(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:猿啄城
(2023/04/23 訪問)
土田城からの転戦です。猿啄城展望台入口(35.425729、136.966118)から、先に進めば駐車場に到着します。
築城時期は不明ですが、応永年間(1400年頃)、西村豊前守善政が築城したようです。
1441年(嘉吉元年)西村豊前守善政が祖母の法要の為城を留守にした際に、田志見の城主修理大夫頼吉が城を略奪します。
1530年(享禄3年)田原左衛門が城主となります。
1547年(天文16年)多治見修理が城を略奪します。
1565年(永禄8年)織田信長が丹羽長秀を総大将として東美濃攻略を開始。丹羽長秀の先鋒であった河尻秀隆が猿啄城を攻略し、落城します。
城主多治見修理は斎藤氏に属する堂洞城の岸信周の下へ落ち延びました(堂洞合戦)。河尻秀隆が猿啄城城主となり、城名を「勝山城」と改称しました。
1575年(天正2年)河尻秀隆が岩村城に移り、廃城となりました。
駐車場から山頂まで登り25分くらい(下りは17分くらい)ですが、登城道はかなりきついです。手すりなどはありませんので、下りは足元に注意してください。
山頂には櫓を模した展望台がありますが、上には登れません。眺めは絶景です。
日曜でしたので登山客が結構いました。家族連れも多く見ました。たくましい子供です。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=伊木山城に向かいます。
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