(-①-からの続きです)
■中御門(写真①②)
御館から中御門への道は立ち入り禁止区域です。しかし右側にある狭い脇道から三の丸・二の丸・本丸へと登ることはできます。
■本丸(写真③)
本丸にはもともと天守は立っていませんでした。護摩堂が立ち、祈とうする場所だったようです。その跡が残っています。三の丸・二の丸・本丸は、草がかなり生えていてあまり眺望は望めなかったのが残念でした。(大火の前は二の丸に藩主の御館がありました)。
■林鹿寺(写真④⑤)
御館の前には、林鹿寺があります。ここは西南戦争の時、西郷隆盛が陣所として一カ月間過ごした所です。薩摩軍は人吉城に陣を敷き、三の丸に砲台を設置して官軍と戦いました。しかし球磨川の向こうの村山にいる官軍めがけて砲撃するも届かず、官軍の砲撃は人吉城まで届いたそうです。林鹿寺にはその時亡くなった薩摩軍の兵士を祀った石碑がありました。
■大手門跡と多聞櫓(写真⑥⑦⑧)
多聞櫓と隅櫓はきれいに化粧直しされ修復されていました。
■人吉城全景(球磨川より眺める)(写真⑨)
ここは球磨川の上流域であるにもかかわらず、相変わらずかなりの水量がありました。(昨年今頃も氾濫ぎりぎりまできたそうです)。
全体的には、2年前よりかなり復旧されてきているのではと感じました。しかし、閉鎖中で職員がいないせいか、100名城であるにもかかわらず、あちこちに草が生えて荒れ放題になっており、少し悲しい感じがした訪問になってしまいました。歴史館が復活されれば、解消されるのかもしれませんが・・・(すぐには難しいのかもしれません)。
JR肥薩線は2年たっても未だに不通で、それだけでなく被害があまりにも大きく採算面や復旧費用の問題もあり目途も立っていないようです。よって今回は、博多→新八代までは九州新幹線(写真⑩)、新八代駅→人吉IC(宮崎行B&S高速バス)、人吉IC→人吉城(路線バス)で行きました。根本対策のダム計画もどのような方式にするのか議論されていますが、完成は20~30年も先の話になるので、それまでに再度豪雨で氾濫しないか心配です。球磨地方の方々は恐怖と隣り合わせで大変と思いますが、1日も早く安心して暮らせる日々が訪れ、そして人吉城が1日も早く元の姿を見せてくれる事を心より願っています。
+ 続きを読む










