室町期に在地土豪の椿井氏が居城として築いたとされ、松永氏のもと信貴山城の出城となったとも、松永氏滅亡後には嶋左近の居城となったとも言われますが、詳細は不明です。
矢田丘陵南端の南北ふたつのピークを中心に連郭式に曲輪群を配した山城で、北郭群が主城と考えられますが、北郭群は遺構保護のため見学路が整備されるまで進入禁止になっています。
道の駅の第二駐車場に駐めさせてもらって登城開始。東側に聳える山並みが椿井城のようです。登城口までは10分ほど歩きますが、あちこちに案内標識があって迷う心配はありませんでした。登城口は、地名の由来であり聖徳太子ゆかりの椿井井戸側と椿井春日神社側の二つあり、北郭群と南郭群の間の鞍部に続く椿井春日神社側が大手道にあたります。なお、椿井春日神社境内の西隣には宮山塚古墳と呼ばれる円墳がありますが、墳丘から大手口まで土塁が築かれ、墳丘は削平加工されて、大手口の防衛施設となっていたようです。
大手口から登ること約10分で鞍部に到着。北郭群側には進入禁止の案内表示と柵が設けられていますが、笹藪と化していて整備している様子は窺えません。鞍部から南に数段の曲輪を抜けると南郭群の主郭です。主郭には椿井城ののぼり旗がはためき、西側には平群谷と生駒山地の眺望が開けています。説明板によると主郭東下には石積と竪堀があるようですが、笹藪の中でよくわかりませんでした。主郭の南端には土塁があり、土塁の脇から下りて行くと副郭との間を隔てる深い堀切が設けられています。副郭には新しい説明板(2020年12月)とのぼり旗が建てられ、南端の浅い土塁の先には堀切と土橋があります。遺構保護のためか滑り止めか、土橋に人工芝が敷かれているのは残念ですが、土橋は細く両側は鋭く落ち込んでいて怖いほどでした。南郭群はここまで。土橋を渡って登城道を下って行くと山麓に宮裏山古墳があり、そのすぐ下が椿井井戸登城口です。
何年か前から北郭群の整備が済んだら訪れようと様子を見計らっていましたが、なかなか進展が見られないので、しびれを切らして来てしまいました。南郭群だけでは規模的に少々物足りなくはあるものの、眺望は良く、堀切は深く鋭く見応えがありました。説明板によれば発掘調査は済んでいるようなので、これからいよいよ北郭群の整備が進められるんでしょうけど、以前は登城道すらない藪の中の城だったのがここまで整備されたんですから、気長に待つことにします。
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