古い街道、小山の上に15mx7mの平場があります。
この時代の情報手段は高所での目視や烽火だったと思うと感慨深いです。
スマホのナビに頼りきりですが。。
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2021/12/05 17:46
2021/12/05 17:45
堀切 (2021/12/05 訪問)
本丸と二の丸の間の堀切です。
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2021/12/05 17:05
亀城公園 (2021/06/02 訪問)
土浦城は室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増築され、幅の広い二重の水堀に守られた平城です。関東に国替えとなった徳川家康公は、土浦を次男で結城家に養子入りした結城秀康に与え、結城城の支城としました。結城秀康が越前国に移ると、藤井松平家の松平信一が3万5千石で入封。松平家が上野国に転封になると、西尾忠永が2万石で入封。以後、西尾氏・朽木氏・土屋氏・大河内松平氏と石高を変え変わったが、再び土屋氏が6万5千石で入封。以後、三度の加増を受け、9万5千石で土屋氏11代、200年間この地方を治め明治維新を迎えました。
現在、太鼓櫓門が現存、東櫓・西櫓が復元され、水堀・土塁などが残り、亀城公園として今に伝えています。
公園に隣接する土浦市立博物館に駐車、博物館の入口に設置されている続100名城のスタンプを押印し、いざ城内へ(*'▽')。城内は公園として整備され見学しやすくなっていて、ベビーカーを押した親子、小学生達が写生などしておりほのぼのとした空気に包まれていました。ですが、流石続100名城に選定されただけのこともあり、現存の櫓門・復元された西門・東門やっぱり格好が良い(*^▽^*)初めて攻城しましたが、満足した攻城でした。
11月から、1度も攻城していません"(-""-)" コロナ感染症の影響で10月までは休みが多かったのですが、11月に入り感染症もおさまりつつあることから、週6勤が続き休みの日は引きこもり状態となっています。少々、古い攻城ですが投稿させて頂きます。
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2021/12/05 16:44
名前どおり (2021/12/04 訪問)
笹に覆われ守られてる城です。
手入れが行き届くと主郭を取り囲む曲輪を一周して主郭に登り…
と見ごたえある城へと変貌するんだろうなぁ…
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2021/12/05 12:52
居留地の週末 (2021/12/04 訪問)
江戸城周辺から少し足を伸ばすオプションは数えきれないほどありますが、今回は「築地外国人居留地跡」へ。忠臣蔵に登場するあの御仁の関係地でもあります。
東京都中央区明石町。東京メトロ日比谷線「築地」、あるいは有楽町線「新富町」駅が便利です。地上に出たら、とりあえず聖路加国際病院を目指しましょう。この周辺が居留地跡として整備されています。
日米修好通商条約を含む安政五カ国条約(1858)に基づき日本は開港。商館の多かった横浜や神戸に比べ、築地は公使館や領事館をはじめ、宣教師や医師・教師が多く居住し、教育が盛んだった場所です。福沢諭吉も同年、この地に蘭学の家塾を開設したことから「慶応義塾発祥の地」と呼ばれます。週末は静かで、こぢんまりした史跡を求めて散策するのにオススメかもしれません。
さて、以前から気になっていたのが病院裏手に建つ「浅野内匠頭邸跡」の石碑。見事に傾いています(苦笑)。
赤穂藩上屋敷は現在の聖路加と河岸地を含む8,900坪(約3万平米)におよぶ広大な敷地を有していたそうです。屋敷や所領はその後、江戸城・松の廊下の一件で公収され、お家は断絶となります。みなさんご存じ、忠臣蔵の冒頭部分。石碑は、持病に苦しんでいたとはいえ短慮で家を傾けた、というか潰してしまった内匠頭の生涯を表しているようで痛々しいですね。
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2021/12/05 07:40
トンネルの向こうは校庭と模擬門 (2021/10/30 訪問)
上総一宮・玉前神社にて1,100円もする波乗守を購入したので、そのまま車を駐めさせて頂き、歩いて上総一宮城に行ってみました。大手門には模擬冠木門、主郭には城郭建築風の武道館と土塀、その奥には一宮町長だった子爵・加納久宜の墓がありました。そして武道館の下の気になるトンネルを抜けてみるとそこは小学校の校庭。振り返ってみると模擬門の崇文門が。こんな造りの城は初めてです。
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2021/12/04 23:46
2021/12/04 23:08
土塁復元 (2021/10/31 訪問)
歴代加賀藩主前田家とも関係の深い大野湊神社に隣接する大野湊緑地公園に土塁が復元されていました。説明板によると、寺中台場は外国艦隊との装備の差を考慮し、上陸後の対応を図るために沿岸ではなく内陸に築かれたのだそうです。土塁の向きをGoogleマップの現在地で確認してみましたが河口の方を向いていて感動しました。
復元されたのは80メートルのうち17メートルで大砲1門分。金沢らしい池泉回遊式庭園の中で少し変わった形の築山のようにも見えてしまいましたが、80メートルあったら緊張感も相当あったのではないかと思います。
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2021/12/04 22:49
雨城 (2021/12/04 訪問)
JR久留里駅より徒歩にて登城しました。約20分弱くらいで駐車場まで行くことができます。主要な登城路は整備されています。久留里曲輪の先に見事な堀切がありました。その後の尾根にもありそうであしたが、倒木があり道もよくわからず断念しました。また本丸から東尾根に向かう所にもいい堀切がありました。怒田尾根にも行きましたが道が崖沿いで怖かったので途中までで撤退しています。各尾根を丹念に探索するといい遺構が見られるような気がします。
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2021/12/04 22:34
2021/12/04 22:24
2021/12/04 22:17
2021/12/04 19:49
正法寺が館跡 (2021/11/28 訪問)
木曽義仲の四天王の一人に数えられた根井行親の館跡。
正法寺が跡地で遺構はなさそう。
跡地には正法寺が建っています。
寒かったけどこの辺り晴れ予報だったので行軍しましたが雪が舞い散る。
冬タイヤ無いのでどうしようかと思いましたがその後天候回復。
事なきを得ました。
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2021/12/04 19:32
2021/12/04 18:36
野間山城 (2021/11/21 訪問)
【野間山城】
<駐車場他>登城口北側、野間川を渡った<35.012913, 134.896955>の地点に駐車スペースあり。
<交通手段>車
<見所>堀切・曲輪・石垣・土塁
<感想>北はりま攻城の旅4城目。2週間ほど空けて北播磨攻めの続き。野間山城は南北朝時代の1362年有田(在田)重友によって築城しました。尾根ルート登城口は<35.012786, 134.897612>の地点、獣よけの柵を開けて登城します。
尾根ルートはまず東端の尾根まで登り、そこから直線に西にまっすぐ登って行くと城跡主要部に入ります。尾根ルートは巨石の防御と堀切1条のみで凝った遺構はそれ程無い。主要部は東西に細く長い段郭になっていて、段郭の南側が1段低く、武者走りの帯郭が付いています。側道と郭の壁面が巨石やら石垣遺構が見られて見応えがあります。主郭から西側は数段郭になったあと大堀切があります。主郭の南西側には堀切と山の鞍部、この鞍部を東に下っていくルートが極楽寺からのルートのようです。鞍部から南側の山の方が城跡よりあきらかに高いので行ってみると、添付写真の岩場の細尾根があり(左右どちらも滑落、ここを渡るのは超怖い)、山頂に行くと2段になっている主郭より広い削平地があったのでここも城跡の一部だと思われました。郭も小さく1本細長いオーソドックスな山城でしたが、なかなか見応えあるいい城跡でした。
尾根ルートは登りはそれ程ではないが、礫が多いので下りは足が滑ってこけやすいので注意です。私3回尻もちつきました。
<満足度>◆◆◆
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2021/12/04 16:33
さすが日本一の城🏯 (2021/12/04 訪問)
新幹線で姫路城へ。駅から見えたのは姫路城。とても姫路城を推している感じでした。いろはにほへとちりぬる までの門があります。天守に入ると、中が広いですよ。西と東の柱2本で支えているらしいのです。6階まで行くと景色も最高。そしてついでに西の丸の百間廊下へ。その名の通り、廊下がすごく広いのです。ろうかだけーと思うかもしれないですが、奥には千姫がいたとされている化粧櫓があり見所があります。ぜひ行くことをお勧めします。
#やばい #天守閣 #櫓 #石垣 #水堀 #構造が複雑 #国宝 #世界遺産 #日本100名城
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2021/12/04 16:22
久しぶりの城!😆😆 (2021/12/04 訪問)
今回は足助城と飯盛山城に行きました。先週まで期末テストがあっていけませんでした。ほんとに嬉しいです。😁
さて足助城ですが、足助城は足助鈴木氏の城です。足助城はなんと全国で初めて復元された戦国時代の山城です。近くで松平氏が発祥し、松平氏と関係が深かったとされています。いくつもの曲輪が存在します。紅葉が秋程は見れませんでしたが、落ち葉の絨毯が美しかったです。
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2021/12/04 07:38
2021/12/03 22:11
名実ともに水野家の城だ (2021/09/02 訪問)
水野家は刈谷と緒川の二拠点制を採っていたが刈谷は三河、緒川は尾張と聞いてなんとなく合点がいった。家康の母・於大の方の出生地ともされ、ほぼ一貫して水野家の誰かが城主を務めたという点で、名実ともに水野家の城だ。
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2021/12/03 22:08
その12・百間堀・鯉喉櫓台・いもり堀 (2021/10/31 訪問)
金沢マラソンで通行止めのため、お堀通りはとても静かでした。兼六園側に渡って眺める百間堀(蓮池堀)石垣、かっこよかったです。
鯉喉櫓台から見上げる三段の高石垣は東の丸の辰巳櫓の下ですが、ここは改修前は上まで一段だった……って、たしかブラタモリで。
いもり堀は本来もっと長かったそうですが、残されている水堀が多くない中でこうして復元されたものを見ることができるのは、かつての姿を想像する手助けにもなってありがたいです。
今回の北陸旅2日目は、再訪の金沢城と未訪の増山城の両方行くか、どちらか一方にするか悩んだのですが、時間を気にせずに金沢城を見てみたいというのもあって、増山城は次回のお楽しみにすることにしました。大満足です!
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