女城主の井伊 直虎さんと同時期に、やはり女城主になった お田鶴の方。
お田鶴の方は、今川 義元さんの家臣 飯尾 連龍さんの正室です。
義元さんが桶狭間で亡くなると、家中は混乱し離れたり和睦したり落ち着かない最中に連龍さんは、殺されます。
そして、お田鶴の方が女城主となりますが、最後は徳川 家康さんに攻められました。
鎧を着け、薙刀で待女と一緒に戦い散ります。
家康さんの正室、築山殿がお田鶴の方の死を悲しみ、祠に椿を植えたんだとか。
『椿姫観音』は浜松の街中に小さくお祀りしてました。案内を見ると、飯尾 連龍さんの「曳馬城」が近くにあります。
この時は気が付いてませんが、来た事あるような気がしてます。
「曳馬城」は『浜松東照宮』です。
小高い場所にあります。
何やら銅像がありました。
見た事あるよーな?
近くに行くと、若き頃の家康さんと秀吉さんです。
城びとの連載『前田 慶次の自腹でお城めぐり』で取り上げてました。
そーだ!思い出しました。
「浜松城」の前身の「曳馬城」です。
老けた31歳の家康さんに慶次さんの『老けすぎじゃろ!』で笑いました。
家康さんは、「曳馬城」の『引く馬』で敗戦をイメージする事で「浜松城」に変えたんだとか。
100名城になった「浜松城」。お田鶴の方の、死守した「曳馬城」から大きく出世したんですね。
因みに、お田鶴の方は直虎さんの、お爺様 直平さんを毒殺してます。
いざとなれば、女は知恵を絞って戦います。
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