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カルビン

長尾砦 [神奈川県横浜市栄区長尾台町349−3] (2018/10/20 訪問)

JR大船駅が最寄りのお城と言えば当時より現代の方が難攻不落なお城・玉繩城が挙がりますが、大船駅から北に1kmくらいの所にもお城と言うか砦跡があります。

玉繩城の出城とされている長尾砦になります。
(google mapでは長尾城とありますが、現地解説が長尾砦になっているのでコチラで通します)

川沿いの道から高台方面への坂道を登る途中、道が右にカーブしているちょっと先に解説版があり、カーブの突当りの斜面含めた高台が長尾砦だったようです。

その突当りのところに階段あるのですが、訪問した時には長年放置されていた為か藪で進む事が出来ない状態でした。
道から見える斜面の途中に道か帯曲輪かのような地形が見えた為、遺構は残っていそうですが直接見る事は叶いませんでしたorz

ま、解説版は道沿いに確認出来る位置にあったので、結果オーライで(笑)


玉繩城といえば北条綱成が城主と務めた玉繩北条氏の拠点ですが、確か綱成って騎馬戦が得意だったハズで・・・
玉繩地区って騎馬が有効に使える平坦地少ないので、重要拠点だから北条氏康が義弟の綱成に任せたっていうのはあるとは思いますが、得意戦法使い辛い綱成としてはさぞ苦労しただろうと思われます(汗)

この長尾砦や同じく玉繩城の出城とされる二伝寺砦を設けたのも、綱成なりに考えた末の築城だったんでしょうなぁ(´ω`。)シミジミ

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ぴーかる

小島陣屋 (2020/09/19 訪問)

【小島陣屋】
<駐車場他>陣屋跡北側道路脇に駐車スペースあり。
<交通手段>レンタカー

<見所>曲輪・石垣
<感想>GoTo静岡1泊2日攻城の旅2日目、5城目。小島陣屋は国の史跡で、1689年に旗本の松平信孝が1万石の譜代大名になったことで駿河国小島藩として立藩した。1704年、跡を継いだ松平信治がこの陣屋を築造した。陣屋跡は山あいの丘陵地にあり、階段状の郭に見事な直線の石垣が残っています。
 くろもりさんの投稿がありがたく、陣屋跡北側の道路から行ってすんなり駐車することができました。陣屋跡は夏のおわりにもかかわらず草がきれいに刈り込んでおり郭・石垣遺構が見やすくなっています。大切に保存されているのが伝わりました。北側から夢中で堪能していたので、大手口で突然のワンワン攻撃!「超びっくった~!!」投稿読んで注意してたのに、現地ではすっかりマロンちゃんの事を忘れていました。マロンちゃん健在で大手口を守ってました。

<満足度>◆◆◆

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/13 訪問)

公園駐車場(32.786415、130.208152)がありますが、展望台直下の空スペースに車1~2台なら駐車可能です。
展望台風模擬櫓だけですが、展望台の下がグランドなので眺望は素晴らしいです。攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/13 訪問)

高城神社駐車場(32.844324、130.0493)に駐車して攻城。
城跡は諫早公園として整備されており、駐車場➡西郷井戸➡鶴森稲荷神社鳥居➡武者走り(帯曲輪・腰曲輪)➡東の丸➡本丸虎口➡高矢倉➡本丸(本曲輪)➡搦め手➡折坂虎口➡大手門➡桜馬場➡眼鏡橋のルートで一周しました。
登城路で土塁・石塁が確認でき、説明板も充実しているので案内に沿って進めば楽に攻城できます。山城と思えないほど楽な攻城でした。攻城時間は35分くらいでした。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/13 訪問)

野球場南側(大村神社)の案内板のある細い道を上がり、大村神社駐車場(32.896889、129.957541)に駐車して攻城。
現在は大村公園/歴史公園になっており、本丸跡は大村神社の境内です。遺構としては石垣が現存しており、本丸跡に南側には板敷櫓が再建されています。攻城時間は45分くらいでした。

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todo94

立ち入り不可 (2020/08/04 訪問)

鳥羽市の連絡船に乗って坂手島に渡りアプローチしたもののホテルが廃業となっていて立ち入ることができませんでした。ログレストランの前に石の説明版があるようなのですが、確認できていません。近くまで行き、帰りの船から遠景を撮影したことで攻城したことにさせてください。坂手島ではたっぷり時間があったので、江戸川乱歩夫人の実家など、島内散策を楽しんでまいりました。

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丹後守護、一色氏の城 (2020/09/28 訪問)

標高は、130mだが、京丹後市の平野を一望し、日本海まで見える。城域は、「の」の字の閉じたところが主な構成で、書き順の終わり側が、主な構成に続く尾根。主な構成部分と尾根の間には谷があり、加えて、横堀、竪堀で、守りが固められている。登城道は、尾根を行くものと谷を行くものとがあるようだが、尾崎神社後ろの尾根道を登った。下岡城散策路の表示とピンクテープの道しるべがあり、迷うことはない。藪ではないが、散策路というほどでもない。
尾根道が始まってすぐに、竪堀と土橋があり、期待が高まる。主な城域から派生する東西の尾根を遮断する、大堀切は、土木作業量がすごい。大堀切を含め、切岸は、いずれも高く急峻。横堀の両脇に竪堀が配置されているところも見応えあり。
丹後守護の一色氏を細川藤孝が攻めた際の一色氏側の城であったと。

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初老

和歌山城散歩 (2020/09/30 訪問)

お城の駐車場に車を停めて、動物園を散歩したから天守閣へ、庭園も綺麗でした🎵

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昌官忠

九州遠征・続100名城制覇 (2019/10/13 訪問)

東城内駐車場(33.451859、129.977591)に駐車して攻城。
唐津城天守の開城が朝9:00からの為、開城まで付近を散策。二の門(時の太鼓)➡早稲田佐賀中学校・高等学校(当日は試験日?のようで、親子連れが学校内に入っていきました)➡本丸枡形➡藤棚➡本丸➡天守と進みました。続100名城のスタンプは天守1Fにありました。
城跡は舞鶴公園として整備されており、模擬天守や中段櫓があるのですが、自分が攻城した時は、中段櫓が工事中でみれませんでした。攻城時間は65分くらいでした。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/13 訪問)

小城公園駐車場(33.290959、130.197434)に駐車して攻城。
城跡は小城公園として整備されており、遺構としては「正門前の石橋」が残っているようです。石橋の後ろにある模擬門や玉成社・武生社入口の門なども良かったです。
公園付近を廻ると柳生但馬守や柳生十兵衛の墓もあります。攻城時間は35分くらいでした。

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昌官忠

九州遠征 (2019/10/13 訪問)

朝日山公園駐車場(33.366512、130.488768)についたのは朝5:30過ぎ、あたりは真っ暗でしたがヘッドライトの明かりをたよりに攻城しました。
登り口の案内板をたよりに頂上にある展望台までのぼりましたが、途中にある土塁や堀切、主郭跡にある宮地嶽神社や展望台、眺望の写真はヘッドライトの明かりでは幽霊写真になってしまいました。➡とりあえず投稿しましたが見苦しくてすみません。
帰り道で撮った新鳥栖駅はなんとか見れます。攻城時間は30分くらいでした。

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イオ

八尾の戦い (2020/09/13 訪問)

南北朝期に八尾顕幸が築城し、南北朝争乱の舞台となりました。戦国末期には織田信長のもとで池田教正が若江城に替わる河内の拠点としましたが、羽柴秀吉が河内を直轄地としたことで、池田教正は美濃に移され、八尾城も廃城となりました。

比定地は2箇所あるようですが、城びとの位置情報のほう(西郷説)を訪れています。遺構はありませんが、八尾神社には城址碑があり、同じく城域とされる常光寺(八尾神社から西に徒歩1分)には八尾顕幸の墓と説明板があります。

…と、これだけでは物足りないので、周辺の大坂の陣史跡めぐり(第10回)を。

このあたりは夏の陣の八尾の戦いの古戦場であり、長宗我部盛親と藤堂高虎が激戦を繰り広げ、双方多数の死者を出しましたが、若江の戦いで木村重成隊が壊滅したことを受けて、長宗我部隊は大坂城に撤退しました。

常光寺には藤堂高虎が首実検をした縁側の板を天井に上げた血天井が残され、本堂裏には八尾の戦いで討死した藤堂家家臣の墓が並んでいる…そうです(未確認)。また、常光寺は河内音頭発祥の地としても知られ、境内には「河内最古之音頭発祥地」の石碑が建っていますが、この石碑の台座となっている巨石は大坂城築城の際の残石なんだとか。そうと知らずに河内音頭の石碑として写真を撮ったので、肝心の残石の下部が切れてしまっています…。

なお、常光寺から西に徒歩12分行くと、久宝寺に布陣した長宗我部盛親が藤堂隊の動静を探るために登ったと伝わる物見の松跡があります。
 

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todo94

登れる灯台スタンプラリーの後 (2020/08/04 訪問)

安乗埼灯台から鳥羽に向かう途中に攻略しました。現在、九鬼岩倉神社となっている小さな丘城ですが、標柱や説明板があるだけでもうれしいものです。

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城を行く

「磐城平城本丸跡地の発掘調査現地説明会」 (2020/09/26 訪問)

磐城平城本丸跡地の発掘調査現地説明会では、特に本丸御殿の礎石がほぼ全部残っているのは日本全国のお城で類例の少ないことであり、なかなか見ごたえのある遺構だと思いました。
また、磐城平城は戊辰戦争の傷痕を物語る歴史的価値のある文化財で、国の史跡に指定となる可能性のあるお城で、今後の研究と保存が待ち遠しいです。

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ダイエティシャン

重ね捺しスタンプラリー開催 (2019/11/23 訪問)

10月から、松江城、米子城 月山富田城でスタンプラリー開催。
3城を全て巡り、それぞれのスポットでスタンプをそれぞれの用紙に押すことで、1枚の図柄が完成するようです。
参加費100円だそうです。別途入城料金は必要だと思います。

昨年の11月は、戦国ロマンウオークに初参加。来年は開催されることを願います。

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ダイエティシャン

重ね捺しスタンプラリー開催 (2019/09/05 訪問)

10月から、松江城、米子城 月山富田城でスタンプラリー開催。
3城を全て巡り、それぞれのスポットでスタンプを1枚の用紙に押すことで、1枚の図柄が完成するようです。
参加費100円だそうです。別途入城料金は必要だと思います。
着々と整備が進んでいるようです。様変わりするのは寂しいですが、これも米子城史として、後世に語り継がれると思います。

1と2枚目は、昨年のライトアップ秋の陣です、今年も9月末迄あったようです。
3枚目は、今後 整備予定の2の丸跡から見上げた本丸です


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カルビン

霞ノ関南木戸柵 [東京都多摩市関戸6丁目26−1] (2016/02/06 訪問)

東北地方には大きくて有名な柵が沢山存在しますが、実は東京都内にもあったりします。
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から南に道のりで1.5km程の場所にある霞ノ関南木戸柵になります。

遺構はほぼ消失してしまったものの、現在復元?された打木と解説版が熊野神社の境内にあります。

聖蹟桜ヶ丘が最寄りのお城に関戸城がありますが、この周辺の地名・関戸からも解るように、霞ノ関南木戸柵は鎌倉時代に関所として用いられた場所なんだそうです。

熊野神社の御本堂は入口の所から斜面を登った丘上にある事から、木戸柵もうまく山裾を利用して造られた関所だったようです。
遺構は残っているとは言い難いですが、現在もその地形から当時の状況がわかる様な気がします。
これでも東京都指定史跡なので、かなり重要な史跡だそうです(驚)


ここからちょっと北には分倍河原の合戦で敗走した鎌倉軍の残党が新田義貞軍と戦った関戸古戦場(地蔵堂の角に標柱有り)があり、また関戸城も標柱と物見台跡しか残っておりませんが、一応聖蹟桜ヶ丘駅から3つの史跡が徒歩圏内で訪問出来ます。

ただ、関戸城は映画にもなった「コクリコ坂より」のモデルとなった坂の上にあるので、先に頑張って登って関戸城を見て、その足で坂を下って低地にある霞ノ関南木戸柵⇒関戸古戦場の順で聖蹟桜ヶ丘駅に戻るのが宜しいかと。
オマケに隣の分倍河原駅で新田義貞像(駅前ロータリーにある)と分倍河原古戦場(石碑のみ残る)、高安寺砦、府中御殿・武蔵官衙と合わせて見るのが高効率と思われます。
※主役級の史跡が無いので、史跡を数訪問したい方にお勧めルートになります(汗)

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ダイエティシャン

重ね捺しスタンプラリー開催 (2019/10/10 訪問)

10月から、松江城、米子城 月山富田城でスタンプラリー開催。
3城を全て巡り、それぞれのスポットでスタンプを1枚の用紙に押すことで、1枚の図柄が完成するようです。
参加費100円だそうです。別途入城料金は必要だと思います。
昨年の今頃は、松江城水とう路だったなと思い出に浸っています。

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ダイエティシャン

御城印完成 (2019/10/12 訪問)

御城印、2種類完成、販売。各400円
1枚目は、歴代藩主の家紋入りで、特産の石州和紙使用
もう1枚目は、旧字で書いてあるみたいです。

今年も残り後数ヶ月、再訪できるかな?

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ぴーかる

納得の百・続百名城に負けていない名城 (2020/09/19 訪問)

【丸子城】
<駐車場他>城跡の専用駐車場はなし。駿府匠宿の駐車場1日200円を利用
<交通手段>レンタカー

<見所>中世山城にある遺構が大方見られます。
<感想>GoTo静岡1泊2日攻城の旅2日目、4城目。丸子城をめっちゃ行きたい城候補になったのは加藤先生の特集・連載記事を読んでから。この旅最大の期待を胸に登城した。今更城跡の説明は不要なので状況だけ記述します。
 三日月堀は添付写真の通りシダで埋まっていて(先達の方々の時より増えてる)輪郭がわかりにくいです。三の曲輪下段の堡塁の横堀もシダで覆われています。主郭から東西に降りる道には虎ロープが張られているので、降りるのに遠慮するのですが、北曲輪辺りから東西下段に行け、ロープも張ってません。物見曲輪には石の礫が多く転がっており、1列石が並べられたようなものが見られたので、この曲輪は石積みがあったかもです。
 期待通り大満足(^_^)v 全然百・続百名城に負けてない城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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