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カズサン

桜の時期は初登城 (2011/04/13 訪問)

 今回の平成23年4月桜の時期に倉敷市下津井城、京都の用事、故郷鳥取城、鹿野城の桜を満喫して翌日故郷鳥取の実家より西に約70km?の松江城を目指す、前年2010年平成22年に松江開府400年祭の記念行事の一つにて「松枝歴史館」が竣工開館しましたので併せて見学探訪したいと、一部開通の無料山陰道、有料の山陰道で約1時間半?以前に比べ速く成りました。

 車は大手門前の有料駐車場を利用。(駐車場が満車に成る前にと8時前に到着)

 探訪ルート:内濠越し二ノ丸高石垣上に在る南櫓、中櫓、桜を眺める、大手馬出枡形より太鼓櫓を見上げ、大手門跡から三ノ門より二ノ丸上ノ段の桜と南櫓、中櫓、太鼓櫓を見学し、二ノ門、一ノ門経由本丸へ、満開の桜と天守閣を眺める、今回天守には登閣せず、乾櫓跡、北ノ門跡、北搦手桝形虎口より二ノ丸下ノ段、脇虎口ノ門枡形から北惣門橋へ、新しく出来た「松江歴史館」を入館見学しました。

 初めての桜の時期での登城は大変感激で復元された南櫓、中櫓、太鼓櫓、土塀が黒下板張り、高石垣、濠、が桜と青空にマッチして大変綺麗で圧巻の眺めでした、同じく黒下板張りの大天守閣も威厳を備えた造りも桜に映えて素晴らしい眺めです、国宝登録前の登城と成ります。

 続きは「松枝歴史館」

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舌状台地に建つ天守 (2022/02/12 訪問)

久しぶりに犬山城に行ってきました。
木曽川沿いの舌状台地に建つ国宝犬山城は、1937年に織田信康によって前身の城であった木之下城より城郭を移して築城しました。
これは通説ですが、新説も有ります。
1537年の新築ではなく1585年〜1590年にかけて建築されたと言われておりますね。
さて、今回私は木之下城跡にも行ってきています。
木之下城は、犬山城の前身の城です。
1565年に織田信長が織田信清と対立して、一族の領地争いの中で犬山城を攻略しました。
1581年に、織田信長の四男である織田勝長が城主となりました。
その翌年の1582年に本能寺の変で父の織田信長と運命を共にしました。
1584年に豊臣秀吉と徳川家康と織田信雄連合軍との間で小牧長久手の戦いが始まりました。
当時の犬山城主は、織田信雄の家臣の中川定成でしたが不在だったので、豊臣秀吉軍の池田恒興が木曽川を渡り城内に侵入して落城となりました。
その後、豊臣秀吉が入城しました。
豊臣秀吉が没すると、1600年に関ヶ原の戦いがはじまります。
犬山城は、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍側の武将たちが退去した為に、東軍によって占拠されました。
1617年に、犬山城は徳川家康の重臣成瀬正成が拝領しました。
このときに、天守に改良が加えられて現在の姿になったと言われております。
以後、成瀬氏が幕末まで城主を務めることになります。
明治維新後に廃城令によって、一旦愛知県の所有となります。
1873年に天守以外の一部の建物が取り壊されたり、払い下げされたりしました。
1891年の濃尾地震によって犬山城は半壊してしまいます。
その時、愛知県全体の被害も重なり犬山城の修復が出来ないでおりました。
そこで、1895年に幕末まで犬山城の城主だった成瀬氏に、犬山城天守の修繕、維持を条件に譲渡することになりました。
そして、1899年に犬山城の天守の修復が完了されました。
それ以後、成瀬氏が犬山城天守を個人所有することになりました。
1935年に、天守は国宝に指定されました。
国宝天守の中で一番古いとされております。
1961年から4年に渡り、天守の解体修理が行われました。
2004年に第27代犬山城主だった成瀬正俊さんがお亡くなりになり、公益財団法人犬山城白帝文庫が設立されました。
今も公益財団法人犬山城白帝文庫が所有者となり管理は犬山市が行っています。
私は、2003年に犬山城に行って当時の個人所有者だった成瀬正俊さんとお会いしております。
なんと、実に1903年から2003年までの101年間も個人所有だったのです。
今は、犬山城天守だけでなく城山一帯を含む犬山城跡の総合調査を経て、2018年には犬山城跡が国指定になりました。
今回は、5連続外枡形の確認と前身の城の木之下城跡の確認でした。

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ぴーかる

加古川城 (2022/01/15 訪問)

【加古川城】
<駐車場他>称名寺専用駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>加古川城は承久の乱後の1221年後に糟屋有教によって築城されたとされる。鎌倉時代には糟谷氏は播磨守護代となり、加古川城は守護所となった。時代が下って1577年、羽柴秀吉が毛利討伐の為の軍議がここで行われ(加古川評定)、別所氏の離反がここで決定的となる。この時の12代加古城主の糟屋武則は秀吉の小姓頭となり、賤ヶ岳の戦いで七本槍の1人となり最盛期には12000石の大名となるが糟谷氏は関ヶ原合戦で西軍に付き改易される。糟屋武則の晩年は諸説あり不明瞭で加古川城は1615年廃城となる。
 現在の城跡地は称名寺となっていて遺構はほぼ残っていないようで周囲にある水路が何らかの跡かと思われるものがある。平地にあり、当時は五十間(約90m)四方の方形平城であったようです。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>加古川グルメと言えばかつめし。「本家かつめし亭」にて特選かつめしのご飯大盛を食しました。ご飯にビーフかつ、デミグラスソースをかけたものです。ソース多め無料です。

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todo94

城山稲荷神社 (2022/01/02 訪問)

雉岡城から転戦しました。城山稲荷神社に城址碑と説明板がありました。神社の一角は枡形のように見えなくもありません。立派なケヤキが鎮座していました。市役所近くの土塁遺構はチェックしていないので機会があったら又訪れたいと思います。

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じゅんじん

祝町向洲台場 (2022/01/16 訪問)

松川陣屋と同じ大洗町ということで載せます。
斉昭公の指示で築台場。アクアワールド大洗のすぐ西側になります。松林の中に碑と説明板があります。

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じゅんじん

常照寺 (2022/01/16 訪問)

吉田(大掾)氏→江戸氏と常陸の由緒ある氏が治めてました。そして佐竹氏。そして水戸徳川家の光圀公がお寺を創建。いいですね。
本堂裏にお堀がありました。寺門脇に城址碑もあります。

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カズサン

鹿野城も桜の名所です (2011/04/12 訪問)

 鳥取城の桜と城跡を十二分に堪能して西の鹿野城へ、城山の山麓に檀家寺が有りますので前日まで京都の親鸞聖人750年遠忌法要をご引率頂いたご院家と坊守さんにお礼と参拝、寺院内にある両親祖父母の墓所にも参拝し、桜満開の鹿野城を堪能しました、中々桜の時期に訪ねる事が出来ませんでしたので桜は数十年年振りかと思います。
 地元では近世城郭に仕上げた亀井玆矩公は大変慕われて居ります、城山の郭と麓に本丸、内堀、出丸、外堀と大きく拡張しました、南蛮貿易にも大きく手を染め櫓名に朝鮮櫓、オランダ櫓と名付けた程です。
 桜は出丸と言われてる二の丸に多く植栽されて居り中に在る中学校が桜に覆われて仕舞います、内堀と桜、赤い橋本丸への通路、東側の薬研堀辺りも見所です。

 車は城山下の神社鳥居の有る所、外堀東側の薬研堀側の観光駐車場が利用できます。

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カズサン

平成23年鳥取城番外編10選 (2011/04/12 訪問)

 平成23年4月中旬、鳥取城を訪ね、桜10選、巻石垣復元工事中、石垣見所10選を投稿させて頂きましたがまだまだ日の目を見させて挙げたい写真10枚を選び掲載投稿致します。しつこくだらだらの投稿をご容赦をこれで鳥取城H23年は最終です。
 先に挙げた掲載写真を除き撮影順の掲載です。

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カズサン

平成23年鳥取城・石垣見所10選 (2011/04/12 訪問)

 平成23年4月中旬、鳥取城登城桜の時期、桜に満足しながらも石垣の威厳と美しさも写真掲載しなければ叱られると、またまた自分本位で10枚選んでみました。
 復元工事途中の天球丸下、楯蔵跡石垣、三の丸は除きました。
 掲載の順番は私の好みです。

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カズサン

巻石垣・天球丸下石垣工事中 (2011/04/12 訪問)

 最近の鳥取城は巻石垣が日本城郭で唯一の石垣として城仲間では有名ですが、以前は天球丸の出隅横矢掛かりの角下に土砂植栽が埋まってるなぁ~くらいにしか思って居ました、巻石垣復元工事が竣工すると写真が全国的に出回りあっという間に有名に成りました。
 11年前の平成23年4月中旬、桜景観の写真と併せて天球丸下の巻石垣、楯蔵跡、同曲輪の石垣復元工事中の写真を掲載投稿致します。
 翌年には巻石垣、楯蔵跡石垣群は復元完成しています。

 投稿続きます。

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Shi Ro

津山城 (2022/02/11 訪問)

見事な石垣
青空のもと城址散策を楽しみました

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カズサン

平成23年鳥取城・桜10選 (2011/04/12 訪問)

 平成23年4月中旬、前日までに京都での用事を済ませ故郷鳥取へ、時期は桜満開グッドタイミング、鳥取城へ帰省の度の登城です、写真も沢山撮り投稿の写真に迷いますが、私の意のままに写真掲載いたします。
 桜は染井吉野桜がほとんどです、特に二ノ丸周辺、内堀周辺に多く植栽されて居ります、今回は特に3月11日東日本大震災発生から1ヶ月過ぎ、津波被害地区に向かって黙禱を捧げてる花見グループが居ましたので1枚アップしました。
 写真の掲載順番は自身のトップテンでは無く、自分自身の良いなぁ~で順位では有りません。皆さんの参考に成れば荒神です。

 続きあり。

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にのまる

36見附めぐり㉖(番外)~乾門~

乾門は代官町通りから吹上への出入口で、つくられたのは明治時代です。
どっしりとした風格のある門は紅葉山下門の移築とのこと。古地図などで確認してみましたが、その位置、用途、時代を考えてもとても合理的な移築だと感じました。
乾門は皇居関係車両の出入口なので一般人は歩道から眺めるだけで近づくことはできません。「一般参観」ではここまでは来ませんので、近くで見られるのは「一般参賀」「一般公開」が再開されるときになるのではないかと思います。
江戸城現役時代には存在しなかった門ですが、奥にあった山下門が通りまで出てきてくれたと捉えるのもおもしろいですし、36見附の“36”を“たくさん”という意味とすると数に拘る必要もないかなと思い、番外にエントリーしました。
乾門周辺の見どころとしては、北の丸公園にある北白川能久親王像や、旧東京国立近代美術館工芸館の建物などがあります。『千鳥ヶ淵さんぽ道』は内郭では珍しく土の上を歩けます。皇居ランナーさんは反対側を走るので、ゆったりと千鳥ヶ淵を眺めながら半蔵堀方面に向かえます。

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やなぎぶそん

日本最高峰の名城 (2022/01/09 訪問)

前回訪れたときはじっくりと登城できなかったですが、今回はほとんどの建造物を拝見することができました。復元箇所も多いとはいえ、これだけ建造物があるのは姫路城や彦根城に匹敵する多さではないでしょうか。本当に素晴らしいお城です。

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じゅんじん

副将軍のお城 (2022/01/16 訪問)

2度目です。古式な新しい大手門が美しい✨。城門もいくつか復元されており整備が進んでいます。次は御三階櫓希望。

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じゅんじん

市民センター (2022/01/16 訪問)

昔は水戸城がある台地が伸びてその端部に築かれていたとのことです。干拓で切り取られ今では城址碑のみです。

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じゅんじん

城址碑あり (2022/01/16 訪問)

水戸城攻略前に朝駆け。藪でした。道路際に城址碑がありました。

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赤い城

道路沿いに土塁が残る (2022/01/30 訪問)

この日は東上線を乗り鉄で廻りました。
青鳥城、武蔵松山城、高坂氏館、大堀山城と廻り締めがここ。再訪です。
霞ヶ関駅から徒歩で15分ですがこの日は大堀山城から歩きました。
館跡は史跡公園になっていて塚状遺構や井戸跡、堀跡が復元されています。
西側の道路沿いに土塁が残っていて脇に石碑が立っています。
河越氏衰退後に常楽寺が建てられました。
その後、上杉憲政が河越城攻めの際にここに陣を置き、北条氏の時代には大道寺氏が改修したとされます。

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じゅんじん

武田氏館 (2022/01/15 訪問)

勝倉城近くの武田氏館になります。甲斐武田氏発祥の地になります。
やんちゃしてたので家族ごと甲斐に追放されました(;'∀')

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カルビン

[鎌倉殿の13人]関連史跡 源頼朝上陸地 (2016/11/12 訪問)

頼朝の後を追う様に史跡紹介しようとしたところ、千葉県に逃れる為に船出した地を訪問していない事にこれupする際に気付きました(涙)
しかも千葉県で活動したと思われる史跡が見当たらないんですな~・・・これは早くも企画倒れの予感が(すまんorz)


とりあえず更新するつもりだった[源頼朝上陸地]の記事を書きます。

ここは石垣山合戦で敗れた源頼朝が再起を誓って平家勢力から逃れた地・・・ですね。

自分が碑石と解説版を見つけたのは城びとにも登録されている勝山城を訪問した際で、ホント偶然見つけて立ち寄った訳で。。。
特出したものがある訳ではないので、この上陸地だけを見に行くのはちょっと勿体ないです・・・
景色が良かったのが何よりでしたが(^^;)

ちなみに源頼朝上陸地は南房総にも有る様で、どちらが正しいのかは定かではありません。。。こちらは公共交通機関では行けなさそうな場所だったので、今後も縁がなさそうですが。。。


他に頼朝関連のネタが手持ちでは鎌倉にある像と墓所くらいしか無いなぁ。。。もっとあると思ってたんですが・・・
コロナが落ち着いたらとりあえず発見した未訪問の数ヶ所行こうかと思います。

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