自身が所属する「古文書を読む会」研修旅行の候補地下見で、福島県伊達市梁川と桑折町を訪問した。今回の研修テーマは「伊達氏発祥の地をめぐる旅」。担当者4名で東北自動車道国見IC経由で先ずは梁川城に。仙台藩祖伊達政宗はあまりにも有名だが、伊達氏も文治5年(1189)の奥州合戦に従軍した関東武者でした。常陸入道念西朝宗は阿津賀志山合戦に際し、石那坂で奥州藤原氏の臣佐藤庄司軍を破り鎌倉軍勝利を決定づける手柄をあげる。伊達郡の地頭に任じられて入部し伊達氏を名乗ったと伝わっている。梁川は伊達氏館(梁川城本丸跡)が築かれた時代から多くの寺社が造営された中世都市であったようだ。
本丸跡は現在梁川小学校跡地で、東西100m、南北150m程の規模で、かつての伊達氏館の規模をイメージできる広さ。また心の字池の庭園跡が復元されており、発掘調査の結果で中世伊達氏による造営が明らかになっているらしい。外郭は梁川高等学校の敷地、住宅街となり原状は確認できない。秀吉の奥州仕置きにより、伊達政宗は自力で獲得した会津地方を、大崎・葛西一揆後は本貫地の伊達郡や置賜郡も取り上げられる。かつて伊達氏の本拠地梁川城は、皮肉なことにその後この地を領した蒲生・上杉氏により、北に所領を構える政宗に対する境目の城として改修されることになる。
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