元寇防塁からの転戦です。教育大前駅から徒歩15分くらいで、城山登山口(33.814491、130.591442)に着きました
蔦ヶ嶽城の別名は赤間山城、蔦岳城、蔦山城と云います。
築城年代は定かではないようですが、1200年(正治2年)には宗知宗が赤間山城に住んだとされています。
1336年(建武3年・延元元年)宗像氏俊は九州落ちした足利尊氏を宗像館に招き、赤間山城を修築して蔦山城としました。
1551年(天文20年)大内義長の支援を受けて白山城を拠点とした宗像氏貞は、1559年(永禄2年)宗像鎮氏の侵攻を受けて大島へ逃れました。
1560年(永禄3年)毛利元就の支援を受けた氏貞は鎮氏の拠点である許斐岳城を攻略して旧領を回復し、蔦山城を大改修して現在の規模にし岳山城としました。
1569年(永禄12年)大友氏と争っていた毛利氏が周防に侵入した大内輝弘の為に筑前から撤退すると、氏貞は飯盛山の陣を引き払い岳山城に籠もりました。
毛利勢を追撃した大友の軍勢は岳山城の麓を取り囲み岳山城を攻めたが落とすことができず、大友氏は城の明け渡しなどを条件として和議を結ぼうとしたが氏貞はこれをのまず、若宮・西郷の地を割譲することで和議が整った。
登山道はハイキングコースになっていますが、大雨の為、登城することを諦め、登城口で引き返しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=御飯ノ山城を目指す為、電車で教育大前駅から香椎駅に向かいます。
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