低差を乗り越えた先にお互いの城がある。橋がなかったら往来はおよそ絶望的だろう。距離が近いことだけが「近い城」ではないことを思い知らされた。

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カズサン

方形城館北を除く三方に土塁、堀が残存 (2020/10/11 訪問)

 下坂氏館を終えて同じく国指定史跡北近江城館跡群に指定されてる三田村城を初登城。 下坂氏館から北方約6km程、ナビは滋賀県長浜市三田町1126に合わせ北側の三田公会堂の駐車場を利用、すぐ南が城跡に在る伝正寺、同駐車場に案内解説板が有る。
 
 歴史的には京極氏浅井氏に仕えた三田村氏の城館、姉川合戦の時には朝倉景健の本陣が置かれ、三田村氏は小谷城に退く。(案内板抜粋)

 現在は伝正寺となり、東に土塁と堀(現在畑)中間に虎口(現在寺の入口)、南に土塁と堀、西に土塁と堀、北は破壊され土塁は北東にカギ型で残ってる。(ガイドは城郭放浪記さん)

 

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