本丸切岸が大きく崩落した東日本大震災から、こちらも見事な復活を遂げていた(3枚目は2012年当時)。深く刻まれた堀に目が行くが、枡形・馬出が効果的に用いられたメリハリのある普請は秀逸。近くに伝移築門もある。
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2025/03/11 21:11
2024/05/18 08:56
本丸南側の堀が見所。芭蕉ゆかりの地。 (2016/01/01 訪問)
黒羽城は天正4年に大関高増が白旗城から当地に本拠を移したことが始まりとされています。慶長5年の関ヶ原の合戦では徳川家康に味方し、上杉景勝への備えとして城の改修を行っています。江戸時代は黒羽藩主大関氏の本拠となり、かつては南北1.5km東西250mという規模の大きな山城でしたが、現在では本丸周辺が城址公園として整備されています。かつて三の丸には桃雪邸がありましたが、現在は黒羽芭蕉の館が建てられています。芭蕉は奥の細道の道中14日をここで過ごしており、居心地は良かったものと思われます。
本丸から南の三の丸(黒羽芭蕉の館)の間には二重の堀切があり、特に最初の堀は規模が大きく橋が架かっています。本丸周辺の土塁と南側の堀は特に遺構が良好に残っています。
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2023/12/31 15:09
「黒羽城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★★
黒羽城は、那須七党・大関氏の居城である。小田原征伐では大関高増が豊臣秀吉に謁見し、1万3000石を安堵される。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津の上杉氏の動きに備える。外様でありながら15代大関増裕は若年寄など幕府要職を歴任した。戊辰戦争では新政府側に属し、会津戦争などで戦功を挙げる。廃藩置県まで大関氏が治めた。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)などが遺されている。
<アクセス>
JR西那須野駅 バス 黒羽神社下車 徒歩20分
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2022/12/01 22:30
梅雨どきは紫陽花の名所に (2022/11/13 訪問)
黒羽城址公園として整備されていて駐車場もあります。
駐車場も曲輪の跡で土塁が残っています。
道路を渡って公園に入ると説明板があり、その奥に空堀があります。
堀底道を歩くこともできます。
本丸は大関氏の館跡で広く能舞台がありました。
南側の馬出曲輪との間の堀は深く、梅雨には紫陽花で一杯になります。
三の丸には芭蕉の館が建っていますが背後には土塁、深い堀も残っています。
以前紫陽花のシーズンに訪れたことがありましたが城を見るにはこれからの時季ですかね。
時間があればもっとあるき回れそうな城でした。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 大関高増 |
築城年 | 天正4年(1576) |
主な城主 | 大関氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀) |
指定文化財 | 市史跡(黒羽城址)、市有形文化財(黒羽城鳥瞰図) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 栃木県大田原市前田 |
問い合わせ先 | 大田原市生涯学習課文化財係 |
問い合わせ先電話番号 | 0287-98-7115 |