今日は滝山城築城500年記念講演会に行ってきました。
八王子の芸術文化会館大ホールがほぼ満員。
小和田先生が言っていた、天守や櫓がなくても戦国の城の魅力を放っている滝山城。
私も昨年末に訪問したここから、中世城郭にハマり始めました。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2021/11/28 20:16
滝山城は500歳 (2021/11/28 訪問)
今日は滝山城築城500年記念講演会に行ってきました。
八王子の芸術文化会館大ホールがほぼ満員。
小和田先生が言っていた、天守や櫓がなくても戦国の城の魅力を放っている滝山城。
私も昨年末に訪問したここから、中世城郭にハマり始めました。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2021/11/28 18:58
光竜寺山城 (2021/10/30 訪問)
【光竜寺山城】
<駐車場他>町民グランド駐車場<35.012797, 134.908438>を利用
<交通手段>車
<見所>竪堀・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅3城目。光竜寺山城初投稿いただきます。光竜寺山城の築城年は定かではないが、築城主が在田氏となっていることから、在田氏は赤松範資の次男赤松朝範が在田殿と呼ばれたことから、南北朝時代から室町時代には城があったかと思われます。光竜寺山城は独立した山に築かれており西側の川と平地を挟んで対峙している野間山城が詰城とすれば光竜寺山城は「居城としてお客を迎えたり儀式として使われたでしょう」と現地説明版にあります。
登城路は北と南の2つあり、南の大手道は未調査で私は北の搦手道から攻めました。北の登城口は<35.012992, 134.907794>のポイント、城跡までは15分程度で到達します。林道整備されているのでスニーカーレベルでもOKです。
城跡は南北にはしる尾根上に曲輪を造り、主要部は北から搦手口、二の丸、主郭、下段の出丸、大手虎口、堀切を挟んで三の丸、主要部の北東部・東南部・西南部・北西部にそれぞれ竪堀が施されています。三の丸が未整備で進入不可でした。赤松氏の城だが珍しく石積遺構が見付けらなくて自分の中では立派さが無いので儀式や饗応に使われた居城というのは少し疑問に感じた。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2021/11/28 18:31
2021/11/28 18:25
2021/11/28 17:18
記念‼️100名城スタンプ初押印✨ (2021/07/03 訪問)
どうしてもスタンプはここから始めたく😌
コロナが少し治まってきたので、100名城スタンプ開始🏯
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
2021/11/28 15:10
【発掘調査の一般公開】古城山の山上にも庭園を確認!! (2021/11/28 訪問)
この城は美濃国守護・土岐氏の城で古城山(標高408m)にあります。築城は鎌倉時代で土岐頼芸が斎藤道三に追放されて焼かれるまで存在していたとされています。
2020年から山県市が発掘調査を行っており、昨年の調査では巨石を用いた城門などが見つかっています。今年の調査では、伝台所の発掘が行われ、今回一般公開されたのですが、庭園らしき遺構が発見されました。その最大の根拠は“玉石”が敷き詰められた遺構が見つかったということです。玉石は二か所から見つかっているのですが、黒い玉石が敷き詰められた場所と白い玉石が敷き詰められた場所に分かれています。要するに、建物から眺めた時にその色彩を意識しているのです。
今回の調査では多くの遺物も見つかっています。主なものを挙げると中国製の青磁・白磁、天目茶碗、土師器皿(かわらけ)、燈明皿、花器、銅銭、玉石などです。時期は16世紀前半のもばかりです。なので土岐頼芸の時代にはここに人々が居住していたんでしょうね。
現在発掘中の岐阜県郡上市の篠脇城からも山上に庭園や大桑城と同様の遺物が見つかっており、戦国期の山城は戦時に立て籠るのではなく常に居住している人がいた可能性が出てきましたね。
しかし、この城も解明されていない謎がたくさんあります。例えば、主郭が小さすぎます。せいぜい櫓が一つ建つぐらいの広さしかありません。それから、谷部にある曲輪群。なぜ谷部に曲輪が並ぶのでしょうか。城ではなく寺ならその立地でもわかりますが、城なら普通そんなところに建物並べないですよね。そして、16世紀前半の遺物しか出ていないこと。鎌倉時代に築城されたなら、もっと古い時代の遺物が出てもよさそうなものですが、どうしてなんでしょう。
いづれにしても今後の調査に期待しています。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2021/11/28 12:06
伊達成実の菩提寺、東の土塁が見所 (2021/11/15 訪問)
鵜ヶ埼城を終えて国道6号線を南下、直線で約9km程に大堤城が在る大雄寺門前をナビに定め走行、門前に参拝者用駐車場、トイレ完備、大変ありがたい。
探訪参拝ルートは、大雄寺山門を仰ぎ、横に在る小堤城標柱で内容を確認、山門を潜り本堂前で参拝、小堤城の見所の土塁を東側、南東角と確認し、戻り登れる所から土塁上に上がる、南東角から南の土塁上に亘理伊達家の霊屋、墓石が祀られている、一番立派なお霊屋が亘理伊達家初代伊達成実、大雄寺が亘理伊達家の菩提寺と成って居る。
小堤城は現在の寺院敷地全体で土塁に囲まれてた、土塁は東側と南側に残ってる。
小堤城は千葉氏の流れ亘理氏の城、伊達氏の養子を迎え伊達氏との繋がりも深まり、小堤城から亘理城に移る、以後に亘理氏は涌谷城へ移り片倉小十郎景綱が入り関ヶ原後伊達成実が入り以後亘理伊達氏が明治まで代々治める。
大雄寺を伊達成実が小堤城に移し菩提寺を新しく整える。
近くの亘理城へは平成28年4月に登城してるのですが小堤城はパスしており今回5、6年振りに訪ねる事が出来ましたお霊屋を見れば伊達成実の凄さが分かります伊達政宗の重臣で従兄弟の伊達成実、片倉小十郎景綱が両腕、大河ドラマのシーンが甦って来ます。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2021/11/28 10:46
JR岩沼駅近の岩沼要害 (2021/11/15 訪問)
大鳥城、桑折西山城を含む城廻りの2日目、宮城県亘理郡辺りから福島県相馬郡の浜通りに未踏の城が在り小堤城からと思って居りましたが北側の近くに未踏の鵜ヶ埼城が有りそこを目指す事に、白石のホテルを朝早く出発し国道4号線を北上。
情報源:古城盛衰記さん、グーグルマップ拡大し航空写真と周辺地図に由る。
車は鵜ヶ埼城の在る公園のドン詰りにナビをセットし岩沼駅西側から進行周りは住宅街狭い道、若干行き来はしましたが鵜ヶ埼公園のドン詰まり本曲輪下に路駐、(ここはUターン出来ませんのでバックしT時点でバックで曲がって帰路へ)、駐車場は有りません。
鵜ヶ埼城は江戸期仙台藩21要害の一つ岩沼要害として機能して居ました、最上部が本丸か?下に二の丸、土塁が見られ、二の丸南、西下に帯曲輪らしき平地で更に西側は落ち込んでおり空堀、沼地跡なのか?しかし小公園鵜ヶ埼公園の周りは市街化、住宅地に成ってる、約150m東にはJR岩沼駅で旧岩沼要害はJR、市街化で埋没したようです。
歴史:鵜ヶ埼城は古くは「武隈館」と呼ばれ、平安中期の歌人・源重之が奥州に下向した時築城したのが始まりと伝えられてる、戦国期は城として機能したが江戸期一国一城令後は仙台藩内に21箇所ある要害の一つと位置付けられ岩沼要害と呼称、寛文元年(1661年)岩沼藩3万石として仙台藩の内分大名田村宗良の居城となった、延宝9年(1681年)田村氏が一関へ転封となると、以降古内氏が拝領し居館としていた。
明治維新後は廃館と成り明治20年東北本線が施設された際に要害の一部が駅と成るなど大きく姿をかえていった。(案内板/標柱による)
路駐も気に成りサラッと巡って撮影し10分ほどで次の小堤城を目指しました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2021/11/28 09:51
別名は高館城 (2021/11/21 訪問)
西明寺から登城路がありますが脇の道路で登城口まで行けます。
車を停めるスペースもありました。
登城口に説明板があり、そこから少し登ると主郭へ着きます。
三方に延びる尾根筋に曲輪が配置されています。西側のキャンプ場へ向う尾根には深い堀切も。また、道路を挟んで西明寺方面に降りていくと竪堀や堀切もありました。
権現平が旧主郭とされています。
城域はかなり広く、全部見るにはかなり時間が要りそう。
麓の西明寺では閻魔様の御朱印が有名ですが頂ける時間帯と枚数が限られています。
興味のある方は事前に確認されるのが良さそうです。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2021/11/28 00:59
その8・鼠多門 (2021/10/31 訪問)
金谷出丸(尾山神社)からの出入口として機能していた櫓門。復元から一年余りでお目もじ叶いました(^^♪
城内唯一、黒漆喰仕上げの目地の海鼠壁。黒色の引き締め効果は絶大!白目地の海鼠壁と印象が全く異なります。雪の玉泉院丸庭園とのコラボ、ステキだろうなぁ。。。
内部も見学しましたが、釘を使わない伝統的な木組みで、使用された木材はすべて国内産、そのうち75%は石川県産なのだそうです。外観と異なり、あたたかくてやわらかい雰囲気です。
通路の石垣の復元にあたっては、転用された石の再利用や損傷した石材の修理など旧材を積極的に利用した、と説明書きにあったので探してみると、それらしい石がたくさんありました。(写真⑦~⑩)現代の石工さんの作品も“石垣の博物館”金沢城の見どころのひとつです。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2021/11/27 22:05
守山崩れ (2021/11/27 訪問)
「守山崩れ」の舞台となった城です。
名鉄瀬戸線「矢田駅」から徒歩10分くらいの場所にあります。案内板と石碑の他に空堀がありますが、他の方も指摘されているように竹藪になっていました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2021/11/27 20:24
復元大櫓風雪26年目の晩秋夕暮探訪 (2021/11/14 訪問)
伊達市大枝の大枝城を終えて陽が傾き沈む前に探訪したいと白石城に向かう、大枝城に入った県道320号線を西行し国道4号線を白石へ、車は白石城専用駐車場、白石市役所北側に大型の駐車場です。駐車場は結構混んでいました人気が有るんですね❣
駐車場から案内指示板に従て水の綺麗な水堀、遊水路を通り旧白石高校へ登る坂を上がれがミュージアム、白漆喰の大櫓が目に入って来ます。
白石城には大櫓(三階櫓)が木造復元されてから家内と、仕事で、城廻りで3回訪れて居ります、今回訪ねた時間が4時を回って居ましたので本丸中心に大櫓を撮影、平成7年に木造復元してから26年目大櫓を探訪です、復元石垣も風雪に耐えながら風格が出て来ました、夕陽が沈み頃でしたから撮影的には逆光タイミングで写真自体が黒っぽい仕上がりです、唯一本丸に茂ってる楓が夕陽に当たり紅葉が綺麗に輝いていました、大櫓、大手二の門、大手一の門、大櫓下の石垣、土塁を眺めてミュージアムに入り資料をゲット、一部残ってる本丸の石垣を観察して日は沈みホテルへ。
白石城は一国一城令でも伊達藩は仙台城と白石城は許され存続、伊達氏家臣片倉小十郎景綱の居城で代々片倉家が継承し明治を迎える、今回ミュージアムには入館しませんでしたがシアター、白石城の立体模型で予習して廻れば効果抜群です。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2021/11/27 19:53
完成してたら,こっちが100名城!? (2021/11/27 訪問)
完成してたら,こっちを「会津若松城」と名乗っていたんだろうな…と,想像が膨らみます。現在の会津若松城は,鶴ヶ城でいいわけで…。江戸城,大坂城を別格扱いと考えれば,ナンバー3を競う城郭となっていただろうなと思います。散策範囲がめちゃくちゃ広かったです。公共交通利用で散策するなら,神指小学校を起点とすれば効率がいいのかな…と感じました。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2021/11/27 18:15
【現地説明会】山上の主郭から庭園の遺構見つかる!! (2021/11/27 訪問)
篠脇城は元々山麓から東氏の庭園が見つかって、名勝に指定されているのですが、今回の発掘調査では、山上(標高486m)の主郭から庭園の遺構が見つかりました。
昨年度の調査では礎石建物、石垣などの遺構が見つかっているのですが、性格不明の遺構も見つかっており、この不明遺構の性格を確定するために今年度の発掘が行われたそうです。その結果、大きな景石や青みのある川原石などが見つかり、庭園としての意匠を備えた遺構である可能性が出てきたということです。
遺物としては、天目茶碗、擂鉢、土師器皿(かわらけ)、青磁や白磁の中国産磁器などが見つかっているそうです。
これらの調査成果を踏まえると、詰城としての性格が強いと考えられていた篠脇城が、実は居館としての性格を多分に持っていた可能性が高いということです。山上のお城が戦いのときに立てこもるだけの場所ではなく、日ごろから人々が住み、時には宴会なんかもここでやっていたんだろうなということが想像されます。
地表面の観察だけではわからないことが発掘調査では明らかになってくるので面白いですよね!!
でも、今回の調査でよくわからなかったこともあるみたいです。
昨年の段階で、主郭の端に立石が二つ並んで見つかっていました。おそらく虎口であろうということで、その間を掘ったところ、石臼の破片が見つかっています。すなわち、虎口として使われていたけど、のちに埋められてしまったということです。とすると、この主郭では途中改修などが行われていた可能性もあるわけで、どの様な変遷がそこになったのかということを検討していく必要があると思います。また、庭園、虎口、礎石建物の存在は明らかになりましたが、その全体像(主郭の中の構成)ははっきりしていません。
今後の調査に期待です。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2021/11/27 00:07
武田信玄初陣の城 (2021/11/26 訪問)
武田信玄初陣の城として甲陽軍鑑に記載されている城です。主郭背後の大堀切がみどころです。案内板に水の手があるようなことが書かれていましたので散策しましたがよくわかりませんでした。
JR佐久海ノ口駅より徒歩にて登城しました。主郭まで50分弱で着きました。道は整備されていて標識もあり概ね歩きやすいのですが、この時期、落ち葉が堆積していて地面が見えない所があるため歩行に注意が必要です。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2021/11/26 23:53
王城公園 (2021/11/25 訪問)
王城公園となっていて案内板があります。遺構はわかりません。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2021/11/26 23:49
正法寺 (2021/11/25 訪問)
正法寺に案内板などがあります。遺構はないと思われます。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2021/11/26 23:46
2021/11/26 23:40
正安寺上より (2021/11/25 訪問)
この城の特徴は、南側に展開する雛壇状の曲輪でしょう。石積みも所々残っていて楽しむことができます。
下から登って行くルートもあるようですが、私は正安寺の上の墓地(佐久宝寿霊園)からアプローチしました。墓地に駐車スペースがあり、少し下のカーブミラーの左側に堀切があります。カーブミラーの背後は出丸で右側に城域へ入って行く道があります。道は概ね整備されています。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。