ふくやまじょう

福山城

岡山県総社市

別名 : 備中福山城
旧国名 : 備中

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①一の壇
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征16日目:備中福山城 (2026/05/26 訪問)

幸山城から備中福山城に向かう際、備中福山城に登る山道がわからずウロウロしました。
ここでもまた登山者に助けられ進入口を教えてもらいました。登っていったらベンチがあったので一応登山道だと思うので案内板がほしい。
あとでわかりましたが、自分は福山山頂直登コースに向かいましたが途中で引き返してました。登山者に教えてもらった進入口は、そこに向かう途中に山に入る道でした。
結果的に、このルートは長い階段を登ることはなかったので5/24に痛めた左足首に負担をかけずに山頂まで行くことが出来ました。
結果、20分近くウロウロしましたが、幸山城から徒歩40分弱で備中福山城に着きました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代末期に真壁小六是久によって築かれたと云われています。
1335年(建武2年)足利尊氏に味方する佐々木信胤らが福山城に籠もったため、後醍醐天皇側の軍勢が攻撃を仕掛けましたが、撃退されました。
1336年(建武3年)九州に敗走した足利尊氏を追撃する新田義貞の軍が福山城に立て籠もり、九州から東上する足利尊氏軍を迎え撃ったが敗れた福山城合戦の舞台となりました。
1571年(元亀2年)の尼子再興軍の備中侵攻の際、幸山城の留守を預かっていた日幡六郎兵衛らは農民を率いて福山城に出て、南の浅原峠を守った。
1582年(天正10年)毛利輝元の家臣・門司親宗が在城しました。

山頂からの眺望がすごく良く、土塁や列石等の遺構も見られます。
帰りは1234段の階段を下りて福山登山道歴史広場口(34.645759、133.752807)方面に向かいました。
攻城時間は55分(進入口~福山登山道歴史広場口のまで時間)くらいでした。次の攻城先=笠岡城を攻城する前に、倉敷を観光する為、清音駅からJR伯備線を利用して倉敷駅に向かいました。

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todo94

ゴールデンウイーク翌週・岡山の攻城③ (2026/05/09 訪問)

高越城からの転戦です。井原鉄道完乗を果たし、清音駅から徒歩にてアプローチしました。高越城以上に歩きでがあります。清音ふるさとふれあい広場の上、グラウンドのバックネットの上の方に説明板や遊歩道案内図がありました。幸福の小径の遊歩道案内図によると幸山城迄1km、福山城迄2kmの道のりです。最初に幸山城に行く予定でしたが、案内表示が見つけられず、幸山城を遥かに通り過ぎてしまって、福山城に直行することになってしまいました。案内図から三角点迄ぴったり30分の所要でした。猿田彦神社など山頂周辺をくまなく見て回ってから幸山城に向かうことにしました。

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ぴーかる

福山城 (2026/01/31 訪問)

【福山城】
<駐車場他>清音ふるさとふれあい広場 数十台分あり
<交通手段>車

<見所>城門跡・空堀・石垣跡
<感想>福山城の前身は奈良時代から平安時代にかけてここに山岳寺院がありました。1335年に荘兼祐がこの山岳寺院を改造し城郭化しました。1336年に東上してきた足利尊氏軍と後醍醐天皇方の新田義貞軍が激突した福山合戦の舞台となります。
 幸山城からの延長戦で登城しました。幸山城からのルートには毘沙門天磨崖仏や八畳岩という巨石群があって道すがら楽しめるポイントがあります。城跡の主要部は山頂部にあり南北に大きく3つの曲輪が連なっています。中心に主郭があり、北側に石垣造りの城門跡があります。西側に空堀がはしっています。主郭南側には土塁と石列が残ります。南北にある一の壇と三の壇は藪化しているので藪化を払うとなかなかの広さのある城跡になるようです。眺望も良いですが、かなり麓からの比高が高い為に見える町並みは小さいです。南北朝時代特有の高い山の山頂に築かれた山城という印象でした。ハイキングコースになっているので、初夏くらいの季節でも水分を持って十分登城できます。

<満足度>◆◆◇

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赤い城

力を振り絞って (2025/02/23 訪問)

幸山城まで来たので福山城を目指さない訳にはいきません。
脚は限界に近いのですが登城路は整備されているので登っていきます。
土橋状になった道を経て進みます、が結構な急坂。
おまけにまた雪が舞ってきました。
八畳岩を経て妙見展望台には見向きもせずひたすら登ります。

ようやく主郭、福山山頂です。
北側が一の檀、西に浅くなった空堀があります。
二の檀との間には門跡と石列、その先には井戸跡もあります。
二の檀西側にも空堀と土塁が残ります。
天気が良ければ眺望も良さそうですね。
二の檀と三の檀の間にも石列が残ります。

南北朝時代に大井田氏経が足利軍の東上を阻止するために籠城して戦った福山合戦の舞台ですが元々は山岳寺院を改修して城郭にしたそうです。

山城連戦、さすがに疲れました😅
加齢による体力の衰えを痛感しました、がこの鍛錬が2週間後の登城に役立つことになりました。

【見どころ】
 ・曲輪を分ける石列と井戸跡
 ・主郭部からの眺望

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 荘兼祐
築城年 建武2年(1335)
主な城主 荘氏、大井田氏
廃城年 延元元年(1336)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸跡
指定文化財 国史跡(福山城跡)
再建造物 石碑
住所 岡山県総社市清音三因
問い合わせ先 総社市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0866-92-8363