城址に鎮座する常福寺は応永年間に佐竹氏によってここに移され水戸徳川家に至るまで手厚く保護されたという。楠木正成に連なる楠木正家らの南朝方が立て籠り佐竹の猛攻を受けたこの城は南北朝期の姿を残しているのだろうか。
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2026/02/10 22:23
2025/12/25 17:05
水郡線で城めぐり⑥ 常陸北部の南朝の城 (2025/06/27 訪問)
JR水郡線 瓜連駅から徒歩10分ほど。
常福寺のある一帯が城跡になります。常福寺境内に駐車場が設置されています。
県道61号沿いの常福寺の楼門そばに城址碑と説明板が設置されています。
見どころは、保育園西側の空堀、常福寺本堂裏手の腰曲輪と土塁、墓地そばの空堀の三か所の遺構です。
常福寺に隣接する保育園の西側の駐車場を奥まで進んでいくと空堀に入り口があり、そこを進むと堀底道に至ります。かなり規模が大きい空堀になっていました。堀底にそっていくと、腰曲輪にいたります。腰曲輪から本堂側に階段を登ると本堂の裏手に着きます。本堂の裏には土塁が残存していました。
そして本堂正面の唐門近くには、「瓜連城跡空堀」の看板があり、墓地のそばに空堀が残されていました。この堀も深さがあり、除草が行われていたので非常に見学しやすかったです。
瓜連城は、南北朝時代の戦いの舞台となった城として知られています。
建武政権樹立に貢献した楠木正成は、鎌倉北条氏の支配していた瓜連を与えられ、代官として一族の楠木正家が派遣されました。その後、南北朝の対立が発生したことで、瓜連城は筑波山麓の南朝勢力(小田氏、関氏、下妻氏など)と東北の南朝勢力(白川結城氏、北畠顕家など)の中間に位置することから、南朝方の重要な拠点となりました。そして、建武三年・延元元年(1336)に北朝の佐竹氏の攻撃を受けます。南朝方の那珂氏が援護するも瓜連城は落城し、その後、廃城となったとされています。
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2025/09/21 12:52
お城稲荷四兄弟 (2025/01/06 訪問)
瓜連城は延元元年(1336)南北朝の争乱の時代に楠木正成の一族・楠木正家によって築かれたとされてます。周囲を土塁や堀が巡っていることを考えると戦国時代にも使われていたのでは。
瓜連城の鬼門の位置に源太郎稲荷があり、案内板によると長男の源太郎狐は本家のこの里を守り、甚二郎狐は野、紋三郎狐は山、四郎介狐は海を守ることになったそうな。四匹の狐はそれぞれの地で敬われ、土地の守り神となったそうな。
こうして源太郎狐は瓜連城・甚二郎狐は米崎城(那珂市)・紋三郎狐は笠間城・四郎介狐は湊城(ひたちなか市)と、それぞれ郷土の稲荷神社に祀られているそうな。
ほんまかいな そーかいな。
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2024/07/12 13:05
雨の瓜連城址 (2024/07/12 訪問)
浄土宗の常福寺の建つあたりが本丸だそうで本堂裏には見事な土塁がのこっています。カーナビではそのあたり「城址公園」と出ていましたがそれらしき看板などは有りません。ですが草なども刈られておりきれいに整備されています。
山門くぐって右側には空堀が有りそこには看板が立っていました。
城の説明書きは、山門隣に寺の説明とともに解説板が立っています。
駐車場は、お寺の駐車場を使わせてもらえます。
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| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 楠木正家 |
| 築城年 | 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336) |
| 主な城主 | 楠木氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 県史跡(瓜連城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 茨城県那珂市瓜連1221 |
| 問い合わせ先 | 茨城県教育庁文化課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 029-301-5453 |