小島城はそれほど技巧的な構造では無く、斜面に無数の腰曲輪が続いています。最高所とそこから三段ほど続く腰曲輪が主要部になるようです。構造的には長野県の林大城に似てますね。最高所を本曲輪と仮定して、本曲輪の背後に大きな堀切があり尾根を遮断し、土橋がかかっています。この土橋の存在感が素晴らしく、残存石垣と並んで、当城の見どころだと思います。
下三段目の腰曲輪の西下には石垣が残っています。各所に石が散乱しているので、戦国期にも利用されていたのではないでしょうか。
土岐康行が足利義満に滅ぼされたのが明徳元年(1390)の頃らしいので、遺構との関連が興味深いです。曲輪の配置などは記憶が薄れかかって来たので「余呉くんのお城のホームページ」さんの縄張り図を参考にしています。いつも感謝しています。
城址中腹から下まで大きな竪堀が切られていて、登城道にもかかっているようです。
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