天候の関係で登城できず写真は石碑だけ。長宗我部元親の三男・津野親忠を誅し結果的に長宗我部を改易へと追い込んだ久武親直の居城に山内一豊の主席家老・深尾重良が入り、改めて麓に土居屋敷を構えたもの。
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2024/10/20 15:14
麓の石碑だけ (2024/02/20 訪問)
天候の関係で登城できず写真は石碑だけ。長宗我部元親の三男・津野親忠を誅し結果的に長宗我部を改易へと追い込んだ久武親直の居城に山内一豊の主席家老・深尾重良が入り、改めて麓に土居屋敷を構えたもの。
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2023/10/31 07:12
らんまん (2023/10/21 訪問)
らんまんでメジャーになった植物学者、牧野富太郎の出生地である佐川町。
牧野公園とその背後にかけてが城趾です。
佐川氏は長宗我部氏に攻められ降伏、その後は久武氏に与えられました。
観光駐車場に車を留めて牧野公園へ。
無料で楽しめる公園で春には桜の名所になっているようです。
少し登ったら竪堀があります。
さらに登ると大きな物見岩、ここから佐川町内と街道を見渡せます。
そこから少し登ると主郭方面への登城口が。
獣よけに門が閉められています。
「入城中」の紙を表示し、閂を外して入ります。
内側から閂をして登ることに。
これでは一組しか入れないような・・・。
少し心細さを感じながら登っていきました。
途中に曲輪が並び、堀切も見られます。
詰城には石垣が残っていました。
本丸にも堀切、結構良い感じです。
ここから南の曲輪方面に向かいました。
細い土橋状の尾根道を進むと曲輪の間に広く深い堀切。
ここも見どころです。
西側にも曲輪がありますがそこは断念、下山しました。
牧野公園近くにも観光スポットがあるのですが余裕があれば散策してみたかったです。
todo94さん、阿波コンプおめでとうございます!
四国初心者ですので御指南お願いします!
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2022/08/11 07:09
2022夏の青春18キップ遠征4日目:佐川城 (2022/07/23 訪問)
戸波城からの転戦です。青山文庫駐車場(33.497983、133.288471)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1573年(天正元年)頃に久武内蔵助によって築かれたと云われています。
松尾城の中村越前守信義が1571年(元亀2年)に長宗我部元親に降ると、元親の重臣久武内蔵助が松尾城主となりましたが、城内の水不足を嫌い向かいの山に築いたのが佐川城だそうです。
関が原合戦によって長宗我部氏が改易となり、変わって山内一豊が土佐へ入国すると、その重臣深尾和泉守重良が10,000石を賜って佐川城主となりました。
しかし、元和の一国一城令によって佐川城は廃城となり、東麓に土居屋敷を構えて明治まで続いたそうです。
青山文庫駐車場から舗装された道をひたすら登ります。青山文庫駐車場より少し先の青源寺駐車場にも止められます。
最初、主郭への登り道がわからず3郭下から主郭城塁を直登しましたがムリでした。少し廻りをウロウロしたら登城路を少し戻った所に主郭への登り道がありました。
大きな物見岩に行く途中の竪堀、物見岩と主郭の石垣、主郭と2郭との間の堀切が見所だと思います。
じつは、佐川城に来る途中の道で木の伐採作業を行っており、時間規制の通行止めの為、到着が予定より30分遅れとなってしまいました。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=土居屋敷(城びと未登録 高知県佐川町)に向かいます。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 久武親信 |
築城年 | 天正元年(1573)頃 |
主な城主 | 久武氏(長宗我部氏家臣)、深尾氏(山内氏家臣) |
廃城年 | 元和2年(1616) |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀 |
指定文化財 | 町史跡 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 高知県高岡郡佐川町甲(牧野公園) |
問い合わせ先 | 佐川町総務課 |
問い合わせ先電話番号 | 0889-22-7700 |