ちょうじゃやまじょう

長者山城

茨城県水戸市

別名 : 長者屋敷
旧国名 : 常陸

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主郭南空堀東側
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カズサン

那珂川北東に突出た崖城 (2024/06/07 訪問)

 多良埼城跡を終えて西に地道を約14km程の長者山城へ初登城。

 駐車場:無し、一盛長者伝説地石碑の奥の民有地砂利道横に路駐(36°24'38"N 140°26'03"E h=40m)
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 私有地内と言うことで、主郭まで北に伸びてる砂利道範囲内で遺構を観察見学、手前の石碑「一盛長者伝説地」側文も読み撮影、3郭、2郭の南切岸、2郭の西側の土塁跡、主郭の空堀と土塁、此処がよく残って居る、私有地である事、持ち主が現れたら声掛けして見学を頼もうと思っていましたが人影も無く、空堀の奥、土塁の奥には踏み込みませんでした。
 砂利道から西は太陽光発電のパネルが並び金網フェンスで囲まていて入り込めず、西側の点在してる土塁の撮影は金網フェンス越し。

 立地は那珂川に北東突出た丘陵崖に曲輪と堀、土塁で3郭連郭式、西に側郭4の構造の様です。主郭の土塁、堀は良く残って居ます。

 歴史的には石碑側文によると
 長者山は源義家によって滅ぼされたと言う一盛長者伝説地である。後三年の役の前後の豪勢な歓待に富豪の実力を恐れて後日の災いを恐れて滅ばしたとの伝説ですが、実際はどうなのか?義家も奥州の前九年、後三年の役で奥州豪族の実力に恐れていたのでしょう、その直後でしたから関東の豪族に恐れたのかも?

 ただ城郭の土木作業は平安末期ではなく、戦国期江戸氏の頃の遺構だそうです。
 
 良い空堀に土塁を観察見学させて頂きました。
 

 

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todo94

八幡太郎 (2023/12/09 訪問)

水戸城からの転戦です。ソーラーパネルの奥には踏み込みませんでしたが、隣接する林の中に踏み入ってみると、空堀や土塁が見られました。一盛長者伝説地の石碑の側面の説明には愕然としてしまいました。歓待を受けた有力者を危険視して滅ぼしてしまうなんて何たる非道。八幡太郎義家のイメージが地に落ちてしまいました。

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じゅんじん

地方有力者 (2022/01/15 訪問)

太陽光の奥に土塁があります。そして大きな堀も。現在でも城主のご子孫が住まわれております。
歴史は平安時代に源義家が奥州討伐の後に襲撃して討ち取ったのと事。

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赤い城

太陽光発電設備の先に (2021/01/09 訪問)

平安後期の築城とされ、入口の石碑には興味深い説明が書いてあります。
石碑から砂利道を進みますが左手に太陽光発電設備。
その先に土塁が残ります。
一番奥まで進むと民家があり、この辺りが主郭。
周囲は土塁で守られています。
主郭手前の堀を進んでいくと横矢がかかる折れもありました。
住宅地なのであまりうろうろ出来ませんが結構な城でした。
尚、駐車場はなく、近くに路駐かコンビニ駐車場をお借りするかとなります。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 常葉義政
築城年 承暦4年(1080)
主な城主 常葉義政(一盛〈一守〉長者)、春秋氏(江戸氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑(一盛長者伝説地)
住所 茨城県水戸市渡里町