おじまじょう

小島城

岐阜県揖斐郡

別名 : 木戸城
旧国名 : 美濃

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主郭背後の土橋
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しんちゃん

尾根を断つ堀切と土橋 (2024/10/19 訪問)

小島城はそれほど技巧的な構造では無く、斜面に無数の腰曲輪が続いています。最高所とそこから三段ほど続く腰曲輪が主要部になるようです。構造的には長野県の林大城に似てますね。最高所を本曲輪と仮定して、本曲輪の背後に大きな堀切があり尾根を遮断し、土橋がかかっています。この土橋の存在感が素晴らしく、残存石垣と並んで、当城の見どころだと思います。
下三段目の腰曲輪の西下には石垣が残っています。各所に石が散乱しているので、戦国期にも利用されていたのではないでしょうか。
土岐康行が足利義満に滅ぼされたのが明徳元年(1390)の頃らしいので、遺構との関連が興味深いです。曲輪の配置などは記憶が薄れかかって来たので「余呉くんのお城のホームページ」さんの縄張り図を参考にしています。いつも感謝しています。
城址中腹から下まで大きな竪堀が切られていて、登城道にもかかっているようです。

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しんちゃん

見所は背後の堀切と、石垣の箇所。土岐氏にまつわる悲劇の城。 (2024/10/19 訪問)

この日は午前中から雨でして‥高速を併用して急いで関ヶ原に到着、菩提山城を攻略して古戦場記念館についたころには雨が降って来てました。せっかく関ヶ原祭りをやっているのに雨で武将たちの演武は中止(のはず)。なんとも間が悪い話です。
小島城に着いたころには、だいぶ雨も収まって来ていたので、一気に攻略にかかります。
駐車場から城址まではそれほど距離はなく、道らしきものを見つけて主郭を目指します。とにかく郭が多く、なかなか主郭にたどり着かない。主郭はそれほど広くは無く、背後に大堀切があり土橋がかかっています。どうも最高所は主郭というよりは防御施設で、下の方の建物が有った場所が主要な部分だという気がします。
案内板、確かにけっこう難解ですね。南朝方の城だった小島城を北朝方の土岐頼康が落とし、要害の城として改築したとあります。丈和2年(1353)後の二代将軍・足利義詮が京を追われた際には後光厳天皇を奉じて小島城に入り、二か月の間、付近に小島頓宮を設営したたとのこと。頼康は美濃伊勢三河・三国の守護となり、隆盛を極めましたが、嫡子無いまま滅し弟・頼雄の子康行が土岐氏を継承します。しかし土岐氏の勢力の拡大を危惧した三代将軍・足利義満の遣わした軍勢により二度にわたる攻撃を受け、城内の婦女子を自ら手にかけた後、落城したとされます。康行以下、十九の首級は京に送られ義満の御前で首実検に供せられたそうです。
足利家の恩人らの首を前に悦に入る,義満のドス黒い笑顔が目に浮かんでくるようですね(オイオイ)。

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ヒロケン

守護・土岐氏の拠点 (2023/11/18 訪問)

小島城は標高450m程の小島山の麓に築かれ、西は急斜面、東は岩壁、南は崖で天然の要害となっており、80以上の曲輪を配し、城の最も高い地点に物見櫓、その下三段の平地に本丸があったとされています。遺構は曲輪、石垣、竪堀が残っています。

小島城の築城年代、創築者等不明となっているそうですが、一時は守護土岐氏の拠点として美濃国の中心的な城として隆盛を誇っていたと云われています。
1390年の土岐康行の乱で、京極高秀ら室町幕府軍に攻められ落城。その後、廃城となっています。

小島城には、「ぴーかるさん」と「とある煩悩の登城目録さん」の投稿を拝見し、いつか行こうと「行ってみたい」城としていました。
現在の小島城は、東山公園として城跡に観世音菩薩像などもあります。4~5台程停められる駐車場もあります。また、城跡を少し車で登ったところに、「岐阜のマチュピチュ・天空の茶畑」という茶畑が一面に広がっている集落があり、合わせて行かれることをお勧めします。

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ぴーかる

小島城 (2022/04/09 訪問)

【小島城】
<駐車場他>駐車場あり<35.473157, 136.497600>5台程度。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>小島城の築城者、築城年代は定かではないが鎌倉時代かと思われます。現在残る遺構は南北朝時代に守護大名の土岐頼康が改修したものです。1390年に土岐康行の乱で小島城は室町幕府軍に攻められ、落城しその後廃城となりました。
 まず駐車場の城跡入口横に後世のものかもわかりませんが石垣が見られます。駐車場から上臈谷菩薩公園までは整備された道で、山手側に大竪堀が見られます。縄張りは最高所の物見曲輪を頂点として南斜面にピラミッド状に広がる形状に曲輪を配しています。東側は竪堀付きの断崖、西側も急斜面になっています。相当な数の曲輪があるようで曲輪に番号札が置かれていますが城跡内は未整備箇所も多く道がロストぎみなのと進入不可能な曲輪もあるようです。曲輪C09には大きく石垣が残存しており、傍に大竪堀がありかなり見応えあります。その上段の曲輪周辺にも石垣跡が多数見られます。曲輪C04には竈門跡のような方形の石組遺構が見られます。最高所の物見曲輪の下3段程が広い曲輪になっていて2段目の転落石の多い曲輪が主郭のように思いました。最高所の物見曲輪は小さく、その北の山手側にある土橋までが城跡です。土橋から山の山頂へ道が続いていたので20分程さらに登りましたが何も無かったので。
 相当な石垣と巨大竪堀を南北朝時代に築造していた土岐氏は高い築城レベルを持っていたことが分かり勉強になりました。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 鎌倉時代
主な改修者 土岐頼康
主な城主 西尾氏、土岐氏
廃城年 明徳元年(1390)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合