雪の西方城です。稜線上の本丸、二の丸、竪堀、整備された当時の登城路、廓が白く浮き上がりました。
二条城の本丸が野球場のように見えます。
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2022/02/17 21:05
雪景色 空撮 (2022/02/13 訪問)
雪の西方城です。稜線上の本丸、二の丸、竪堀、整備された当時の登城路、廓が白く浮き上がりました。
二条城の本丸が野球場のように見えます。
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2022/02/17 19:59
志方城 (2022/01/15 訪問)
【志方城】
<駐車場他>観音寺専用駐車場3台程度あり。
<交通手段>車
<感想>現地説明板によると志方城は現在の観音寺を本丸とし北の志方小学校が二の丸、旧志方町役場あたりが西の丸であったようです。城主の櫛橋家は伊朝を祖として代々赤松氏の重臣となっていた。櫛橋則伊は赤松政則に重んじられ1481年北にある天神山城を築城し、1492年に志方城を築城します。その後四代続いたのち櫛橋氏は秀吉の播磨攻めに際し別所氏に味方したために攻略される。伊定の娘光(てる)は黒田官兵衛の奥方であったことから残った一族は博多藩士となっている。遺構は観音寺山門脇に内堀が残っています。
<感想>◆◇◇
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2022/02/17 13:11
2022/02/17 11:52
佐和口門辺り (2011/05/22 訪問)
11年前の平成23年5月下旬琵琶湖一周ウオーキングの観光タイム、内濠めぐりを終えて現存佐和口多聞櫓、復元佐和口多聞櫓/開国記念会館に登り観察見学、彦根城の立体模型が一番気に成っています、佐和口門枡形、周辺を散策、TV時代劇で良く出る佐和口多聞櫓、天秤櫓、天守閣の見える辺りで撮影、観光バス駐車場を過ぎて一部ですが外堀跡を見学で終了。
佐和口多聞櫓は初めての入館見学でした、ほとんど外から眺め撮影でしたので感謝感激です。
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2022/02/17 11:33
2022/02/17 11:27
内濠屋形船目線で眺める (2011/05/22 訪問)
11年前の平成23年5月下旬に成りますが地元遠鉄バスツアーの琵琶湖一周ウオーキングでウオーキング後の観光タイムで初めて内濠めぐり、家内と屋形船に乗りました、裏御門辺りから表門、大手門、山崎曲輪の手前水位調整堤辺りからバックし戻ります。
屋形船から写真撮影、中々しずらい面も有りますが気ままに撮った写真です、水面近くから眺める事は初めてで中々体験できない視点です、大変素晴らしい経験でした、内濠廻りで唯一見える天守閣、丁度樹木の切れ目で先端だけ見えますがそれでも感激です、船着場ではツーショット写真を船頭さんに撮って貰いましたこれは投稿不可。
佐和口門辺りでつづき編
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2022/02/17 07:52
山城感満載&回り方色々 (2021/08/19 訪問)
車で訪問。
大手からと思い、大手ごとう門・鍛冶曲輪側から行きましたが、駐車場は搦手口のものが大きそうでした。
鍛冶曲輪は結構な傾斜。足場もやや不安定で、この日は快晴でしたが前日だか前々日の雨の影響で滑りやすくなっていました。
土塁、空堀、土橋。アクセントつけて作られています。
山城感満載ですが不便さはあり、小田原平定後に井伊直政が高崎に移ってしまったのにも理解できます。
郭馬出西虎口門が復興されていますが、これだけポツンとある感じです。
一筆書きに回るのが難しく、そのぶん色々な回りかたが楽しめると思います。
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2022/02/17 06:57
2022/02/17 05:26
現在 (2022/02/12 訪問)
周南市文化会館と徳山動物園になっている。
庭園と長州藩が請け負った大坂城築城残石が残る。
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2022/02/16 23:53
36見附めぐり㉗~桔梗門(内桜田門)~
桔梗門は内堀通りから見ると桜田巽櫓の後方にある門です。「一般参観」に申し込んで入城しました。土橋には松が植えられのどかな散歩道を歩いている気分ですが、枡形に入ると囲まれた感や銃眼から狙われている感があり、渡櫓門も堀の外から見た以上に大きく感じました。
かつては本丸南側の通用門で、現在でも車両の出入りがありますが、門石垣の切込接ぎや続櫓の打込接ぎ、階段、刻印石も確認でき、江戸城在りし日の姿も充分に感じられました。
桔梗門から入っていちばん感動したのは坂下門に向かいつつ至近で見上げた富士見櫓です。ここまで近づいて見られるとは思っておらず感動が止まりませんでした。城びとの「江戸城」紹介写真と同じアングルで写真が撮れます。
一般参観は、荷物チェックと参加手続きのあと窓明館(休所)でのお買い物タイム・ビデオ上映・注意事項等説明があり、約75分、2.2㎞を案内していただけます。退場も桔梗門です。
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2022/02/16 20:11
毛利元就がここで (2022/02/12 訪問)
教訓状(三矢の訓)を認めたと言われてます。
現在土塁が残り、水堀の跡をうねり模様で表している。
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2022/02/16 18:40
芳朝寺の隣に (2022/02/05 訪問)
芳朝寺に駐車場があり、道沿いに案内板も立っています。
お寺の脇から登城、すぐに大田原氏累代の墓があります。
そこから登って行くと深い堀切に出ます。
この堀切は二重になっていました。
少し進むと食い違いの虎口、さらに主郭へと続きます。
主郭には東屋があり見晴らしも良いです。
主郭下に降てみると堀底道がありますがこの時季でも笹薮が手強かったです。
那須光隆によって築かれた城だそうです。
ちなみにお寺の横を進んでいく際に警報音が鳴りますが特に気にすることも無いと思います。
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2022/02/16 15:22
今年も初登城は浜松城 (2022/02/16 訪問)
新年明けから3年越しの武漢コロナウイルス感染拡大特にオミクロン株の広がりが全国的となり静岡県も蔓延防止規制措置、県境を越えての移動がまたまた自粛、浜松市も感染の拡大感染者増加で集まりもままならず、浜松の車はノーマルタイヤ、チェーン付は不慣れで雪道、凍結道は控えるほかなく、城廻りも控えたまま。
本日は確定申告の初日、昨日までに作成した申告書を指定税務署に届けた後、浜松城に寄り、令和4年の初登城も浜松城に成った次第。
・日本庭園の紅梅、白梅の咲は如何と訪ね・・紅梅は咲くも白梅はもう少し先、本数は10本程度。
・昨年に告知の有った本丸富士見櫓跡の整備工事の後を確認・・富士見櫓跡はモルタル地に覆われて、今後どうなるのか?、続き北土塁、石塁を今後どうなるのか?
・二の丸の発掘調査地・・トレンチ、発掘穴は土を埋め戻され平地に成って居ました。
・北側の専用駐車場工事中・・料金徴収の機械が据付工事中で、今後工事が完了すると有料に成るのかな?、90分は無料で以降有料となるのか?今後の広報で確認。
本丸曲輪をぐるっと確認して各ポイント写真撮影、この時期木々の葉っぱが無く石垣が良く観えます、天守台と東の付櫓台、西の八幡台が良く一望出来、本丸より天守門も良く見通せます。
風は西風でやや強く雲なく晴天の中を1時間程散策しました、今年に入って1か月半ぶりの城散歩でした、回って観察し写真を撮って楽しい時間を過ごしました。マスク着用看板があちこち。
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2022/02/16 13:28
マインクラフトで再現する土の城#3:八王子城(東京都八王子市) (2021/05/24 訪問)
郷土に眠る戦国の城(土の城)をマインクラフトで再現しました。東京都八王子市にある八王子城は戦国時代の北条氏康の三男(次男とも)氏照の居城で、豊臣秀吉による小田原城攻めにおいて前田利家、真田昌幸、直江兼続らに攻め滅ぼされました。今は城址公園として、麓にガイダンス施設やボランティアによるツアーが用意され、とても整備されています。
https://youtu.be/qDBi9Smk7Lw
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2022/02/16 11:01
遺構はないと聞きつつも官兵衛ゆかりの城ということで訪問 (2022/02/15 訪問)
妻鹿城から北上すること約6km。近くに播磨国分寺跡もあり、古くから栄えていた地区だと知る。しかし、やはり市街化により城の遺構はほとんどなく、城域の西南を今も流れる天川が確認できたくらい。
もとは西の赤松氏、東の別所氏に挟まれながら西播磨を支配していた小寺氏の居城。現地にあった縄張図をみれば確かに当時としては二重堀などそれなりの城郭だったと納得。しかし、家臣の官兵衛が守る支城だった姫路城は今や世界遺産となり隔世の感は否めない。
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2022/02/16 10:08
黒田官兵衛が居城としていた姫路城を秀吉に譲った後移り住んだ城 (2022/02/15 訪問)
という格別の思いで登城。
登城後、北東にある御着城跡(当時の主、小寺氏の居城)まで官兵衛になりきって歩いてみた。
西播磨を支配していた小寺氏が御着城を拠点に西側を支城の姫路城、妻鹿城(ちょうど約6kmの正三角形状)で西方を固めていたことを実感。
妻鹿城は西を市川を水堀とし、屹立する岩山を自然の要害とした城。官兵衛が手を加えたと思われる格別な作事は見当たらなかった。そもそもが古くからの城だったようだ。
市川が南北に流れる西方向の眺望は抜群で北に姫路城、南に瀬戸内海が広がる。確かに官兵衛好みの戦略的なところか。
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2022/02/16 07:48
表は地味だが裏側は堅固 (2021/07/25 訪問)
三の丸、二の丸と非常になだらかな登り坂。
本丸のみ高台になっています。
三の丸や二の丸に堀や土塁の跡がみられず本丸もあまり広くないのでこじんまりとしたさっぱりとした印象です。
が、本丸の裏手には急峻な崖になっており、がっつり空堀が設けられています。
発掘調査の感じだともっとはっきりしていたようです。
これなら南側の守りに専念できます。
駐車場は三の丸の外側にこそっとスペースがありました。
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2022/02/16 06:17
大内教弘の (2022/02/12 訪問)
私邸。築地が残る。
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2022/02/15 23:29
2022/02/15 23:14
痕跡探しの散策も楽しかろう (2021/10/14 訪問)
ついつい惣社長尾氏のお城と思いたくなるがそれは蒼海城で、こちらは深谷上杉氏の家中から近世大名へと奇跡的な出世を遂げた秋元氏の居城。目立った痕跡は少ないがそれだけにその痕跡を探しながら散策すると楽しいとも言える。
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