【羽黒城】
<駐車場他>興禅寺駐車場に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾2城目。現地説明板によると羽黒城は1201年、鎌倉時代初期に梶原景時の変の際に難を逃れた景時の孫の豊丸(のちの梶原景親)がこの地に定住し築いたとされます。以降約380年間梶原氏の居城として栄えてきました。戦国時代17代当主梶原景義は織田信長に仕え羽黒3000石の領主となります。景義は本能寺の変の時に本能寺に入っていたとされ討死したようで後裔がいなかった為にその後廃城となったようです。小牧長久手合戦の前哨戦の羽黒の戦いで城跡一帯が焼け落ちたようで、その後羽柴秀吉方の基地として修復しますが戦後再び廃城となったようです。
梶原氏の平素の居館跡が現在の興禅寺だったようで先達方に倣ってまず興禅寺境内にある梶原氏供養五輪塔にお参りして城跡地に行きました。当時の城は前方後円墳を改造した砦のような感じだったと思われます。墳丘の頂上に石碑があり北側に堀跡である直線状の窪地があります。窪地のさらに北側は削平地が広がっています。その更に北側、磨墨塚との道路の境目は少し土塁状になっています。
<満足度>◆◇◇
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