かつくらじょう

勝倉城

茨城県ひたちなか市


旧国名 : 常陸

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todo94

学校を守る空堀 (2023/12/09 訪問)

実は、2021年11月に説明板はチェックしていたのですが、勝倉小学校周りの空堀を見ていなかったので、投稿は差し控えておりました。改めて確認してみましたが、しっかりと掘り込まれた立派な空堀でした。しかし手入れが施されていないため、写真撮影はしにくく見栄えの良くない空堀でした。空堀の外は延々とフェンスで囲まれており無理やり空堀内に立ち入ることも困難です。学校を不審者から守る装置としてはかなり優秀な空堀だと思いました。

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カズサン

那珂川河岸段丘南端に構えた城址 (2023/11/12 訪問)

 武田氏館を終えて直線で600m程に在る勝倉城へ初登城、勝倉城は武田氏館登城の為に城びとの行ってみたい城にチェックを入れて、何時か行ってみたい武田氏館のフォローに使っていました。
 城びと投稿の常連の方も武田氏館と勝倉城を共に訪ねる城と推奨されて居ります。

 駐車場:無し、許可を得れば勝倉小学校の駐車場を利用できるかも?今回は小学校入口の県道63号線東側の三角コーナー(36°22'43"N 140°31'31"E)に一時停止。
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップ、城びと投稿記事

 当日は日曜日で小学生はお休み、がらーんとした校庭は無人、しかし表の門扉は開いている校門は大手門の跡の様、先ずは門扉の右側に絵図入り解説板勝倉城跡が掲示してある、大変ありがたい、これだけで登城した甲斐が有り全部を探訪したように感じる、校庭のフェンス横の道を奥に保育園側に土塁が有るとの写真情報で確認、周囲を観察し一段高うなっており、絵図である処の主郭本丸かな?校庭は馬寄せの広場、戻って門が開いていたので進入し杉林の中に堀が有りそうなので確認、在る在る大きな空堀が存在してる、馬寄せと鍛冶場の間の大堀切の様です。
 無断進入ですので憚られますので駆け足で観察確認写真撮影して出門、ありがとうございました。
 門を出た県道63号線は段丘を切り裂いた大堀切の様で南の那珂川方向へ落ち込んでいる。
 此れだけでも良いものを見学探訪させてもらいました。

 歴史は門扉掲示の案内板によると、鎌倉期初期に平井越後守明綱の築城、その後吉田氏一族の勝倉四郎俊幹とその子孫が居城した。応永23年(1423年)江戸氏が水戸城を奪うと家臣の飯島氏が城主となったが、天正18年(1590年)12月佐竹氏の江戸氏攻撃の際落城し廃城と成った。
 

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赤い城

勝倉小学校 (2023/01/09 訪問)

勝倉小学校と幼稚園が城跡です。
小学校の校門前に説明板が立っています。
車1台分の駐車スペースがあります。
道路沿いに土塁のような土盛がありますが、これは道路工事により後世にできたものとか。
幼稚園の方に進んでいくと土塁が少し残っていました。
休日の早朝なので大丈夫でしたが、平日昼間だと見学にも注意が必要ですね。

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赤い城

武田氏館 茨城県ひたちなか市 (2022/05/15 訪問)

館前に駐車場もあります。
甲斐武田氏の発祥はひたちなか市だそうです。
入館は無料でパンフレットもありました。
靴を脱いで上がると小規模ながらも資料が展示されていました。
隣には発祥の地とされる湫尾神社があります。
遺構は特に残っていませんが武田氏のルーツでありファンの方は一度どうぞ。

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 平井明綱
築城年 嘉禄2年(1226)
主な城主 平井氏、吉田氏、飯島氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、物見台
住所 茨城県ひたちなか市勝倉