くろばねじょう

黒羽城

栃木県大田原市

別名 : 九鶴城、(黒羽陣屋)
旧国名 : 下野

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模擬井楼櫓
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しんちゃん

本丸南側の堀が見所。芭蕉ゆかりの地。 (2016/01/01 訪問)

黒羽城は天正4年に大関高増が白旗城から当地に本拠を移したことが始まりとされています。慶長5年の関ヶ原の合戦では徳川家康に味方し、上杉景勝への備えとして城の改修を行っています。江戸時代は黒羽藩主大関氏の本拠となり、かつては南北1.5km東西250mという規模の大きな山城でしたが、現在では本丸周辺が城址公園として整備されています。かつて三の丸には桃雪邸がありましたが、現在は黒羽芭蕉の館が建てられています。芭蕉は奥の細道の道中14日をここで過ごしており、居心地は良かったものと思われます。
本丸から南の三の丸(黒羽芭蕉の館)の間には二重の堀切があり、特に最初の堀は規模が大きく橋が架かっています。本丸周辺の土塁と南側の堀は特に遺構が良好に残っています。

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城好きのメガネ

「黒羽城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
黒羽城は、那須七党・大関氏の居城である。小田原征伐では大関高増が豊臣秀吉に謁見し、1万3000石を安堵される。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津の上杉氏の動きに備える。外様でありながら15代大関増裕は若年寄など幕府要職を歴任した。戊辰戦争では新政府側に属し、会津戦争などで戦功を挙げる。廃藩置県まで大関氏が治めた。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)などが遺されている。

<アクセス>
JR西那須野駅 バス 黒羽神社下車 徒歩20分

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赤い城

梅雨どきは紫陽花の名所に (2022/11/13 訪問)

黒羽城址公園として整備されていて駐車場もあります。
駐車場も曲輪の跡で土塁が残っています。
道路を渡って公園に入ると説明板があり、その奥に空堀があります。
堀底道を歩くこともできます。
本丸は大関氏の館跡で広く能舞台がありました。
南側の馬出曲輪との間の堀は深く、梅雨には紫陽花で一杯になります。
三の丸には芭蕉の館が建っていますが背後には土塁、深い堀も残っています。
以前紫陽花のシーズンに訪れたことがありましたが城を見るにはこれからの時季ですかね。
時間があればもっとあるき回れそうな城でした。

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にのまる

四神相応の城 (2022/04/02 訪問)

18きっぷ4回目の1城目。
「くらしの館」のある国道側から行きました。那珂川越しに望む城山は南北に長い(1.5㎞)ものの急峻ではなく、ゆるゆると登っていけそうです。舗装路をしばらく歩き、右手の林の中の藩主大関増裕公の顕彰碑のある鎮国神社に行ってみました。とても静かな空間でした。
駐車場になっている会所跡で土塁などを確認後、城址(居館跡)へ。設えられた庭園が在りし日の雰囲気を伝えてくれています。展望台もそれ自体が絵になり違和感なく溶け込んでいました。
三の丸にある「黒羽芭蕉の館」はその佇まいも館内展示も素晴らしくたいへん充足した時間を過ごせました。見晴らしもすてきでした。土塁や井戸も残されています。
帰りは自然遊歩道を下りつつ芭蕉公園、黒門跡、大雄寺を見学しました。往復したいくらい楽しかったですが次の目的地の大田原城まで9㎞ウォーキングが待っています。
途中、那須神社に寄りました。藩主大関氏と那須与一に縁の深い神社で銅像もありました。ちょうど中間地点で気分転換にもなりました。
屋島の戦いは鎌倉殿に……

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大関高増
築城年 天正4年(1576)
主な城主 大関氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)
指定文化財 市史跡(黒羽城址)、市有形文化財(黒羽城鳥瞰図)
再建造物 碑、説明板
住所 栃木県大田原市前田
問い合わせ先 大田原市生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0287-98-7115