おじまじょう

小島城

岐阜県揖斐郡

別名 : 木戸城
旧国名 : 美濃

投稿する
石垣
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ヒロケン

守護・土岐氏の拠点 (2023/11/18 訪問)

小島城は標高450m程の小島山の麓に築かれ、西は急斜面、東は岩壁、南は崖で天然の要害となっており、80以上の曲輪を配し、城の最も高い地点に物見櫓、その下三段の平地に本丸があったとされています。遺構は曲輪、石垣、竪堀が残っています。

小島城の築城年代、創築者等不明となっているそうですが、一時は守護土岐氏の拠点として美濃国の中心的な城として隆盛を誇っていたと云われています。
1390年の土岐康行の乱で、京極高秀ら室町幕府軍に攻められ落城。その後、廃城となっています。

小島城には、「ぴーかるさん」と「とある煩悩の登城目録さん」の投稿を拝見し、いつか行こうと「行ってみたい」城としていました。
現在の小島城は、東山公園として城跡に観世音菩薩像などもあります。4~5台程停められる駐車場もあります。また、城跡を少し車で登ったところに、「岐阜のマチュピチュ・天空の茶畑」という茶畑が一面に広がっている集落があり、合わせて行かれることをお勧めします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

小島城 (2022/04/09 訪問)

【小島城】
<駐車場他>駐車場あり<35.473157, 136.497600>5台程度。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>小島城の築城者、築城年代は定かではないが鎌倉時代かと思われます。現在残る遺構は南北朝時代に守護大名の土岐頼康が改修したものです。1390年に土岐康行の乱で小島城は室町幕府軍に攻められ、落城しその後廃城となりました。
 まず駐車場の城跡入口横に後世のものかもわかりませんが石垣が見られます。駐車場から上臈谷菩薩公園までは整備された道で、山手側に大竪堀が見られます。縄張りは最高所の物見曲輪を頂点として南斜面にピラミッド状に広がる形状に曲輪を配しています。東側は竪堀付きの断崖、西側も急斜面になっています。相当な数の曲輪があるようで曲輪に番号札が置かれていますが城跡内は未整備箇所も多く道がロストぎみなのと進入不可能な曲輪もあるようです。曲輪C09には大きく石垣が残存しており、傍に大竪堀がありかなり見応えあります。その上段の曲輪周辺にも石垣跡が多数見られます。曲輪C04には竈門跡のような方形の石組遺構が見られます。最高所の物見曲輪の下3段程が広い曲輪になっていて2段目の転落石の多い曲輪が主郭のように思いました。最高所の物見曲輪は小さく、その北の山手側にある土橋までが城跡です。土橋から山の山頂へ道が続いていたので20分程さらに登りましたが何も無かったので。
 相当な石垣と巨大竪堀を南北朝時代に築造していた土岐氏は高い築城レベルを持っていたことが分かり勉強になりました。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

【城と看板】

長いわ!
それに文章の内容難しくて入ってこんわ!

+ 続きを読む

興味深い縄張り (2020/03/26 訪問)

 非常にユニークな縄張りで、以前から興味がありました。主郭から山麓に向けて棚田のように曲輪が存在しています。東側は断崖、西側は大きな竪堀で守られています。この大竪堀がこの城の魅力の一つです。他にも西側には何本か竪堀があり、曲輪C09という表示板近くには石垣も一部残っています。南には粕川があり、北側である主郭の背後には堀切があり土橋を見ることができます。
 駐車場から主郭までは約20分くらいで行くことができます。道はありますが、トレッキングシューズで行くことをお勧めします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 鎌倉時代
主な改修者 土岐頼康
主な城主 西尾氏、土岐氏
廃城年 明徳元年(1390)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合