はぐろじょう

羽黒城

愛知県犬山市

別名 : 梶原館
旧国名 : 尾張

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いつも逆光じゃねーか
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しんちゃん

羽黒館と羽黒城 (2024/06/16 訪問)

犬山市の興禅寺の境内には土塁の一部と梶原景時夫妻の供養塔、梶原一族の五輪塔、梶原一族にまつわるレリーフや石碑が残されています。そこから北に少し歩くと右手(東)に土塁と石碑、羽黒城の案内板があります。
建仁元年(1201)梶原景時父子は滅ぼされますが、景時の孫・豊丸は梶原家の菩提寺興禅寺に逃げ延び、当地で景親と名を改め館を築いたとされています。十七代目の末裔・景義は織田信長に仕えるも、本能寺の変で討死し、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いでは秀吉は羽黒の館を修復して城塞とし、山内一豊・堀尾吉晴に守らせたとされています。

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ぴーかる

羽黒城 (2023/07/22 訪問)

【羽黒城】
<駐車場他>興禅寺駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾2城目。現地説明板によると羽黒城は1201年、鎌倉時代初期に梶原景時の変の際に難を逃れた景時の孫の豊丸(のちの梶原景親)がこの地に定住し築いたとされます。以降約380年間梶原氏の居城として栄えてきました。戦国時代17代当主梶原景義は織田信長に仕え羽黒3000石の領主となります。景義は本能寺の変の時に本能寺に入っていたとされ討死したようで後裔がいなかった為にその後廃城となったようです。小牧長久手合戦の前哨戦の羽黒の戦いで城跡一帯が焼け落ちたようで、その後羽柴秀吉方の基地として修復しますが戦後再び廃城となったようです。
 梶原氏の平素の居館跡が現在の興禅寺だったようで先達方に倣ってまず興禅寺境内にある梶原氏供養五輪塔にお参りして城跡地に行きました。当時の城は前方後円墳を改造した砦のような感じだったと思われます。墳丘の頂上に石碑があり北側に堀跡である直線状の窪地があります。窪地のさらに北側は削平地が広がっています。その更に北側、磨墨塚との道路の境目は少し土塁状になっています。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:羽黒城 (2023/04/23 訪問)

伊木山城からの転戦です。興禅寺駐車場(35.352936、136.949681)に駐車場しました。

築城年代は定かではないようですが、建仁年間(1201年〜1204年)に梶原景親によって築かれたと云われています。 梶原景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の二男景高の子です。
梶原氏は1200年(正治2年)鎌倉を追われ上洛するさなか、駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死しました。
そのうち景高の子豊丸が、乳母に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて景親と名乗り現在の興禅寺に館を構えたそうです。
梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、信長に仕えた梶原義景の頃には羽黒3,000石を領していました。
1582年(天正10年)梶原義景は、本能寺の変で織田信長に殉じて梶原氏は滅亡したそうです。
1584年(天正12年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として修築され、山内一豊、堀尾茂助が守将となったそうです。


羽黒城は梶原氏の菩提寺である興禅寺の東側一帯に築かれていたそうです。
南端に土塁のような高台があり、その上に石碑が建っています。
北側は堀跡のような窪地があり、北側の道路に面して土塁のようなものが残っています。
興禅寺には梶原氏所縁の案内板があります。お寺の北東側にも土塁があります。
伊木山城から羽黒城に向かう途中の橋の上から犬山城が見えましたので、車の中から写真を撮りました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=楽田城を目指します。

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宗春

“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」②羽黒城 (2023/03/19 訪問)

“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」のうち犬山城の御城印を入手したのですが、3枚の御城印を収納できる「合戦帳」も頂きました。
当初は犬山城の御城印だけが目当てだったのですが、せっかく「合戦帳」を頂いたので、これに3枚とも収めないと!と思い、羽黒城も攻めて来ました。
羽黒城は羽黒駅からすぐでしたが、御城印を販売している酒屋さんは歩くにはちょいと遠くて難儀しました。御城印は、もっとお城の近くで売ってください。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 梶原景親
築城年 建仁2年(1202)
主な改修者 羽柴秀吉
主な城主 梶原氏、山内一豊・堀尾吉晴(羽柴氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県犬山市大字羽黒字城屋敷