国道6号線沿いの中島舘を終えて国道6号線を南下約3km程宮城県県境に在る坂元城を目指す、国道6号線から西に約500m程の所に在る坂元小学校が二の丸跡、下段北が三の丸、小学校南の丘陵が本丸、車は三の丸砂利駐車場、本丸、坂元神社北下段駐車場を利用。
本丸は坂元神社方形の丘陵に本曲輪、北下段に二の丸現在坂元小学校、本丸周囲は低い崖に成りそれなりの防御性あり、本丸西に大空堀、現在本丸北に車道と歩道が出来てますが、本来は北西の枡形虎口?が登城口か?、現地説明板の絵図に由ると回の字に空堀、濠が本丸、二の丸を囲んでおり、北下段に三の丸が方形出丸のように堀に囲まれた城域の様です。
本丸、神社参拝し、本丸で東日本大震災に由る一部石碑の倒壊が見られる、西の大空堀を観察、二の丸は小学校なので本丸から眺める、三の丸には現存大手門、現存板倉、現存茶室が残り一部土塁と池も残ってる。
二の丸が小学校に成ってますが城域の保存状態はよく散策探訪には問題有りません、城域の城名碑は別名の「みの首城跡」と成ってます。
歴史:蓑首城(ミノクビジョウ)は亘理氏の家臣坂元三河が元亀3年(1572年)に築城、その後領主が入れ替わり元和2年(1616年)から伊達氏の家臣大條宗綱の居城となり明治維新まで大條氏の治政が続いた。(現地案内板抜粋)
大條氏7代宗直が大枝城から伊具郡大蔵村に移り、8代宗綱が坂元城に転封と成る、明治維新後大條氏から元の伊達氏に改称され現在の漫才コンビサンドイッチマンの伊達君に繫がってる。
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