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おっちゃん

高崎城復元図、高崎城址周辺案内図 (2015/09/04 訪問)

現地案内板より抜粋。

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じゅんじん

平日の田口藩陣屋 (2022/04/05 訪問)

小学校なのでおとなしくちょっとだけ敷地をお邪魔しました。火曜だったので案内所もお休みでした。台所櫓って以前は入れたよね。
何度か来てますが桝形は初でした。

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ほりーないと

【城と標柱】 (2022/04/10 訪問)

畑の中(Ⅱ郭)にある「船山城 本丸趾」標柱

史料がほとんど存在しないため、確かなことはわからないそうです。山城と丘城の二つの構造を持ち、大きく二時期にわたって築城されたと考えられています。

標柱があるⅡ郭は、第二期の本丸だと考えられています。

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じゅんじん

土塁 (2022/04/02 訪問)

土塁がはげ山に(;'∀')
崩落が心配です。

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ヒロケン

陣城でしょ (2022/04/05 訪問)

松尾山城は、築城年代は定かではありませんが、応永年間に富島氏によって築かれたとされています。戦国期に入ってからは、織田氏との関係が悪化した浅井氏が、樋口氏に命じ松尾山を占拠させ砦を築きましたが、樋口氏は織田方の竹中半兵衛の調略により、織田氏に降り織田氏家臣の不破氏が守備したとされています。
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。

松尾山城は、松尾山の山頂にあり関ヶ原を一望でき、関ヶ原の合戦の折、若干19歳の小早川秀秋公が布陣した城として有名ですが、「所詮、急ごしらえの陣城でしょ」とあまり乗り気ではありませんでしたが、登城してびっくり(@_@)単純な陣城ではなく、しっかりと曲輪・土塁・堀切・竪堀などが残り、本格的な山城だといえます(*^▽^*)
なだらかな、登山道を40分程登れば、山頂に辿り着きます。山麓に駐車場も有り、そして何とトイレも山頂に完備されています。何より、関ヶ原が一望でき、関ヶ原の合戦の陣形図があり、西軍の優位性がはっきりと分かります。西軍は鶴翼の陣形で、東軍は車懸の陣形。この西軍の優位性を徳川家康公が分からないはずはなく、やはり、合戦の前から小早川公は調略されていたものと思われます。(想像です)

ただ、登城して思ったのですが、確かに良い山城ですが、小早川勢1万5千の兵が駐屯できるほどの規模ではなく、小早川公の側近1千程が山頂で待機し、残りの兵は山麓、山腹に配置されていたと思われます(想像です)煮え切らない小早川公の陣に家康公は鉄砲を撃ちたてたとありますが、絶対火縄銃では小早川公の陣まで届きません。

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じゅんじん

18年ぶり (2022/04/02 訪問)

写真を見比べると
・看板が更新されてる
・トイレが設置されてる
でした。
知立神社は変わらず良い雰囲気です。

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T-Shionoya

歴史館の開館を待てずに鉢形城訪問 (2022/03/06 訪問)

滝山城へ行って以来、小田原北条氏の主要な支城として興味があった鉢形城。
先週投稿した杉山城とセットで、先月は埼玉県寄居町の鉢形城へも行ってきました。

このエリアは荒川が秩父山地から関東平野に出るポイントで、鎌倉街道上道と秩父往還が交差する要衝。
鉢形城は、荒川の断崖と深沢川の深い谷を天然の要害として築かれています。

山内上杉氏家臣の長尾景春が築いたとされ、景春の乱抑圧後は山内上杉氏が城を管理。
1500年代後半に北条氏の時代となると、氏康の四男氏邦が城主となり城郭を拡張。
秀吉に攻め落とされるまで、甲斐・信濃からの侵攻を防ぎ、上野へ進出する拠点となりました。

現在は鉢形城公園となっており、三の曲輪には四脚門や掘立柱建物、石積土塁、木橋などが復元されています。
訪問時は諏訪曲輪をスタートして笹曲輪まで行き、外曲輪を通ってリターン。
まずは大きな堀に北条スケールを感じましたが、公園内を通る車道が紛らわしい上に大手付近が発掘調査中だったため、本来の城の動線と仕組みがわかり辛かったのが難点。
大手から大手曲輪(?)経由で伝逸見曲輪に入り、二の曲輪へは木橋で東の馬出から入るルートと、三の曲輪を経由して西の馬出(伝御金蔵曲輪)から入るルートの2つがあったのでしょうか。この伝御金蔵曲輪まわりの堅牢さは見所の1つでした。

滞在時間は3時間弱。
マンボウで閉館中の歴史館の開館を待てずに訪問した鉢形城が、私の城巡りの121城目となりました。

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小荷駄

究極の一枚 (2020/09/21 訪問)

神奈川県山北町の河村新城の畝堀跡です。新東名の工事によって現在は埋め戻されもう見ることができなくなってしまいました。 フェンス越しでしたが埋め戻される前に見れて良かったです。

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尼崎城(公式)

尼崎城に忍者パークが出現!

『尼崎城忍者パーク』
5月7日(土)10:30~17時
5月8日(日)9:00~17時 ※ゲームごと有料です。

2日間、尼崎城址公園に『尼崎城忍者パーク』が出現します。
点数を競う手裏剣シューティングや、相手と対戦する手裏剣バトル、
本格手裏剣を投げる手裏剣撃ち。
他にも忍者衣装づくりや巻物釣り、忍者ふわふわも登場。
尼崎城三人衆もはじまりから終わりまでコーナーに居ます。
ぜひ、対戦しに尼崎城に来てね。

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POYO58

徳川家康を勝利に導いた丹羽氏重 (2022/04/23 訪問)

織田信秀が築き、家臣の丹羽氏次が初代城主となった。小牧・長久手合戦では、氏次が弟の氏重に城主を任せて、小牧山城へ行く。その時、池田恒興軍が岡崎城に向かっていた。そこで氏重は通り道となった岩崎城で池田軍勢を阻止した。氏重は討死するが、家康に功績が認められた。その後、家康軍が長久手で池田恒興を討ち取り、秀吉と信雄が和睦。勝敗がつかずに戦いは終わった。

現在本丸には模擬天守が建っています。ただ見どころはここではないです。この城には空堀や土塁が綺麗に残っています。また隅櫓の礎石も一部残っています。なかなかこの城を攻めるのは難しかったのではないかと思います。

評価
遺構:4(土塁、空堀、礎石、庭園)
建物:2
行きやすさ:3

攻城時間
40分くらい

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キンヤ

野面積み石垣が見応えある岐阜県で屈指の平城 (2022/04/17 訪問)

中世加納城は美濃守護代の斎藤利永が、守護土岐氏の居城である川手城の防衛の為に築城したとされます。
今見られる近世加納城は1601年に徳川家康が岐阜城を廃して築城を命じ、本田忠勝が築城したとされます。

本丸以外の曲輪は市街化され堀も埋められていますが、二の丸北側の石垣、本丸の石垣・土塁・出枡形が良く残っていました。
特に野面積みの石垣が思っていた以上に見応えがありました。
長刀堀・屋敷跡の石垣も民家に残されていて良かったです。

岐阜県では屈指の石垣の平城と思いました。

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チェブ

峠の意味。 (2022/04/02 訪問)

北条家家臣の河村氏の居城、「中峠城」。説明板には「芝原城」と記載されてます。
「中峠城」の説明板は『古利根公園 自然観察の森』の中にあります
説明板の縄張り図を見て、低くなった土塁かな?浅くなった堀かな?ってな感じの「中峠城」攻めでした。

ところで「中峠城」=『なかびょう城』と読みます。
峠(びょう)を調べると、境界線の意味と、馬の背中のような狭い地形とありました。
「中峠城」は何処と何処の境界線?
はたして、馬の背中ほど狭い お城か?

素直に『とうげ』と読んだ場合の意味合いも変化します。
脱線要素満載の「中峠城」です。

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ばばよ

レンタサイクルが便利 (2022/04/23 訪問)

秀吉の小田原遠征では後北条氏一門が守り、江戸時代も藩庁として残ったことが興味深く訪問しました。
岩槻市郷土資料館には縄張り図や模型があるため、先に足を運ぶことをお勧めします。
関東によくある湿地帯に作られた城で、その後埋め立てなどで現在はその時の様子は感じ取ることは難しいです。
本丸・二の丸・三の丸は石碑で確認するのみです。
新曲輪が野球場、鍛冶曲輪が岩槻城址公園に当たります。
メインはやはりこの城址公園になります。
土塁・空堀と思われるところは高さもあり、なかなかの迫力がありました。
黒門・裏門が現存する建築物です。
城門が門として機能するように配置されておらず、単なる文化財として公園の隅に置かれているのは少々残念でした。
移築されたものであり元々の場所がわからないこと、上記のように昔のような地形ではないことからやむを得ないのでしょうが。

駅から遠いため急遽初めてのレンタサイクル(ダ○チャリ)を利用しましたが、非常に便利でした。

●アクセス
東武野田線岩槻駅南口 徒歩23分

●関連施設
岩槻市郷土資料館(入館料無料)

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カズサン

柏原陣屋二度目登城は整備中 (2010/03/21 訪問)

 12年前の平成22年3月中旬、淡路・洲本城を登城後、明石海峡大橋を渡り宝塚の兄宅に宿泊、翌日兄と柏原陣屋を訪ねました。
 車は「かいばら観光案内所」前の駐車場を利用。

 探訪ルート:かいばら観光案内所、木の根橋の大けやき、けやきの太い根が木の根橋の橋桁に沿うように伸びている奇景である、大手通りより一本北の通り散策し柏原陣屋長屋門、陣屋内は整備工事中、陣屋建物内部、大手通り散策、移築太鼓櫓、JR柏原駅近のやぐら公園にある「やぐらモニュメント」を見て帰路へ。

 現在は整備され、御殿の唐門式台屋根も新しく杮葺きされ、仕切り板塀も設置、前庭も綺麗に整備、御殿北側の建物が無くなってる所は地表展示で元屋敷跡が分かる様になっている、大手通りも景観整備、街並みが綺麗に整備されている。

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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)

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ぴーかる

【究極の1枚】

伊木山城からの撮影
後ろ堅固がよく分かる1枚

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ぴーかる

関城 (2022/04/02 訪問)

【関城】
<駐車場他>安桜山駐車場<35.486948, 136.916849>数十台分あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日郡上の旅4城目。関城は1528年に長井長弘が築いたとされる。後に城主が斎藤龍興の重臣長井道利になり、1565年信長の進攻により開城したようです。登城ルートはいくつかあるが駐車できる上記ポイントに駐車して登城しました。城跡手前に展望台があり関市を一望できます。城跡の残る遺構は少なく西にある展望台や東にある岩盤上に建っている東屋の場所も曲輪であったような感じだが明確な感じはしない。主郭の周辺を中心に一回りして終了しました。

<満足度>◆◇◇

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新神戸駅 (2022/04/23 訪問)

 新幹線新神戸駅の裏手にある城で、以前から気になっていました。堀切、曲輪などを見ることができます。石積みと思われるところもありました。
ハイキングコースとなっていて迷うことはありません。新神戸駅北すぐの所にある石柱のある登城口から登りました。途中、曲輪と思われる削平地があります。帰りは布引の滝方面から下山しました。どちらも階段路ですが、布引の滝方面からの方が最後は急峻となります。

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中央市場前駅より (2022/04/23 訪問)

神戸市営地下鉄海岸線「中央市場前駅」より登城しました。遺構はありません。発掘調査で出た石を使った模擬石垣や案内板を見ることができます。

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荒木村重 (2022/04/23 訪問)

 神戸市営地下鉄海岸線「みなと元町」駅から徒歩にて登城しました。模擬石垣が城址の雰囲気を醸し出しています。近くの福徳寺に「花隈城天主閣之跡」の石碑があります。

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