(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:羽黒城
(2023/04/23 訪問)
伊木山城からの転戦です。興禅寺駐車場(35.352936、136.949681)に駐車場しました。
築城年代は定かではないようですが、建仁年間(1201年〜1204年)に梶原景親によって築かれたと云われています。 梶原景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の二男景高の子です。
梶原氏は1200年(正治2年)鎌倉を追われ上洛するさなか、駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死しました。
そのうち景高の子豊丸が、乳母に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて景親と名乗り現在の興禅寺に館を構えたそうです。
梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、信長に仕えた梶原義景の頃には羽黒3,000石を領していました。
1582年(天正10年)梶原義景は、本能寺の変で織田信長に殉じて梶原氏は滅亡したそうです。
1584年(天正12年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として修築され、山内一豊、堀尾茂助が守将となったそうです。
羽黒城は梶原氏の菩提寺である興禅寺の東側一帯に築かれていたそうです。
南端に土塁のような高台があり、その上に石碑が建っています。
北側は堀跡のような窪地があり、北側の道路に面して土塁のようなものが残っています。
興禅寺には梶原氏所縁の案内板があります。お寺の北東側にも土塁があります。
伊木山城から羽黒城に向かう途中の橋の上から犬山城が見えましたので、車の中から写真を撮りました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=楽田城を目指します。
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