築城者・築城時期など詳細は不明であり、柳本氏の城とも内藤氏の出城ともされます。明智光秀の丹波攻めの際には、国衆が籠って抵抗するも落城したと伝わります。
御影山頂部に築かれた城で、ネット情報によれば階段状の曲輪群に土塁や石積、二重堀切を備えているようですが、山麓にある出雲大神宮は御影山を神体山とし、山頂部は禁足地とされているため、通常は遺構を目にすることはできません。
出雲大神宮ではあちこちに見られる巨岩を磐座とし、御蔭の滝には竜神乃神を祀るなど御影山が御神体であることが窺えます。社務所で受付をすれば中腹の神の磐座までは行けるようですが、あ さんの投稿にあるように、受付をしても遺構のある山頂までは行けないのならもういいか(参拝目的でないのに許可をもらうのも気が引けますし)ということで、神域の手前で探索終了としました。
ところで、出雲大神宮は一般に出雲大社からの分霊とされますが、社伝では逆にこの地から出雲に遷座したとされ「元出雲」とも呼ばれるんだとか。すぐ近くには「元愛宕」もありますし、事実はどうあれ、古くからの由緒のある地ということなんでしょうね。
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