東海道の鈴鹿峠を下り、大和街道との交点にあり、鈴鹿の関が置かれた場所です。
天正11年、北伊勢攻めの際に、関氏から秀吉軍が奪取し、三武将が駐屯したと。3つのピークをそれぞれ中心にして3つの郭群があります。一番北側の郭群の本郭南に竪土塁が残り、古代の鈴鹿の関の遺構と。竪土塁の上が散策路になっていて手摺の虎ロープが張られています。なんかもったいない感じ。
登城口は山崎製パンの駐車場奥にあります。斜め右手に進んでいくと低い石垣があり、その手前の道をピンクテープに導かれて登って行きました。郭群に至る直前は、かなりな急斜面でかつ道はウラジロをかき分けた痕。一方、尾根に上がってしまうと、草はなく、南に続く郭群に行くのは容易です。山の南側は、鈴鹿川に削られて急峻です。
街道を挟んで北側の山にも鈴鹿の関の築地跡が発見されています。鈴鹿の関は、街道が通るこの谷を端から端まで塞いだのでしょうから、とても規模が大きいです。
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