1563年織田信長が美濃攻めの拠点として築城。その後、信晴がいた犬山城を攻めると尾張統一を果たす。そして美濃攻めで稲葉山城を落とすと、信長は稲葉山城を岐阜城と名を変え、居城としたため、小牧山城は落城。1584年、秀吉が清洲会議により信長の後継者となると、命の危険を感じた織田信雄が家康を頼ると、徳川家康は小牧山城、豊臣秀吉は犬山城で睨み合っていた。その後、小牧長久手合戦が始まり、家康が大勝利となったものの和睦により終戦。小牧山城はまたしも落城した。
山麓には比較的家康の遺構が、山頂には信長の遺構が残っています。
1.山頂
信長がつくった野面積みの石垣が残っています。石は一つ一つがものすごく大きく、詰め石が何個も積まれています。今は発掘調査によって発見された石垣を復元したものや、転落石が見れます。石垣と土塁は本丸を囲み、なかなか堅固になっています。本丸には模擬天守(歴史館)が立ち、展望台からは犬山城、岐阜城、清洲城、名古屋城が見えます。
2.山麓
家康がつくった空堀や土塁が残っています。これは小牧長久手合戦において秀吉からの攻撃を防ぐためのものだそうです。また信長の御殿跡があり、そこが最大の曲輪になっています。そに周りにも家康のものとされる堀があります。またれきしるこまきという建物があり、小牧山城の遺構や発掘調査の内容が展示されています。
評価
遺構:4
建物:3
行きやすさ:2
全体:3
攻城時間
登るルートはいくつかありますが、登るのは早ければ10分もかかりません。そんなに登らないので心配はいらないと思います。
1時間くらい
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