みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

エグ1394

仙台城(青葉城) (2020/11/08 訪問)

家族旅行で仙台城(青葉城)へ行ってきました。
宮城縣護国神社で御朱印と隣の売店で御城印を購入しました。
仙台城は「関ケ原の戦い」の後、伊達政宗によって築かれた城です。以降、約270年にわたり伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。天守は築かれませんでしたが、スペインの探検家であるビスカイノに「日本のもっとも勝れ、またもっとも堅固なるもののひとつ」と評されるほどの比類ない堅城だったそうです。残念ながら太平洋戦争末期の仙台空襲によって、大半の建築物は焼失してしまいましたが、「江戸切」と呼ばれる技法によって加工されている切込接の石垣は残っています。現在は青葉山公園として整備されており、本丸には伊達政宗騎馬像が建てられています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

淡河城 (2020/10/25 訪問)

【淡河城】
<駐車場他>駐車場なし。道の駅淡河に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀
<感想>淡河城は台地状の北端に位置しており、北側の道の駅から見ると、川を利用した天然の堀と二十㍍程の切岸になっている。東・南・西側は堀で囲まれ、その先は比高はなく現在は田園化している。
 城主だった淡河氏は鎌倉時代に播磨一帯の豪族であった北条氏がのちに淡河氏と称した。南北朝時代は赤松氏に属し、戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主の時、織田軍の播州攻めの際に一度は羽柴秀長軍を撃退したが、のちの再攻撃で落城、有馬則頼が城主となった。 1601年有馬氏は三田城に移り廃城となった。
 道の駅から見えているので、そこから5分程度ですぐ登れます。見えてる模擬櫓の建て位置も変だし、中にも入れなく、城跡は整備もされてなく何の為に建てたんだ?という感じは受ける。主郭の土塁は明確に残っており、天守台(天守台とは思えないので)には石碑・稲荷社がある。ここに物見櫓があったかなあという感じはしたのでここに模擬櫓建てればと思った。主郭の横堀もきれいに残っていた。

<満足度>◆◆◇

<グルメ>道の駅淡河で販売されている黒枝豆はつぶも大きく少し甘みがあります。枝付きを是非

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ふゆづき

江戸時代の山城国唯一の藩 (2020/11/08 訪問)

江戸時代の山城国唯一藩である淀藩の居城淀城を訪問しました。
僕は車で訪問しましたが、城跡に隣接する稲葉神社のコインパーキングが利用可能です(駅前ですが、1時間200円)。ただし、京都競馬場の近接地であることから京都競馬場でレースがある時の攻城は避けた方が無難でしょう。
電車でも京阪の淀駅下車直ぐの場所にあります。
城跡は本丸と二の丸の一部が公園と神社の敷地になっており、石垣と内堀が残されています。
他の方も書かれているように、天守台は残されていますが、天守台の中には入れません。
京阪電車(鉄道)用地に隣接しているので、金網で仕切られており、堀にも石垣にも一定の距離で離間されてしまいます。

休日の駅前にもかかわらず、城内(公園と神社)にはあまり人出はなく、それなりにゆっくり見ることができました。
もう少し遺構を整備してくれると、駅に近いので訪問者が増えるようにも思いますが、これは無いものねだりかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

朝田辰兵衛さん心遣いありがとう/高清水要害として明治まで残る (2020/10/26 訪問)

 朝田辰兵衛さんお心遣いありがとうございます。熊情報、R113情報有難うございました、結局4泊5日の下越、奥州の城廻りは最後の5日目のみ晴天、後は雨が止んだり降ったり、しかし素晴らしい紅葉、各所の景観を堪能しました走行距離約2000km程。

 奥州市の豊田館を終えて南方約90km程先の高清水城を目指す、水沢ICから東北道へ築館ICを降りR4号線南下途中で県道1号線に入り目的の高清水城、高清水中学校西校門前に到着、車は3時を過ぎてましたので校門前の空き駐車エリアに停める。

 城址は高清水中学校に成ってます、校門左右が土塁跡、南側土塁に高清水城の案内解説板が有り、ロープが張って有りましたが校門の内側直ぐ傍に城名石碑が立ってる、北側にプールを過ぎて西に本丸土塁跡、その北に東西に延びる外濠が外濠公園として管理保全されてる。

 歴史的には大崎氏一族の城で秀吉奥州仕置きにより大崎氏改易、大崎・葛西一揆を経て伊達領へ伊達氏一門が高清水要害を明治まで継承。

 詳細説明は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読みください。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

近江を睥睨す (2020/10/24 訪問)

京と近江を結ぶ街道を制するため、織田信長の命により森可成が築いた城で、志賀の陣で森可成が討死したことで明智光秀が入って比叡山延暦寺対策にあたりましたが、比叡山焼き討ちの後、光秀が坂本城に拠点を移したことにより廃城となったようです。

宇佐山頂部の本丸、南側一段下の二の丸、鞍部を挟んだ北側の三の丸で構成され、本丸はテレビの中継施設で埋め尽くされていますが、本丸東下の腰曲輪や本丸北東角には石垣が残り、本丸北東下には横堀も見られ、本丸南端に設けられた虎口は二段に折れ曲がって二の丸に通じています。二の丸北端には虎口に接する土塁と堀(貯水?)があり、二の丸東南角に石垣、二の丸東下には竪堀、その少し南側の腰曲輪には見事な石垣が見られます。三の丸の東裾にも石垣が築かれ、宇佐山テラスと呼ばれる三の丸北東角の展望台からは琵琶湖を一望する絶景! 本丸からは西下に京へと続く街道を見下ろし、街道を押さえるには絶好の立地であることがよくわかります。

さらに、三の丸から北西に延びる腰曲輪から尾根伝いに行くと信長公記にいう「端城」と目される曲輪群がある……らしいのですが、尾根は細く斜面は急で、しばらく行っても先が見えず、本当にこっちでいいのか不安になり、途中で引き返してしまいました。縄張図にある曲輪には極力全て行く主義なんですが……無念です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅・100名城制覇 (2019/02/09 訪問)

墨俣城(墨俣バス停)から岐阜バス(おぶさ墨俣線)に乗り名鉄岐阜駅に到着。名鉄岐阜駅から岐阜バス(松籟加納線)で岐阜公園歴史博物館前で下車。そこから徒歩5分ちょっとで金華山ロープウェイ乗場に着きました。ロープウェイは土曜日でしたので10分間隔で動いてました。100名城スタンプは岐阜城資料館入口(復興天守のすぐ側)にありました。
復興天守もいいですが、個人的には堀切、石垣(崩落防止?用に網がかけてありました)が好きです。攻城時間は50分くらいでした。
投稿写真は2016/09/18岐阜駅で撮った信長像も併せて投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

うさぎ屋

市ヶ谷門跡 (2020/10/22 訪問)

外濠公園(九段北4丁目側)の一角に
市ヶ谷見附に関する史跡があります。
駅前の交番の裏です。

現在は黒い説明板がありますが、
一年前は別の説明板でした。
以前の説明板には、
「市ヶ谷御門橋台の石垣石」と名付けられ、
元の場所も記載されていました。
新しい説明板は辞書的に感じます。

外濠の釣り堀辺りから運んだようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

北の庄城(JR福井駅)から電車で米原駅経由で大垣駅に向かい、大垣駅前から名阪近鉄バス岐垣線(岐阜聖徳学園大学行)で墨俣バス停下車。そこから徒歩15分位で墨俣城に着きました。
現在、墨俣城があった場所は公園として整備されており、模擬天守は大垣市墨俣歴史資料館になっています。
桜の名所らしいですが、自分が攻城したのは2月なので当然咲いていません。
歴史資料館は豊臣秀吉にまつわる資料が展示されていました。攻城時間は40分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅・北の庄城 (2019/02/09 訪問)

「北の庄城」は城びと未登録でした。
「北の庄城」の住所は福井市中央1-21-17にあります。JR福井駅から徒歩5分の柴田公園(柴田神社)になっています。自分は福井城から歩いて来ましたが10分くらいで着きました。
柴田勝家像やお市の方、浅井三姉妹の銅像が建てられており、石垣が残っています。攻城時間は電車の時間上、10分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅・続100名城制覇 (2019/02/09 訪問)

宿泊先ホテル(大阪富士屋ホテル)から地下鉄とJRを乗り継ぎ福井駅に到着。福井駅から徒歩5~6分くらい(前日、足を痛めましたが何とか復活しました)で福井県庁に到着。
続100名城のスタンプは当日が土曜日で閉庁だった為、福井県庁通用口のインターホンを押し、守衛さんにスタンプを借用して押印。
遺構として内堀(水堀)、石垣、天守台が残っており、復元された屋根付きの御廊下橋も綺麗でした。
個人的には石垣と水堀の美しさに見惚れました。結城秀康像を見ましたが、昔の馬はこんな感じだった(ちょった小さい)のでしょうか。
帰りの電車までの時間に郷土料理の「越前おろしそば」を食すか「北の庄城」に立ち寄るか悩みましたが、「北の庄城」に行くことにしました。攻城時間は30分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

陣屋の玄関 (2020/10/03 訪問)

この日の泊は米沢にとりましたので、左沢から米沢に向かう途次に立ち寄ってみました。城としての遺構はないと言って良いかと思いますが、城址碑ときれいな説明板があるだけでもありがたいものです。陣屋の玄関部分のみが残っているというのも面白い物件です。

+ 続きを読む

キンヤ

田んぼに堀が良く残る三箇氏の居城 (2020/11/08 訪問)

草ボウボウですが、主郭の南・西・北側の三方を囲む堀が良く残っています。
南・北側の堀の外側には土塁もありました。

田んぼには邪魔と思われる堀なのに埋めずに残されており、地主様に感謝です。

この城の前に同じ五條市で遺構として見応えある城に行きましたが、地元の方には城跡として認識されていない為か下山時に私を不思議そうな目で見られていました。

でも、ここは道沿いに立派な石碑があり城跡として認知されているのか、写真を撮っていて通りすがりの方に挨拶しても不審がられませんでした。

城びとで登録されている城より遺構的にはもっと良い城があるのに、なぜ登録されないのか疑問でしたが、今回その理由が少し分かったような気がしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

武名が平城跡Ⅲ 山頂 (2020/10/05 訪問)

武名が平城跡へは、赤穴瀬戸山城経由で攻城。瀬戸山城登城口から、片道約1時間で着きました。帰りの時間も加味しての攻城を オススメします。

山頂の眺めは素晴らしいです。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

武名が平城跡Ⅱ 登城道 山頂 (2020/10/05 訪問)

ここでも、城番に陣ぶれを出します、本当にフライパンが立て掛けてあります。

栗を見つけましたが「熊さんあっちの山の栗の方がおいしいよ」って思いながら、進軍しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

武名が平城跡Ⅰ  赤穴瀬戸山城の東郭郡〜東端部 (2020/10/05 訪問)

武名が平城跡(ぶながひらじょう跡)は、陣城です。
毛利元就が赤穴瀬戸山城を攻める際に築いたそうです。

赤穴瀬戸山城の東郭郡から、尾根を伝って進みます。

途中、熊,猪、鹿達、城番に陣ぶれを出す必要があります。(2枚目)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

平泉に移る前の藤原清衡の館 (2020/10/26 訪問)

人首城を終えて西方に約14、5km程の豊田館を目指す、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、走行中コンパクトカメラのバッテリーをシガレットソケットに繋ぎ充電するが中々満充電に成らない。
 県道8号線を走りながら所々にえさし藤原の郷看板が目に入って来る、ナビを国道465号線と県道156号線の交わる手前の県道156号線約20m北側に公園駐車場に合わせ到着。
 
 5m程の高台に館跡が有り公園化されてる、堂と石碑、案内板、東屋が立ってる、割とこじんまりした館跡。
 
 歴史的には清衡の父藤原経清の館で経清は安倍氏と婚姻関係を結び清衡が生まれる、前九年役で経清は安倍氏と結び源頼義と対抗し捕らえられ殺害される、清衡の母は清原氏と再婚し後の後三年の役後清原氏が奥六郡を治める事に清衡が後を治める事になり横手の館から父の館、豊田館に戻り藤原姓に復した。
 この後平泉に館を構えて奥州藤原三代の栄華を極める。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

カズサンさん,無事の帰還に安堵しました。 (2019/06/08 訪問)

大葉沢城の最大の見どころへは行けなかったようで残念に思いましたが,無事に帰還されたようで安堵しました。心配されていた国道113号も紅葉を堪能されたようで嬉しく思います。長井に抜けてからもさらに北上されてビックリしました。

さて,出石城ですが,晴れていればJR豊岡駅からレンタサイクルで向かいたかったです…。それでも,たくさんの観光客がいて驚きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

人首要害として明治まで残る (2020/10/26 訪問)

 今回の城廻りの主目的城郭、下越の大葉沢城、出羽清水城、後三年役の金沢柵を終えて秋田横手ICより岩手、宮城未踏の城廻りへ先ずは岩手県奥州市人首城(ヒトカベジョウ)を目指す、秋田岩手の県境紅葉も素晴らしい景観です、東方約100km程ナビは人首城南側の入口辺りに在る県道8号線の米里郵便局より東に入った辺りに目的地を合わせ走行、ナビは何と水沢ICを目指すと思いきや北上JCTを北へ花巻JCT経由釜石道江刺田瀬IC降りて地道山間地を越えて人首城の米里へ、お陰で岩手の山々の紅葉と里山ドライブを楽しみました。
 目的地の米里郵便局を確認して人首城の標柱を東に入り200m程の所に人首城白標柱が有りそこを道なりに登って行くと2郭に舗装道終点の駐車エリア車を停めて探訪。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、余湖さんの俯瞰図で探訪、2郭に車を停めて1郭へ招魂社が祀られてる、1郭南西に枡形虎口、高い切岸で囲まれてる、1郭と2郭は若干の高低差、3郭は2郭との間に堀切、3郭が一番高そう、周囲に帯曲輪。
 
 歴史的には築城年代は定かでないが葛西氏の支配地域で秀吉の奥州仕置きで葛西氏改易没落し城主の安蘇氏もこの城を立ち去り、仙台伊達家の北の守り要害の一つとして伊達氏一族沼辺氏が1000石で拝領10代続いて明治を迎える。

 撮影中一眼レフカメラが動かなく成り、予備のコンパクトカメラも電池量不足、雨を被った影響かな?結局思うように撮れず残った写真で投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

藤沢城 栃木県栃木市 (2000/11/08 訪問)

看板が設置されてます。数年前に地元のかたが伐採してかなり見易くなったそうですが、現状は主郭を取り巻く堀など確認は出来るものの笹藪が強烈です。

+ 続きを読む

カルビン

麻生城(羽黒城) [茨城県行方市麻生989] (2015/12/06 訪問)

霞ヶ浦東部沿いを走る国道355線からちょっと入った羽黒山公園内に麻生城があります。
(公園名から羽黒城とも呼ばれるらしいですが、現地解説が麻生城と書いてあったのでこちらで通します)

公園化で削られた為なのかは定かではありませんが、残念ながらお城の遺構が普通に見られるのは公園内のごく一部だけでした。
(もしかしたら多くあった平坦部は帯曲輪や腰曲輪等だった可能性高いですが、そこは定かでは無く・・・)

空堀の奥が竹林になっていて、その奥にも遺構ありそうな雰囲気ではありました・・・が、あれに突っ込めるのはお城好きの方には有名な藪レンジャー様達くらいしか無理なのでは(汗)


公共交通機関では訪問困難な場所ですが、公園の中程に無料駐車場があるので、車で来れれば周辺にもお城が沢山あるので。。。
少ないながらも遺構はしっかりしたものが見られるので、周辺のお城と合わせての訪問推奨です。

すぐ近くには剣聖と呼ばれた塚原卜伝のお墓(とお城(塚原城):お城を示すものが無く、城域も藪の中だったので正直このお城はオススメ出来ずorz)があるので、こちらも欠かさず立ち寄りましょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ887