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テンちゃん

寺尾城 訪問 (2022/05/10 訪問)

2020年2月11日の鶴見れきぶん祭に参加し、寺尾城に関する講演
 「戦国の城の楽しみ方、寺尾城の魅力」萩原さちこ氏
 「小田原北条氏、東へ!~小田原城と寺尾城~」諏訪間順氏/枡野俊明氏/二宮博志氏
を聞いて以降、訪問したかったのですが訪問する機会がなくやっと訪問することができました。
車を殿山公園近くのコインパーキングに駐車し、殿山公園を通って主郭方面へ向かいました。
今は、住宅街となり寺尾城の遺構はあまりないですが、地形や地名はここに城があったのだと思わせるものでした。

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テンちゃん

小机城 訪問 (2022/05/10 訪問)

以前、小机城と同じ区内に住んでおりましたが、訪問するのは初めてです。
まずは、小机駅前のコインパーキングに車を止めて城郷小机地区センターで続100名城スタンプと案内パンフレットをゲットしました。
空堀などの遺構が良く残っておりなかなか良かったですが、第三京浜により分断されてしまっているのは残念です。
御城印は、横浜市歴史博物館で購入できます(通信販売もあります)。現在、小机城発掘調査記念の特別御城印が販売されています。
令和三年秋、横浜市による初めての発掘調査が行われたそうです。

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テンちゃん

榎下城 訪問 (2022/05/10 訪問)

以前、榎下城から車で10分程度の会社に勤めていましたが初めての訪問になります。
最寄りのコインパーキングに駐車して5分程度で榎下城址に到着しました。円城寺の境内には案内板もありました。
遺構はあまり残っていないようでしたが雰囲気のいい感じでした。
なお、御城印は横浜市歴史博物館で購入できます。(通信販売もあります)

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イオ

膳所藩代官所(大阪府河内長野市古野町) (2022/04/20 訪問)

膳所藩代官所(城びと未登録)は、江戸期に錦部郡内の膳所藩領の代官所として設けられ、明治まで存続しました。

現在の長野こども学園の北東に位置し、絵図面によれば総坪数は300坪を超え、北側に門を設けた造りだったようですが、遺構は消滅しており、こども園の東側に石碑が、西側に説明板が建てられているくらいです。

なお、代官所は堺からの西高野街道に近接して設けられていたようで、説明板の少し南には九里の道標石が現存しています。さらに代官所から少し南(徒歩5分)の本町で京都からの東高野街道と合流して高野山へと続いており、人や物の往来が盛んな地であればこそ、この地に代官所を設けたのかもしれませんね。
 

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todo94

県内の城めぐり2022⑲ (2022/04/29 訪問)

30数年ぶりに戸隠そばが食べたくなり、渋滞を避けるために戸隠に泊をとりました。この日の午後はかなりの雨予報が出ていたので雨が落ちてくる前に到着できたのは喜ばしい限りです。神社の後背に見事な空堀が巡っていました。この後、鬼女紅葉の岩屋に赴いたところで雨が落ちてきました。斜面に駐車して泥濘にスタックしてしまい、JAFを呼ぶ羽目になってしまいました。

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赤い城

かつて陣屋があった (2022/04/30 訪問)

この日は狛江駅から徒歩で訪問。
30分弱で慶元寺に着きます。
江戸時代には門前に陣屋が置かれていましたが遺構はありません。
江戸氏が築城した城で慶元寺境内には江戸重長の像が立っています。
慶元寺参道は杉の並木となっていて雰囲気のあるお寺です。
こぼ慶元寺の辺りから須賀神社周辺が城域だったようです。
須賀神社の近くには大六天塚古墳があり、中世にも使用されていたようです。
土塁として機能していたのかもしれません。

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おっちゃん

玄蕃尾城跡要図 (2017/05/20 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

八幡山城縄張図他 (2016/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

観音寺城跡図、観音寺城跡平面図 (2016/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ほりーないと

【城と生き物】 (2022/05/03 訪問)

五稜郭の水堀を泳ぐ、佐久鯉

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ryu

平日の吉野ヶ里遺跡 (2021/06/24 訪問)

コロナ禍で遠出を自粛していたため、久しぶりの100名城訪問となった。
平日で人も少なく、各所でボランティアの方の説明も聞きながらじっくりと見学できた。
9:30頃から2時間半くらいかけてじっくりと見てまわる。

探訪順路:歴史公園センター~環濠入口広場~南内郭~中のムラ~北内郭~北墳丘墓~甕棺墓列~倉と市~南のムラ~歴史公園センター

100名城スタンプは歴史公園センターの発券所にある。

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ぴーかる

揖斐城 (2022/04/09 訪問)

【揖斐城】
<駐車場他>麓の三輪神社に駐車させてもらいました。または城山台公園駐車場<35.492865, 136.573047>利用可能です。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸・堀切
<感想>揖斐城は1343年頃に土岐頼康またはその弟の土岐頼雄が築城したそうです。兄頼康は弟頼雄に揖斐城を守らせ以降揖斐氏を称して約200年にわたり居城とします。1547年に斎藤道三の攻撃で城は落城し以降は揖斐氏の家臣堀池氏が居城としますが今度は織田信長の進攻により稲葉一鉄により落城、のちに一鉄の息子稲葉貞通が城主となりますが後に破却され麓に揖斐陣屋が建てられました。
 登城ルートは一心寺本堂左手から登って行くルートと城山台公園から北の搦手から入り込むルートとあります。道はハイキングコースとして整備され、城跡内も整備されているので非常に見やすいです。城跡はほぼ南北に連なる連郭式で現地縄張り図では南端の方に主郭を置き、北に二の丸、三の丸を置いている。その更に北に標高の一番高そうな場所に周囲を高切岸で防御した出丸(太鼓曲輪)がある。各曲輪間に堀切、堀切からの竪堀が明瞭に残っています。
 石垣遺構は全然見受けられなかったが、元々は石垣もあったかと想像します。麓の居館を関ケ原後に揖斐陣屋建設時に石垣を崩して使用したかと予想します。200年以上詰め城として使われた城だけあっていい遺構、見応えあります。

<満足度>◆◆◇

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ryu

天拝山登山と飯盛城 (2009/08/29 訪問)

天判山城のある天拝山山頂から北東へ伸びる尾根の中腹、標高 150m 地点に主郭がある。天正年間頃には、筑紫氏の家臣の帆足氏が城番であったらしい。
天拝山に登山後、自然歩道を下る途中より飯盛城跡への道標に従い、登山道を下る。分岐より5分弱で城跡に至り、説明板もあった。
ただ、現在(2022年)は、天拝山方面からはロープが張られ、立ち入れなくなっているようだ。

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ryu

天拝山登山と天判山城探訪 (2021/06/14 訪問)

天拝山(257m)にはこれまで何度も登っているが、菅原道真が無実の罪を天に訴えたと伝わる山という印象で、あまり山城跡という認識がなく登っていた。今回は縄張り図を持って山頂部の天判山城の遺構を確認しながら歩く。山頂からは岩屋城や宝満城を一望することができる。

『筑前国続風土記 』には「天判山の上にあり。筑紫廣門の家臣帆足備後居住せしと云」とある。

下りの自然歩道の途中から分岐する飯盛古城へも行きたかったのだが、登山道崩壊のため立ち入り禁止のロープが張ってあり、こちらは訪城できなかった。

探訪遺構:曲輪跡、堀切

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ぴーかる

【城と生き物】

キリッ!門番だチュン🐦

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ryu

岳城山登山と高鳥居城探訪 (2021/05/22 訪問)

近場でまだ訪れていなかった山城、高鳥居城跡(岳城山)に登る。

高鳥居城は元寇後の1293年河津筑後守貞重が築城といわれ、天正14(1586)年、秋月・島津方の星野兄弟が入城、秀吉の九州上陸を知り退却する島津軍のしんがりとして籠城した星野兄弟を立花統虎が攻め、落城したらしい。

登山口となる麓の皿山公園にある須惠町立歴史民俗資料館は緊急事態宣言再発動により閉館中で残念ながら見学できなかったが、ここから出発する。公園内のよく整備された道を登って行く。
地元の人たちの散歩コースなのか何組かのハイカーとすれ違う。
展望台となっている曲輪から尾根伝いに削平されたいくつかの曲輪を過ぎると高鳥居城址の石碑がある山頂の曲輪(岳城山山頂)に着く。
展望台に戻って、福岡市街の展望を楽しみ、カップ麺の昼食後、往路を戻る。
冬季と違ってこの季節は草が茂り、曲輪南面の畝状竪堀群はよく分からなかった。
探訪遺構:曲輪跡、堀切、土塁等

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いんげん丸虫

成島館 山形県米沢市 (2022/05/02 訪問)

現在は成島八幡神社となっている丘城です。
広い境内が本丸で西、北に土塁、空堀があります。
西の虎口は桝形となっています。
北に隣接している成島ワクワクランドに駐車可能です。

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零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 6日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る6日目

4日目(22日)
本日10時は志賀草津道路の冬季閉鎖の解除となる。ここに合わせて全体の計画を進めてきた。寧ろ閉鎖解除の情報に気が付かなければこの時期の攻城はあり得なかったと言ってもいい。天気は良好、良い1日になって欲しい。

まずは5時にホテルを出発、箕輪城に向かう。

箕輪城・・・・過剰な装飾もなく、適度な表示のみで全く厭らしさが無く肩に力の入っていない素晴らしい城郭。普段は伏目がちで潜る 
       復元門も今回は良いアクセントとなっています。空堀底なもど最低限の整備で見上げながら歩く。時期も良かったのかも  
       知れませんが、行き過ぎるより自然体の城郭は好みです。城郭の維持管理は適度な方が良いのかもしれません。押し付け  
       がましく無く、例え想像が間違っていても自由に様々な思いや考えが膨らんで来ます。

昨日、道を間違え行く事の出来なっかた榛名山に表榛名から裏榛名に向けて走破。10時10分前には志賀草津道路の入口に達する。入口からは車など列をなしている。割と早く5分過ぎにはレセプション後のゲートを手を振りながら通り抜けいよいよ残雪の真っ只中へ。とてもとても良かった。ウインタースポーツの経験など無く、雪に縁の無かった自分が雪の回廊をバイクで走る事など以前は考えてもいなかった。この時期にバイクで来るのは今後おそらく無いだろう。老いからくる恐怖と焦りなどから早めの終活を始めて本当に良かったと思える。その後はのらりくらりと残雪を楽しみ志賀を抜け松代城へ。

松代城・・・・行く前から感じていた事がある。なんて平べったい城郭なんだと。実際に本物を眺めているとやはり同じように感じた。
       天守ありませんね。無理に天守を復元するよりこの方が上品に見える。2階建ての住宅より平屋の住宅の方が金持ちに
       見える理論と似ているのかもしれない。広い敷地一杯に低めの配置、なんて贅沢で見栄えの良い城郭なんだろう。

次は残雪第2の目的地北アルプス白馬へ。小川アルペンルートから鬼無里街道を通り白馬に至るルート。YouTubeで何度も何度も繰り返して観て道を把握した。小川アルペンルートから眺める北アルプス、山がデカい、とても綺麗だ、中々先に進めない。白沢洞門を抜けると北アルプスの残雪だった。田んぼの中から眺める残雪の北アルプス、自分は幸せ者なのかもしれない。

今日の宿泊地は松本城のすぐ近く、残念ながら城郭は日が暮れて佇まいを感じられただけだった。

本日は終日濃厚で満足な1日を過ごすことが出来た。良い城郭を見ることが出来たし、残雪に酔いしれる1年を通して滅多にない忘れられない1日となった。

実はそれ以外に嬉しい遭遇もあった。存在だけは知っていたが実際に遭遇したのは初めてだったバイク攻城ライダー。松代城にて入れ違いだった(仮)セローさん。年齢は私よりも2歳ほど上、10日間掛けて東北の100・続100城を巡って来たという。話す事30分程、お互いのグーグルマップを見せ合い話が弾む。セローさんもバイクで攻城するのに意味があり車ではダメ。その上終活として巡っているそうだ。志向が似ている人が存在していると、常々感じていたイレギュラー感が薄れて安心する。そして自分の満足する方法で城郭巡りできるのはとても健全じゃないかと感じた。

本日の2城はともに100城・続100城。詳細は諸先輩方の投稿をご覧ください。

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ryu

二丈岳登山と二丈岳城探訪 (2021/04/18 訪問)

山頂部に二丈岳城跡がある二丈岳に登って山城を探訪する。

永禄年間には原田氏の配下の草野鎮永が居城し、秀吉の九州征伐で落城したらしい。草野氏入城前は深江豊前守良治が城主であったという。

登山口となるゆらりんこ橋の駐車場から加茂川の渓谷沿いを緩やかに登り、加茂神社を過ぎてしばらく未舗装の林道を歩き、真名子の登山口からさらにひと登りで山頂となる。
山頂からは糸島半島と海の眺めが絶景である。
縄張り図を見ながら山頂周辺に残る二丈岳城跡の遺構を見てまわる。

探訪遺構:堀切、石垣、曲輪

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ryu

道後温泉と松山城(2020年)(2) (2020/01/25 訪問)

続き。
現存建築物も多く、見所が多い。

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