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小城小次郎

知らないこともあるもんだ (2021/12/05 訪問)

何度となく訪れているが仲間とわいわい訪ねると知らないことをさらっと教えてもらえる。太鼓門脇の塀に大筒狭間がついていることをこの時初めて教えてもらった。まだまだ知らないことが沢山あるもんだ。

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ryu

明石城(2013年) (2013/12/15 訪問)

赤穂城を見た後、JRで明石に移動。駅前の魚の棚商店街の「かねひで」というお店で明石焼きを食べた後、訪城。
土日の櫓内部見学は12月からの冬期は休みだそうで残念だった。
大手門枡形~天守台~坤櫓~巽櫓~二の丸~東の丸~帯曲輪~武蔵の庭園と見て回った。

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ryu

播磨の国の城巡り~赤穂城(2013年) (2013/12/15 訪問)

播磨の国の城巡り二日目。
赤穂義士祭の翌日で、前日バスから見たイルミネーションによる光の天守はきれいだったが、訪城当日の天守台はイルミネーションの飾り付け撤去作業中で登れなかった。
大手門、大手隅櫓~番所~大石邸長屋門~大石神社~本丸門~天守台~刎ね橋門跡~本丸厩口門~歴史資料館と見て回った。

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ryu

播磨の国の城巡り~御着城(2013年) (2013/12/14 訪問)

姫路城見学の後、姫路駅からひと駅の御着駅で下車し歩いて散策。
当時(2013年)は翌年放映の大河ドラマ「軍師官兵衛」に向けて色々PRがされていた。

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ryu

姫路城(天空の白鷺)見学(2013年)(3)西の丸 (2013/12/14 訪問)

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にのまる

【城と看板】

案内板がくるっとまわって矢印が崖下の方を指していました。
道標が壊れていたことや、違うんじゃないかな?と看板を見て思ったことは何度かあります。
ご好意で立ててくださっている案内板に、間違っているよ!と言いたいのではなくて、
こういうこともあると思っておくことが大切だという自戒を込めてのエントリーです。
遺構にも他者にも迷惑をかけずに行って戻ってくるために、自信のないところは下調べ必須。
縄張り図とWi-Fiと予備バッテリー必携。
あとは、野生の勘を磨くことも大事!!

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ryu

姫路城(天空の白鷺)見学(2013年)(2)天空の白鷺 (2013/12/14 訪問)

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ryu

姫路城(天空の白鷺)見学(2013年)(1)天守への道 (2013/12/14 訪問)

姫路城は1976年の訪城以来で、その当時は夜行列車で朝、姫路につき9時の開城の太鼓のドンという音と同時に入城した記憶がある。
今回(2013年)は姫路城大天守修理期間中の「天空の白鷺」公開を事前予約して見学。予約がないと約1時間待ちという大人気だった。
大手門~菱の門~いの門~ぬの門~リの一渡櫓内部見学~りの門~備前門~天空の白鷺~水三の門~水二の門~水一の門~ロの渡櫓~ほの門~にの門~はの門~ろの門~三国掘~るの門~菱の門~西の丸渡り櫓、化粧櫓内部見学

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昌官忠

城城&古屋城&高品城巡り③:高品城 (2022/04/19 訪問)

6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り3城目は高品城です。
東千葉駅より徒歩25分ちょっとで春日神社参詣用駐車場(35.624879、140.135029)に着きました。

築城時期は不明ですが、高品城の城主もしくは一族と考えられる安藤豊前守が居住したようです。
1571年(元亀2年)には安藤勘解由 が「高品等覚寺薬師如来像」を造立しており、この頃は高品城はまだ千葉氏の勢力圏にあったようです。
その後の合戦や廃城時期等は不詳だが、1590年(天正18年)の小田原の役までは、下総南西部は里見氏勢力と北条氏・千葉氏らの両勢力は拮抗し、その間で安藤氏は綱渡りの時期であったと思われるようです。

遺構らしきもの(土塁?/空堀?)はあった。
攻城時間は10分くらいでした。
城城&古屋城&高品城巡りは、攻城歩数=21565歩、攻城歩行距離=16.82Kmで攻城完了です。
久々の攻城で、足腰に少し痛みが残っています。6月の九州遠征までにもう少しリハビリが必要のようです。

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昌官忠

城城&古屋城&高品城巡り②:古屋城 (2022/04/19 訪問)

6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り2城目は古屋城です。
物井駅より徒歩17~18分位で城址入口付近(35.692653、140.197211)に着きました。

物井古屋城の詳しい歴史は伝わっておらず、物井氏または臼井氏の勢力下に属した城と考えられています。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで後北条氏が滅亡すると、古屋城も廃城となったようです。

要所要所での案内表示があるとよかったかな。
物井駅から古屋城に行く途中に物井弁財天がありました。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

城城&古屋城&高品城巡り①:城城 (2022/04/19 訪問)

6月に九州を遠征する前に、なまった足腰(コロナ過で10か月攻城していません)のリハビリを兼ねた攻城です。
城城&古屋城&高品城巡り1城目は城城です。
佐倉駅より徒歩25分くらいで東側登り口(35.700540、140.238078)に着き、その後、鉄塔北側フェンス登り口(35.701098、140.236049)に回りました。

鎌倉時代に千葉氏の庶家である六崎氏が築城し、応永年間(1394年-1427年)まで居城したようです。
中に入れず、廻りをウロウロするだけでした。
攻城時間は15分くらいでした。

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ぴーかる

【城と生き物】

内堀石垣のオオタカ

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ぴーかる

【城と生き物】

後三の丸の陣取る猿の門徒宗

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ぴーかる

篠脇城 (2022/04/02 訪問)

【篠脇城】
<駐車場他>古今伝授の里フィールドミュージアム
<交通手段>車

<見所>竪堀群・堀切・居館跡
<感想>1泊2日郡上の旅1城目。下総国千葉氏の庶流、東氏が承久の乱の戦功により郡上郡山田庄を加領される。4代目の東氏村の鎌倉時代末期に篠脇城を築き約230年にわたって居城とします。東氏は古今伝授の家として有名で、1468年斎藤妙椿に攻められて落城しましたが贈歌10首と引換えに城を返還したそうです。1540年には朝倉氏の来攻を受け防ぎましたが城の損傷が著しく赤谷山に築城して移転し、篠脇城は廃城となった。
 麓に東氏の居館庭園跡があります。城跡は本丸から北に二の丸・腰曲輪と3段の連郭一体型で本丸と南にある出丸との間に巨大2重堀切があります。本丸・二の丸・腰曲輪の周りは30数条の畝状竪堀で取り巻いています。この竪堀群は「臼の目堀」といわれるそうです。本丸内部は居館跡の発掘調査中で石垣が露出しています。本丸南の2重堀切はとにかく巨大で昇降するのにストック要です。圧巻の放射状の畝状竪堀群と巨大2重堀切、見ごたえあってお勧めです。放射状畝状竪堀ベスト1かと思います。

<満足度>◆◆◆

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ダイエティシャン

【究極の1枚】 (2021/11/13 訪問)

イベントで偶然見つけた、津和野城織部丸東方の【三重横堀】

写真奥に、三重に盛り上がった部分が見えます。これが、【三重横堀】だそうです。

珍しいそうです。

お城のいろはも分からない私でしたが、【城びと】さんのおかげで、堀切等、ガイドさんに教えて貰う前に見つける事が出来るようになりました、感謝。

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カズサン

風光明媚天草・島原一揆に耐えた城・二ノ丸大手虎口側編 (2010/06/13 訪問)

 続きです。

 富岡半島頂上約70m程を本丸にした富岡城の造りは、総石垣造りで、本丸が東西に構え西辺北辺に二層多聞櫓、平櫓二基と虎口に高麗門、二の丸と出丸が北東に二段の石垣造り、東側に二の丸虎口枡形が構え、西側に搦手虎口と高石垣で平櫓が三基、一段下がって出丸を石垣で囲み平櫓一基、三の丸は二の丸東下中腹に構え多聞櫓一基平櫓二基、山麓に米蔵と大手に出桝形に重層櫓門、袋池を内堀に、浜側に百間土塁を石垣で保護しその上に百閒白土塀、続きの浜側に護岸の石垣見える。(二の丸に掲示されてる富岡城跡案内図古絵図に由る)
 現在は本丸は古絵図に由る復元され、二の丸は石垣復元と白土塀復元、出丸は石垣の復元です。(登城時平成22年6月13日による)

 写真は二ノ丸東側の大手二の丸虎口枡形復元石垣、東側の城塁、二の丸広場に苓北富岡に貢献した4賢人、代官鈴木重成、兄の鈴木正三和尚、勝海舟、頼山陽の立像、富岡城古絵図を投稿掲載します。

 更に復元が進み二の丸に平櫓の苓北町歴史資料館、と一基平櫓、出丸は白土塀で囲まれ、百間土塁上には百間白土塀、出桝形門の石垣整備、百間土塁の南先に大手門の石垣整備が出来上がって居ます。(城郭放浪記さんの写真館、グーグルマップ衛星写真に由る)
 復元が進んでおり、時間とチャンスが有れば再訪したいと思って居りゆっくりと天草五橋、天草の海鮮料理を味わい、続々百名城候補?の久玉城、整備されてる富岡城南西4km程の所の志岐城跡、天草の諸城も探訪したいなと投稿しながら思って居りますがはて?

 続き二ノ丸搦手西側辺へ


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イオ

【城と看板】ふりがな付き (2019/05/25 訪問)

中野城の推定地に建つ小学校校門には「理文先生のお城がっこう」さながらに、ふりがな付きの説明板が設置されていました。在校児童に自分たちの学校がある地域の歴史を知ってもらいたいという気持ちのあらわれだよなぁ、とほっこりさせられました。

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やま

海城 (2022/02/19 訪問)

過去今治を仕事で訪れた際に1度お城を遠望から見たことはあったが登城できず、今回ようやくゆっくり見学できると思っていたのですが、当日は生憎の雨。コロナ禍真っ只中ということもあり、人は少なく見学はしやすかったです。復元とは言え美しい独立式望楼型天守に、3つの櫓、鉄御門があり、また石垣も大変立派で見どころ満点でした。今の時期限定?で櫓巡りのスタンプラリーを行なっていて、天守入口に台紙があり参加することに。天守含め3つの櫓に設置してあるスタンプをコンプリートすると、今治城のポストカードがもらえました。ポストカードは今治城が夜間ライトアップされた物を頂きましたが、ライトアップが非常に美しく、次回は一泊して堀の水面に天守や石垣が映る幻想的な光景を楽しみたいと思いました。

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やま

村上水軍の城跡 (2022/02/19 訪問)

波止浜港11時10分発の船で来島へ。車はフェリー乗り場横のスペースへ駐車。乗船料は往復で320円(安い!)でした。きっぷは観光休憩所内の建物内にある自動販売機で購入。12時15分発の便で戻る為、時間はたっぷりありました。城跡入口でいきなり石垣跡がありテンションがあがりましたが、登城路はある程度整備されているものの、本丸含め城跡そのものの整備はあまりされていないいため、遺構は確認し辛いです。整備すればいい史跡(観光スポット)になるのにと感じました。

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赤い城

朝早い訪問がおすすめ (2022/04/10 訪問)

100名城でしかも鑁阿寺本堂は国宝、街の中心に位置してたら休日は多くの人で賑わいそう。
特に定番の楼門と太鼓橋の辺りは人が途切れません。
この日は桐生城目的でその前に早い時間に立ち寄りました。
人も少なく写真にはこんな時間が良いですね。
鑁阿寺本堂は流石の存在感。
四方の門は北側は修理中。
堀には錦鯉も泳いでいました。

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