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BUGTI

森可成が築いた城 (2022/02/12 訪問)

宇佐八幡宮にお参りして急な坂道を登っていると、多くの人とすれ違うし、後ろからもたくさん登ってくる。どうやら皆さんの目当ては宇佐山テラスと呼ばれる三の丸跡のようだ。ちょうど昼時だったからかもしれないが、山頂からの景色目当てで賑わっていた。しかし三の丸以外は誰もおらず、曲輪や石垣をゆっくりと見学できました。琵琶湖方面はもちろん山中越えの道も一望にできるので、近江から京都への入り口を押さえるには良い立地だとわかる。しかし比叡山がここより高い位置にあり、向こうからは丸見えになっていることもわかりました。主郭まわりの帯曲輪や斜面には、石垣のくずれた石がたくさん転がっていて、かつては石垣で囲まれた立派な城だったと想像することができる良い城です。

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赤い城

関東では珍しい石垣も残る (2022/02/05 訪問)

市役所の駐車場横に駐車場があります。
ここから登っていきました。
展望台になっている山頂を超えて行くと七曲から登ったところに出ました。
すぐに車橋跡の堀切があります。
さらに進むと本丸虎口の石垣が。
関東の山城では珍しい。虎口は内枡形になっています。
この上が本丸ですが堀切を挟んで古本丸もあります。
本丸がかつては二の丸だったとされています。
古本丸西側には深い堀底道、中城の西側まで続きます。
北城の西側は二重の堀になっていました。
那須与一の子孫が築いた城で幕末まで使われた城です。戦国期には宇都宮氏や佐竹氏に度々攻められていますが落城することはありませんでした。
整備もされていて歩きがいのある城でした。

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織田晃司

大内氏の栄華 (2022/02/12 訪問)

ここに極まれり。
発掘を元に復元された土塁や西門。

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織田晃司

山口城じゃないよ山口屋形だよ (2022/02/12 訪問)

とは長州藩の言い分。
居城は萩城。山口は政務を行う場所である。と…

でも他藩は山口城と呼ぶ。

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織田晃司

大内→毛利 (2022/02/12 訪問)

大内氏最後の当主・義長が築城するも半ばで毛利氏の攻撃に遭い逃走、大名としての大内氏は滅亡。
毛利氏家臣の市川経好が城番として入城。

主郭に石垣が残る。

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BUGTI

朝倉・浅井軍の陣城 (2022/02/11 訪問)

京阪穴太駅から山道を歩いての登城。壺笠山へ入るところがわかりにくいので、先人の情報が頼りとなる。城址は円形の郭に帯曲輪がついているが、千人規模で常駐できるような広さではない。2か所の虎口には石段の跡と思われる石も残っていて、低いけど石垣も何ヶ所か残っているので、それなりに見どころがありました。

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カルビン

[鎌倉殿の13人]関連史跡 北条政子産湯の井戸_北条時政墓所・願成就院 (2016/06/19 訪問)

前回鎌倉殿の13人の史跡を放送を追いかける様に出せなくなり、もうネタが無いと書きましたが・・・
追いかけるからネタが無いのに気付きました(汗)
前北条氏の拠点のネタにストックがあるので、もう数本書こうかと思います。

主人公となる小栗旬さん・・・ではなく北条義時の史跡は未訪問なのですが、その父と姉に関する史跡をご紹介。


1つが頼朝の妻である北条政子の産湯の井戸、もう1つが政子と義時の父・時政の墓所である願成就院になります。

周辺は前北条氏の拠点であり、また堀越公方の拠点でもあるので、両史跡が乱立している地になり、プライベートで旅行した際に史跡のうちのいくつか訪問した中に上記2ヶ所があった次第です。

双方共に残っているものはそれぞれ単独ではそれ程でもありませんが、まとめて訪問するには十二分に満足出来る地だと思います。
公共交通機関だと伊豆長岡駅あたりが拠点になります。

井戸については想像していたものより小さく、シダ植物が塞いでいて底が見えませんでした・・・
願成就院については時政の立派な墓所がありますが、他にも堀越公方だった父・母・弟を亡き者にした、素行不良と呼ばれ、後に伊勢新九郎(伊勢宗瑞早雲)に撃たれたとされる足利茶々丸の墓所もある・・・ハズだったんですが、コチラは見つけられなかったんですね・・・

墓所を訪問しているにも関わらず鎌倉殿の13人を見なければ、正直北条時政はどんな人物かを良く知らないままだった・・・と思いますorz
周辺には主人公義時の館跡や墓所がありますが残念ながらコチラ未訪問なので、周辺情報予習して巷に感染病の憂いが無くなったら行ってみたいと思います。

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カズサン

琵琶湖一周ウオーキングで寄りました (2011/04/27 訪問)

 平成23年4月下旬、地元浜松のバンビィツアーの企画で琵琶湖一周ウオーキング、1年12回に分けて踏破する健康ツアーに家内と一緒に申し込み、スタートの日でした、当日の到着地は長浜にてツアーの空き時間を利用して豊公園に在る長浜城歴史博物館目指し入館はせず周辺を探訪撮影しました、何度来ても天守のある景観は良いですね。
 長浜城天守閣は模擬天守閣ですが周りの樹木も大きく成り周りに溶け込み良い景観に成って居ます、長浜城は浅井氏を攻め滅ぼした後、信長より秀吉が北近江を拝領し最初に天守閣の有る城郭を築城し、山城から市街地、湖の近くで物流交易の経済を重視した城造りでこの頃の秀吉の活躍が良い時期でしたと思うのですが?
 短時間での天守閣、外堀跡、堀跡用水?、解説板探訪写真を掲載投稿致します。

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ばばよ

箱根のお城ですよ (2021/07/25 訪問)

箱根観光としてははずれにありますが、箱根の城。
近くにはスカイウォークという吊り橋があります。
昔から国道1号を通る時に看板を目にしていましたが、城めぐり、こと山城に行き始めて初めて意識して行きました。
10数年前とは違い、国道1号にバイパスができたので、山中城はいわば側道沿いです。
駐車場はお茶屋さんを少し降りたところにあります。
駐車場さがしに速度を落としてノロノロ走ったので、速い車がバイパスに流れたのは私にとっても三島に急ぐ方にも好都合でした。

いわずもがな障子堀といえばこの城。
夏だったため少し草が生え見た目のインパクトはやや弱まっていたものの、日頃からよく整備させていることがうかがえます。
天気はよかったのですが、富士山は見えず。
箱根に雪が積もることは近年あまりない(東京に降るか降らないかくらいの日には積もるくらい)なので、やはり冬場の訪問がお勧めですね。

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todo94

青天を衝け紀行 (2022/01/02 訪問)

栄一少年が玉木宏演じる高島秋帆に会いに行った岡部陣屋のシーンはとても印象的でした。小さいながらも駐車場まで完備しているとは想いませんでした。

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赤い城

郭内は水田に (2022/02/05 訪問)

神田城交差点からすぐ近く。
飲食店の駐車場に駐めるのも憚られたのでスーパーの駐車場を拝借しました。
飲食店の敷地に説明板がありすぐ近くの鳥居の先に堀と土塁があります。
橋を渡り、坂道を登るとここにも説明板があり、神社が祀られています。
土塁の内側は水田。この時季は普通に畑っぽい。
四方を土塁が囲んでいます。
土塁の上は笹薮となっています。
南側の虎口から下に降りると深い空堀がありました。
北西側には石碑も立っています。
その先にも堀がありますが藪で侵入は断念しました。
那須貞信が築いたとされています。
単郭方形の城で遺構はよく残っていました。

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ぴーかる

神吉城 (2022/01/15 訪問)

【神吉城】
<駐車場他>常楽寺専用駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>神吉城は赤松円心の子孫赤松範次が南北朝時代に印南郡神吉の庄を領して神吉氏と名乗り築城された。時代が下って羽柴秀吉の播磨攻めの時に加古川評定にて赤松氏一族である別所氏が織田方から離反した際に当時の当主神吉頼定は別所氏方に付き共に離反する。現地説明板には秀吉軍3万に対して約1千人で籠城して戦ったが頼定以下討死落城したとあります。また黒田官兵衛の養女が神吉頼定の奥方だったようです。頼定の墓が常楽寺の墓地の中にあります。神吉の庄全体が城域であったようで城は北に緩やかに登る傾斜地にある平城で4つの曲輪から構成されていたようです。現在は中の丸が常楽寺、西の丸が真宗寺となっています。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

千葉まで移動の途中下車で。 (2022/02/11 訪問)

JR津田沼駅から徒歩約25分。さすがにキャリーバッグを持ったままというのはしんどいと思い,コインロッカーを探しました。空き状況は問題ありませんでしたが,100円玉のみ受付。近くのコンビニで融通しました。交通系ICが使えることを期待してましたが,甘かったです。
城址公園内に限らず,日の当たらないところには雪が残ってました。越後との気温差はそれなりに感じましたが,昼夜の温度差は太平洋側のほうが厳しく感じられました。
徒歩の道中,老いも若きも,喫煙マナーの悪さを感じました…。

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織田晃司

日本で最後の城 (2022/02/11 訪問)

1870年(明治3年)築城。
翌年破城。

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織田晃司

’18年の西日本豪雨による (2022/02/11 訪問)

崩落が発生。復旧も中々進まないため駐車場は使用不可。
ブルーシートで覆われた崩落箇所は当然ながら侵入禁止。
雰囲気の良い城なので早い復旧が望まれる。

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織田晃司

名島城址公園 (2022/02/11 訪問)

名島神社の奥の階段を登るとあります。
開園時間がありますので朝駆けは無理です。

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藪こぎしほうだい (2022/02/14 訪問)

YAICHIさんの「広大な城域に複数の曲輪、土塁、空堀が残りますが、道標なく未整備なので、気を付けていきましょう」を見て、行きたい城にノミネート。ちえぞーさんの「西連寺の墓地上部から登ると良いようです。が、私は裏手から登りました」を参照して、山の東側の西蓮寺から登城開始。
探索のだいぶあとになって、比自山城は、頂を目指して登って行けばなんとかなるものでなく、八ヶ岳状にいくつものピークが散在することがわかりました。西蓮寺から比自山山頂までに三つのピークを通過。いずれも土塁や堀を伴っていました。YAICHIさんのレポートの写真にある、比自山のプレートまでたどり着くのにずいぶん藪こぎもし、城域がとても広いのを体験することになりました。天正伊賀の乱終盤で、織田軍に対し数千人が立て籠っただけのことがあります。
来た順路で帰る気にならず、山麓までより近い西側に降りました。やはり道はなし。北側の旧大和街道を歩いて東側の西蓮寺に戻りました。途中に笠地蔵があり、その脇に道がありました。説明板に、「比自山観音寺へ続く山道があり、天正伊賀の乱の逃げ道の一つであったと考えられる」とありました。道はあるもののすぐに倒竹が先を塞いでます。或いは、東側やや北側の芭蕉の森からが良いのかも。
残念ながら、YAICHIさんの写真の蛙の祠に行き当たりませんでした。昨日の雨で足下が悪く、何度か滑って泥だらけに。

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カズサン

桜と石垣10選 (2011/04/13 訪問)

 津山城は平成17年に備中櫓が復元され桜と白漆喰の櫓が引き立ちます、備中櫓を除いた石垣と桜の写真を選ぶのも大変でしたが10枚に絞って投稿致します。
 撮影順で投稿写真順に優劣は有りません私の好みです。

 平山城で重層の石垣に囲まれて素晴らしい石垣の城です、桜の時期に敢えて大変ラッキーでした。
 石垣をじっくり観察、撮影したいなら桜の咲く前が草も枯れて、いいタイミングです。

 探訪時間は14時頃から17時半ごろの夕陽が傾く頃まででした約3時間半登ったり降りたり疲れましたが充実満喫した良い体験でした。
 深夜過ぎに浜松到着しました。

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カズサン

備中櫓と桜・10選 (2011/04/13 訪問)

 津山城の名勝地桜を訪ねようと11年前の平成23年4月中旬、松江城の桜と城跡、新しく完成した松江歴史館を探訪見学充分満喫して津山城を目指しました、高速道も繋がって居り山陰道米子道中国道約120km高速道は1時間半ほど地道を入れて約2時間。

 車は花見で混んでる事を予想して以前利用した津山文化センター側の駐車所を利用、桜まつり臨時駐車場料金500円/回。

 車を駐めた近くの裏門から入り三の丸をぐるっと北、西、南と廻り三ノ丸鶴山館側にカメラマンが多く集まって居り、石垣と桜に浮かぶ備中櫓辺りを狙って居ました、私もその中に入り撮影と鑑賞、素晴らしい景観で、桜の時期は初めての登城です、今までに無い体験でした、二の丸に登り備中櫓下辺りから撮影鑑賞、本丸に登り桜撮影、東側の高石垣櫓群跡と桜がまたまた枝垂れも有り素晴らしい、天守台に登り備中櫓、景観を楽しむ、天守台より高いと言われてる粟積櫓跡からの景観を楽しむ、東高石垣櫓群台の裏も道が有り裏手、東側の城塁を観察、本丸の北西側、裏鉄門、裏中門、裏下門と降りる、薬研堀辺りも探訪して駐車場へ。

 投稿写真は桜と備中櫓のコラボ写真を10枚選びました、順番は私の好みです。

 続き編に撮影写真が120枚も有り選びきれませんがこれも私の好みで10枚投稿致します。・・悪しからず。

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やなぎぶそん

四国の百名城制覇 (2022/01/09 訪問)

この湯築城にて四国にある9ヶ所の日本百名城を制覇することができました。外堀、内堀や土塁も2重に残っており、よくこの市街地で残っていたなぁという印象です。また、武家屋敷や土塀も復元されており見所の多いお城です。

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