どうほらじょう

堂洞城

岐阜県美濃加茂市

別名 : 堂洞山城、堂洞掻上城、堂洞掛上城
旧国名 : 美濃

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しんちゃん

ゴルフ場の雰囲気はあまりなし。 (2024/06/16 訪問)

堂洞城の周囲はゴルフ場になっているようです。でもあまり、気にせずに見学することが出来ました。城址に関してはあまり印象に残ってないです。主郭の南に浅い堀が有る以外は特に遺構は残っていないようです。
堂洞城は堂洞峠に築かれていたとされています。遺構はあっさりしていますが、なかなか激しい戦いのあった城のようで、永禄8年(1565)城主・岸勘解由信周は斎藤氏に従いこの城に籠って織田信長の軍勢と戦ったそうです。戦いは6時間に及び、長男信房は討死し、信周は妻と共に自害して果てたそうです。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:堂洞城 (2023/04/27 訪問)

加治田城からの転戦です。カーブミラー付近の空スペース(35.482662、137.001911)に路駐しました。
そこからゴルフ場のゲートフェンス脇の道を行くを進んで行くと標識は無いが入口があります。

築城者・築城年は不明のようです。堂洞城は1565年(永禄8年)に起きた「堂洞合戦」の舞台となった城です。
斎藤龍興方の岸勘解由信周が城主でしたが、織田信長の家臣である丹羽長秀・河尻秀隆・森可成、さらに信長に内応したの加治田城主・佐藤忠能の軍勢に寄って攻められ落城しました。
城はそのまま廃城となりましたが、「本能寺の変」後に起きた斎藤利堯と森長可による「加治田・兼山合戦」の際には長可の本陣として使用されました。

現在城址はゴルフ場になっています。
駐車場所はないので、路駐するしかありません。
遺構はほぼなく、主郭の南側に堀切ぽいもの(写真は撮りましたがブレの為、投稿できません)がありました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=顔戸城に向かいます。

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堂洞合戦 (2022/02/24 訪問)

 織田信長が美濃を攻略した時の堂洞合戦の舞台となった城です。ゴルフ場のど真ん中にある城址ですが、ゴルフ場を経由しないで行くことができます。西側から行くと標識があり、細い道を登って行くと登城口である貯水タンク前まで行くことができました。主郭までは5分くらいで行くことができます。主郭には比較的新しい案内板があります。すぐ下にはゴルフ場が見えます。削平地が段々にあり曲輪と思われますが、正しいか否かはわかりません。そのまま下りて行くとゴルフコースに出てしまいそうでしたのでやめました。八畳岩近くには古い「堂洞城由来」と書かれた字が見にくくなっている案内板がありました。

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shige

(2021/04/22 訪問)

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 岸氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県美濃加茂市蜂屋町下蜂屋
問い合わせ先 一般社団法人岐阜県観光連盟
問い合わせ先電話番号 058-275-1480