出雲大神宮背後の神体山である御影山の頂にある城址です。御影山は出雲大神宮の御神体で入山は禁止となっています。出雲大神宮に参拝して山を見上げて撤退しました。二重堀切などそれなりに良い遺構はあるようです。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/07/27 16:49
2025/06/19 05:26
(東海&関西)遠征9日目:御影山城 (2025/05/23 訪問)
亀岡駅でレンタカーを借り、車で10分くらいで出雲大神宮正面表参道駐車場(35.058351、135.578402)に着きました。
築城年代など定かでないようですが、京都で一時勢力のあった柳本伊予守が築城したとの説があります。
伊予守は1530年(享禄3年)播磨で討死し、その後は丹波守護代の内藤国貞が支配下に置いたそうです。
明智軍が侵攻した際は、国人衆が防戦したと伝わっています。
山頂付近は石積み、土塁、堀切等良い遺構が多くあるようですが、御影山全体が麓の出雲大神宮の御神体であるため入山禁止となっています。
出雲大神宮のお参りして撤退しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=須知城へ向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2024/11/20 19:02
城跡へは立入禁止 (2024/11/03 訪問)
【御影山城】
<駐車場他>出雲大神宮大駐車場
<交通手段>車
<感想>御影山城の築城の詳細は定かではありません。城びとの城郭情報では主な城主に柳本氏・内藤氏がある。柳本氏は幕府管領を務めていた細川氏の家臣、内藤氏(八木城が本拠地)は細川氏から丹波国守護代を任ぜられた家柄です。また亀岡市のホームページには明智光秀の進軍の際、国衆がここで防戦したと伝えられると書かれています。
御影山全体が麓の出雲大神宮の御神体であるため入山禁止となっています。山の中腹にある巨石の磐座へは社務所で受付すれば見に行けるとのことでしたが山頂付近の城郭遺構まで行けないとのことでしたので私もパスして神社でお参りのみとしました。山頂付近は石積み、土塁、堀切等良い遺構が多くあるようです。
<満足度>◆◇◇
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/06/09 08:10
神体山の城 (2022/05/21 訪問)
築城者・築城時期など詳細は不明であり、柳本氏の城とも内藤氏の出城ともされます。明智光秀の丹波攻めの際には、国衆が籠って抵抗するも落城したと伝わります。
御影山頂部に築かれた城で、ネット情報によれば階段状の曲輪群に土塁や石積、二重堀切を備えているようですが、山麓にある出雲大神宮は御影山を神体山とし、山頂部は禁足地とされているため、通常は遺構を目にすることはできません。
出雲大神宮ではあちこちに見られる巨岩を磐座とし、御蔭の滝には竜神乃神を祀るなど御影山が御神体であることが窺えます。社務所で受付をすれば中腹の神の磐座までは行けるようですが、あ さんの投稿にあるように、受付をしても遺構のある山頂までは行けないのならもういいか(参拝目的でないのに許可をもらうのも気が引けますし)ということで、神域の手前で探索終了としました。
ところで、出雲大神宮は一般に出雲大社からの分霊とされますが、社伝では逆にこの地から出雲に遷座したとされ「元出雲」とも呼ばれるんだとか。すぐ近くには「元愛宕」もありますし、事実はどうあれ、古くからの由緒のある地ということなんでしょうね。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 柳本氏、内藤氏 |
遺構 | 曲輪、石積、土塁、堀切 |
住所 | 京都府亀岡市千歳町千歳出雲山 |
問い合わせ先 | 亀岡市観光協会 |
問い合わせ先電話番号 | 0771-29-5152 |