みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

にのまる

36見附めぐり㉓~竹橋門~

竹橋門は北の丸に至る右折れ枡形で、手前の濠にかつて竹で編まれた橋が架かっていたためその名がついたのだそうです。現在は竹の模様が施されたアーチ橋が架けられていますが、代官町通りに取り込まれていますので見附橋を渡っているという感覚はあまりないかもしれません。
門跡の平川濠側は枡形内の形をとどめていて、帯曲輪からの出口付近に積まれた石垣の痕跡が往時の姿を考えるよすがとなってくれています。
またこの場所は、左手に平川門、右手に北桔橋門と、美しい橋の架かる門を両サイドに眺められる絶好のビューポイントでもあります。平川濠の屏風折れ石垣のラインも絶品です。
北の丸清水濠の歩道沿いに「清水濠まちかど庭園」という、高石垣やアーチ橋を眺められる小さなスペースがあります。周囲の車や人、皇居ランナーさんたちを気にすることなく石垣を眺めたり写真を撮ったりするのによい場所です。このあたりから見上げる高石垣すれすれの首都高はなかなか衝撃的な光景です。江戸城珍百景図鑑をつくるとしたらぜひ載せたい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

大きなお堀 (2022/01/15 訪問)

常陸の土木技術は素晴らしい。ここも堀にうっとりします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しらさぎ

大阪平野を一望する天下人の城 (2022/01/09 訪問)

芥川山城は主に主郭を含めた西の曲輪群、土橋より東の曲輪群、大手道と土橋間の曲輪群からなります。
上の口方面から登城しましたが猪鼻地区に着くまでの間に複数の段郭や石積が確認できます。
また、主郭南側の田の丸よりさらに南に進んだところに堀切や大土塁が確認できます。
写真の数字や英字は高槻しろあと歴史館で頂いた縄張図を参考にしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

織田晃司

幸福山の道 (2022/01/29 訪問)

福山城より「幸福山の道」を通り幸山城へ。

両方を見ようとすればかなりの時間を要します。
幸山城の最後の城主は清水宗治てす。

+ 続きを読む

織田晃司

幸福山の道 (2022/01/29 訪問)

天守のない岡山県の福山城です。

古墳を横目に見ながら登城すると頂上が主郭となります。
景色は絶景です。

幸山城に向かう途中に八畳岩・挟み岩があります。

+ 続きを読む

ぴーかる

日本一の大堤 (2022/01/09 訪問)

【続百名城50城目】
<駐車場他>水城館駐車場無料あり。
<交通手段>車

<見所>東門跡・西門跡・土塁
<感想>1泊2日国土防衛筑前国の旅7城目。まず水城館駐車場に駐車して東門跡と水城館にてスタンプ押印し展望台へ。少し歩きますが<33.524778, 130.502394>ポイントの展望台の方が水城が良く見渡せるので是非ともお勧めです。土塁断面広場→父子嶋(ててこじま)なる民話化された小さい土塁遺構が西門跡北100m程の所にあります。西門跡まですべて徒歩で行きました。
 実際行って体感するまではたかだか土塁だけでなぜ続百名城に選出されるのだろうかと思っていましたが完全になめてました。土塁に登って、触って、眺めてみると全然考えが変わりました。古代の人々が国家、大宰府の都市、そこに住む人々を守るという気概を大いに感じた。まさに大堤の名にふさわしい。
 水城にてこの旅終了。古代山城と大土塁、中世元寇の石塁、近世台場跡と時代を超えてそれぞれの国家防衛の防御設備を満喫しました。何故か時代が古い古代遺構が圧倒的なスケールで一番良かった。全走行距離1317㎞無事走破。

<満足度>★★☆
<グルメ>ベタですが福岡県民の定番「資さんうどん」を食しました。これも定番、肉ごぼう天うどんのセットをチョイスしました。ごぼ天うまし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

金太郎 (2022/02/04 訪問)

 箱根を守る要衝の城です。堀などがよく残っていて楽しめる城址です。概ね整備されていて主要な所は歩きやすいのですが、一部は藪になっていました。蔵屋敷方面は立ち入り禁止となっています。
明神郭には登る気はなかったのですが、空堀に下りてみると郭に登った先人の踏み跡を見つけてしまい上まで上がりました。予想通り藪でした。
富士山がよく見えるとのことで期待したのですが、痛恨の曇り空。帰って来ると雲一つない青空となっていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

中堀石垣災害復旧工事完了 (2011/04/19 訪問)

 平成21年8月11日に駿河湾で発生した震度6弱の地震により駿府城中堀の石垣が崩落しました、その後災害復旧工事が行われ平成23年3月に工事完了のニュースが伝わり桜の時期は少し過ぎましたが平成23年4月中旬に出掛け綺麗に復旧した中堀石垣を見学観察して来ました。
 同時に二の丸坤櫓台の石垣修復工事も完了し、坤櫓の建築前準備が進んで居るようで計画の告知も張り出され、後2,3年(H25、26年)したら復元坤櫓が再現される期待感が伝わって来ました。
 既に復元完成してる二の丸巽櫓東御門の表、裏も春うららな気分でしたので撮影した写真を合わせ投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ばばよ

復興御三階櫓はきれいではありますが (2021/11/13 訪問)

きれいな白塗りの御三階櫓は有名ですが、江戸時代には本丸ではなく三ノ丸のまた外側にあったようです。
城址公園としては本丸部分のみなので、観光のためですね。
御三階櫓の中にも入れますが、資料館から渡り廊下を経由して入るので、城の中に入ったぞ、という感じも乏しいです。
色々な城でコレクションしている無料パンフレットもここでは見当たりませんでした。
ちらほら残念ポイントはありつつも、甲冑を身にまとったガイドさんはとても親切そうでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

いつか垂水麓も (2021/12/28 訪問)

志布志城から一般道のみで大隅半島を横断してのアプローチでした。麓の荒崎パーキングに車を駐め、少し歩いて垂水城の標柱と殿様水は見つけることが出来ましたが、台地上で城に関わる物件を見いだすことは出来ませんでした。でもこのあたりから雄大な桜島を拝むことが出来たので満足です。この日の攻城はこれにて終了。鴨池クロスにて16時からの献血予約を入れてあったので、桜島フェリーを利用して献血ルームへと向かいました。日本遺産「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」の構成資産になっている垂水麓をチェックしなかったのが心残りです。

+ 続きを読む

しらさぎ

近江南部一帯を見渡す堅城 (2022/01/22 訪問)

宇佐山城は主要部の本丸・二の丸・三の丸と北曲輪からなります。
写真の箇所以外にも主郭の北側・東側や三の丸の北東側に石垣跡、三の丸の東側に竪堀が確認できます。
また、三の丸の北側から尾根道を進んだ先にある北曲輪は写真の郭以外にも複数の段郭が存在します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

里見氏の本城とのこと (2022/01/23 訪問)

西水往来から登城。
こちら側には駐車場がなく少し離れたところに車を駐めて登城。
岩盤の切通を登って行くと程なく主郭方面への案内板。
尾根道を進んで行きます。
途中横穴墓を見ながらさらに進むと堀切がありました。
この上が主郭で山側には土塁が付いています。
もちろん海側の眺望は素敵。
北側の虎口を降りるとここにも堀切。
深さもあります。
さらに尾根道を進むことができますが堀切と土橋があるところから竹藪になっていて見学はここまで。
里見氏初代の義実が築いたとされますが詳細は不明です。
天文の乱で義豊が敗れると廃城になりました。
帰りは東水往来側に降りると少し先に貯水槽があり、説明板が立っていて駐車場にもなっていました。
ここから西水往来側には大きく回るようになりそうだったので結局引き返しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

higekam

初期の石垣が残る城跡と聞き (2022/02/03 訪問)

また播磨の名門赤松氏の居城でもあったと知り登城。
南の若王子神社から今回登城したが、最初から山城感にあふれ、石組み、石垣の遺構も期待以上に発見できて満足。
かなり急な傾斜で石垣探しは相当疲れたが、帰宅して確認すればまだ遺構がありそうで、再度登城をトライしそう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

織田晃司

冠山合戦 (2022/01/29 訪問)

現在規模としては大きくない城ですが、備中高松城の前哨戦として冠山合戦が行われた。
加藤清正が一番槍の働きをみせた。

+ 続きを読む

カズサン

亀ヶ城と呼ばれ良く整備されています (2011/04/30 訪問)

 11年前の平成23年4月下旬、赤瓦葺竣工成ったばかりの鶴ヶ城天守閣を満開の桜と共に満喫し、翌日福島県の城郭ベスト10城にも入ってる猪苗代城を磐梯山山麓の県道を通って目指しました、山手から猪苗代湖方向にも下り、本丸大手の櫓台石垣の有る虎口へ到着、駐車場は大手枡形虎口の東側前に整備されて居ました。

 歴史:源頼朝奥州征伐の戦功で相模の佐原義連に会津4郡が与えられ孫の経連を初代とする猪苗代氏が代々居城、会津の名門蘆名氏も同族、天正17年(1589年)の摺上原合戦で父子伊達氏と蘆名氏に分かれて戦う芦名氏は滅び、翌年の秀吉奥州仕置きで伊達領は北に退き稲苗代氏もこの地を去る。
 奥州仕置き後蒲生氏郷が入部し黒川城は若松城と改め猪苗代城も近世城郭へと改修された、近世を通して会津藩の東を守る支城として一国一城令後も存続し、幕末戊辰の役で焼失するまで当地の支配拠点として機能した。

 城域:磐梯山火山泥流の堆積した南北に長い馬ノ背状の細長い小丘陵を活用した城郭でこの尾根を東西に分断する堀切を境に北を鶴峰城跡、南に猪苗代城(亀ヶ城)が並立する、鶴峰城は隠居城と伝えられ亀ヶ城の文郭として機能し、亀ヶ城は近世城郭へ改修されたが鶴峰城は戦国末期の状態を残してる。
 猪苗代城本丸は東に桝形虎口を石垣櫓台で構え外枡形内枡形の連続虎口、東上に胴丸が控え守りは厳重、石垣で守られた石段を2回通り本丸の東門、大手門に分かれる石段踊り場に登る、南の石段は本丸二ノ郭へ通じ櫓門跡の石垣が左右に控えてる、二ノ郭の南側周囲は土塁、黒門から本丸に登る広い本丸内部、周囲は土塁で固めてる、所々雁木石垣も見受けられます、東に東門、南西角に隅櫓台石垣が残ってる、本丸より磐梯山が一望出来る、桜はまだつぼみ状態でしたが満開時には雪を被った磐梯山と桜の絶景が堪能出来るでしょう。
 本丸南西角に隅櫓台下から搦手石段の残存が窺える、本丸西側下には細い横堀を伴った西帯郭、更にその西下に幅が広い圧巻の横堀、南側に南帯郭と空堀を挟んで小山土塁、北側には北帯郭土塁で囲まれてる。
 近世の改修で悌郭式に本丸東下に二の丸、城代屋敷、千人溜桝形も在った、更に東、北に三の丸、更に東、北に外郭と堀と土塁の総構えと成っていたようです。

 案内:亀ヶ城址公園として良く整備されています、春の桜、秋の紅葉、磐梯山を望め、南側より猪苗代湖も望めます、北には稲苗代小学校が建ち野口英世少年も通っていた、石垣櫓台、土塁、雁木石垣、大空堀、高土塁、曲輪も保存良く残って居り見応えが有ります。
 二の丸、三の丸は住宅街ですが堀跡の水路、大手門桝形跡、土塁と目を凝らして行けば感じ取る事が出来ます、案内人が欲しいかも?
 桜がつぼみ前で残念でしたが次回は桜の満開の時期に訪ねたいものです。

 探訪後に南側にある図書館に寄り、亀ヶ城の話と資料等を沢山頂きました、誠にありがとうございました。

 上記情報は頂いた資料、文化財探検シリーズⅠ「亀ヶ城の歩き方」県指定史跡稲苗代城跡附鶴峰城跡 編集 兼田芳宏氏によります。
 有難うございました。

 帰り磐越西道のSAでイチゴを販売して居ましたので少しでも復興支援の助けに成ればとワンパック購入し、今回は鶴ヶ城と亀ヶ城の縁起の良い城のみで直帰浜松へ、他に寄る心境に成りませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー50城目 (2021/12/28 訪問)

2度目の続100名城のスタンプ、やっと半分に達しました。志布志市埋蔵文化財センターの年内最終開館日に合わせた次第です。此処でスタンプを捺し、見事な志布志城の模型(黎明館のはもっとすごいですが)を拝んでから志布志城内城へ繰り出しました。昔に比べて説明板や駐車場が整備されて嬉しい限りです。志布志麓の庭園のある平山邸は被災していました。今回は松尾城はパスして内城のみの攻城でしたが、清色城に迫る幅の狭い堀切や雄大な大空堀など、見所満載なので十分に楽しめました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とんがった山城 (2022/01/22 訪問)

まず、間違えずに天一神社に行く事が大事。
登城道は天一神社からしかない。とても立派な神社だった。安産守護神として崇敬されているらしい。
車は3〜4台ほど停めれるスペースがある。
急な石段を登り、社にたどり着いて、拝んだ後、左手に由並城への登城道がある。
説明するには及ばないほど、簡単に分かる。
JRの線路を横断したら、もう登城道だ。
笹竹がうじゃうじゃ生えている。
10分ほど、ひたすら登れば、低い石垣が現れる。
オォッと見とれる。何かを感じてしまう。城ファンには分かるだろう。
それからも、ひたすら笹竹に挟まれた道を登る。
曲輪の跡らしき場所も数カ所あった。
途中、勾配がキツくなり、ロープを握りながらではないと登れない道が現れる。
素手でロープを握りながら登るのは勧めない。軍手を持って行く事が賢明であろう。
一気に視界が広がる場所がある。
鳥居がある所で、二の丸と思われる。伊予灘が眼下に広がる。そこから、頂上までが、また、キツい。
また、ロープを握りながら登る。時間はそんなにかからない。
途中、石の階段があり、虎口に達する。やっと、頂に到達したことになる。
頂上は狭く、大人が5〜6人居られるかどうかだ。
鬼瓦のような物と三角点があった。
眺望は最高だ。さっきの二の丸であろう鳥居のある所よりも、更に伊予灘が広がる。
海の反対側を見ると、630メートルの明神山がそびえる。
リュックにお握りでも入れて、この絶景を見ながら食べると、さぞかし美味しいのでは…
気を付ける事は、トレッキングシューズを履く事と、軍手をする事、そして、登る前に水分を買っておく事である。
双海シーサイド公園から、この本尊山を望めば、よく、あんな、とんがった山に登ったなぁ…と、達成感でいっぱいになるであろう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

36見附めぐり㉒~平川門~

木橋から高麗門・渡櫓門のある枡形という往時の姿をとどめる平川門。
渡櫓門右奥にある少し小さめの脇門がワンダーランドへの入り口で、中からは見えないし行けないのですが、細長い帯曲輪が竹橋門に繋がっていてなんだかすごいのです。
竹橋門から見ると“わかりにくい”ということがわかりやすいのですが、このスケールのお城だからこそできる大胆な設計で、水堀の中に堂々と構築された帯曲輪に欺かれる快感が堪りません。渡櫓門を抜けると天神濠も現れて、桜を愛でている場合じゃないなという縄張りの妙を感じました。
塀の銃眼や木橋(再建)の擬宝珠の銘もチェックポイントです。東御苑の出入口のひとつで、梅林坂を登って本丸に抜けられます。上梅林門跡と下梅林門跡が残ります。
三の丸の正門で御三家や御三卿の登城門だった平川門は御殿勤めの奥女中の通用門でもあり、また、城内の死者や罪人をこの門から出したことに由来して不浄門と呼ばれたとも。城内での死者や罪人といえばあの事件のあの方々…と思って間違いないようです。
出入りする人や物の幅の広さ、帯曲輪の用途など、さまざまな想像を掻き立てられる門でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

里見公園だけど公園っぽくはない。 (2020/01/23 訪問)

主郭周辺が里見公園になっていますが駐車場はありません。
旧富浦港駐車場から歩きました。
隧道の手前に里見公園への案内板があり、石段を登っていきます。
結構急な坂道を登ると主郭に着きます。
主郭には説明板が立っています。
海側に進むと土橋状の尾根道があり、その先に物見岩。
内房を望むことができます。
山側を降りると深い堀切、ここも岩盤を削ったものです。
周辺は琵琶畑が広がっています。
遺構も残っていていそうですが少し歩いて撤退しました。
里見氏家臣の岡本氏の居城でその後里見義弘に渡されました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

江見根古屋城 千葉県鴨川市 (2022/01/30 訪問)

JR江見駅の北にある半独立丘陵のほぼ全尾根に遺構が展開してます。
痩せ尾根上に堀切、竪堀、堡塁、平場、帯曲輪等が自然地形を利用した形であります。
本格的な山城です。詳細は不明ですが、里見氏系にみられる岩盤を垂直に切り落とす
遺構もあります。
見どころは約3mの高さのある石垣ですね。戦国期のものなら県内でも珍しいです。
風化が進み、シダ植物に覆われてきてますが一見の価値があります。
下山時にハンターの方にお会いしました。2月15日までが狩猟期間のようです。
特に入山許可などはいらないそうですが、誤射を避けるために黒や茶色でなく明るい
服装の方が良いみたいですね。狩猟できる動物は48種もあるそうで。。。
この日は自分があちこち歩き回ったので、何匹か命を救えたかな?

+ 続きを読む

ページ893