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ぴーかる

【城と看板】

そこまで行けませーん(>_<)

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ぴーかる

【城と看板】

地元小学生の素晴らしい手作り説明板
さらに本郭と本格をかけている。

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ぴーかる

小倉山城 (2022/04/03 訪問)

【小倉山城】
<駐車場他>小倉公園駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・曲輪
<感想>1泊2日郡上の旅5城目。小倉山城は高山藩主金森長近が家督を養子である可重に譲り隠居し1605年に隠居城として築きました。その後、後に生まれた長近の実子長光に2万石が分知されこの地に上有知藩が成立しましたが長光は6歳で夭折したため、上有知藩は廃藩となり小倉山城は廃城となり上有知は尾張藩の直轄領となりました。現在でも城下町は残っており、うだつの上がる町並みとして重要伝統的建造物群保存地区となっています。
 城跡は野外ステージの模擬櫓が建つ曲輪が本丸、駐車場が二の丸となっています。本丸の石垣と城門跡の石段はよく残っており見応えがあります。山頂までの中腹部分にも所々薄っすらと石垣が残っている場所があり探索しながら登るのが楽しいです。山頂の少し手前に巨石群がありスピリチュアルな場所だったとも思われます。山頂の西側にも岩盤が突き出ており自然かもしれませんが堀切状になっています。城跡の東側に忠魂碑のある曲輪とその下段も曲輪だったように思います。忠魂碑の台座の石垣は城跡の物を流用しているように見えました。山頂には展望台があって南の城下町、北は長良川が見え隠居城ながら後ろ堅固な立地に築城しているのがよく分かります。
 ちょうど桜が満開で本丸石垣とよく合っていました。駐車場の東側にミニ動物園もあってなかなか楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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mass

静かな場所 (2022/04/25 訪問)

黒田官兵衛ゆかりのお城♬

城自体はありませんが、とても静かで
藤の花、つつじ、桜に囲まれ自然豊かな
美しい場所でした。

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カズサン

東濃遠山氏500年超の城 (2009/12/12 訪問)

 苗木城は中津川市木曽川の北岸に突き出し急峻な高森山に築かれた山城、断崖絶壁の岩山巨岩を活用した日本でも特異唯一の城郭です、木曽川沿いからの眺め、天守台からの木曽川、恵那山の眺めは圧巻の絶景です。
 築城は建武南北朝時代に遡り、信長の本能寺変後拾数年他家に明け渡すが関ヶ原の功績で城主に返り咲き明治まで継承し、有に500年以上に渡り石高は1万石余ですが東農を治める。

 苗木城へは浜松から地道国道257号線または高速東名、東海環状、中央道経由でも時間的には同じ位の2時間半ほどですが、今回も高速道を使い苗木城の一番上の駐車場を利用して日帰り登城です。

 駐車場から大手門に当たる風吹門跡、大矢倉石垣台を登ったり降りたり、また本丸側より俯瞰する、大門跡辺りから本丸側を見上げる、登城路を登り、武器蔵跡の地表展示礎石を観察、本丸、天守台、復元天守矢倉木組み展望台に登る、見下ろす木曽川、恵那山方向の景色は圧巻の絶景です。天守に渋柿が一本たわわに実っている初冬の12月中旬、何か物悲しさを感じる様でした、登城路を降り大門横から二の丸御殿跡へ御殿礎石が綺麗に並んでいる、本丸側は石垣の城壁で護られてる、三の丸下に石垣と石垣の間に空堀の様なものもみられる。
 人出は少なく充分堪能できましたアベックが1組かな?
 現在は樹木伐採景観整備され巨岩の本丸天守矢倉木組みと恵那山のツーショット写真も良く撮れ、高速道の便も良く日本一の山城、宣伝効果か?探訪者も多くなりました、13年前の平成21年12月とは大違いです。


 

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カズサン

平成22年2月登城は白梅満開 (2010/02/13 訪問)

 12年前の平成22年2月中旬、日帰りで登城探訪、本丸月見櫓跡南の一本白梅は満開で記念に撮影。

 車は郡山城の東に在る郡山市立図書館、郡山城ホールの駐車場を登城度に利用して居ます。

 駐車場から出ると近鉄線路越しに大和郡山城のシンボル的存在、東隅櫓と続き多聞櫓が目に入って来ます、南に下って鉄門跡から二の丸へ郡山高校沿いを通って仕切り塀、松陰門跡、本丸を西の内堀越しに石垣を眺め、本丸竹林橋土橋、櫓門跡の大手を通って本丸内部へ、天守台、付櫓台、月見櫓跡南の白梅は満開、綺麗に咲いて居ました。竹林橋櫓跡から元二重多聞の在った土橋の様な所を通って毘沙門郭、復元された梅林門、桝形、復元追手向櫓を通って鉄門跡から駐車場方向へ、今回は今までの良く観察して無かった侍町重臣屋敷の北を守る桜門跡桝形を残ってる石垣、堀を観察見学、北側を東西に続く左京堀も見学、車道が走り左京堀を一部消滅か?
 この間約2時間半初春の大和郡山城を堪能しました。
 
 現在は極楽橋の復元、天守台の改修整備、本丸の景観整備完了して綺麗に見学し易く成って居ります、12年前の写真ですが現在との違いを見て頂ければ幸いです。
 

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イオ

総石垣一歩手前 (2022/04/09 訪問)

鎌倉中期に土肥氏を城主とする史料がありますが、応仁の乱の頃には国人領主・堀氏の居城となっており、江北と江南の境目の城らしく六角氏、京極氏、浅井氏、織田氏と渡り歩くも、織田信長に追放されたことで廃城となったようです。

東山道の間道を眼下に見下ろす鈴鹿山脈の支尾根に築かれた城で、頂部の主郭から北と西にのびる尾根に曲輪群を設け、主郭よりも高所へと続く南の細尾根は連続堀切で断ち切っています。

番場宿にある無料駐車場に車を駐め、源右衛門で続100名城スタンプを押して、名神高速の彦根43番ガードをくぐって大手口から登城開始。鎌刃城は熊とヤマビル注意の山城なので、肌の露出は顔だけにして首筋はマフラータオルでカバーし、ところどころにある熊よけベルを鳴らしながら、登ること20分あまりで北端の大堀切に到着。大堀切は幅も深さもかなりのもので、大堀切を含む四条の堀切で北尾根を断ち切っています。大堀切から西側に回り込むと、北曲輪群の西斜面には大石垣と呼ばれる石垣が一面に広がっています。大石垣から斜面を登ったところには水の手が復元整備され、南端の堀切の崖下にある青龍の滝から水を引き込んでいるようです。水の手の反対側(東側)には石段と石垣造りの枡形虎口が開口し、発掘調査で礎石が確認されていることから四脚門による大手門があったと考えられます。大堀切を見下ろす北曲輪群北端の曲輪(北-Ⅵ)は周囲を土塁がめぐり、半地下の大櫓が大手口からの侵攻に備えて建てられていたと思われます。現在は大櫓の代わりに丸太組みの簡易な物見櫓が建てられていて、おっかなびっくり登ってみると伊吹山(京極氏城館)から小谷城までを一望することができました。少し南の北-Ⅳ-2曲輪にも物見やぐらがあり(こちらは大櫓跡のものよりしっかりした作り)、佐和山城など西方向の眺望が開けています。

階段状に続く北曲輪群を抜けて主郭へ。主郭の北部には北-Ⅴ曲輪以上の規模の石段と石垣を備えた枡形虎口が開口し、門の礎石も確認されています。かつては主郭の周囲は石垣で固められていたようで、西辺はほとんど崩落していますが、東辺は状態良く遺っています。さらに主郭の南辺には石塁がめぐり、織豊期以前の山城でありながら総石垣の一歩手前とも言うべき見事な石の城ぶりです。

続いては石塁を越えて南の副郭、そして南尾根と西曲輪群に向かいます(続く)。
 

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トク

(雪が解けてしまった)丸岡城 (2022/02/12 訪問)

雪の丸岡城を見たかったのですが、この日は朝から気温がぐんぐん上がり、丸岡城に着く昼までには昨日まであった雪が一気に解けてしまいました(😩~)。石瓦が雪に耐えている姿を見たかったのですが・・・残念です。(でも3日後には大雪が降って再び真っ白になったそうなのでなおさらショック!😱~)。

丸岡城は、戦国時代の面影を残す唯一の現存天守なので大変貴重です。柴田勝家が北ノ庄を一向一揆から守る要として甥の柴田勝豊に建てさせた城で、急な階段や狭間など戦(いくさ)の備えは見る者も緊張させます。しかし400年以上が経ち、だいぶ老朽化している箇所が多数あったので気になりました。重い石瓦も載っているので、もし地震がきたら大丈夫か? と心配になりました(昭和23年にも一度地震で倒壊したらしいですが・・)。 熊本城の宇土櫓に大きさや形が何となく似ているので、なおさらそう思ったのかもしれません(宇土櫓は今でも半壊中)。1日でも長く現存保存される事を祈ります。


【余談:日本一短い手紙と本多成重】
丸岡城には「日本一短い手紙の館」があります。家康の家臣「本多作左衛門(重次)」が長篠の陣中から妻に宛てた手紙で、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」 はあまりにも有名です。でも長篠での話がなぜ丸岡に🤔? と思ったら、このお仙こと「仙千代」は出世して丸岡藩の初代藩主になったとの事です(知りませんでした)。
成人した仙千代は「本多成重」と名乗り、福井藩2代藩主「松平忠直」の付家老として入ります。しかし忠直は大坂の陣後、参勤交代への拒否や家臣などへの乱行をとがめられ豊後へ配流。その後成重は4万石を与えられ丸岡藩を立藩し、譜代大名の仲間入りをしました。
泣き虫のお仙が大名にまで出世し「鬼作左」もさぞかし喜んで泣いた事でしょう(鬼の目にも涙かな?😊)。

【丸岡城へのアクセス】
福井駅前から京福バス「丸岡城」行で60分(お城の中が終点です)。
 

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にのまる

木橋完成 (2022/04/10 訪問)

本丸と蔵屋敷を結ぶ木橋が完成し3月29日から通行可能になったとの情報を得て、18きっぷ最終日に駆け込んできました。
マスク越しにも新しい木の香りが感じられる出来たてまっさらの橋は長さ29メートル、高さ6メートル。詳細な史料がないため復元ではなく散策を楽しむ園路として高崎城の絵図を参考にして架橋されたそうですが、橋の真ん中に立って大堀切を見下ろす快感はどこででも味わえるものではなく、三の丸との行き来もしやすくなっていいことづくめでした。
御前曲輪との間から堀に降り、下からの眺めも楽しみました。郭馬出西虎口門とともに箕輪城の定番写真となりそうな良き姿です。
この秋に周辺工事が再開されるため木橋を渡れるのは10月末までだそうです。以前見た完成予想図には土塀が描かれていた記憶があります。どのように変わっていくのか、またときどき見に行こうと思います。

箕輪城でいちばん好きなのは三の丸の石垣です。時が止まったままのような雰囲気がよいのです。暫し想像の世界に浸ったあと、鍛冶曲輪、大手虎韜門、白川口埋門を見て大堀切口から登って再び城内に戻り、大手尾根筋経由で大手尾根口へ向かいました。現地の案内図に載っているのに過去3回の訪問時に行っていなかった井伊氏時代の大手門を確認するためです。道路沿いに標柱と説明板があり、説明板には門の前には丸戸張という郭馬出が備えられていたとありました。郭馬出とは箕輪城特有の呼び方なのかもしれませんが、大きな馬出という意味のようです。標柱の奥は人家のようでしたので行きませんでしたが、位置を確認できてすっきりしました。

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朝田 辰兵衛

【城と看板】城ふぉとコンテスト📷 (2020/11/15 訪問)

読み出したら止まらない…。

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にのまる

【城と標柱】

慰霊碑に桜が映り込んできれいでした。

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にのまる

畠山重忠公園

馬を背負って下りてみせ……末代までの語り草になった銅像がこちらです。

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赤い城

小俣城 栃木県足利市 (2022/04/10 訪問)

県道218号線沿い、叶花集会所に登山者用の駐車場があります。
駐車場からカタクリ群生地方面に向かい、獣よけの柵から入ります。
カタクリ群生地に登城路が付いているので進んでいくと途中からかなり急な坂道となり、トラロープも設置されています。
ようやく尾根に辿り着くと城山方面に。
尾根道を進んでいく感じです。
尾根上には3つ堀切が施されていました。
主郭虎口は枡形となり、石積みも残っていました。
山頂の主郭には小さな祠、見晴らしもよかったです。
南側にも尾根が伸びていた感じですがゴルフ場造成により消失しています。
かなり急峻で小規模な城ですがハイキングコースとなっていて歩きやすい感じでした。

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小城小次郎

真壁氏のお城なのだ (2021/12/05 訪問)

真壁城の最終形は浅野氏だとばかり思っていたが発掘成果ではそれが証明できないらしい。在地勢力の範疇に入る真壁氏がこれだけ壮大で技巧に富んだ縄張を構築できるということをまずは素直に受け止め、驚きたいと思う。

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キンヤ

かつては繁栄していた美濃守護土岐氏の居城 (2022/04/17 訪問)

美濃守護土岐氏の第3代 土岐頼康が1353年に築き、第11代 土岐頼芸までの居城となり、当時は都文化が広まり繁栄していたようです。

遺構は消滅して残っていません。
済美高校の一角に石碑があります。
その少し南西には、土岐氏の菩提寺でもあった市史跡の正法寺跡があります。
その更に南に川手城の推定地があり、どうも石碑がある場所は城跡から外れているようです。
推定地の北側には水路があり、その水路を境に高低差があって推定地側が高くなっている事が分かりました。

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おっちゃん

根本城跡の縄張り図 (2018/10/29 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

今城案内板 (2018/10/29 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

高島公園案内図 (2015/06/18 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

高田城案内板、高田城図間尺、高田城復元鳥観図 (2016/12/04 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

高山陣屋順路案内図 (2020/08/22 訪問)

現地案内板より抜粋。

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